第36話 一方通行

「営治はいつも夜遅いから、たまには早く帰れ」


 帰り道に上司から、「なんで、あんなにムキになってるんだ」とも指摘された。


 俺はその問いに答えることができなかった。ただ、あのときは無性に腹が立ってしまった。木掛さんのことをよく知りもしないやつが、本人の前でなく、赤の他人である俺たちに向かって、間接的に彼女を小ばかにしたことに。


「傍から聞いていて気分がいいもんじゃなかったが、相手は得意先だからな。物言いには気を付けろよ。危うく、商品が不採用になるところだったぞ」


 少しばかりの注意指導をうけたのち、今日は直帰でいいぞ、と肩を叩かれた。

 上司の言う通り、自分でも大人気無かったと思う。

 きっと営業マンとして、いや社会人としてあの対応は不正解だ。

 だって、実際に木掛さんがミスをして、社内で迷惑をかけていたのは事実なのだ。事情をよく知りもしないメーカー風情が、知ったようにぺらぺらと捲し立てるのは心象も悪い。それに、木掛さんだって、こんなフォローはかえって迷惑かもしれない。


 なんといっても俺の大事な得意先だ。今後も長くサンサン薬局とお付き合いしていかなければならない。それこそ、出禁になったら目も当てられない。


 感情はいつも絡まっていく。

 一方通行な自分の気持ちだけを優先させて。

 もしかして、俺は今も昔も変わっていないのでは。

 本当は、相手の立場や気持ちに沿った言動をしていないのでは。


 でも。

 そんな俺でも――。


 商品バイヤーにずっと頭を下げ続ける己の姿を客観的に眺めると、つまらない大人になった。そう、思った。


 時計を見ると、時刻は六時。高層ビルの窓ガラスに反射された夕日が目に染みる。直帰も何も、既に定時は越えている。冷静に考えれば、すすんで会社に戻り残業するのは馬鹿らしく、何の価値もないので、上司の言う通り直帰することにした。

 しかし、真っ直ぐ帰ったところで何にもやることがないので、少し寄り道をすることにした。


 途中下車して向かった先は総合アウトドアショップ。


 俺はカナコのために何か役立つものを買ってあげようと思った。

 これからもあそこに住み続けるわけだし、朽木を利用したイスやテーブル作りにも限界があるだろう。何か、調理器具とか役立つものでも買ってあげよう。コーラだけではどう考えても健康に悪い。ちゃんと野菜も食べるよう説得するか。


 店内は週末の夜ということもあり、多くのお客さんで混みあっていた。

 衣類コーナーを抜けて、クックウェアコーナーへと足を運ぶ。ずらりと並べられた調理用具を手に取り、使い勝手を想像しながら物色していく。

 すると――


「すいません。お客様かなりお詳しいみたいで……」

「もっと分かる店員さんいないかしら。あなたじゃ役不足よ」


 通路を挟んで、なにやら店員と揉めているお客さんがいる。


「私がさっきから言ってるのは、値段とか使い方じゃなくて、の問題よ。このクーラーボックスって黒い色はないわけ? バーナーはいいとして、ガスは黄色だし。クソ派手すぎじゃない。落ち着いた黒が好きなお客さんもいるわよ」

「で、ですよね。お客様も見た感じ、黒がお好きで……」

「当たり前じゃない。全ての基本色は黒よ」


 軽く額を押さえる。

 うーん、なんか聞いたことがある、その妙に艶っぽい声。

 俺はクッカーを棚に置き、ちらりと反対側の通路に視線を飛ばした。


 いた。

 全身黒に包まれた、あのお方が。


「あら? こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇ね」

「そう、ですね」

「それとも縁、かしら?」クワミさんは「うふふっ」と笑う。


 今日の彼女の格好は、まるで貴婦人を思わせる。闇に彩られた黒衣の魔女。里山でも、アウトドアショップでも圧倒的に目立つその美貌。この世のものとは思えない。


「あの、今日はカナコに何か買ってあげようと思って」

「あら? そうなの。カナコちゃん喜ぶわよ。女ってね、突然の贈り物に弱い生き物なの。人も虫も同じよ」

「はあ……」やっぱり、なんか怖い。カナコというクッションがないと尚更。

「キッチン用具かしら?」

「そうです。カナコも、クワミさんも、当分あの里山で生活するんですよね? 生活するのに便利なものを物色しにきたんですよ。ここって、色々揃うから便利ですよね」

「そうね。まあ便利よね」


 クワミさんは心を探るように目を細める。


「エイジくんはカナコちゃんといい感じなのかしら?」


「えっと……別に仲悪くはない、ですかね」

「そう。ならよかったわ。カナコちゃんのためにわざわざ、こんなとこまで足を運ぶんだもんね。二人は仲良しってことかしら?」

「……だと思いますけど」


 そう。カナコとは仲悪くないよな。じゃあ、仲良しかと問われれば、仲良しだと答えるのが正解だろう。でも、なんだこの感情。上手くいい表せない感情の名前は。


 ふーんとクワミさんは舐めるような目つきで俺を見る。


「エイジくんは、木掛さんとはもう終わったのかしら?」

「……終わりましたよ。クワミさんも見たでしょ? 俺がフラれる姿を」


 妙にムキになってしまった。


「ごめんなさい、そんなに怒らないでよ。変な意味で訊いたんじゃないわ。あの時はお邪魔して悪かったわね。ちゃんと謝ってなかったから、あなたに会ったら言おうかと思ってたのよ」

「いえ、いいですよ。それに、俺が木掛さんからフラれたのは、カナコやクワミさんのせいじゃないですから」

「でも不思議よね。なんで途中まであんなにいい感じだったのに、木掛さんはあんなこと言ったのかしら」

「さあ」と肩をすくめる。「俺にもよくわかりません」


「そっか」クワミさんは笑うように目尻を下げた。「エイジくんって鈍感だもんね」


「鈍感、ですか」

「あら?」意外って顔をして、「気付いてないのね。あなたも彼女同様に罪深い人ね」


 ……俺が罪深い?


「妙にモテる男ってそれだけで魅力的だけど。関係者として見ているぶんには、少しアレね。なんかクソイライラしちゃうわ。いつか噛み千切って殺しちゃいそう」


 クワミさんは苦虫を嚙み潰したようにそう告げると、ずいっと顔を近づけた。


 何だろう。この匂い。上質な香水の芳香。男を惑わす女のフェロモンと、その人間離れした端正な顔立ち。唾を飲み込むのが精一杯で身動きひとつ取れない。クワガタの両顎にがっしりと掴まれている気分だ。


「はっきりしないとダメよ。いいかしら?」

「は、はい」としか、答えられない。

「うふふ。あなたって可愛いわよね。なんとなくモテる理由がわかるわ」


 クワミさんはにやりと口角を上げると、「私は先に帰るわね」と言い残して、くるりと背を向けて出入口へと歩き出した。


 なんなんだ。彼女は一体何を……。


 クワミさんは困惑した俺を敏感に察知して、ぴたりと足を止めた。そして、ゆっくり振り向くとこう告げた。


「私たちは、いつまでも人と同じ時間を生きてるってわけにはいかないからね」

「あの、すみません、よく……」

「まあいいわ。私、あなたのことが嫌いじゃないし。なんならしてあげようかしら」

「固く? 固い気持ちってことですか?」

「は?」

「え?」

「馬鹿ね。アレに決まってるでしょ」

「は、はひ」


 クワミさんは一切の感情を交えずそう言い残すと、再び出入口へと歩き出す。


 その時――ピピピピピピピピと店内の防犯アラームが鳴り響いた。


「お、お客様、まだお会計が済んでませんっ!」


「あら、ごめんなさい。わざとじゃないわよ。商品をバッグに入れたりしてないでしょ。つい友達と話し込んじゃって、会計を忘れただけよ。失礼したわね」


 クワミさんが出入口で店員に呼び止められていた。

 彼女は超絶美人なのだが、下品な口調と少し間が抜けたところがたまにきずだ。


 ちなみに、俺とクワミさんって友達ってことでいいのかな?


「れ、レジまでご案内しますっ」


「うふふ、あなたもクソ可愛いわね」


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