ミスリルスライムは逃げないと決めた

天宮暁

ミスリルスライムは逃げないと決めた

 ――僕に自我が目覚めたのは、間違いなくあの時だ。


 ミスリルスライムと聞いて、何を想像するだろう?


 人間の一般的な冒険者であれば、「経験値がごっそり稼げるボーナスモンスター」「ただしやたらと硬い上に逃げ足が早くてめったに倒せない」、そんなふうに答えると思う。


 実際、僕もそうしたミスリルスライムの一体にすぎなかった。


 ――あの日、彼女に出会うまでは。


 その日、僕は、ダンジョンに侵入してきた勇者パーティとエンカウントし、戦闘に入った。


 といっても、ミスリルスライムにできることなんて限られてる。


 硬い金属の身体で体当りするか、弱い火属性の魔法で攻撃するか――さもなくば、「逃げる」か。


 さもなくば、なんて言ったけど、実際には第一選択肢は「逃げる」である。


 しかし、ここでひとつ疑問が湧くんじゃないかと思う。

 最初から逃げるつもりでいるなら、どうして人間たちに襲いかかるのか、と。


 実際のところ、ミスリルスライムは好んで人間に戦いを挑んでるわけじゃない。

 たまたま人間と遭遇してしまったときに、自衛のために戦うだけだ。

 なにせ人間たちと来たら、僕らを見ると目の色を変えて襲いかかってくる。


 僕らの経験値が高いのは、全身がミスリルでできてるからだ。

 より正確には、ミスリルでできた身体を動かすには膨大な魔力が必要であり、その魔力が人間に倒されたときに経験値になるというわけだ。


 ミスリルという魔法と極めて相性のいい金属でできた身体に魔力を浸透させることで、僕らは通常のミスリルをはるかに上回る物理的な強度と、驚異的な弾力性を兼ね備えている。

 生半可な人間の物理攻撃は効かないし、魔法攻撃はほとんど無効化する。


 しかし結局のところ、僕らは平和的なモンスターだ。

 僕らの硬さも速さも、身を守るためのものにすぎない。


 たいていの冒険者からは逃げおおせる僕らだが、その日は相手が悪かった。


 勇者だ。


 僕は、致命的な一撃こそ免れたものの、複数回危険な攻撃を受けてしまった。


 驚異的な硬さを誇るミスリルスライムの身体だが、それをも上回る打撃に晒されると、浸透した魔力に偏りが生じ、そこから身体に亀裂が走る。

 この亀裂に連続で攻撃を食らってしまうと、さすがの僕らもジエンドだ。


「待ちやがれ!」


 逃げる僕を、勇者が目を血走らせて追ってくる。


「くそっ、どこに行きやがった!?」


 背後から勇者の声が聞こえた。

 かろうじて撒いたと思ったのだが、今度は目の前に別の人間のパーティが現れた。


 慌てて戦闘態勢を取る僕に、


「珍しい。ミスリルスライムだわ。かわいそうに……怪我をしているのね」


 白い裾の長い聖衣を来た女性が、僕の前にしゃがみこむ。


 僕はなけなしの魔力でファイアアローを放つ。


「大丈夫よ」


 僕の放った炎の矢は、その女性の眼前で砕け散った。

 それが常時発動型の高位の魔法障壁だと知ったのはあとのことだ。


「治してあげる。じっとしてて」


 女性が僕の傷口に手をかざす。

 不思議と、警戒心は起きなかった。

 僕から攻撃をしかけておいて勝手だと思うが、彼女に戦闘の意思はないらしい。


 ミスリルスライムの傷口を癒やすのは難しい。


 ミスリルに魔力を浸透させて液体金属に変えてから、全体をよく馴染ませる必要がある。

 僕が自分で傷口を治そうと思ったら、物陰に隠れて何日ものあいだ魔力を練り続ける必要があっただろう。


 ミスリルスライムにとって、ミスリルの身体はアンビバレントな存在だ。

 自分を構成する唯一の要素であるにもかかわらず、その扱いには大変な労力がかかるのだ。

 ミスリルスライムは、ただのスライムの金属版ではなく、ミスリルという金属の塊にモンスターの魂が宿ったもの、と考えたほうがしっくりとくる。


 ――人間なんかに、僕の傷が治せるものか。


 僕はそう思ったのだが、


「……成る程。ミスリルスライムの体組成はミスリルの魔力含浸性金属流体なのですね。それならば……」


 女性の手から温かい光が降り注ぐ。

 光は微調整され、すぐに僕自身の波長とぴったり同じものになった。

 膨大な魔力が注ぎ込まれ、僕の身体がみるみるうちに治っていく。


「ぴ、ぴきーっ!」


 何を言うつもりだったのか、今となってはわからない。

 ただ、何かを表現したいがための言葉が出た。

 その言葉の意味を、女性は僕以上に理解しているようだった。


「ふふ。どういたしまして。もう怪我をしないようにするのよ」


 優しい笑みで僕にそう言った女性が、はっとした表情で顔を上げる。


 僕の背後から聞こえてきたのは、勇者の声だ。


「おい、聖女様よ。そいつは俺の獲物けいけんちだ。横取りするならただじゃおかねーぞ」


 恫喝するような勇者の言葉に、


「あら、私は怪我をしたかわいそうなモンスターを助けただけよ」


「ふざけるな! モンスターを助ける聖女がいてたまるか!」


「モンスターだって、人を襲うものもいれば、おとなしいものもいるわ。生き物であることに変わりはない。教会の教えでも、襲ってくるモンスターから身を守ることは許されているけれど、危険のないモンスターは殺生してはならないと……」


「モンスターはモンスターだ! 魔王を倒すためには経験値がいる! 勇者の力の糧になれるなら、そのミスリルスライムだって本望だろうよ!」


「あなたは力がほしいだけでしょう。力を得るためだけに他人を傷つけて恥じないのならば、勇者は魔王と何が違うというのです?」


「なんだとっ!? 神に認められた俺を、魔王と同列扱いするつもりか!」


「律することのできない過ぎた力を持っているという点では似たりよったりです」


「貴様ぁっ!」


 勇者が聖女に剣を向ける。


 だが、聖女はひるまず、毅然として勇者に言う。


「その剣は、私利私欲のために使われてよいものではありません。聖女である私を傷つけるなら、勇者としての力を失う覚悟をもってやりなさい。もっとも、今のあなたにそのような覚悟があるようには見えませんが」


「ちっ、くそが……!」


 勇者は吐き捨てると、なおも未練ありげに僕を見てから、


「今はまだ、教会を敵に回すわけにはいかねえか。覚えてやがれ」


 そんな捨て台詞を残して去っていった。






 僕に自我らしきものが目覚めたのは、そのあとのことだと思う。

 勇者と聖女のやりとりの途中で、僕は自我らしきものを半ば獲得していた。

 二人のやりとりを覚えてるのはそのためだ。


 勇者は去り、聖女も去った。


 ダンジョンの中に残された僕は、ただひとりで考える。


 「逃げる」――それはたしかに、僕たちミスリルスライムの生存戦略だ。


 だが、逃げ切れない相手もいる。


 戦うしかない局面もある。


 あの聖女は勇者との対立も辞さずに、縁もゆかりもない僕のことをかばってくれた。


 僕に、同じことができるだろうか?


 ――否。


 できない。


 なぜなら、僕は「逃げる」しか芸のないミスリルスライムだからだ。


 自我に目覚めた僕は、そのことをとても悔しいと思った。


 強くなりたいと思った。


 あの聖女のように、理不尽に面と向かって否と言える存在でありたいと思った。


 あるいはそれは、僕自身の気持ちではなかったのかもしれない。


 聖女がそのような存在であろうと強く意識しているがために、その魔力で修復された僕にもその目的意識が写ったのかもしれない。


 だけど、そうだったとしても、かまわない。


 僕は、強くなることにした。






 しかし、「逃げる」ことしかできないミスリルスライムが、どうやったら強くなれるんだろう?


 勇者は、モンスターを倒して経験値を得、レベルを上げる。

 聖女も、おとなしいモンスターは見逃すとはいえ、危険なモンスターを倒してレベルを上げていることに変わりはない。


 僕は聖女に範をとり、他者に害を為すモンスターを倒してみることにした。


 たとえば――このゴブリンだ。


 下級モンスターの中では比較的知能のあるモンスターだが、その性格は邪悪で残忍。

 人間からは忌み嫌われてるモンスターだ。

 繁殖力にも優れており、数が殖えると、その数を頼みにして他のモンスターを襲ってレベルアップを図ることもある。

 レベルを上げたゴブリンの中からは上位種に進化する個体も現れる。

 上位種はゴブリンたちを率いてダンジョンを出、人間の街を襲うこともあるという。


 焚き火を囲んで談笑するゴブリンたちは、一見平和的だ。

 ――その手にしているのが人肉のステーキでなければ、だが。

 哀れな冒険者の手足を引きちぎり、火で炙って食べている。


 残酷なのは、他にも生きたまま捕まった冒険者がいることだ。


 その冒険者は自分のパーティメンバーが手羽先にされ食べられるのを見せつけられ、「すまない……ルイーザ。俺のせいで……俺が罠なんかにかからなければ……」などとつぶやいてる。


 なぜミスリルスライムである僕に人語がわかるかって?

 これもまた、おそらくは聖女の魔力によるものだろう。

 いくらなんでも万能すぎるような気もするが、奇跡を起こして聖女と呼ばれるためいはそのくらいの万能性は必要だろう。


 冒険者の苦しみを、ゴブリンはきちんと理解している。

 理解した上で、こんなに愉しいことはないと悦んで、冒険者の絶望を酒と人肉のつまみにしているのだ。


 許せない、と思った。


 しかし、数に勝るゴブリンの群れ相手にどう戦う?


 ミスリルスライムの身体は硬いけど、弱い打撃であっても集中的に攻撃されれば少しずつダメージを受けるのだ。

 つまり、ゴブリンに集団で囲まれボコられたら勝ち目がないってこと。


 翻って、僕の強みはなんだろうか?


 もちろん、魔力の含浸した特殊なミスリルの身体だ。

 勇者の伝説の剣ですらわずかなダメージしか与えられない硬さと、素早く飛び跳ね逃げるための弾力。


 これまでは「逃げる」ための武器としてきたこの特性を、「攻め」に転用したらどうなるか?


 僕はイメージを固める。

 いつもの体当たりは、重さと硬さで相手を突き飛ばすための防御的な攻撃手段だ。


 だが、僕の身体は流体金属。

 何も球根型しか取れないわけじゃない。


 球根型を、円錐形に。

 その円錐形をさらに鋭利に。

 聖女の知識にある騎兵の突撃槍ランスのような形状だ。


 ただし、突撃槍と違うのは、柄に当たる部分が短く太いことだ。

 この短く太い部分だけは、他の部分に較べて金属の圧縮度を限界まで上げている。


 僕は物陰からゆっくりと狙いを定め――



「ゴパッ……!?」



 射出された僕の身体が、ゴブリンの胸を貫いた。


 慌てて戦闘態勢を取るゴブリンたちだが、僕の姿を見て戸惑っている。


 再びランスフォームになった僕は自らを射出。

 今度はゴブリンを二枚抜きだ。


 残るゴブリンは二体だけ。

 僕が一体を始末してるあいだに逃げ出したゴブリンを、後ろから突撃して後頭部をぶち抜いた。



《????はレベルが 2 に上がった!》



 ファンファーレとともに僕の脳内に聞いたことのないメッセージが流れる。

 聖女の知識によれば、これがレベルアップを知らせるメッセージらしい。


「な、何が起きてやがんだ……!?」


 丸太に縛られたまま絶望に暮れていた冒険者が声を上げる。


 僕はその冒険者に近づくと、


「ひいっ!? ……って、あれ?」


 僕は自分の身体の一部をナイフに変えて、冒険者を縛る縄を断ち切った。


「ぴぎー」


「……行け、ってことか? ミスリルスライム……だよな?」


「ぴぎー」


「ふっ、詮索は無用、か……。わかったよ。ありがとう、助かった。だが、あいつの遺品だけは回収させてくれ」


「ぴぎ」


 冒険者はゴブリンに食われていた仲間の亡骸を一箇所に集めると、その前で長い時間祈りを捧げていた。


 部外者がそれを見ているのも野暮だろう――


 そう思った僕は、静かにその場を立ち去り、ダンジョンの奥に消えていく。






 聖女の目的も、勇者の目的も、魔王を倒すことだ。


 モンスターの中でも凶暴で残忍な性質を持ったものたちを集め、魔王は大陸の実に四分の三をも支配している。

 残された人間たちの領域にも、常にモンスターが圧迫をかけていた。


 だが、いかに魔王といえど、勝手に振る舞う凶暴なモンスターたちを一人で統治できてるわけじゃない。


 実際にモンスターたちを統御するのは、魔王の部下である四天魔将と呼ばれる幹部たちだ。


 聖女と勇者は元は同じパーティを組むよう要請され、一時期はそれに従っていたらしい。

 だが、敵対しないモンスターの扱いを巡って対立が生じ、それぞれが別のパーティを率いることになったという。


 ちなみに、いかに突出して強いとはいえ、なぜ聖女や勇者といった単体戦力に魔王の討伐を任せるのか? という点については、人間側にはちゃんとした考えがあるようだ。


 まず、有象無象のモンスターの群れに対抗するには、人間側も兵の数を揃えなければならない。

 魔王領との国境線にはそうした守備隊が多数置かれ、モンスターが人間の領域に侵入してくるのを食い止めている――

 ときには、彼ら自身の命を消費しながら。


 一方で、魔王という要石を叩きさえすれば、魔王軍は統率を失って、ただのモンスターの群れに成り下がるという学者の意見があるらしい。


 だが、魔王は魔王領の奥深くにある魔王城にひきこもっているという。

 とてもじゃないが、人間側の戦力で戦線を押し返し、正規軍で魔王城まで攻め込むことは望めない。


 そのため、よく言えば機動作戦、悪く言えば決死隊として、勇者や聖女といった突出した英雄を魔王領に送り込む計画が進んでいるのだという。


 勇者は、「魔王を討ち取れば褒美は思うがまま」という言葉に釣られて。

 聖女は、「魔王さえ倒せばこれ以上苦しむ人がいなくなる」という言葉に釣られて。


 それぞれ、魔王討伐の決死隊となることを受け入れた。


 でも、正直言って、無謀極まりない計画だ。


 モンスターとして魔王領の内実を多少は知ってる僕からすると、今の勇者や聖女の力では、四天魔将はおろか、その下の十六魔傑にすら勝てるかどうかといったところだろう。


 だから――僕は強くなった。


 「逃げる」ために培った力と魔力制御技術を応用することで、僕は驚くほど多くのことができるようになった。


 僕は今、自分の身体を、湾曲したひらべったい金属の羽のような形にして、空を回転しながら飛んでいる。


 博識な聖女の知識には、辺境に住む狩猟民族が用いるという特殊な投擲武器の知識があった。


 ブーメランというらしいその武器の形を模し、僕は自力で空を飛んでいる。


 ブーメランフォームになったミスリルの身体を自力で投擲し、空を回転しながら飛んでいく。


 飛距離の伸びる形状を探り当てるのには苦労したが、流体としての金属の扱いと空気抵抗の扱いには若干通じる感覚があるように思う。


 このブーメランフォームは便利だが……くるくる回転するのは無駄な気がする。

 横に回転しながら飛ぶ鳥なんて自然界にはいないと思うし。


 最近はさらにフォームの改良を重ねることで、回転数を抑え、空を滑るように飛んでいくすべを模索してる。


 僕が空を飛んで向かってる先は――狂気の塔だ。


 十六魔傑サヴァイラズが支配するその塔は、周辺に毒気のある電波を放射する。

 その毒気に当てられたモンスターは凶暴化し、人間であっても諍いが増え、普段のその人では考えられないような粗暴なふるまいをするようになるという。

 電波自体に致死性はないが、だからこそ社会的な混乱を招くともいえる。


 罪のない人に罪を犯させるような邪悪な企みを、聖女が放っておく訳がない。


 聖女が狂気の塔攻略に向かっている、という情報を、僕は冒険者の会話を盗み聞くことでキャッチした。


 僕は慌てた。


 サヴァイラズは十六魔傑の中でも実力派で、奸智にも長けた頭脳派でもある。

 四天魔将に選ばれてもおかしくないくらいの実力者なのだ。

 他の十六魔傑と同じと思ってかかるのは危険である。


 毒気によって木々の腐った山の頂上に、目指す狂気の塔が見えてきた。


 僕は高度を上げ、その屋上に上空から近づいていく。


 いた。


 かつて僕のことを助けてくれた聖女。


 彼女とその仲間たちが、十六魔傑サヴァイラズと戦っている。


 サヴァイラズは聖女たちを圧倒していた。


 強烈な毒気によって動けなくなったパーティメンバーをかばうことを余儀なくされ、聖女は思うように動けないようだ。


 大きな二対の角を持ったサヴァイラズが、頭を大きく振り上げた。

 角と角のあいだに黒い稲妻が蓄えられる。


 あれはいけない。


 あの黒い稲妻は、塔から放たれる毒電波の、いわば原液。


 あんなものをまともに食らったら、いくら聖女に魔法障壁があるといってもただでは済まない。


『ゲハハハハ! 弱ぇ仲間をかばって死ね、聖女ぉぉぉおっ!!!』


 サヴァイラズが角を振り下ろす。


 間に合え!


 僕は一条の長い槍と化した。

 石突の部分で圧縮した魔力を爆発させる。

 爆音すら置き去りにする速度で、僕は天の方向から塔の屋上へと突き立った。


 サヴァイラズと聖女の中間地点だ。


 サヴァイラズから放たれた黒い稲妻は、僕という避雷針に吸い込まれ、狂気の塔経由で地上に逃げる。


『なん……だと?』


 サヴァイラズがその山羊顔を驚愕に染めて僕を見る。


 僕は槍への変形を解いた。


 球根型のデフォルトモードのミスリルスライムに戻った僕を見て、聖女がはっと息を呑む。


「その魔力は……まさか、あのときの」


 聖女の知識にある英雄叙事詩の主人公のように現れた僕だが、あいにく、気の利いたセリフを言える「口」がない。


「ぴぎー」


 ――あのときの恩を返しにきたぜ。


 そう言ったつもりなんだが、ちゃんと伝わったかどうかは自信がない。


「ぴぎ!」


 今度は、「サヴァイラズ、おまえを倒す!」。


 こちらのほうは、サヴァイラズには通じた。


 モンスター同士はある程度の意思の疎通ができるのだ。

 この意思の疎通を可能にしているのは、魔王が大陸中のモンスターにかけた桁外れの規模の情報伝達魔法なんだけどね。


 たとえ敵のものでも、使えるものは使えばいい。


『貴様……ミスリルスライム如きが、十六魔傑筆頭たる儂と戦おうと言うのか!?』


「ミスリルスライムさん……」


 背後で聖女がつぶやくのが聞こえた。


 そういえば、僕にはまだ名前がない。


 この戦いに勝ったら、聖女に名前をつけてもらおうか。


 魔王討伐の旅を続ける聖女の仲間となるにふさわしいだけの力は身につけてきたつもりだ。


「ぴぎい!」


『かかってこないのか、だと? ふざけおって! 魔王様に逆らうというのなら、貴様を儂の経験値に変えてやる!』


 怒りに任せ、巨大な角を叩きつけてくるサヴァイラズ。


 おっと、それは悪手だぜ。


 僕は角をひらりと避ける。


 これはべつに、修行の成果ってわけじゃない。


 ミスリルスライムならこんな大振りな攻撃は簡単に避けられる。


 角が天井に埋まり、サヴァイラズの動きが一瞬止まる。


 今だ!


 流体変化フォームシフト――浸透液銀。


 僕は、ミスリルの元素をバラバラになるギリギリまで結合を弱め、魔力の含浸したミスリル流体をさらさらの「水」に変える。


 水と言っても、本当の水になるわけじゃない。

 あくまでも水のように薄くなった流体の金属だ。

 この流体変化によって、僕の身体の体積は実に三十倍にも膨らんだ。

 全体の重さはそのままだが、密度が限りなく薄くなったということだ。


 このさらさらの水のような状態のまま――僕はサヴァイラズに降りかかる。


『ぬおっ……!?』


 サヴァイラズは避けようとするが、これだけの範囲に広がった「水」を振り払えるものじゃない。


 僕はサヴァイラズの全身に付着すると、サヴァイラズの表皮から身体の奥へと浸透を始める。


『ぐああああああっ!? いだぃぃぃいいっ! やめろ、儂の中に入っでぐるなぁぁぁあああっ!?』


 サヴァイラズの表皮は、十六魔傑だけあって防御力が高い。

 鱗や鎧で覆ってるわけじゃないけど、鋼のような硬さの毛に覆われてる。

 でも、いくら表皮が硬くても、その微小な隙間に入り込んでしまえばどうしようもない。

 サヴァイラズには毛穴の他にも、毒気を吐き出すための毒腺もある。


 え? 僕がサヴァイラズの毒気にやられることはないのかって?


 僕はミスリルスライムだよ。

 ミスリルだけで構成された僕の身体のどこに、毒の効く要素があるっていうんだい?

 もしミスリルスライムに毒が効くなら、冒険者たちはこぞって僕らに毒矢を使ってるはずだしね。


『ぐぎゃあああああ!!!』


 サヴァイラズがもがき苦しむ。


 「僕」はサヴァイラズの体内で大暴れだ。

 血管を破り、神経を傷つけ、内蔵を破壊し、骨を粉砕し、脳細胞を破壊する。

 サヴァイラズは自分の身体を凶悪な爪でえぐってまで僕を体外に排出しようとするが、悪あがきにすらなってない。


 ほどなくして、サヴァイラズはもはや機能することのないただの肉片の山と化していた。



《十六魔傑サヴァライズを倒した!》


《????はレベルが 35 に上がった!》



「そんな……十六魔傑をただのミスリルスライムが……!?」


 聖女のパーティメンバーが驚きの声を上げている。


 僕は自分の密度を元に戻し、球根型のデフォルトフォームになった。


 僕は聖女に向かって跳ね跳んで進み、聖女も僕に歩み寄る。


 空中で器用に僕をキャッチして、聖女が言う。


「……ありがとう。ミスリルスライムさん」


「ぴぎ」


「どういたしまして? ふふっ、まさかあなたに助けられるなんて思いもしなかったわ」


「ぴぎー」


「……何か不満が? ああ、いつまでもミスリルスライムさんではいやということですか」


「ぴぎー!」


 聖女は空を仰ぎ、しばし考えてから、



「――では、ミスリるという名前はどうでしょう?」

 


 聖女の後ろでパーティメンバーがずっこけた。


 実力と人格を兼ね備えた聖女だが、ネーミングセンスだけはなかったみたいだ。


 でもまあ、わかりやすくていいだろう。


 名前をつけてもらったミスリルスライムなんて、僕の他にはいないのだから。


「ぴぎー!」


「あら、気に入ってもらえたのね。これからよろしくね、ミスリる」


「ぴぎー!」



 ――こうしてミスリるは、魔王討伐を目指す聖女のパーティメンバーに加入した。


 この僕の加入が、魔王と人類の対決の台風の目になろうとは、このときは誰も予想すらしていなかったにちがいない。






――――――――――

最後までお読みいただきありがとうございました。

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