26 見たくない
「なんだ貴様は。人がこんな所で何をしているのだ」
トシミツは暗闇の中で刀を引き抜き、矛先を奴へ向ける。
ラファもスルトも、奴を知らない。その場でヤハウェと出会ったことがあるのは、アルベルトのみであった。
「……アベル……? 知り合いなの……?」
すぐ隣で、掠れた声で尋ねてくるスルトの表情を、想像するのすら怖かった。
意を決し、アルベルトはゆっくりと暗闇を突き進んでいく。
ヤハウェが指を鳴らすと、摩天楼のように連なる培養ポッドの黄緑の不気味な光が部屋中を照らし、濁った光を軽々と呑み込んでしまった。
「アルベルト。私に協力する気にはなったか?」
「……しない。貴方なんかに、手を貸すつもりはないよ」
緊迫した空気が張り詰め、誰もが一歩も動けず、「気をつけろ」の一言すら言い出せぬ状態に陥る。
ヤハウェの電子板に映された顔が、一瞬だけノイズに塗れて、歪んだ笑みを浮かべたようになる。
「おい……! 仮面を外せ。お前がこの施設の関係者なら、俺たちは容赦しないぞ」
「少し待て、今忙しいんだ」
「うるせぇ!! さっさと仮面を外せっつってんだよ!!」
ラファの怒号が響き渡り、アルベルトが彼を制する。
「そうだ。君の言う通り、私はこの地下施設の関係者――いや、創設者だ。君達にとっては、私の情報が喉から手が出るほど欲しいだろう」
こつ、こつ。
奴が狭い通路の間で、左右に歩く音が、何重にも重なって合唱曲のように聞こえてくる。
MTがずっと追ってきた、
「……え」
考えを巡らせるうちに、酷く、嘘だと信じたい憶測が頭の中に引っかかった。
そうだ。こんな施設を造れる人間など、一握りしかいないのだ。
「いや……でも、そんなまさか……」
「どうした、アルベルト。顔を青くして」
桜の唇に、淡い皺が寄る。乾いた口を動かして、アルベルトは言葉を発した。
「仮面を外せ……ヤハウェ」
怖かった。素顔を見るのが、とても。
「……いいだろう」
ヤハウェが仮面に手を掛けた。カチャリ、という音がして、固定が外された事をこちらに伝えてくる。
「可愛いお前の頼みとあらば、仕方がない」
仮面が完全に外され、彼の髪が垂れ落ちてくる。
その素顔を見て、アルベルトから言葉が失われた。
「兄……さん」
長く靡く蒼い髪。艶を失った、深海のような青き瞳。黒い装束に身を包んだ、見慣れた兄の――カイの姿がそこにはあった。
「……なに……?!」
「……んて事だ……!」
強気だった二人は、目の前で起こる衝撃的な出来事に対して狼狽える。
国家組織の司令官が、
「兄さん……? な、なんで?」
「アルベルト。あなたになら、分かってもらえると思ったのですがね」
仮面を捨てて、アルベルトに近づこうとした彼に対し、スルトの怒号が襲い来る。
「ふざけないで!! 私達に……私達にあれだけ酷いことしておいて、まだこんな事するの!?」
「……あぁ……」
アルベルトの前に立つスルトを見る彼の目は、最早人に対して向けるそれでは無かった。家畜や虫。そういった類の生命体に授ける自然であった。
「すまないが、あの神聖なる実験の被験者など、私はいちいち覚えていないのだよ」
「……っ……!!」
涙目になるスルトを差し置いて、
「この野郎!!」
喉仏を噛み千切らんとばかりに、ラファがハイマージャッジを振り翳しながら飛びかかる。
しかし、カイは避けようともせず踵を返し、懐から取り出した球体を掲げる。
深淵の光により形成されていくヴィジョンは、片刃の槍。龍の鱗かのような、刺々しい装飾が施されたその槍は、ハイマージャッジの猛撃を容易く受け止めた。
そして彼を軽くあしらい、床の味をプレゼントした。
「フォービデンギア……?」
「いえ? この武器は――ロンギヌスは、何も禁じられた兵器ではありません。そもそも、貴方たちのそれは、人にだって利用可能です。ただ、死ぬ危険があるというだけでね」
ロンギヌスの矛先を地へと向けながら、カイは不敵に笑う。
「
立ち上がったラファはすかさず距離を取り、震える腕でハイマージャッジを構えた。
「許さない……お前だけは!! この身が滅びても許さない!! あんな事を、あんな事をしなければ!! あいつが、あいつが復讐に呑まれる事なんか無かった!!」
ラファの憤りが、培養ポッドの表面を震わせる。無論、アルベルトの頬も、その気迫にやられて痺れていく。
「復讐か……それは、私にか?」
「他に誰がいやがる……このクズ野郎が!!」
「それも良いだろう。人は復讐を果たし、その晴れ晴れとした気持ちを糧に明日を求めて行き続ける……そういうヒトの営みを、君たちが堪能するのは勝手だ」
「ふざ……けんな!!」
背を向け、何処かへ去ろうとするカイを、ラファは逃がそうとせず、鋼の銃縋を振り翳しながら突撃する。
しかし、立ち止まった彼の身体は青い粒子となって溶けていき、振り下ろすハイマージャッジは虚空を弾けさせた。
「クッ……ソがぁぁぁ!!」
球体が転げ落ち、地面に拳を突きつける。ぐちゃあ、と鈍い音がして、アルベルトは思わず身震いをした。
「俺は……俺はまた、こんな所で……!!」
赤く滲む地面へきりきりと拳を押し付けながら、ラファは苦渋の声を吐き散らす。怒ると我を忘れる彼だが、その時ばかりは、自我を保ったまま怒り狂っている気がした。
「地上に出る。もう、ここに用は無い」
トシミツはサツマを鞘へ納め、颯爽と踵を返す。
その冷徹さに腹を立てたスルトが声を荒げた。
「少しくらい、慰めてあげても――」
「慰める!? 貴様ら帝国人は、日本があれだけの状況になろうが、助け舟の一つも寄越さなかっただろう!!」
荒げた彼女の声は、その倍になって返ってくる。
「……
トシミツは、黄緑に照らされたその空間から姿を消す。
アルベルトとスルトは立ち尽くすばかりで、歩く気にすらなれなかった。――それ以前に、アルベルトは。
「なんで……? 兄さん……なんで……? ずっと、ずっと私を……ずっと……」
不気味な仮面を被った、得体の知れない男との会話が、全て兄とのそれに上書きされていく。やがては声までも変換されていき、さも兄と直接顔を合わせて、そんな会話をしたかのようになっていった。
「アベル……」
「私……私はずっと……兄さんに……」
あの日助けてくれたのも兄、生きる手段を渡してくれたのも兄――。
彼が尽くしてくれた全ての想いが、確かに受け取った筈の想いの結晶が。朽ち果てる炭の如く崩れ去っていく。
「スル……ト……わたし……私はどうしたら……!」
どれだけ周りに虐げられようと、兄だけは信じてきた。彼が悪事を働いたという事実を聞いても、受け入れられず、話し合えばまた分かり合うことができると、ずっと信じてきた。
なのに、一妹としての微かな希望は、最早叶わぬものとなってしまった。
無自覚の内に流れ出る涙を見せぬよう、スルトの胸の中へと飛び込む。
枯れた声を、更に押し殺すように、ひたすらに嗚咽を漏らした。
「……大丈夫。誰があなたを見捨てようと、私だけはあなたの味方だから。私だけは、あなたを信じてるからね」
スルトの細々とした手が、背中を撫でる。
どこか懐かしい、それでいて新鮮な、縋りたくなるような温かさ。その温もりが、廃れた彼女の心を包み込んでいった。
「……どうして……」
「どうしてあなたが、こんなに苦しまないといけないの」
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