第14話 お嬢さんのひみつ

 あれから三日後、俺は商品バイヤーから一件の依頼をうけて、サンサン薬局のとある店舗にきていた。


「グローブ製薬さんのドリンクをエンドに積みたいって店舗があるから、応援にいってくれないか?」


 ようは陳列応援ってやつ。店舗側がエンドと呼ばれる売り出しコーナーに商品を並べるとき、各メーカーにバイヤーから陳列を依頼されることがある。お店も人手不足であり、販促方法も各社ばらばらなので、メーカーが陳列した方が早い、といった具合だ。


 だが、これはひとつの好機といえる。正直こんな依頼はあまりこなかった。もしかして、パンフレット作戦が功を奏してきたのかも。ここでバイヤーに顔を売ることができたら、その後も心象良く、モノが採用されるケースに繋がる。それに、依頼のあった店舗は、俺がよくいく店舗だから好都合だ。


「エイジさん、助かるよ」

 気立ての良い中年の店長が、会社名でなく名前で俺を呼ぶ。


 この店は、店長の人柄も良いので、情報収集も兼ねてしょっちゅう出入りしていた。ある程度お店と仲良くなると、どの商品が売れ筋であったり、本部の商品施策はこのカテゴリーを欲しがっているなどなど、商談に役立つアドバイスをくれる。チェーン店への商談には、本丸だけでなく、お堀も埋めていく地道な作業があるわけだ。

 石垣もいきなり出来るわけではない。一個一個、石と意志を積み上げることが大事。うんうんと、我ながらうまいことを考えたとばかりに、バックヤードへ販促物を取りにいくと、


「エイジさん、気を付けてね。いつものように販促物が山になってるから、気を付けないと怪我するからさ」


「了解です。ご心配ありがとうございます!」


 実は以前、この店で店長が心配していた通りのなだれ事故があった。ちょうど現場に居合わせたので、その惨状をよく知っている。ひとりのバイトの子が、鬼のように積まれた大小さまざまな陳列什器の下敷きになってしまい、慌てて助けてあげたのだ。


 幸いその子は大きな怪我もなかったのだが、下手したら骨折とか大事になりかねない。だいたい、メーカーもメーカーだよな。むやみやたらに販促物だけ送り付けるのはよくないだろ。我が事のように戒めとして、ひとりぶつくさ胸のなかで文句をつけていると、こんな会話が聞こえてきた。


「店長、あのメーカーさんと仲良しですね」

「エイジさんはよく手伝ってくれるからね」

「なんか、皆、エイジさんって呼んでますよね。下の名前で親し気に呼ぶなんて、よっぽど仲が良いんですね。わたしも、あのメーカーさんの名前覚えちゃいました」

「いやいや、あのメーカーさんは、名字がエイジさんなんだよ」

「あ、そうなんですか」


 はははは、と聞こえる彼らの談笑に苦笑。


 うん、その通りなの。紛らわしくてごめんね。きっと、こんな笑い話を毎回されてるんだろうな。音を立てずに、闇に紛れるようにそっとお目当ての販促物を取り出した、おれ。いつしか染みついた日陰者の習性だ。


 そうこうしてる間に無事陳列も終わった。明日にでも商品バイヤーに報告もかねて、木掛さんに会いにいこう。帰り支度を整えて自動ドアをくぐった、そのとき――


「「あ」」


 なんと木掛さんとばったり遭遇。


「木掛さん、どうしてここへ!?」

「いや、その、買い物です、はい。そんなに驚くことでも……」


 光の速さでつむじからつま先まで彼女のお姿を確認。受付の制服ではないグレーのスーツ姿。いつ何時も彼女は可愛いという事実を再認識。既に日は傾き、どうやら仕事帰りに立ち寄ったようだ。まさかの出会いにきらきら輝く運命を感じてしまうが、同時に、ダダダダーンという暗い運命の音色も聞こえた。


 なぜなら――最低ですね事件①、②は何も解決していないのだから。


「普段は受付でお会いするだけなんで、奇遇ですね。な、なんか不思議な縁を感じてしまいます。ははは」

「そそ、はい、ですね」

「今日、たまたま陳列応援にきたんですが、普段も御社で買い物するんですよ。安いし品揃えもいいし」

「あ、ありがとうございます」

「滋養強壮剤でも買ってこうかな。実は隠れマニアなんです。陳列疲れに高麗人参が効くんですよね。木掛さんもお疲れのときにドリンク剤って飲んだりしますか?」



「あ、私は受付だけしてますので、商品部とは関係ないんですよ」



「ん? ああ、そうなんですね」


 なんだこれ。前後の会話繋がってるのか?


「営治さんの努力って、きっと認められてると思います」


「えっと……、ありがとうございます」

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 目に力を込めて、ぐっと小さな胸の前で握りこぶしを作る木掛さん。


 つまり――あなたへの想いは熱く伝わっているってことでいいのか?



「そんなに私、弱くありませんから。もう社会人二年目ですよ。うふふ」


 どうやら、違うらしい。

 なんだかよくわからないが、とてつもないエールを送られている気がする。


「じゃあ、私はこれで。レシーブの洗剤買って帰りますんで。今週はこれがお買い得なんです」


 彼女はぺこりと頭を下げて、にぎやかな店内へと吸い込まれていく。

 ぽけっと見送る俺の背に、


「エイジさんって木掛さんと知り合いなんだ」

 振り向くと店長がいた。どうやら、一連のやりとりを立ち聞きされていた模様。

「本社に商談に行ってますんで、いつもお世話になってるんですよ」

「ああ、そっかそっか。お嬢さんが誰かと話すなんて珍しいと思ってさ。ごめんごめん、引き留めちゃって」

「お嬢さん?」

「あれ? 知らないの?」


 店長曰く、どうやら木掛さんはサンサン薬局の常務の娘さんらしい。

 高嶺の花は、文字通り上級国民であり、箱入り娘でもあったのだ。


 ここで、ふと思い出す。

 以前、職場の先輩が網走の駐在所に飛ばされた。

 理由は簡単。

 得意先の女性に手をつけた。

 どうやら男女のいざこざで、先方からクレームが入ったらしい。

 別れ際にこう忠告された。



――得意先と社内はやめとけ。



 うちには暗黙のルールがある。

 それは、得意先との恋愛はご法度。

 社内恋愛すら無用なリスクを招くという理由で、皆、避けている。


 まさか木掛さんは上層部の娘さんだったとは。

 こちらもヘマをしたら、出禁では済まない。

 一瞬、極寒の網走で凍えながら走りまわっている姿が脳裏をよぎる。


 どうする。

 今なら、何も始まってない。

 このままいつもみたいに諦めれば。


 そこへ、一匹のトンボが視界を横切る。

 小さな生き物を眺めると、なぜか自分だって同様にちっぽけな存在に思えた。


 何迷ってるんだ、おれは。

 あの日、決めただろ。

 自分を変えるって。


 でも。

 好きになった人と付き合うのって、こんなに難しいのかよ。

 全ての既婚者をちょっと尊敬したのはいいけど、


 ますます彼女へのハードルが高くなった、晩夏の夕暮れ。



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