15 闇


「ここ……か」


 大剣を背負ったミカは、到着した現場の地面を見下ろしながらそう呟く。

 不自然に置かれた鉄板を蹴り飛ばすと、人一人ようやく入れる程度の穴が顔を覗かせた。


「俺が行く。あとから付いてこいよ」


 大剣を先に落とし、音で底があることを確認してからミカは降りていく。

 スルトはその光景を見ながら、アルベルトと二人で行った任務の情景をふと思い出した。


「ねぇスルトちゃん。あなた、こういうとこ初めてじゃないんでしょ?」

「うん。少し前に一度だけ行ったことがある。でも、ここも同じ構造かどうか……」


 ガブはそれを聞き入れると、ミカの次に率先して降りていった。

 スルトは次々降りていく隊員達に付いて行けず、一番最後に降りることになってしまった。


 狭い筒状の空間を、一本の梯子で降りていく。前はこの先に彼女がいたから気持ちが保てたが、今は違う。辺りを覆う深い闇が、焦燥を促進させてくる。


「うわぁぁっととと!!」


 突然、足元の梯子が崩れ、足元を踏み外してしまい、そのまま下へ急降下する。


 下へ落下した彼女は、上から迫る何かを回避するべく、すかさず横へ転がった。

 その瞬間、尖った鉄パイプが物凄い勢いで地面に突き刺さる。あと一歩遅かったら、確実にあれが肉を裂いていた。


 仲間達に心配されながらも、スルトは前を進むミカの後を追う。


 背中がズキズキ痛むが、言ってる場合ではない。

 暗闇に包まれた、足音だけ虚しく響き渡るこの通路を、何一つ弱音吐かず進まねばならないのだ。


「不気味ね……」

「照明の一つもないのかな」


 ガブとラファが上を見上げながら言う。電気が消えている、というより、電気がない、といった方がしっくりくる。

 そもそも、この場所に人がいるのかどうかも怪しい。今や店番でさえロボットが代行する時代だ。研究施設の人員も、その殆どがロボットで賄える。


「よーしお前ら、この暗闇の出口が見えてきたぞ」


 ミカが指差した先には、ぼんやりと眩い光が暗闇の中に浮かんでいた。

 一同は早歩きになりながらそこへ向かい、ようやく暗闇を脱却することができた。


 カッ、とこちらを照らす眩くて淡い光。


 暗闇を出た先にあったのは、明るさの格差が酷い、コンピュータが乱雑に設置された研究室らしき部屋。

 スルトは、前回訪れた場所と構造がちっとも似ていない所に驚いていた。


 机の上には、おびただしい数の資料が散らばっていた。そんな惨状の中でもピンセットやメス、電動ノコギリといった器具は清潔さが保たれている。

 大きめの機械も設置されてあり、いずれも人が一人寝転べそうな台付きで置かれてあつた。よくよく見てみれば、レーザー照射装置らしき物や多機能アームも配備されている。


 ミカやラファが率先し、何か手掛かりになりそうな物を念入りに探した。手当たり次第に資料を漁るも、顔を顰めるばかりであった。

 気になって彼女も資料に目を通したが、文章は暗号化されており、何かの記録ということしか分からなかった。


「ここで何をしているのだろうか……器具が刃物ばかりだぞ」


 実験器具、というにはあまりに物騒な物が多く保管されてある。下手に得体の知れない液体が並べられてあるより、こういう直接的な恐怖の方が不安感を駆り立てられる。


 ラファがコンピュータを弄り始める。以前自分がやった時に比べ、その手際の良さは天地の差があった。

 ホログラムのエンターキーを押し込み、彼の瞳はモニターへ釘付けになる。

 

「……ミカ。これを見ろ」


 ミカは彼の肩に腕を置き、中腰になってモニターの画面を見る。そして、顎を指で撫で回しながら、画面に釘付けとなっていた。


「“ようこそ ヘレティクト”……って、書いてるよな。ラファ」

「あぁ。見間違いじゃない」


 画面の真ん中にぽつん、と置かれたその文字は、まるでこちらを歓迎するかのようなメッセージ。殆どの人工知能はそもそも、〈異端者ヘレティクト〉という言葉を知らない。だから、このメッセージを作れる筈もなかった。


「このページ。本来はこういう文字を入力するだけの物ではないんだろう。無理矢理書き換えた後が残されてる。真面目な研究室所属のロボットが、そんなことをするわけがない。

ここには人がいた、と見なしていい」


 ラファの背中を力強く叩いてから、ミカは立ち上がる。鼻をぴくぴく動かして、目を細めた。


「臭うな……血生臭くて、親近感が湧く、いやーな臭いが」




 ◇




 噴水のある広場で、アイスクリーム屋のロボットに料金を渡し、精密な動作で作られた三つのアイスを受け取る。


『マタノオコシヲオマチシテイマス』


 二つをベンチに座るセト達に渡し、残りは自分で食べる。

 バニラアイスの上に、チョコソースをトッピングしただけのシンプルな物だったが、二人は嬉しそうに頬張った。

 お金は生活費くらいにしか使わないから、こうやって他の使い道ができたのは良い事だった。


 あっという間にアイスを平らげた二人。ルルワがカメラを試すべく、可愛くポーズを取る彼女をレンズに映し始める。

 ちびちびとアイスを食べるアルベルトは、そんな微笑ましい様子を横目に眺めていた。


「アベル、こっち向いて」


 そう言われたため、アイスを口に付けたまま顔を向けた途端、パシャリと一枚撮られた。

 カメラから出てくるのは、アイスを口に入れた自分の写真。

 写真を撮られるのは堪らなく嫌だったが、彼らの遊びという事であまり口出しはできないため、渋々アイスを食べた。


「……アベル?」

「ん?」

「皆にいじめられてるの、気にしてる?」


 ――あぁ、そういえば。

 自分は周りの皆から疎遠にされているのだと、今更になって思い出した。気にしてるどころか、今の今まで忘れていた。


「大丈夫よ。あなたは気負わなくていいわ」

「私、信じられない。アベルのお兄さん、とても良い人だった。今まであった誰よりもうん、と優しくて、素敵な人だったよ」


 子供っぽい表現を精一杯使い、彼を称賛してくれた。セトも彼を“善”として見ているらしい。

 あくまで自分は、カイのであるが為にあのような仕打ちを受けている。皆が彼を“悪”と見なすから、自分も“悪”と見なされている。


 では、自分自身は?


 皆は自分自身の事を、どう見ているのか。アルベルトは何度も考えた。


 その結果、“無”としてしか見ていないのではないかという結論に至った。

 何もない、虚無な存在。“悪の司令官の妹”というレッテルだけが貼られた、空っぽな存在としてしか……。


 口の端から垂れ落ちそうになる、甘ったるい滴がセトの細い指が掬われ彼女の口へ吸い込まれた。


「溶けたら勿体無いよ。アベル」


 小さな歯を見せながら、眩しい笑みを浮かべるセト。

 この子は、この子達は。自分の事を、本当はどう思っているのだろう。

 スルトも、ノアも、カイも。


 周りは自分の事をどんな目で見ているのか、気になって、気になって、気が狂いそうだった。


「そろそろ、帰ろっか。皆が帰ってきちゃうからね」


 まだ食べかけのアイスを持ったまま席を立った。


 ――視界が高くなると同時に、凄まじい目眩と耳鳴りが襲いかかってくる。

 貧血、にしてはあまりに酷すぎる。


 途端に、昼にも関わらず、辺りが真っ暗闇に包み込まれ、暗黒の世界に一人、取り残されてしまった。

 目眩と耳鳴りは次第に酷くなり、指に力を入れる事すらままならなくなって、アイスを落とす。

 揺らぐ視界の中心に、人影をぼんやりと捉える事ができた。絶えず響く耳鳴りに悶えながら、一歩、一歩、その人影の元へ踏み出していく。

 理由は分からない。助けを求める為か、この苦しみを味合わせる為か、考えれば考える度、思考が頭をぐるぐる回って目眩を促進させた。


 人影が、はっきりと見えるようになるまで、

それとの距離があと一、二本程度の所まで近づく必要があった。

 まじまじとそれを見つめると、息が止まった。


 空色の髪をポニーテールに束ねた、健気な少女。肩からギターを下げ、派手な衣装を身に纏い、彼女を嘲笑うかのように、僅かに微笑んだまま直立している。


「……――」


 声を出そうとした所で、辺りの暗闇は一瞬にして晴れ、目眩と耳鳴りが嘘のように消え去った。

 目に見える景色は、遠くに立ち並ぶ高層ビルばかりであった。


「アベル? どうしたの?」


 消えかかった声で問いかけ、パーカーの裾を掴んでくるセト。彼女からしたら、自分はどう見えていたのだろう。


「……ごめん。早く帰ろう。薬、打たないと」


 こういう症状は、薬の作用が切れかけている証拠だった。〈外怪物アウトワルド〉が細胞を作り変える過程で身体に異変が起こり、それが神経系統にまで及ぶ。治すには薬を投与する他ない。


 さっき地面にひれ伏せさせたあの男は、この感覚と毎日のように戦っているのだろう。

 今更薬なしの生活など、気が狂うに決まってる。


 アルベルトは少しだけ乱れた髪を指で整えてから、二人に出発するよう呼びかけて歩み始めた。まだ、足元が覚束無い。いつ千鳥足になって倒れるか怖くて、とても歩けた物ではなかった。


「アベル。ほんとに平気?」

「大丈夫だから……!! 早く帰ろう」


 少し声を張り上げると、彼女は大袈裟に身体をびくんと震わせ、俯いてしまう。


 しばらく歩いていると、噴水の音は消え、浮遊自動車やモノレール、人の音が徐々に聞こえ始めてくるビルとビルの間道に差し掛かる。

 

 苛立つ衝動を駆られ、早歩きになっていた彼女は、突然、目の前の異常に気づいて足を止めた。



 道のど真ん中に立つ長身の男。

 全身を黒い合金製のアーマーで包み込み、頭は嗤うような顔が電子パネルによって浮かび上がった仮面で覆われている。


 猫背で、視線がこちらに向いているかさえも仮面によって分からないその男は、堪らなく不気味で、疲弊した脚が、すぐさま戦闘態勢に入る。


「ウェルカム、ヘレティクト」


 姿勢を更に屈めて、首を捻りながら男は音声変換された雑音混じりの声でそう呟いた。



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