第6話 少年哀歌と少年詩編
派手にこけたら川底へ真っ逆さまに落ちてしまうくらいの、九十九折の急勾配だ。
落葉だらけの遊歩道から、落ちないように最善の注意を払いながら、私は追いかけた。
あっという間に君は妖光を浴びた、鳥居の向こうの神隠しへと消え、彼岸花が私を嗤うように手招いている。
彼岸花は少年哀歌、嘘を愛する花。
彼岸花は少年詩編、古から伝わる炎の伝承を司る花。
私はもう、女なのか、と淡い邪念を知りながら、このまま永久に少女のままでいられたらいいのに、と思う、夕間暮れが時たまあるのが難癖だった。帰らなきゃいけないんだ、私は古い記憶の彼方へ。
石畳の階段を上がり、皇子原公園の頂上に再び、戻るともう、今日という世界は火点し頃になりつつあった。
斜陽が何度も連写する、ストロボのように彼岸花の花野に向かって陰りながら射し込み、君だけが太古の伝説の地で立ち尽くしていた。
その西日は西洋ナイフで切られたばかりの、真っ赤な林檎の皮のように、ひりひりと逃れられない、大きな痛みを伴っていた。
君の後ろ姿は果てしない、試練に惑う、旅人のように虚ろで思わず、私は目線を外した。
泥土にはまったように、生ぬるい靴下が靴の中で湿気を起こすと、足の爪先が冷たくなり、私は膨らみかけた、真新しい胸になだらかな秋風を感じた。
「僕は大きくなったら、いつか人を殺す運命にある。もしかしたら、大人になる前に罪のない、誰かを殺めてしまうかもしれない。そうなる前に僕は処罰されなければいけないよ。いつか、僕は自分から死ななければいけない」
死への誘惑をいつから、誰が望むようになったのだろうか。
私は死への欲動、タナトスさえも知らないふりをしていた。
「罰しなければいけない。ねえ、真依ちゃん、それをできるのは君だけなんだ。ここに買ってきたばかりのロープがある。これをちょっとばかり、僕の首に絞めてくれるだけでもいいんだ。遺書にちゃんと、依頼の言葉を書くから。君には何の罪はない。僕がいいって言うまで絞めてほしいんだ」
彼はホームセンターでも手軽に買えるような、プラスチック製のロープを片手に持ったまま、非の打ち所がない憫笑を浮かべた。
何で、そんな哀しい思想観念で、自分自身を思い詰めてしまうの?
君は何にも悪ふざけもしていないよ。分かっている。
この人はいつか惨いやり方で人を殺めてしまう、と信じ切っているから、衝動的でもなくても、謎めいた言の葉を口にはせずにはいられないのだ。
「真依ちゃん、早く」
彼は律儀にロープを渡す。ロープはまるで、新しく仕込まれた、プラチナの首飾りのようだった。
こんな代物じゃ、死ねないよ、死ねないに決まっているじゃない。
どうして、あなたは死にたいなんて思ってしまうの?
あなたは誰かを殺してもいなし、言葉の刃さえも、その切っ先を気が利かすように自ら、折り曲げたのに。
「真依ちゃん……。さあ」
声が掠れ、強い思いが汲み取れる。その眼は無機質な薩摩切子の破片ようで、見た目は綺麗なのに触ると指に小さな傷がつく。
そんな秘話を受け手に思わせる、切ない眼だった。
そんな眼をしないで、澄みきった薄月夜に照らされた、湖面のような眼をしないで、と私は風に向かって叫びたかった。
君とは血が強く繋がっているんだ、とお兄ちゃんから聞いた。従兄妹なんだ、と。君のお母さんはお母さんの異母妹で、この人が受け継いだ血も私は引いているのだ、ロープは固く握ったまま。
「もう、癒してくれないの?」
その声は古風な展覧会で展示されている、細やかな硝子細工の白鳥のようだった。
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