#6 ナイフ

魔物討伐と普通の高校生をこなしているうちに時期はすっかり梅雨時、6月になっ

た。


上からシャワーのように降り注ぐ雨の一粒一粒が大きく、それらはコンクリートに弾

くように落ちる。傘を差していても、足元とカバンは薄っすらと濡れている。


「喜福くん、おやつ買いに行かない?」


隣で派手な傘を差している賀陽小春が、お日様のように朗らかな表情で俺を誘う。


「ごめん、今日はバイト」


地味な傘を差しながら、地味に申し訳ないニュアンスを含んで言い訳する。


「そっか」と少し残念そうに笑う賀陽。


雨音だけが無情に響く中、気まずい沈黙が数秒続く。


俺は耐えかねて、らしくない提案をした。


「俺のバイト先、スイーツのチェーン店なんだけど、ちょっとだけ寄ってみるか? 

まだ、時間あるし」


「行く行く!!」


再びパッと明るさを取り戻した賀陽小春。


という訳で、俺は5月からバイトを始めた店へ案内した。


「あっ、出雲くん。お疲れ様」と会計をしてくれた大学3年生の先輩が意味ありげな

顔で俺と賀陽を交互に見やる。


「もしかして」


「違います」


先回りして否定する。


「はい、って言っても良かったんだよ」と賀陽が冗談めかして笑う。


「おばさんが勘違いしちゃったみたい、ごめんね。合計で2200円になりまーす」


格安を謳っているスイーツのチェーン店だが、賀陽は爆買いして、女子高生の客1人

ではあまり目にしない金額になった。


「えぇ!? なんで!?」


「当たり前だ。いっぱい買いすぎだし、同じ味のモンブラン5個も買うな」となぜか

驚愕している彼女に指摘する。


「だって美味しいもん、ここのモンブラン。看板メニューだよ? 『グレートフルモ

ンブラン』だよ? 一度に5個は買いたくなるもんだよ」


「そういうもんではないと思うが」


「喜福く~ん」


「嫌だ」


「まだ何も言ってないじゃん!」


割り勘にしてくれ、とか言うのはこの流れからして見え見えだ。俺は先回りして断っ

た。


なのに。


「じゃんけん!」


「はぁ?」


「ぽん!」と勝手にじゃんけんを始めやがった。


掛け声につられてグーを出してしまった俺は、チョキを出したまま慌てふためく賀陽

を見つめた。


「あ、ああ!」と狼狽する賀陽。


「残念だったな」と俺は一笑したが、彼女は何かを思いついたように笑い、挑戦的な

目で俺に言った。


「まだ何も言ってないもん」


「負けは負けだろ? 潔く諦めろ」


「私が勝ってたら喜福くんが全額おごり、私が負けたら喜福くんは男気を見せるチャ

ンスをもらえるっていうルールなんだよ?」


「どっちもおごりじゃねえか。あらかじめ説明がなかったし無効だ、無効」


わがままな悪知恵に呆れながら、しかし「ダメかな」と縋り付くような視線を拒否す

ることができなかった俺は、カバンから財布を取り出した。


これだから女は。


「分かったよ。今日だけな。俺が男気を見せるってことで」


「やったー!」


子供のような嬌声を上げて小刻みに数回跳びはねる同い年の童顔。


「この子やっぱり出雲君の」


「違います」


そこだけはきちんと否定しておいた。




   △△△




「じゃ、お先」


私服に着替えて更衣室を出た先に黒江と目が合い、一言だけ告げて帰る。


「寄り道しないで早く帰りなさいよ」


「母親か、お前は」


黒江と一緒にバイトを始めてからもう2か月が経とうとしている。女が多い職場だか

ら俺は嫌だったのに、「私がいないところで魔物に絡まれたらどうする気?」としつ

こく付きまとわれた挙句、あいつがこの店のシュークリームが好きだという理由で巻

き込まれた。


夜9時。


店の外に出た俺は、バスに乗ってアパートに帰る。


雨は止んでいて、雲の切れ間から月の光が差し込む。


普段は徒歩で帰るのだが、今日は平日なのにお客が多く忙しかったので、今日ばかり

はささやかな贅沢をしたい気持ちだった。


俺は私立の高校の特待生として学費の一部を補助してもらっているが、あの忌々しい

実家から離れて暮らしているため、生活費は普通にかかる。


運賃120円だって節約したいが、今日ばかりは優雅に座ったまま移動しようではな

いか。


バスに乗り込むと、意外にも乗客は多かった。


空気の抜けたような音とブザー音を合図にドアが閉まり、車体が動き出す。


こんな遅い時間だというのに、やけに人が多い。残業だろうか、何らかのイベントが

あったのだろうか。


それに、不気味なくらいにほとんどが何もしていない。現代人ならスマホくらいは持

つだろう。


視線が一気に集まる。


理由はすぐに分かった。


全身が黒を基調とした服装の男。ナイフ片手に俺に近づく。


「おい、お前」


「え、俺?」


「立て」


言われるがままに立たされ、ポケットに入っていたスマホと手元のカバンを奪われ

た。


「よーし、人数的にはそろそろいいだろ。おい運転手、そのまま真っすぐ山の方へ行

け」


ハンドルを握る壮年の首元に突きつけられたナイフ。


「は、はい!」


運転手はもちろん抵抗せずに既定の路線から外れながら山へと運転した。


バスジャック、なんて映画やドラマでしか目にしないような事象にまんまと直面して

しまった俺たち20人あまり。


俺の微弱な魔力で、死なずに、あるいは死なせずに済むだろうか。


「下手な真似はするなよ! 殺すからな!」


バスジャックの野太い声が車内に響く。


黒江の余計なおせっかいが、今は愛おしい。

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