第32話 痛み

 ラインハルト視点です。


 ********


 私がエミリアの異常に気づいてすぐ、アレクが侍医を呼びに行ってくれた。

 私はエミリアの手を握って待とうと思っていたのだが、侍医が到着すると、邪魔だからといってアレクにひっぺがされ、自分の部屋に連れて行かれたのだった。



 どうやらエミリアは、声が出せないだけではなく、体も満足に動かせないようだった。

 先程握った手も冷え切っていて、僅かに震えていた。



 侍医が診察をしている間にナイジェル殿も私の部屋を訪れ、私はエミリアの状態を説明した。

 ナイジェル殿はエミリアが攫われた瞬間に一緒にいたため、物凄く責任を感じているようだった。

 だが、そもそもの責任の所在は私にある。

 エミリアに危険が迫っている可能性を知っていたのに、守ってあげられなかった……本当に悔しい。


「……私のせいだ。もっと早くエミリアを見つけてあげられれば……」


「殿下は悪くありません……私が出された飲み物を無防備に飲んでしまったせいです」


「いや、せめて騎士を一人付けておけば良かった……」


「警戒しているのが露見したら、今回の一網打尽計画が失敗していたかもしれません……やはり私の危機感が足りませんでした……」


「それ以前に城に来てはいけないと警告していれば良かったんだ……エミリアを不安にさせたくないと思い、今回の件を伝えなかった私が悪い……」


「私も悪いのです……公爵邸の周囲をこそこそ嗅ぎ回っている者がいたので、逆に耳目の多い城の方が安全かと思い、エミリアが早めに登城するのを許可したのです……」


「いや、私が」


「私のせいで」


「あの、失礼を承知で申し上げますが、いい加減にして頂けませんかね」


 延々と続く、私とナイジェル殿の責任の押し付け合い……ではなく受け取り合いにアレクが強めのツッコミを入れた。


「殿下、あなたも大怪我してるんですからちゃんと休んで下さい。今無理をしてしまうと、右腕、下手したら障害が残りますよ。先程は殿下もエミリア様も互いの様子が気になるだろうと思ったので許可しましたが、今日はもうこの部屋から出ないで下さいよ」


「うぅ……分かった」



 その時、ノックの音が聞こえ、アレクが隣の部屋の扉を開き、入ってきた侍医がエミリアの状態を話してくれた。


 話を聞くまでは、毒物の影響ではないかと私は心配していたのだが、どうやらそうではないらしい。

 エミリアを診察していた侍医の見立てによると、精神的に大きな傷を負ったことで現れた症状ではないかという事だ。

 時間が経ち、心の傷が癒えるのを待つしかないそうだ。


 エミリアは、慣れ親しんだ公爵邸で療養させるのが一番良いだろうという事で、夜会の終わりを待たず、ナイジェル殿とモニカ嬢と三人で帰宅する事になった。

 念のため城からも騎士を一人、交代で公爵邸に派遣する事にした。


「殿下、本当に申し訳ありません……。此度の件、私は自分の無力さを痛感致しました。……エミリアが回復するまで、今度こそ、今度こそ必ず私が責任を持って守ります。殿下はご心配なさらず、どうかお身体の回復にお努め下さい」


 そう語るナイジェル殿の瞳には、強い決意が宿っている。

 モニカ嬢も隣でしっかりと頷いている。


「……分かった。エミリアの事、くれぐれも宜しく頼む」



 こうして、長い長い一日は、各々の心に多くのしこりを残して、幕を閉じたのであった。



 ********



 クーデターの日から、一週間と少しが経った頃。

 私の身体の傷は、深かった右腕の傷を除いて、ほぼ完治していた。

 右腕の傷も順調に癒えており、痛みは少しあるものの、痺れなどはもう残っていないし、指先も問題なく動かせる。



 あれから私はエミリアに、毎日一輪の花とメッセージカードを贈っていた。

 私自身が外出を禁止されているので、見舞いに行けなかったのだ。


 侍医に少し見舞いに行くぐらい良いだろうと不満を言ったところ、どうやらエミリアが私の満身創痍の姿を見た事もエミリアの心の傷になっている可能性が高い、だから早く傷を治して元気な姿を見せに行くことが一番だ、と返された。

 ……確かに荒事の苦手な優しいエミリアには衝撃的な光景だったかもしれない。

 私は、エミリアの精神失調が自分自身の冷静さを欠いた行動の結果だという事に衝撃を受け、悔いたのだった。



 侍医によると、私の外出禁止も間もなく解かれるとの事だ。

 私はメッセージカードに、「私の傷はもう殆ど完治した。エミリアさえ良ければ、近いうちに是非見舞いに行きたい」と書き記した。


 メッセージカードの返事をくれた事は無かったが、登城する度に私の部屋に見舞いに来てくれるナイジェル殿によると、エミリアは毎日花とメッセージカードが届くのを楽しみにしている様子で、カードを渡してやると大切そうに胸に抱いて涙を流しているらしい。


 エミリアは少しならベッドから起き上がれるようになり、ゆっくりだが順調に回復しているようだ。

 だが、夜は毎晩魘されていて、心配になったモニカ嬢がエミリアの寝室にベッドを移し、一緒に休む事にしたらしい。

 それから少しずつ魘される時間は短くなってきているが、モニカ嬢ももうすぐ隣国に戻らなくてはならないため、頭を悩ませているとの事だ。



 外出禁止が解かれたのは、それから二日後の事だった。

 私は見舞いの花束を持って、早速アレクと共にブラウン公爵邸へと向かった。


 派遣した騎士は、今日もちゃんと仕事をしているようだ。

 猫の侵入すら許さないとばかりに、魚を咥えた野良猫を一生懸命追いかけている。


「なあアレク、もう騎士の派遣は必要ないと思うか」


「奇遇ですね、俺も殿下にそれを聞こうと思ってた所です」




 エミリアの部屋に通されると、予想外にもエミリアは立ち上がって笑顔で出迎えてくれた。

 だが、まだあまり力が入らないようで、足元がふらつき、倒れそうになってしまう。

 私は駆け寄って、すぐにエミリアを抱きとめた。


「エミリア……! 会いたかった……」


 私はエミリアを優しく抱きしめる。

 少し痩せてしまったようだが、エミリアはちゃんと暖かくて、ちゃんと私の腕の中にいる。

 アレクと侍女が部屋から出て行く音が聞こえたが、私達は、しばらくそのまま動かなかった。



 私はエミリアをベッドに寝かせると、私も座ってエミリアの手を取り、他愛もない話をたくさんした。

 勿論、クーデターの話やフリードリヒの話はエミリアを不安にさせてしまうので、話さない。

 最近は書類仕事ばかりで退屈だとか、もうすぐ学園の新学期が始まるとか、ホリデーの時に見た演劇の話とか。


 エミリアはくるくると表情を変えて、時には笑い、時には驚き、時には頷いて私の話に耳を傾けてくれる。

 私しか話してはいないが、メッセージカードと違って決して一方通行ではない。

 エミリアの嬉しそうな顔を見て、私自身も久しぶりに自然と笑っている事に気がついたのだった。


 しかし楽しい時間はあっという間だ。


「可愛いエミリア、今日は君に会えて良かった。また来るよ」


 エミリアも、私の大好きな、天使のような美しい笑顔でうん、と頷いてくれる。

 私は目を細めて笑みを深くし、エミリアの手の甲にキスを落とすと、公爵邸を後にしたのだった。


 その夜、エミリアは不思議と魘される事なく、ぐっすりと眠っていたのだそうだ。




 それから更に数日後の夕方。

 エミリアは、劇的に回復していた。


 夜も魘されなくなったし、だいぶ長時間でも立っていられるようになって、庭を散歩する事も出来るようになった。

 身体を起こしていられるようになったので、ペンを持つ事も出来るようになり、意思の疎通もスムーズになった。

 私も毎日エミリアの元へ通い、その変化を共に喜んだ。


 モニカ嬢も安心して隣国に戻り、学園の新学期も今日から始まった。

 エミリアはまだ学園には行くことが出来ず、特別に自宅で療養しながらの学習が認められた。


「エミリア、今日から学園が始まったんだ。新しい教科書を持って来たよ。分からない所があったら私が教えるから、メモしておいて」


 エミリアは頷くと、申し訳なさそうな表情をしながら教科書を受け取った。


「良いんだよ、エミリア。私も毎日君に会いたいからね。ゆっくりやっていけばいいよ」


 私がそう言えば、エミリアは頷いてほろりと涙を零す。

 私はエミリアをそっと抱きしめ、これまでいつもそうしていたように、頭を撫でてあげたのだった。


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