クラースナヤ・クラスト

のりくま

ミレイ商業区ヘッドレス暴走事件

第1話


『煙草が欲しいな』カリーナ・パブロヴァ警部補は警備指揮者の傍らで引っ切りなしに行き交う警官たちを見ながらそう思った。背の高い女だ。機動隊のプロテクターに包まれた体躯にはしっかりとした筋肉が見て取れ、長身というよりは大柄と称したほうがしっくりくる。

 娘が生まれてからはキッパリとやめているが、あの意識を暈かす薄い酩酊が時折恋しくなる。それは捜査が空振りに終わった時、盛り場の酔っ払いを宥める時、休暇の初日で緊急呼び出しがかかった時、あるいは――しつこく見合いを勧めてくるお隣の奥様に、笑顔を張り付かせて応対しなければならない時、そして――

「聞いているのかね。パブロヴァ警部補」

 機嫌の悪い上役に相対しなければならない時だ。

「ハッ、拝聴しております。リード署長」

 精々畏まって答えたつもりだがこの上役には不評のようだ。険しい表情が緩む様子はない。

「ならば、対応策を聞きたいものだな。いったいどうするつもりだね。この有様は」

 リードが顎でしゃくったその先には……



 完全に破壊された町並みが広がっていた。



 休日ともなれば、多くの買い物客で賑わう商業区の一等地である。

 綺麗に刈り込まれた街路樹はへし折れ、飾りつけられたショーウインドウは粉々に砕け散り、炎上したキッチンカーには消防隊が群がり水を掛けていた。『私がなんと答えれば満足してくれるだろうか』そんな益体もない考えを浮かべながら、口を開きかけたその時――



『聞こえているのか! てめえら!!』



 雑音ノイズ交じりの怒号が響き渡った。声の主は複数のパトカーに取り囲まれた身の丈8リート(約10メートル)に及ぶ人型の機械だ。装甲がきしみ上がり両手に構えた長大な斧槍ハルバードが周囲を威圧するように振り回される



H.Lヘッドレス

 古より戦に用いられてきた鋼鉄の機械兵。その装甲は銃弾を跳ね返し、戦車より早く戦場を駆け抜け、圧倒的な火力と膂力は目標を完膚なきまでに破壊する。一名、ないし二名の操縦者パイロットが胴体部の操縦席コクピットに乗り込み操作をおこなう。近年は着弾と共に破裂し装甲を破壊する対装甲炸裂弾グレネード・ランチャーの登場により絶対的な強さは失ったものの、その保有数が戦争の趨勢を決める当代最強の兵器である。



 大出力軍用発動機ジェネレータの放つ重低音がけたたましく鳴り響き、振り回した斧槍が取り囲む自機正面のパトカーに思いっきり叩き付けられる。パトカーはひしゃげ、吹き飛んだタイヤは遠巻きに見守る警官の所まで飛んできた。

「て、抵抗したぞ!撃て、撃ちまくれ!!」

 指揮官の声はみっともなくうわずり、平時であれば威厳たっぷりであろうのその顔には恐怖と焦燥が張り付いていた。指揮官の声に我に返った警官たちが各々の腰から拳銃を引き抜き一斉に撃ちはじめる。的はでかい、どんない腕でも間違いなく当たる。加えて警官達はH.Lヘッドレスを半円状に取り囲んでおり、味方にあたる恐れも無い。だが……

「駄目です。効いていません!」

 当然といえば、当然、対人用に設計された7.2リット(約9mm)弾がH.Lヘッドレスの装甲に通用するはずがない。

「なめるなよ。ポリどもが!」

 H.Lヘッドレスが先ほどペシャンコにしたパトカーを蹴り上げる。威嚇のつもりか狙いを外しただけなのか、パトカーは警官隊の頭上を飛び越え、広場中央の噴水に直撃した。すさまじい音とともに水が噴き出し、取り囲む警官達の頭上に降りかかった。つかの間、静寂が訪れた。あまりに圧倒的な破壊力が警官達の思考力を奪ったのだろう。人工の驟雨は穏やかな日差しを受けて七色の光彩を描く。

「た、待避だ。待避!」

 響き渡る指揮官の声。我に返った警官達は雲の子を散らすように逃げ出した。

にどうするつもりだね。パブロヴァ警部補」

 署長の表情は変わらない。ただ口元がわずかに引きつるのを警官として鍛えられたカリーナの観察眼は捉えていた。

『煙草が欲しいな』カリーナは切実にそう思った。

























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クラースナヤ・クラスト のりくま @setoakihito

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