16 狂気


「……は」


 男の意味不明な言動に、アルベルトはかなり引き下がった。危険を察知したから、とかではなくて、本能的に。


 念のため持ってきた、フォービデンギアに手をかける。パーカーのポケットにしまい込んでいるため、いつでも抜き出せる。

 だが目の前にいるのが、人であるという確証がある以上、脅しにも使えないし、ましてやそれで攻撃でもしようものなら、この着ているパーカーとギアを捨てる必要がある。


「何者だ……!」

「ヘレティクト。貴方に問います。傭兵として、MTの狗として戦ってきた貴方に問います」

「私の質問に答えろ!! 何者だと聞いているんだ!!」


 久々に声を張り上げ、喉の奥がビリビリと痺れた。しかし仮面の男は怯みもせず、身勝手に自分の望みを叶えようと近づいてくる。


「貴方はこの世界をどう思いますか」


 両腕を広げ、ゆっくりと近づく仮面の男が言い放った問いに、アルベルトは言葉を詰まらせる。


 ――この世界をどう思うか?

 

 そんなもの、決まっている。

 この世界はふざけている。それ以外に、返す言葉が見当たらない。


「……ふざけた世界よ」

「ほほう?」


 男は足を止めて、不気味に首を傾げた。

 足元から、セトの啜り泣く声が聞こえてくる。彼女からしてみれば、この光景は堪らなく怖いはずだった。


「それは素晴らしい意見ですね」


 奴の無機質な拍手の音が、ビルの壁に反射して木霊する。


「貴方とは話が合いそうです、ヘレティクト……でも、貴方達は“邪魔”な存在だ」


 瞬きした瞬間、男の姿が消えた。

 刹那の間、肺を握り潰されたように息が荒くなって視線をあちらこちらへ移動させる。


 後ろを振り返ると、怯えるセトが男に捕まっている様子が目に入った。


「……!」

「この子達は特に邪魔だ」


 激しい憤りに襲われ、思考よりも先に身体が動き出していた。


 だっ、と駆け出したアルベルトの蹴りが炸裂しようとした瞬間、男は怯えるセトを残したまま、水色の粒子と化して消える。

 その粒子は空中で舞い狂ってから、ある場所に収縮。人型を作り出していき、やがて仮面の男が姿を現す。

 いよいよ、目の前の存在が人間かすら怪しくなってきた。


「……この子達がなんだって言うの……?」


 彼女がそう尋ねると、仮面のホログラムに僅かなノイズが走り、男が答える。


「〈Eヘレティクト〉ですよ。正式には“エクストリーム・ヘレティクト”。外なる者の侵略を克服した究極の存在です」

「克……服……?」


 ちらりと、アルベルトは彼女の方へ目をやった。

 蹲り、啜り泣きながら頭を押さえる小さな子供。――とてもでは無いが、この男の話は信じられなかった。


「私の研究過程で生まれてしまった失敗作だ。処分しなければならない」

「……研究……まさかお前は――」


 何を質問しようと、表情一つ変えないホログラム。

 アルベルトはポケットに忍ばせたギアを、とうとう解放した。




 ◇




 暗闇を這う、得体の知れないモノ。絶え間無く響く気色の悪い音は、確実にソレがこちらに近づいてきているのを嫌でも実感させられる。


「スルト! 俺らの事は考えず撃て!」


 レーヴァガンを構えた彼女は、歯を食い縛って覚悟を決め、暗闇の中で引き金を引いた。


 撃ち出された蒼穹のように鮮やかなエネルギー弾が暗闇をカッ、と照らし、得体の知れないモノの存在を顕にさせる。

 目の焦点のおかしい魚の頭部に、植物の脚が生えたような〈外怪物アウトワルド〉が、ネクロム隊を完全に包囲していた。


 レーヴァガンの弾は、直後に破裂し、壁や床を反射して敵を攻撃した。


「お前ら!! 走れ!!」


 ミカの声が響き、視界はまた暗闇に墜ちる。


 全員が一斉に走り出し、それを追いかける魚の足音が激しさを増した。



 暗闇を脱却し、明かりのあるところに辿り着いた。

 ぼんやりとした光源のみがある、石造りの壁で作られた部屋。床には魔法陣が描かれてある。何処かデジャヴを感じたが気にしている場合では無かった。


 次々湧き出てくる魚の怪物達。長い舌をぶらぶらさせて、気持ち悪い動きで近づいてくる。



 総員、ギアを解放して戦闘態勢に入った。


 カンウブレイバーから飛び出るSBO。電磁波を用いて、周囲の生体反応をキャッチする。


『Signal.fifty-five』

「敵数五十五だと……? そんな大量のワルドが何故ここに……」


 飛び出てきた大量のワルドに向けて、ガブとウリが武器を向ける。

 一同は散り散りになり、〈外怪物アウトワルド〉達は列を成して突撃してきた。


 銃口と、鋼鉄の拳が怪物の隊列に向けて手向けられた。


 ガブの徹甲弾と、ウリの鉄球が放たれ、壁にぶつかりそうになった怪物の群れを一掃。

 煙たい砂埃と共に壁と天井の石材が崩れ落ち、彼女達の視界を瞬く間に奪った。


 怪物が一匹残らず殲滅されたのを確認した一同は武器を納め、ほっと一息をついた。


「……先があるのか……?」


 砂埃の先に、ぼんやりと赤い光が垣間見える。

 ミカは砂埃の中を突き進み、その先にある物を一目見ようと前進した。


 スルト達も足並みを揃え、崩れた壁の先へ入った。

 薄気味悪く、僅かな赤いランプだけが光源としてある空間。


 進むうちに光は強くなり、次第にその空間の全貌が明らかとなっていくにつれて、スルトの息はどんどん荒くなっていく。


「……おいおい。何の冗談だよ……これは」


 引き攣った笑みを浮かべるミカが見上げる先にあるのは――。


 立ち並ぶ培養ポッドに入れられた、〈異端者ヘレティクト〉と〈外怪物アウトワルド〉の姿だった。


 ぷかぷか浮かびながら眠るその姿はさながら、“実験動物”のようだ。



 

 ◇




 人にフォービデンギアを向ける、という行為は異端者傭兵の中では重大な違法行為だ。

 しかし、“例外”はある。それが今なのだ。


「貴方は今、この世界はふざけている、と言いましたよね?」

「ではもう一つ問いましょう。貴方は何を望みますか?」


 アーサーの噴出トリガーに指を置く。アルベルトはじっ、と黙り込んでいた。

 男は両腕を空に向けて広げながら、こう語り始める。


「……私は“苦しみのない世界”を望みます。地べたを這いずって藻掻く事も、他人から拒絶され存在を疑う事も、必要のない世界です」


 彼女の眉が中心に寄る。

 まるでされているようで、気に食わなかった。――こいつに何が分かる。


「その為にも、〈Eヘレティクト〉は邪魔だ。二人を私に寄越してください」


 アルベルトは蹲るセトへ再び視線を向ける。


 ――この子たちはきっと、自分の事を良く思ってくれている。こんなに情けなくて、惨めな自分の事を。

 見捨てるわけにはいかない。自分を信じてくれたのだから。


「断る。この子達には未来がある」

「……貴方がそうする事で、その子達の未来が“苦しみ”に塗れてもいいと?」

「その子達は一生死ねない、怪我をしても再生する存在として生きねばならない。たった数年でも耐えられない者が多いのに、それが永遠と続くのですよ? 耐えられますか、貴方に」


 答えは、無理、だった。耐えれる筈もない。いつまで経っても未熟な自分には。

 それでも、セトとルルワはこんな自分を信用してくれた。その想いに答えなければ、この身尽きるまで己を呪うだろう。

 アルベルトは男を睨んだまま、剣を構えていた。


「残念だ……でも、きっとまた会える。その時まで、結論を出しておくことです」


 仮面の男は蒼い粒子と化し、虚空へと消えていった。

 見たことのない技術だったが、今更感嘆する気力はなかった。


 アルベルトはギアを納めて振り返り、泣くじゃくるセトを起こして、優しく胸元へ抱き寄せる。


「ごめんね。怖かったよね」


 泣くセトを慰めるように、ルルワも静かにそこへ寄ってきた。

 小さい二人を抱き締める。強く、それでいて優しく包み込むように。

 彼女らが〈Eヘレティクト〉と呼ばれる存在とかなんて関係ない。

 こんなにも温かい、優しい子供を見捨てるのは“大人”のやるべき事では無い。


「……帰ろう。セト、ルルワ」

 

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