第5話 ラインハルトの想い

 ラインハルト視点です。


 ********



 エミリアが早退してしまってから、私、ラインハルトは悶々と終業時間を待っていた。


 授業がこんなにも長く思えたのは、初めてである。

 何度見ても隣の席は空っぽで、その向こうにある空はただただ退屈なブルーだ。

 エミリアの瞳の青の方が、余程美しい。



 ふと思い立って、私はノートの端を破り、走り書きをする。


『プリシラ・スワローについて調査せよ。私は夕刻に公爵邸に見舞いに行く。公爵邸から戻り次第、報告を聞く』


 休み時間にその走り書きをアレクにこっそり渡すと、受け取ったアレクは僅かに頷き、すぐにトイレに向かう。

 メモを読んだらすぐその場で破棄できるので、こういう公共施設ではとても便利だ(注:実際に紙を流すと詰まるので、良い子の皆さんは真似しないように)。


 アレクは騎士としてだけでなく、側仕えとしても優秀だ。

 彼女にそれとなく接触し、正体を探ってくれるだろう。





 その日の授業が終了し、私は急ぎ正門に向かった。

 アレクには調べ物を依頼したため、別行動である。


 正門にはいつも通り王城からの迎えが来ていたが、公爵邸へ向かう事は既にアレクが告げていたようだ。

 公爵邸には何度も足を運んでいるから、私が手ぶらで突然訪問してもどうという事はないのだが、気の利く従者が見舞いに適した花を選び、花束を拵えてくれていた。



 花束を使用人に託し、エミリアの私室に案内された私は、すぐにくぐもった声が聞こえる事に気が付いた。

 一瞬エミリアが苦しんでいるのかと思ったが、そうではなく、枕に顔を埋めて独り言ちているようだ。


「思い切って、殿下に愛しているってはっきり伝えるのは……」


 聞いてはいけないと思いつつ、エミリアの口から殿下という言葉が聞こえて、耳を澄ましてしまった。

 ……愛している……なんと甘美な響きだろうか。

 私はこの言葉の持つ威力に驚きを隠せなかった。


「……恥ずかしくてそんな事言えない……」


 それを言うなら私もそうである。

 言葉に出すことなんて、中々出来るものではない。

 心に抱えている想いを言葉にするには、私の語彙力では薄っぺらくなってしまうだけだ。

 だが、想いを言葉に乗せて形を与える事も、時として必要な事なのかもしれない。



 エミリアはまだ、私に気づいていないようだった。

 私はそおっとベッドサイドに近づき、そこにあった椅子に座って頬杖をつく。

 彼女はやはりあの令嬢のことで思い悩んでいるようだ。

 だが、あの令嬢に私とエミリアの仲を裂く事など出来る筈がない。

 私は先程の、愛している、という言葉を思い出して思わずにやけてしまう。


「……万事休すだわ……」


「……それは、どうかな?」


「へっ!?」


 私が声を掛けると、エミリアは美しい青い瞳をまん丸にして飛び起きた。

 ああ、やはり空の青よりも美しい……この瞳を濁らせるものは、私が全て取り除いてやろう。


「エミリア、一人で悩んでないで早く私に相談してくれれば良かったのに。それとも、私の事はそんなに信じられないのかい?」


「で、殿下? どうして……?」


「君のことが心配で、授業が終わってすぐに来たんだよ。使用人に聞いたら君は眠っているって言うから、顔だけ見たら帰ろうかと思っていたんだけど、独り言が聞こえてしまって……」


 思い出すとまた嬉しくなってしまい、私は頬を緩める。


「あの……いつからいらしたのですか……?」


「思い切って……の辺りかな」


「〜〜〜!! よりによって一番恥ずかしいところ……!!」


「ふふ、エミリアは私のことを愛しているのかい?」


「う、うぅ……」


 私は頬杖を解いて身を乗り出す。

 盗み聞きしておいて自分でも意地が悪いと思うが、エミリアの口からはっきり聞いてみたくなったのだ。

 彼女は頬を赤らめて、恥ずかしそうにしている……可愛い。


「エミリア?」


「わ……私は、殿下をお慕いしています。多分、殿下が思っているよりずっと……」


「……!」


 私は思わず固まってしまった。

 目を見てはっきり言われると、こんなにも嬉しいとは。

 あまりの衝撃にしばし思考停止していると、エミリアは何を思ったのか、俯いて静かに涙を流しはじめた。


「エミリア……何故泣くんだ。ほら、こっちを向いて」


 私は慌てて声を掛けるが、エミリアはますます大粒の涙をこぼし始めて、私は困惑してしまう。


「もっ、申し訳ありません……。私、ほんとは、すごく泣き虫で……。こんな、みっともないところ、っ、見せたくなかった……っ」


 ……そうか。エミリアは、私に泣き顔を見られたくなかったから、一人で帰ってしまったんだな。

 すまない、と謝罪の気持ちを込めて私はエミリアの頬を濡らす涙を拭う。


 ……エミリアが勇気を出して私に気持ちを伝えてくれたのだから、私も言わない訳にはいかないな。

 何より、エミリアを不安にさせたくない。


「みっともなくなんてないよ。私は、どんなエミリアも知りたい。君が泣き虫だったなんて、知らなかった。でも、普段のエミリアも、泣き虫なエミリアも、誰よりも何よりも魅力的だ。……私も、エミリアを愛しているよ。君が思っているよりずっと」


「……!! 殿下……っ」


 愛しい女性ひとは、目を潤ませてじっと私を見つめている。

 どうやら、涙は止まったようだ。


「……言葉にすると安っぽくなってしまうと思って口にしてこなかったが……私は愚かだったな。君が慕ってくれているのは分かっていたが、愛していると君が言った時、舞い上がるほど嬉しかった。……これからは何度でも君に気持ちを伝えよう。君が不安に思う暇なんてないぐらいに」


 私が微笑むと、エミリアも頬を染めて柔らかく微笑んでくれる。

 この表情だ。

 私はこの笑顔に心を射抜かれて、10年もの間、彼女ただ一人を愛し続けているのだ。


「その顔……好きだな」


 そう呟いて、私は頬を伝う涙を掬った。

 嬉し涙なら、大歓迎である。


 ……しかし、これ以上一緒にいたら、私の理性が飛んでしまいそうだ。

 私はエミリアの頭を撫でるだけにとどめ、名残惜しいが城に帰ることにした。

 プリシラの件は、今日は聞くべきではないだろう。


 時間を取らせて公爵家の者に怪しまれるのも避けたいし、エミリアにも心を落ち着ける時間が必要だ。



 エミリアは、見送りをしようと立ち上がったが、私はそれを制した。

 涙の跡が残る顔で外に出ようものなら、私が公爵に睨まれてしまう。

 その代わり……ではないが、明朝学園まで一緒に行く約束を取り付け、エミリアの手の甲にキスをして、後ろ髪引かれながらも城へと戻ったのであった。



 ********



「お帰りなさいませ、ラインハルト殿下」


「ああ。アレク、首尾はどうだ」


 私は王城の自室に戻るや否や、すぐにアレクを呼んだ。

 アレクは学園の制服から騎士服に着替えていて、精悍な顔立ちが更に引き立っている。

 学園には密かにアレクのファンクラブが出来ている事を、私は知っている。


「はっ。件の令嬢は、プリシラ・スワロー。王国北西部に位置する農村地帯を治める男爵家の長女です。家族構成は父、母、弟の四人暮らしという事です」


「男爵令嬢か。普通なら、王太子に近づこうなどと思わないような身分だが」


「ええ。嫡男ならまだしも、男爵令嬢が学費の高い貴族学園に入学すること自体、珍しい事です。スワロー男爵は経営不振で没落寸前と言われていますし、令嬢が王都に来たのは婚約者探しの為ではないかと思われます」


「なるほど……」


 家の為に身分の高い貴族とのつながりを持とうという事自体は、よくある話である。

 だが、身分が高いとは言っても、許されるのはせいぜい爵位にして二つ程度だ。

 それ以上の身分差は、あまり容認されるものではない。


「本日夕刻に、彼女と接触しました。故意に落とし物をしましたので、近いうちに向こうから接触してくる筈です」


「そうか、わかった。上手くやってくれたようだな……感謝する」


「有難き御言葉です。……殿下、エミリア様のご様子はいかがでしたか? プリシラ嬢の事は何か仰っていましたか?」


「……いや、聞けなかった。ただ、やはりあの令嬢の件で悩んでいることは確かだな。早めに対処した方がいいだろう。今から公爵に手紙を出して、エミリアを明日の晩餐に呼ぼうと思っている。それと、明日の朝はエミリアを迎えに行くぞ」


「ええ、賛成です。プリシラ嬢の事がありますし、精神的に弱っておいでのようですから、今はエミリア様をお一人にしない方がいいでしょうね」


「ああ、私もそう思う。……明日の夕方まで、何も起こらないといいが」



 そうして、私は公爵に手紙を書き、少しだけ夜更かしして明日の分まで公務をこなす。

 これから忙しくなりそうだ……。



 ********



 翌朝。

 私は、宣言通り公爵邸にエミリアを迎えに行き、馬車に乗って学園まで向かっていた。


「エミリア、顔色は良さそうだね。昨日はゆっくり休めたかい?」


「はい、お陰様で、ゆっくり眠れました。昨日も今日も、私などのためにご足労いただき、ありがとうございます」


「構わないよ。私がそうしたかったのだから」


「殿下……」


 私を呼び、見つめてくるエミリアの瞳は、少し潤んでいて、色っぽい。

 思わずドキリとしてしまった。


「エミリア……今日は、出来る限り私の側を離れないでほしい。何か嫌なことがあっても、側にいれば守ってあげられる」


「はい……。ありがとうございます」


 馬車は、あっという間に学園に到着してしまった。

 もう少しゆっくり走ってくれても良かったのに……とも思うが、こればかりは仕方がない。


「さあ、行こうか」


 私は先に馬車を降り、手を差し出してエミリアをエスコートしたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る