エピローグ 不思議なことは不思議なままで

第46話 物語はつづく

 目が覚めると、光が飛び込んできた。眩しい目をこすり、その光の先を見つめると、東の空から太陽が昇ってくるのがわかった。どうやら、俺たちはあのあと意識を失い、朝まで互いに寄り添うように眠っていたらしい。俺に続きカナコもむくりと起きてきた。


「おはよー。今日もいい天気だね」

「カナコ!? 大丈夫なのかっ!?」


 俺は舐めるようにカナコの全身をながめた。手もある、足もある。そこには、今までと何ら変わらない人間としてのカナコがいた。しかも、口調も今までと変わらない。


「ま、まあね。なんか大丈夫みたい」


 カナコは少し恥ずかしそうに両手を広げて胸を突き出す。

 どう? 見てよ、って感じにアピールしてきた。


「どう? 見てよ。なんにも変わらないでしょ?」


 まあ、実際に声に出してきた。


「とりあえず、カナコでいいのか?」

「うん、カナコでいいよ。いきなり夢衣って呼ばれても、なんか違うでしょ」


 カナコ(古賀根夢衣)はにこりと微笑み、大きく伸びをした。


 口には出さなかったが、カナコは少しだけ変わったことがある。

 それは彼女の見た目だ。

 金髪、背格好、容姿。カナコは古賀根夢衣なんだから、これらに何の変化は無いが、あのまま土の上で寝てしまったので、衣服も肌も土や泥で汚れている。もちもちした頬も、丸い鼻の先っちょにも土がついている。今までの現実感がないグリーングリーン感より、よっぽどいいんじゃないか。綺麗な部分だけじゃない方が生身の人間らしい。だからこそ魅力的で輝いている。


 カナコに続き、木掛さんも重たそうな腰を上げて起き上がる。カナコを見つけるなり、目を大きく丸くさせる。


「カナコさん!? 夢衣ちゃん!? だ、大丈夫ですか?」

「平気、平気よ。見てよ、なんともないでしょ?」

「よ、よかった……」

 力が抜けたのか、へなへなと再び座り込んだ。

「木掛さん、その、なんだ……。ありがとう。わたしってば、なんか心配させちゃったね」

 カナコはこれまた恥ずかしそうに肩にかかった毛先を遊ばせた。

「い、いえ。私は心配性なんで、そんな性格なんで大丈夫ですよ、コーヒーも好きだし。これからも心配ばかりすると思いますから。私も、カナコさんって呼んでいいですか? まだ慣れてないし」


 木掛さんは晴れやかな笑みをこぼす。

 それにつられるように、カナコも白い歯を見せてくすくす笑いだす。


 どこまでも爽やかな光景だった。俺とカナコ(夢衣)と木掛さん。お互い土やら落ち葉やらで汚れているが、憑き物が取れたかのようなとても清々しい朝だった。


「私、山で一泊するなんて初めて。すごく気持ちいいですね」

 晴れ晴れした顔で深呼吸をする。

「でしょ? またここにおいでよ。今度は皆でキャンプしようよ。わたしってば、ここの里山を開拓して、キャンプ場とか、子供が遊べる自然公園にしようかと思ってるんだ。そうすれば、むやみに住宅地にされないし、虫たちも住処を追われないでしょ」

「いいですね。なんか楽しそう」


 きゃっきゃっとはしゃぐ女子二人。まあ、里山にも一応、土地の権利者がいるから勝手に開拓するのは難しいと思うぞ。勝手に住み着いて、追い出されないだけ儲けもんだと思わないとな、と突っ込むのは止めた。


 何故かって――


 それは、俺もそのキャンプ場や自然公園とやらに行ってみたいからだ。なんか、今から楽しみだ。面白い未来が待っている予感に胸が躍る。


「あれって何だったんでしょうか?」


 木掛さんがぽつりとつぶやいた。

 今思うと夢みたいな出来事だった。あれは本当に現実に起こったことなのか。


「さあ……なんだろう? ひょんなこと、かな?」


 やっぱり日本語って便利だよな。

 その、『ひょんなこと』っていうのが一番大事なのであって、知りたいのであって。でも、そこがいい。だからこそいい。あれは現実だと思いたい。あの夜は、特別な夜だったと信じたい。いや、俺はそう信じている。


「カナコちゃんもずいぶん人間っぽくなったわね。人と同じ時間を生きるかもしれないわね」


 クワミさんは近くの切り株に腰を下ろして、妖しく目を光らせた。

「そうですか、えへへ」

「木掛さん、あなたも憑き物がとれたみたいで、クソいい感じじゃない」

「あ、はい」

「61点にしてあげる」

「えっと……」

「59点から2点ランクアップしてあげるわ。どうでもいいけど、もっとメイク頑張りなさい、女はどうとでも化けるんだから。モデルのすっぴんなんて雰囲気だけで大抵ブスよ」

「わ、わかりました」

「ちなみに私はすっぴんでも100点。完璧すぎでしょ。うふふ」

「は、はあ」

「あ、そうそう。あなた、恋愛テクを勉強することを口実に、夜な夜なエロ漫画とかエロゲとか、AVばっかり見てちゃだめよ」

「え、いや」

「木掛さん、あなた相当なド変態でしょ? なによ、マジックミラーって。どんなジャンルばっかりお勉強してるのよ」

「や、その、ああ、ああああああああああああ~!!」


 どうでもいいのだが、クワミさんは一体全体何者なんだろう。少なくとも男女の心を知り尽くしていることは間違いない。悪魔的な魅力がある人間離れした絶世の美女。本当にオオクワガタの妖精なの? その存在に思わず半信半疑になってしまう。


 そんな探る目をした俺にクワミさんは気付くと、すくっと立ち上がりこちらへ近づいてきた。


「エイジくん」


「な、なんでしょうか……?」やっぱり、面と向かって迫られるとなんか怖い。

「だめよ。そんなのノンノンよ。そんな虫のいい話」

「虫って……何がです、か?」


 何を分かりきったことを言わんかりに、口をへの字に曲げて、


「あなた、一丁前に二股なんかしようとしてるわけ?」


「ふ、ふた……」



「「二股ああああ!?」」



 俺を制して、女子二人が叫んで詰め寄る。


「ちょっと、エイジさん! そんなずるいこと許さないからね! わたしってば、なんか見損なったってやつ?」鼻息荒く腕組みするカナコ。


「そ、そうですよ。二股なんて電気代の無駄です。そんなジャンルはイヤです」むすっとした顔で腰に手をあてる木掛さん。


「別に俺は、そんな気は……」


 弁明する機会も与えられず、女子二人プラスご意見番が俺を睨む。まさに蜘蛛の巣に搦めとられた羽虫状態。俺は羽をたたむ様にしゅんと小さくなる。


「なんか、いい感じで終わろうとしてるけどダメよ。そんな優柔不断な男、私ね、見ていてクッソイライラしちゃうの。好きなだけ二人の胸まで揉んだくせに、勝ち逃げするなんて許されないわよ」


「ですよね……」


「ハッピーエンドってね、綺麗に終われるのはアニメとか映画だけよ。完結しない物語では全体最適なんて思ってる以上に難しいことなのよ」


 相変わらず深みと凄みのバランスが絶妙。


「どっちよ。エイジくんはどっちが好きなの? 木掛さんが好きなの? カナコちゃんが好きなの? どっちよ?」


 木掛さんとカナコがずいっと一歩前に出た。



「私、ですよね」不思議の国にいるような木掛さんの瞳。


「わたし、だよね」ぱっちり二重でくりくりしたカナコの緑色の瞳。


 阿吽の呼吸で、二人は声を合わせた。



「「エイジ(営治)さんは、どっちが好きなの?」」



 お、おれってやつは……! 

 てゆうか、こんな感動的なラストでこんな現実に……! 

 こんなに純粋な眼差しを向けられたら答えづらいし、焦る……よな。


 とりあえずここは平蜘蛛のように謝ればいいのか……って、別に何にも悪くない俺がなぜ。だ、だめだ。日課のエナジードリンクを飲んでいなく、アルギニンもナイアシンも高麗人参も足りないから、まともな思考ができないっ!


 そんな馬鹿みたいに悶え苦しむ俺の背後から突如として忍び寄る黒い影。



「本当ですよ。優柔不断な人って、男らしくないと思います。単刀直入に言えばエイジさんはサイテーなアスホールクソ野郎ですっ!」



 ――次回、最終話――



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