Chapter4 地母神降臨
22 渇望の異端者
アルベルトが次に見たのは、色とりどりのタイルで造られた、コンクリート製の天井を背景に、涙を目に浮かべながら見下ろしてくるスルトの顔であった。
「アベル……良かった」
寝転がった状態の彼女を、スルトは強く抱き締めた。鼻腔を甘い香りに刺激されてようやく、自分は敵の攻撃によって首を飛ばされ、今の今まで気絶していたという事を思い出す。
「あなたばかり辛い思いをしてる気がする……どうしてだろうね……」
その言葉を皮切りに彼女の抱き締める力は一層強まり、頭を撫でられた。
スルトの拘束を振り解いて、アルベルトが起き上がると、カウンター席に座り、ハンバーガーを食べるラファの姿がそこにあった。
ダウンジャケットは血塗れで、ここに至るまで何をしたのかが、容易に想像できた。
「……おはよう。アルベルト」
そう言われ、違和感を覚える。
いつも自分と話すときは口調が荒いのに、今回ばかりは何故か穏やかであった。
バンズを齧り、それをコーラで流し込んでから、ラファは再び口を開いた。
「外は君が対峙した黒山羊で溢れ返っている。あまりに強い〈
未だ動き続けるウェイトレスロボットが、彼女の側にやってきて注文を尋ねた。が、何も食べる気にならなかったため追っ払った。
ラファはあっという間にハンバーガーを食べ終え、お金をロボットに渡して立ち上がる。
「それはそうと……君にお客さんがいるんだよ」
「お客さん……?」
カウンターの奥から、何処かで見覚えのある風貌の男が、高圧的な態度を取りながら出てくる。
赤い瞳、艷やかな黒髪に異国風の出で立ち。――そうだ、この男は防衛隊の――。
「アルベルト・エヴィプティ、だな? 私はトシミツ。防衛隊の隊長だ」
カウンターに両掌を叩きつけて、こちらをギロリ、と睨みながらそう言い放つ。
「貴様には聞かなければならない事が山程ある。司令の妹よ」
トシミツの赤光が、彼女の胸に深く突き刺さる。
――あぁ、私はまた兄の事で咎められるんだ。
正直言って、もう懲り懲りだった。
せめて、もう一度会って話がしたかった。
兄と、真正面から。
「おいおい待てよ隊長殿。先に話があるのは俺だぞ?」
ラファは声色を変えて、店内にも関わらずハイマージャッジを構えた。その行動に、流石のトシミツも一歩退いた。
「……それを私に向けたら、貴様は傭兵失格だぞ?」
「あぁ? 誰がお前に向けるっつった?」
白銀の銃身は、勢いよくアルベルトの方へと突き出され、装甲と装甲がぶつかり合う甲高い音が響いた。
アルベルトは肩をびくり、と震わせて、身体を強張らせた。
「こいつには俺の服を汚した責任を取ってもらわなきゃならねぇんだよ。とっと失せろ」
「ラファ、やめ――」
「全員外で突っ立ってろ! ここに居るのは俺とこいつだけでいい!」
スルトはアルベルトを庇おうとしたが、彼の威圧に負けて退く。
二人は彼に従い店を出ていき、店内にはアルベルトとラファだけが残った。
アルベルトが目を瞑り、斜に構えていると、ラファはギアを封印して彼女の隣に腰掛けた。
「……ずっと、君と話がしたかった」
彼の声色は、今まで、いつ聞いた声よりも優しく、儚かった。
「話……?」
「君はさ、知ってるかな。俺たちは君のお兄さんに酷いことをされた、って話」
ウリから聞いた話が頭の中を駆け巡って、自然と首を縦に振らせた。
「俺たちも……勿論、気が狂うくらい苦しかった。あの実験は。でも……ミカロは――ミカは……俺たち以上に変わってしまったんだ」
「……ミカとラファ達って……どういう関係なの?」
前々から気になっていた。四人はネクロムの中でも特に仲が良く、昔ながらの付き合いである様子だったからだ。
「〈
そして傭兵をやろうってなって、仲良くなって……今に至る」
似ている、とアルベルトは思った。自分とスルトが出会った時とそっくりである。異端者傭兵は、皆、同じなのだろうか。
「ミカは、最初凄く優しかったんだよ。腹が空いてるだろうに、俺たちに飯を分けてくれたり、面白い話でしょっちゅう場を和ませたりさ……」
「でも、あの実験の後から、何かが変わった。“空っぽ”になった、というか、何か一つの事しか目に入らなくなったというか……」
ラファの拳に、微かな力が込められた。白い肌に、血管が浮かび上がっている。
「だから約束したんだ。俺。『俺がお前の鎖になる』って」
「鎖……」
アルベルトは彼の腰に一瞬、目をやった。
「止めてやるんだよ。一つの事しか見えなくなって、他の事なんて気にならなくなった時に」
拳を顔の前で握りしめ、ラファは吐き出すように言った。
「それでだ、アルベルト……君はミカに似ている」
「……え?」
突然そう言われ、彼女の碧眼が丸くなる。
「君も、何かに囚われ過ぎてる。それを捨てるんだ。そうしないと、いつか後悔する」
――後悔。
後悔ばかりの人生なのに、今更したところで――。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
ふと、先程まで見ていた夢の内容が、頭を過ぎった。
◇
店外で立ち尽くすスルトとトシミツは、微妙な距離間を保っていた。
「ずっと気になっていた事がある」
「……なんでしょう」
「貴様ら〈
トシミツに聞かれ、スルトは唇を軽く噛んだ。
「人は生を全うし、満足した死に際を迎える為に生きる。だが〈
淡いピンクに皺ができる程噛み締めてから、スルトはようやく口を開いた。
「生き方は! ……人それぞれです」
突然の大声に、トシミツの威勢は僅かに収まった。
「女の子が女の子を好きになろうが、潔癖症だろうが、二重人格だろうが、〈
「第三者が、勝手な偏見で、勝手に決めつけるな! クソ日本人が!」
祖国を貶された屈辱感を持ちながら、何も言い返す事のできない状況に、トシミツは唸り、顔を逸らす事しかできなかった。
◇
電磁誘導レールの上を、ひたすらに歩くミカとノア。
時折、索敵用に散開させたシグナルSBOの反応を気にしながら、二人は街を突き進んでいた。
「……スルトと連絡が取れなくなった。何かあったのかもしれない」
「アベル絡みだろう」
「何故そう言い切れる?」
ミカは一息置いてからこういう。
「あいつがウチに来てから、厄介事だらけだ。スルトは絶対、アベルに惚れてる。そんな二人が相まみえれば、ろくでもない事が起こるに決まってる」
「……ミカはどう思う?」
カンウブレイバーを左手に持ち替え、ノアは彼に尋ねた。
「どう、って何がだ?」
「アベルと総司令の関係だ。どうも、本人はあっちを溺愛してるらしいが……この前、俺たちが向こうに行ったときの反応を見たか?」
ミカの指が唇にあてがわれる。
「……まァ、クソ司令の考えてる事はよく分からん。考えても無駄だ」
「俺はどうにも、アベルはいいように扱われてるとしか思えない。そもそも……異端者傭兵はカイが立案したものだ。〈
ミカの足が止まる。
やがて彼の大きな掌が、ノアの細い首筋を確実に捉えて鷲掴みにする。
「ノア。今は余計な事を考えるな。司令とアベルがどうとか、今はどうでもいいんだ。
俺達は早く仕事を終わらせないといけない。分かったな?」
謝罪をしようとしたが、喉が圧迫されたノアの口からは、掠れた呻き声しか出てこなかった。
彼の首は圧迫から解放され、激しく咳き込む。
「ミカ……悪い。俺は、余計なことを」
「分かればいい」
そう言うミカの声はいつも通りの声音でありながら、酷く冷ややかであったのを、彼は聞き逃さなかった。
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