月と森と

あんらん。

第1話 卒業式の翌日お母さんが・・・

 卒業式の翌日、お母さんが倒れた。

 緊急手術とその後一か月の入院生活が言い渡され、わたしとお父さんは慌てふためいた。

 お母さんの疲れた顔も寝込んでいる姿もこれまで一度も見たことがなかった。

 独身時代からの銀行の仕事のかたわら、家事をこなし町内会だのPTAだの走り回っていたお母さんだったのだ。

 「疲れがたまっていましたね。」

 とお医者さんにいわれ、それが大きな病気の原因になるなんて思いもしなかった。

 どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのか、わたしたちは悔やんだ。

 今度のことは、遠くに住むお祖母ちゃんには内緒にしているように、お母さんにいわれたけれど、翌日からのことを考えると不安でたまらなかった。

 お父さんは「大丈夫なんとかする、俺にまかしとけ。」というけれど、いかにも無理しているように見える。

 炊事だの洗濯や掃除だのの家事全般が、お父さんはまるでだめな人だった。なのに、「これを機に食事はスーパーやコンビニのお惣菜に頼らず腕を磨くつもりだ」という。

 そうして一週間、ご飯を炊いたりお味噌汁を作ったり何とかやろうとしたのだが、意気込みの甲斐もなく、まともに食べられるものはまったく作れなかった。

 わたしもこれまで晩御飯の用意を少し手伝うことぐらいしかやってこなかったから、お父さんと似たり寄ったりで、洗濯や掃除にも四苦八苦した。

 たちまち家の中が悲惨なことになり、わたしはやむなくお祖母ちゃんに助けを求めた。


 翌日、高速道路を二時間とばして、すぐにお祖母ちゃんがやって来てくれた。

 隣の県に住む一人暮らしのお祖母ちゃんは、とにかく元気な人で、趣味の水彩画やヨガの教室に通って毎日を楽しんでいた。わたしの大好きなお祖母ちゃんだった。

 そんなお祖母ちゃんに、お母さんは心配をかけたくないのと、きっとみんなが小言をいわれるのを恐れて内緒にしたかったのだろうが、お祖母ちゃんの顔を見るなりわたしは、「助かった!」と叫んだ。

 家の中の様子を見たお祖母ちゃんの第一声は、

「家事をなめたらだめよ。さああんたたち、覚悟して。びしびし鍛えるからね。世界を救うのは家事。主婦が世界を救うのよ。」だった。

「主婦が、世界を救う」というそのお祖母ちゃんのことばにわたしは大きくうなずいた。そう家事は世界を救うためにある。わたしとお父さんは救われるのだ。

 しごかれるのは目に見えていたけれど、お祖母ちゃんの背後に、わたしは眩しい光を見た。

 お祖母ちゃんと一緒にお母さんのお見舞いに行った。

 病室のガラス越しに見たお母さんの寝顔はやっぱり頼りなくて、心細くて、つい涙をこぼしそうになったわたしに、お祖母ちゃんは、

「大丈夫、大丈夫だよ。あんたのお母さんは結構しぶといんだよ。

 意外と早く退院になると思うよ。」

 とまた力強くいってくれた。


 一週間後の中学の入学式には、仕事の都合でこれなかったお父さんの代わりにお祖母ちゃんが来てくれた。

 つくづくお祖母ちゃんがいてくれてホントによかったと、わたしはほっとしていた。

 その晩仕事で帰りの遅いお父さんをほっといて、ふたりで、お母さんのお気に入りのレストランに行った。ずい分前にお母さんが予約しておいてくれてたのだ。

 お母さんが退院したらまた連れてきてもらおうと思いながら、次々と運ばれる料理を平らげた。

 その夜、和室に二組お布団を敷いて、わたしたちは枕を並べた。

 うんと昔わたしが小さかった頃、お母さんとお祖母ちゃんと三人で温泉旅館に行ったことがあったけれど、こうしてお祖母ちゃんとふたりきりで寝るのは初めてだ。

「ねえ、お祖母ちゃん。お母さんの小さい頃ってどんなだった?」

「そうだねえ、あの子はちょっとお調子者だったかな。

 明るくて元気で友だちも多かったけど、

 ちょっとほめられるとついついやりすぎて、がんばりすぎるとこがあったな。」

「お母さんって、今もそうかも。」

 お母さんの病気のことやこれから通う中学のことで、あれこれと落ち着かないわたしは、なかなか眠れそうになかった。

「眠れないの?」

「うん。あっ、お祖母ちゃん、もっと、なんかお話ししてよ。」

「お話し?桃太郎とか浦島太郎とかの?」

「いやあね、わたし、もう中学生だよ。」

「それじゃあ、そう、今から五十年前、やっぱり中学生になったばかりの、

 ある女の子のお話しはどうかな。ちょっと長くなるけど、」

「うん。」

 そうして、お祖母ちゃんの、本当に長い昔話が始まった。

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