最終話「クレープフレーバーな初恋」

「横、良いだろうか?」

「はい」


 失礼するよ、と断った希美の父は俺の隣に腰を下ろすと、


「別に盗み聞きをするつもりはなかったんだ。それは最初に謝らせてくれ」

「いえ」


 聞いて、いたのか。


「二人が屋上へ行く姿をたまたま見かけてしまってね。……あの時はすまなかった」

「え?」

「二人を別れさせた自分の判断を後悔はしていないし、間違っているとも思わない。だが、私は君達の意見を尊重すると言いながら、自分の意見を押し通しただけだ」

「いえ。そんなことはありませんよ」


 まさか、謝られるなんて思っていなかった。

 お父さんのことを少しも恨んでないと言ったら嘘になるだろうが、希美が本当に辛い思いをするリスクを回避できたのは、この人のおかげだ。

 そういう意味では、感謝しているところもある。


「君の存在は希美にとって、かなり大きいものだったらしい。高校卒業ごろに事の流れは露呈してしまったんだが、その結果、希美は本当に頑張っていた。それはひとえに君の存在があったからだろう」

「俺の、ですか?」

「そうだ。君という存在が、希美を大きく成長させてくれた。そんな姿をずっと見続けていたから……もし、付き合い続けていたとしても、二人で乗り越えられたのではないかと、思ってしまう部分もある」

「……ありがとうございます。でも、それは過分な評価ですよ」


 俺の存在が、希美に少しでも良い影響を与えていたのだとすれば、それは間違いなく別れたからだ。付き合い続けていたなら、悪影響にしかなっていなかっただろう。

 それをわかっていながら、この人は可能性だけで謝ることができる、そういう人なんだ。

 僕には一生、真似まねできそうにない。


「君は、希美のことをどうやって吹っ切ったんだね?」

「え?」

「ああ、すまない。この質問は、個人的な好奇心によるところが大きいんだ。だが、結婚していると聞こえてしまったのでね。……希美はまだ、君のことが頭から離れないようだから」

「えっ!」


 何かの聞き間違いかと思った。

 希美が俺のことを今になっても好きでいるなんて、考えてもいなかった。

 じゃあ、俺はまた希美を傷つけただけなのか?


「……なるほど。君が結婚しているというのは嘘か」

「……はい」


 俺の表情から理解したらしい。これだけダメな人間を娘が好きでい続けてるとか迷惑でしかないよな。


「そう申し訳なさそうにするものではない。気を使った結果だということはわかる。だが……それならもう一度、希美と話をしてみてほしい」

「え?」


 予想外の言葉だった。

 希美はまだ医師としては若手だろうし、これからが大変な時期だろう。そんなタイミングで、俺なんかに裂く時間はないはずだ。


「君がもし、希美に対してあのころと変わらない……いや、あのころ以上の感情を持ってくれているのだとすれば、希美の気持ちを聞いてあげてほしい。……これも私のわがままだね」

「……いえ、そんな」

「希美にまた、関係ないのに余計なことを言うなと怒られるかもしれない。だが、私が合理的に考えた結果として希美に後悔をさせてしまったことは事実としてある。先ほども言った通り、それが最善であったと思うし、そのことに私は後悔していない。だが、二度と取り戻すことのできない後悔を希美にさせてしまったという心残りはある」

「そう、なんですね……」

「虫のいい話なのはわかっている。だが、もしチャンスがあるなら掴ませてあげたいのが親のエゴとわがままと言うやつなんだ」

「……」


 娘を思いやる父の言葉を誰が責められようか。

 少なくとも、俺なんかが責められるものではない。

 けど……。


「お父さん。これは俺と希美の問題です。だから……決めるのは俺たちです」

「……そうだな。すまなかっ……」

「俺にもう一度チャンスをくださいっ!」


 立ち上がり頭を下げる。

 こんなのは頼まれることじゃない。

 ここで俺が動かなければ、あの時の繰り返しになるだけだ。


 なにかを理由にして、希美のためにと自分の気持ちを我慢して、ぶつかることを恐れていた。

 それは俺に力がなかったから。

 今だって、過不足ない力があると胸を張れるわけじゃない。

 でも、今だったら覚悟を決めることができる。


「俺は希美さんのために何でもしますっ! できない自分を肯定しませんっ! 今できなくても、絶対できるようになって、希美さんを幸せに……」


 いや、違う。

 俺が希美のために、なんていう考え方をするからダメなんだ。

 違うだろう。俺と希美は……。


「俺と希美さん、二人で幸せになりますっ!」


 俺の宣言に、希美のお父さんは頬を緩ませ嬉しそうに笑った。

 ずっと厳しく厳格なイメージだけを抱いていた。だから若干の苦手意識もあった。けど、本当に温かい人間なんだと、その笑顔を見て心の底から思った。


「お父さん、俺、行ってきます!」

「ああ。ありがとう」

「はいっ!」


 希美を探そう。

 一刻も早く。

 俺は希美の後を追うためにドアを開け、階段を駆け下りた。

 すぐに……今すぐに、希美に会いたかった。


「っ!」


 気持ちが届いたかのように、希美も階段を駆け上がってきた。

 希美は肩で息をしながらも、まっすぐに俺を見据え、そして……。


「先輩っ!」


 ああ、そうだ。

 俺は彼女のことが大好きだった。


 ずっと一緒にいたいって、心の底から思ったんだ。

 だから、答えはもう決まっている。

 いや、十年前から決まっていた。


 互いを思いながら努力をしたから今があるのだと、そう思うのが正しいのかはわからない。現実をちゃんと見ろと言われるかもしれない。


 それでも目の前に愛しい相手がいるのだから。

 そうだな、まずは……。




 ――駅前のクレープでも食べに行こう。

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