第3話  思いがけない出会い

 茜は手にしていた本を置きカウンターを回り込んで、恐る恐る声をかけた。

「あの、大丈夫、ですか。」

「あいたたた、ううっ、ごほっ、ごほっ、」

 散乱している古い和綴じの本や、いくつもの段ボール箱の中に、女性が尻もちをついて腰をさすっている。埃が激しく舞っていた。

「あーあ、やっちゃったわ。これ、棚の上にあげようとしたんだけど、重くて・・・」

 後ろには、両手で抱えられないくらいの大きさの段ボール箱もひっくり返っている。

 茜は足元のメガネを拾った。

「あの、これ、」

「ありがとう。あらあなた、見かけない顔、新入生ね。

 制服もまだ着慣れてない感じがするし。」

「あ、はい、一年一組の、高橋、です。」

 埃を払いながら立ち上がったその人は、

「私は、ここの担当の司書、戸継とつぎよ。よろしくね。」

 満面の笑顔だった。


 小柄で人懐こい丸顔が茜の目から見てもかわいらしく、先生と呼ばれる人なのだろうが、年の近いお姉さんみたいな感じがした。

「すごいでしょ、これ。もしかしたら、お宝が隠れているかもしれないよ。なんてね。貴重なものはもう全部資料館へいったあとだけどね。」

 なんだかとても楽しそうだ。

「ほらこれ、江戸時代の手文庫。保存状態が悪いからガラクタみたいになっちゃってるけど、漆塗りのいいものだったのよ。お土産用に輪島なんかで沢山作られてたの。」

 あちこちすり切れ埃まみれだけれど、多分、元の色合いは美しかっただろうと思わせる。きらきら光るものが鳥の翼のように見えた。

「ちょっとこれ、押してくれる。そっとよ、そっと、そうそう、ありがとう。あ、これも、」

 転がっている段ボール箱はかなり重い。中に入っているものを気にしながらそっと奥へ押し込んでいく。

「あなたも小学校で習ったと思うんだけど、」

 このガラクタの山を面白がっているように見えるこの先生に、なんだか興味がわいて、耳を傾けながらいつの間にか茜は手伝っていた。

 

 この街は江戸時代、西に、東海道五十三次の宿場をふたつ構える城下町だった。

 この中学校の校庭の北側には石垣が残され、東側がお城へ続く坂の上りになっている。

 上り切った先に小学校や、道を挟んで市役所がある。お城自体は今はもうほとんどないが、唯一残るものは、石垣の上にあったその時代の天守閣を廃して造られたやぐらで、それが街の中心にもなっていた。

 石垣の下には堀がめぐらされ、堀を挟んで武家屋敷も広がっていたのだが、今では堀は大部分が埋め立てられ、その上にこの中学が整備されたのだ。

 

 今でも武家屋敷の名残はあるが、時代の流れで住民が絶え、朽ちた建物だけになっているところが多い。

 古い時代のものをそのままきれいに保存し、維持しているのは少なくなった。建て替えるため解体し縮小することが多くなっていた。

 その際、納戸や蔵から古い箪笥たんすだの金庫だの、様々なものが出てくるのだ。

 そうして中に収められていた調度品や装飾品、古文書など、価値のありそうなものは鑑定に出して売買されたり、近くの歴史資料館に寄贈されていた。

 

 戸継先生は先週、親戚にもうすぐ解体する古い家と蔵に残っているものを見に来ないかと誘われたのだという。

 歴史資料館の学芸員にはもう大体は見てもらったのだが、あまりにも量が多すぎて手が回らないので来てもらえないか。古文書だけでなく何やら怪しい文箱なども出てきた、興味あると思うよと。

「蔵を解体するのは残念だけど、叔父さんたちの事情もあるしね。」

 戸継先生は小さくため息を吐いた。

 どうやらこれ以上はお手上げとその親戚は匙を投げ、あとは先生に最後の処分を頼んだようだった。

 

 自宅には持ち込めない量だったので学校に持ち込んだのだ。

「こんな量だったなんて、思いもよらなかったわ。あはははっ。」

 そう本当にこれは嫌になる量だと思うんだけど、なんだかとっても楽しそうだ。一緒に笑ってしまった。

 先生が取り出して見せるいくつもの木箱は、説明を聞くたび興味をそそられる。どれもこれも年代を感じさせるが、ち密に細工されたものだった。

 ちょっと見ただけではどうやって開けるのかわからないようなものが、どれも紙の束に埋もれていた。

「これはここでいいんですか。」

「そうそう、ありがとう。」

 おびただしい段ボール箱の山が少しずつ片付いていく。

 

 そんな中、茜は棚の隅に転がっている蓋のとれた箱に気付いた。落ちた衝撃で壊れたようだ。拾い上げたら何かが落ちてきた。

「ごとっ」と鈍い音がした。見るときたない錆付いた棒状のものだった。掌に乗るくらいの大きさしかないのにけっこうな重量だ。

「あの、これ何かな。」

 手渡された戸継先生は角度を変えて眺めまわした。

「ありゃりゃ、なんだろね。錆だらけだ。

 この錆、少し落としてみたら、何なのかわかるかもね。」

「あのその錆落とし、わたし、やってもいいですか。」

 思わず口をついて出ていた。そのすぐ後で、わたし何いってるんだろうと茜は思った。でも、これでまたこの先生と話しができるんじゃないかと、そんな気持ちのほうが大きかった。

「あら、いいの?これが何か気になるしね。やってくれると助かるわ。

 急がないから、ゆっくりやってみて。」

 宝物でも授かるように茜はうやうやしく両手で受け取った。

 棒状のそれは、錆に埋もれた片側に丸い形のものが覗いている。何かの模様にも見える。それが妙に気になった。

 

 ふたりがかりで一応、かたちばかりの整理ができた。あとは順に中身を見ていくと先生はいう。

「ありがとね。助かったわ。あなたがいなかったら私、この段ボール箱に埋まってた。きっと遭難してたね。」

 またケラケラ笑っている。

 よく笑う人だなと思いながら、茜はお礼をいわれたことが嬉しかった。ちいさな子どもに戻ったような気持ちだった。

 図書室を出るとそこで初めて、入口の横の「作業のため本日入室禁止」の張り紙に気付いた。どうりで誰もいなかったし、入ってこなかったのだ。

 作業に集中するための張り紙だったのだろうが、先生はきっと中味を誰かに見せて、話したかったのではと思った。

 そして、なんだか、なんともいえないあったかい気分に茜は包まれていた。

 どうやって錆を落とそうかと考えながら、帰り道を急いでいた茜の頭には、図書部の木村正太のことなどまったく浮かんでこなかった。



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