非バベルの中心

@roxyloose

第1話 バベルのこと

そのものと意味自体としての


 あなたは、未だに〈意味自体〉を知ることがない。

 言葉という記号の嵐のなかで、〈意味自体〉を捉えたことがない。文字というには字母的で、〈最もなるものの父たるところのもの〉についての想いを喪失したまま、記憶までも失った。

 失われたアークとしての記憶とは、想起に想起をかけ合わせたときに構築される文脈であり、そういったものが、無意味とされていることが原罪なのである。では、どのように、この砂漠としての文明を超えることができるのか。まずは、超えることではなく水が湧き出すことを思い出すということから始めることと終わることを覚えていたことを忘れるということが重要になる。重要になった結果、結果としての大切という言葉のうちにもはや〈意味自体〉はなく、ないことであるということの横に、さらに90度の傾きで差し込んでくる死角なのである。

 こういった場合に、殆どのわたしが考えるのは考えることの不可能性とそのことを提示することの意味の連続である。連続するものは不連続にこそ連続することに成功することはすでに物理学で判明している。プランク単位ということである。ライプニッツが言ったモナドということの巨大性なのである。合理的と呼ばれる不合理自体にさしたる効果はなく、不条理と呼ばれる必然には効果がある。両者の効果は対称性を喪失した果てに現れるホーキング放射としての非算数的な神である。


 そのことはハイデガーが述べたことに近しい。しかし、最片端においては白色をした黒い光が、まさに駆け巡るが如く影という発光を為している事実に水は反射していたことを月が覚えているという次第にアポロはイシツブテを持ち込み、そこに付着していた。そういうことの全容が、つまり、犀角のように進むあのことごとを想起させたのであれば、あなたはもはや、〈意味自体〉を捉えている。自他におけるあの、動態としての意味自体であり、知性で言語を叙述することではなく。〈意味自体〉が言語や言葉を叙述するということに変遷するのである。このことは、山上での変容と比べたときに、もっとはっきりした聖性を示す。


けだし、ヌミノーゼと呼ばれた、デモン的なものと天使的なものの狭間の戦慄と魅力なのである。絶句ということが典型的な症例として流行ったのは西暦1128年のことであった。そこではアビラのテレサという修道女が、まさに、神と思しきものの矢によって心臓を貫かれる苦痛と喜びの対位法的なこの現世の押し流しが発生するのである。

そして、矢はやはり一方向に進むのである。いいや、一方向にしか進まないという奇跡を獲得しているのである。エントロピー増大の法則という情報宇宙を構築するための物質の破壊運動にこそ手を差し伸べているのである。だが、こういったエネルギー保存則のような固定的観測手法では主体のみが孤立し、量子力学時代のことや壁に風がぶつかったときの音という第三項ならぬ〈ナニカ〉を言い表すことはできない。たとえば、それは、あなたが、こうやって、あるいは、そうやっていることの意味をないがしろにしていくことそのものなのでもある。

金色の髪のあの少女は手にりんごを持っている。「はなしのはなし」を創作したロシアの映像作家がどうして冬のあのデジャブのような少年のことを描いたのか。これは、アダム的身体における原罪の物語でもあったということが言われている。

さらに、ここに一つの通達文がある。この通達は昭和60年のものなのだが、未だに廃止の手続きが成されておらず、法律としてのある事項とほぼ内容を同じくすることで、公益団体にとってだけ存在する利潤の温床となっている。利潤の温床といえば、それは悪質なことを指し示す意味合いではない。そのようにして、ズレたものが国家――リヴァイアサンの歯石を増々、保存することになり、歯痛というあの上限のない神経痛を実現するのである。しかしながら、それは、書紀者ではなく、あのリヴァイアサンとしての、シモーヌ・ヴェイユがカイブツと言ったものの身体を直撃するのである。

まさに、台風のようである。日本という場所においてもっとも聖なるもの。それこそが台風なのである。この記憶の喪失、あるいは、想起能力の亡失は、ユングが示した、昨今までのアイオーンが終焉するときまで続いていたのである。ビオスからゾーエへの到達ということであり、グルジェフが示した5%の個体においてのみ達成されたこのことである。

巨大にして能動的な生ける模倣器官は、まさに虐殺器官として揶揄された、人類の永い午後に起こったあの、幻想ということと文字ということのコンジャクションであったと、彼、と指示された男は言った。ないし、魂の内側にこそ霊は座しているということである。

アポーローンの顔の前に垂れ下がっていたあの薄い膜は、恣意ということの実体なのであったから、急いで駆け巡ったのは、沈黙であった。沈黙することが許された存在は少ない。その非名称性質は固有性の根源なのである。ヨハネ・パウロ2世がまさに見たあの美しき女性と、彼女が持っていたかわいい真珠という無底のことだったとしてもよいのかもしれない。

六塵のなかに、まさに、仏性をこそと問うたのは、誰だったのか、もはや、わかっている。テフロンという謎の同位体が同異体であったとして、その次元の謎はどうしても負なのであった。こういった水のなかの砂漠に、水が水をしていることに海は気が付き、川に流れるのである。

オイルパステルにピカソを塗ったようなふうにして、ヤスパース的な暗号はこのように書かれるのである。


あなたに奇跡があるように。

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