芽吹いたカイブツの想い

榎日向

芽吹いたカイブツの想い -夏-

 夏のある日、私は、キャップ帽を被って自転車を漕いでいた。坂道はきつく、漕ぎながらも汗が噴き出て仕方がない。視界の中にゆらゆらと揺れる陽炎が見えて、酷暑ではなく猛暑と言っていたお天気ニュースキャスターの言葉を密かに呪う。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 脚に溜まる疲れと外気の暑さでやられながら、ようやく目的地にたどり着いた。そして、店の横に着けるように自転車を置くと、駆け込むように扉を勢いよく引いた。

「かき氷、レモン味!」

 大きな声で言うと、奥からよく日焼けした男の子が出てきた。

「そんな大声出さんでも――」

「いいから!早く!」

 そう言ってレジ前のお釣り台に百円玉2枚を置き、日陰になっている席へ座り込んだ。店内は冷房が効いていてとても涼しい。鞄から取り出したハンディータイプの扇風機を汗でぬれた首元に当てる。氷が当たっているような冷たさを感じて一息ついた。

「ああ、すぅずしぃ……」

「家に篭ってればいいんじゃね?」

「それ、私に言わないでよ。家にいたら、ぐちゃぐちゃ言ってくる親が二体もいるんだよ?居心地が悪いったらありゃしない。」

 先ほどまで鳴っていたかき氷機の動作音が鳴り止み、こちらへレモン味のシロップが掛かったかき氷を持ってきてくれていた。

「ありがとう。」

「はい、お釣りの70円。」

 受け取ったお釣りを財布に入れ、早速とばかりにスプーンを口へ運んだ。

「ん~……レモン、うま。美味し。」

「そりゃどうも。」

 ふわふわの氷とレモンの甘酸っぱいシロップが混ざり合うと、口内の温度が急激に下がっていく。かき込まないように口に溜めてから飲み込むことを繰り返すこと数度。落ち着いた額の汗をきちんとタオルで拭うと、先ほどからこちらを見ている隣の男の子へ視線を向けた。

「で?私の食べる様子を観察していて何か面白いことでもあった?」

「んぇ?ああ、いや。何でも……」

 突然質問したのが悪かったのか、呆けた面をこちらに向けながら、頬を朱色に染めて視線を別方向へ向けた。

「別に私の顔を見てもいいけど、ジロジロ見られるのは気分が良くないってだけ。嫌っているとかそんなもんじゃないし。」

「そ、そっか。」

 それだけの会話を交わして、再び私はかき氷を食べ始めた。店内に流れる高校野球の実況者の声がよく通るようだ。

 それから数分経った頃、じれったいのか彼が話しかけてきた。

「最近、どう?」

「最近?そうだね……なんとかやっている感じ。まあ、耐えきれなくなったらまたここに駆け込んでくるつもりではいる。」

「そうか。」

「そっちはどうなの?」

「俺か?俺は……そうだな。俺も家の手伝いとか駆り出されたり、一昨日には、ばあちゃんちで畑の収穫の手伝いをしてきた。なすとかピーマン、キュウリを大量にもらったり、あとトマトももらったな。結構な量の夏野菜が出来ていたから、ばあちゃん嬉しそうだったな。持って帰って家で夏野菜カレーとか作ってもらった。」

 彼が嬉しそうにその時の様子を話してくれる。目の前でこれくらいの大きさだとか言ってそんなに大きなキュウリがあるわけないと私が否定すると、店の奥の方へ引っ込んで、持ってきてくれたキュウリに目が飛び出るほど驚いた。

「そんな大きさのキュウリがあるの?」

「ばあちゃんの畑は基本でかいものがなるから、これくらいは普通だって。」

 私は驚嘆するしかなかったが、彼は鼻息を荒くしてうざったい顔でこちらへそれを向けていた。

「あのさ。そのうざったい顔、止めてくれない?別にあんたがすごいわけでもないのに。あんたのおばあちゃんがすごいってだけでしょ?」

 そう言うと、気分を悪くしたのか彼はまた別方向へ顔を向けて、むくれた顔をこちらに見せなかった。

「直樹。」

 名前を呼ぶと、こちらへゆっくりと顔を向けた。向けられた顔には、半目で何か言いたそうな顔だった。

「私、9月にはここから引っ越すことにしたの。」

 そう言えば、彼は半目を大きく開いて驚きの声を上げていた。

「どこに?」

「広島の呉に。」

「なんでこんな時に……」

「お父さんの転勤場所が今度は呉になったの。」

「別にお前まで引っ越さなくても、ここにいればいいじゃん。」

 そう言って彼は顔を下に向けた。引き留めようとしてくれているのか分からないが、少しだけ彼に腕を引かれた気分で嬉しかった。

「夏休みに入る前、お父さんが転勤するって決まって。それに、私は学校が楽しくないから、別の所へ編入しようかなって思ってたの。この時を逃すのはもったいないかなって。」

 顔を上げた彼の顔を見て、私は彼の口が開く前に捲し立てた。

「もちろん、慣れ親しんだここを離れるのは嫌だけど……嫌だけど、でも、ここから離れないと一生学校に通えないっていう恐怖が湧いてくるから。学校自体は楽しいけど、今の学校の環境が嫌ってだけなんだ。それに、このことを話せる仲の人って直樹以外にいなくて。色々悩んだけど、直樹に伝えておきたいなって、そう思ったの。」

 そう伝えると、彼は顔を斜め下に向けながら言った。

「そっか。お前がそこまで悩んで決めたんなら、俺がとやかく言う義理はねえな。でも、俺に教えてくれたのは素直に嬉しい。ありがとう、さやか。」

 最後の言葉を聞いた私は、嬉しくなって目からじわりと温かいものが滲んだ気がした。

「そうか。お前がここから離れるなら、言っておかないといけないかな?」

「ん?何か言い忘れていたことでもあったっけ?」

 そう聞くと、彼はこちらへ向き直って言った。

「さやか、俺はお前が好きだ。」

「それはどういう感情の?」

 私はすぐには言葉の意味を理解できなかった。そして、意地悪で言ったわけでもなく、脳内処理が遅れているための補助として聞いてしまった。言って初めて、私は心臓の鼓動が一段と大きく鳴った気がした。

「えっと、友情としてもあるし、恋愛感情もある。」

「友情と、恋愛感情……」

 しっかりと口に出して確認する。そして、脳内処理が追いついた時に一気に顔が火照り始めた。

「直樹が私のこと、好き……」

「う、そうだよ!何回も言うなよ……好きなんだって。一目惚れなんだよ。」

「直樹、私、好き……」

 先ほどの言葉を脳内でかき回すように呟くと、私は覚悟を決めて、目の前の彼に視線を向けた。

「わ、私も……その、直樹のこと、好き。だから――」

「ん?」

「一緒に、死んでね?」

 そう言って彼の唇に口づけた。少し乾燥した唇は温かく、見開いた目は驚きで満ちていた。その眼差しがまた、嬉しさでいっぱいになっていく。

 残っていたかき氷は、レモンシロップと共に溶けてしまった。とても甘酸っぱい味だったのを今でもずっと覚えている。

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芽吹いたカイブツの想い 榎日向 @Fenrile

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