第4話 エミリアの想い

 エミリア視点です。


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「はぁ……私、何やってるんだろう。泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、逃げてしまうなんて。殿下、心配なさっているかしら……」


 私は自室のベッドでゴロゴロしていた。

 結局、私は誰もいないうちに教室に戻って荷物を回収し、近くにいた先生に気分が優れないと伝えて早退してしまったのだった。


 あれ以上殿下と話していたらまたボロボロと涙が出てきてしまうのは分かりきっていたし、気持ちの整理をする時間も欲しかった。

 公爵邸の使用人は顔色悪く帰宅した私を心配していたが、寝不足なだけだから気にしないでほしい、お風呂に入ったら自室で休むと伝えると、納得してくれたようだった。


 それでも本当に疲れていたのだろう、その後はすっかり熟睡してしまい、今はもう夕方である。



「殿下……ずっと、好きだったのに。何か対策ができれば良いんだけど……」


 正直、日本人だった頃にこの物語を一度は読んだ事があるが、詳しい部分までは殆ど覚えていない。

 その本を貸してくれた友人だったら細部に渡って記憶していたかもしれないが、私は一度さらっと読んだだけで大筋しか覚えていないのだ。



 田舎の崖っぷち男爵家の令嬢で怖い物知らずのプリシラは、天然でドジで非常識で、危なっかしくて庇護欲をそそられる少女である。

 気高く美しく完璧でプライドの高い公爵令嬢エミリアとは、真逆のタイプなのだ。


 その非常識さと天真爛漫さであっという間に殿下に近づいていくプリシラ。

 そしていつしか殿下の隣にはいつもプリシラがいるようになり、エミリアは壊れていく。

 エミリアは卑劣な行動を起こすようになり、殿下はその証拠を集めて、卒業の日にエミリアを断罪するのだ。


 詳細は覚えていないのだが、お茶会でプリシラのドレスにわざと紅茶をこぼしたりしていたような気がする。

 小説のエミリアは昏い感情に支配されて我を忘れていたのかもしれないが、ここにいる私は間違ってもそんな事をする筈がないと思う。



「誰かに相談……できないわよね。信じてくれる筈がないもの。それに、そんな事したら私が意図的にプリシラを貶めようとしてるように取られかねないわ……」


 私は枕に顔を埋める。

 周囲の音も光も遮ってくれるので、この態勢は結構好きだ。


「思い切って、殿下に愛しているってはっきり伝えるのはどうかしら? ……いやいや、それで殿下が重いって感じて、余計に心が離れていくかも……。それにそもそも恥ずかしくてそんな事言えない……」


 ここは自室だし、寝ている事になっているから侍女もいない……堂々と独り言が言える。

 昔から、考え事をする時は口に出した方が纏まるタイプなのである。


「やっぱり、大人しくじっとしているしかないのかしら。それなら修道院は回避できるかもだけど、でも、殿下は取られちゃう……。それに、何もしないように気をつけていても、知らない所で悪事を捏造されでもしたら……うぅ」


 ……考えるだけで、恐ろしい……。

 そしてあのプリシラは転生者だ、そのぐらいの事は平気でやりそうである。

 私は目を閉じたまま、仰向けの態勢に寝返りを打った。


「……万事休すだわ……」


「……それは、どうかな?」


「へっ!?」


「エミリア、一人で悩んでないで早く私に相談してくれれば良かったのに。それとも、私の事はそんなに信じられないのかい?」


 私は、驚いてがばっと起き上がり、目をぱちくりさせる。


 ……目の前に、いるはずのない人がいる……。


 しかも何故か嬉しそうな表情でベッドサイドの椅子に腰掛け、頬杖をついている。

 少し伸びた銀色の髪がさらりと頬にかかっていて、何とも色っぽい。


「で、殿下? どうして……?」


「君のことが心配で、授業が終わってすぐに来たんだよ。使用人に聞いたら君は眠っているって言うから、顔だけ見たら帰ろうかと思っていたんだけど、独り言が聞こえてしまって……」


 部屋に入って来たのは枕に顔を埋めていた時だろうか。

 というか、聞かれていた……? どこから……?


「あの……いつからいらしたのですか……?」


「思い切って……の辺りかな」


「〜〜〜!! よりによって一番恥ずかしいところ……!!」


「ふふ、エミリアは私のことを愛しているのかい?」


「う、うぅ……」


 頬杖を解いて身を乗り出してきた殿下の、破壊力抜群の美しいお顔が近づいてきて、私はたじろいだ。

 殿下の瞳に妖しい光が浮かんでいる。

 時折こうやって少し意地の悪い殿下が姿を現すことがあるが、こういう時は絶対に逆らえない。


「エミリア?」


「わ……私は、殿下をお慕いしています。多分、殿下が思っているよりずっと……」


「……!」


 私は恥ずかしさのあまり泣きそうになりながら、何とか殿下に気持ちを伝えた。

 殿下は、信じられないというように目を見開き、固まっている。


 やはり重かっただろうか……言わなければ良かった……。

 そう思って私は俯き、ほろりと涙をこぼしてしまった。


「エミリア……何故泣くんだ。ほら、こっちを向いて」


 殿下の優しい声に、しかし私はますます涙が溢れてきてしまう。


「もっ、申し訳ありません……。私、ほんとは、すごく泣き虫で……。こんな、みっともないところ、っ、見せたくなかった……っ」


 涙をこぼし続けている私の頬を、殿下の長い指がそっとぬぐう。

 殿下は限りなく優しい声で、私に囁く。


「みっともなくなんてないよ。私は、どんなエミリアも知りたい。君が泣き虫だったなんて、知らなかった。でも、普段のエミリアも、泣き虫なエミリアも、誰よりも何よりも魅力的だ。……私も、エミリアを愛しているよ。君が思っているよりずっと」


「……!! 殿下……っ」


「……言葉にすると安っぽくなってしまうと思って口にしてこなかったが……私は愚かだったな。君が慕ってくれているのは分かっていたが、愛していると君が言った時、舞い上がるほど嬉しかった。……これからは何度でも君に気持ちを伝えよう。君が不安に思う暇なんてないぐらいに」


 殿下は、目を細めて甘く微笑む。

 ああ……やっぱり好き。

 優しく真摯で努力家な所も、真っ直ぐに未来を見据える強さも、時折見せる意地悪なお顔も、甘い微笑みも、気品ある立ち振る舞いも――殿下の全てが好き。


 私は嬉しくなって、ふわりと微笑む。

 その頬には、先程までとは違う涙が一筋伝っていったのだった。


「その顔……好きだな」


 そう呟いて、殿下は頬を伝う涙を掬った。

 殿下はそのまま立ち上がると、私の頭をひと撫でしてから少しだけ距離を取り、話を続ける。


「……だが、まずいな。これ以上は抑えがきかなくなりそうだ。ひとまず、今日はもう帰るよ。今回の件については、込み入った話になりそうだから……そうだな、公爵に許可を取って、明日か明後日にでも時間を作ってもらう事にしよう」


「あ、殿下……お見送りをさせていただきますわ」


「その気持ちは嬉しいが、今回は遠慮しておくよ。今日は疲れただろう? ゆっくり休んで、明日また学園で会おう。……あ、そうだ、明日の朝はエミリアを迎えに来てもいいかい? 久しぶりに一緒に学園まで行こう」


「ええ、殿下さえ宜しければ、喜んで」


「ありがとう。じゃあまた明日……お休み、エミリア」


 殿下は嬉しそうに微笑み、私の手を取って持ち上げる。

 ちゅっ、と手の甲にキスを落とすと、殿下は部屋の出入り口へと向かった。


「お休みなさい……」


 私が何とか声を絞り出して殿下に挨拶をすると、殿下は悪戯っぽくウインクをして、颯爽と帰っていった。


「殿下……」


 殿下の触れた手の甲が、そこだけ熱を持っているかのようだった。




 ラインハルト殿下は、先程ご自分でも仰っていたように、これまで愛情を言葉に乗せることは、一切なさらなかった。

 ドレスや髪型を褒めてくれたりすることはあったけれど、愛しているとか好きだとか、そういう類の言葉は聞いた事がない。


 小説でも殿下は口下手で、エミリアは勿論のこと、プリシラに対しても、愛しているとかそういう言葉を投げかけることはなかったように思う。

 ……まあ、小説ではエミリアとプリシラに対する態度の違いがあからさまで、言葉による描写をしなくても、殿下がプリシラを想っているのは明らかだったのだが。



 そこで、私は一つの仮説に辿り着く。


 今のこの世界が小説をベースにした世界でも、まだまだ最序盤のはず。

 私やプリシラが転生者だったり、入学式の最中に泣いてしまったり、殿下がお見舞いに来て私が爆弾を投下してしまったり、少しずつズレは出てきているだろうが、基本的には小説序盤の状況からは大きく外れていないはず。

 エミリアがラインハルト殿下を好きすぎることや、プリシラが入学初日から殿下を狙っていることも、小説と同じ。


 殿下は先程私を愛していると言ってくれたが、口下手だっただけで実は小説でもラインハルト殿下はエミリア・ブラウンを最初は愛していたのではないか?

 それなのにエミリアは殿下の想いに気付かず、ぐいぐい攻めてくるプリシラに勝手に嫉妬して醜い姿を晒してしまい、殿下の想いが冷めていってしまったのではないだろうか?



 もしそうだったら、きっとこの世界は小説と同じにはならない。

 何故なら、私は殿下に愛されていることを知ったから。

 それに、殿下も私の想いをもう知っている。

 殿下はプリシラに靡くことはないし、私も嫉妬に駆られることはないだろう。



 私は昼間に抱いていた絶望感がすうっと消えたのを感じた。

 今は手の甲に残る甘い熱と、瞼の奥に焼き付いている美しい銀色の瞳だけが、私の心を占めているのだった。

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