第6話 平太丸、十郎に会うこと



   三



 平太と次郎丸、それに郎党のすけ丸は、すばしこく路地裏を走り抜け、ついに悠々と流れる大河、相模川さがみがわに出た。


 日の勢いは盛んで、汗だくだくの三人は、しゃちほこばった衣を脱ぎ捨て、次々と水のなかに飛び込んだ。

 平太には水心がある。

 波に遊びながら、はるか高くまでそびえ立った白雲が、眩しい光を放っている様子を見あげた。


 しばらくのあいだ、心のままにぷかぷか浮かんでいると、小舟が一艘、こぎよせてくるのが見えた。

「上達したなァ」

 聞きおぼえのある声――平太が水のなかから顔をあげると、そこには、会いたかった人の顔があった。


「十郎兄者っ」

 真っ黒に日焼けした、十代後半の精悍な青年である。

 梶原かじわら十郎――平太たちに水練の技を教えてくれたのも、この十郎兄であった。

 三人の童は、腕を助けられて、舟の上にあがりこんだ。

「おい、海釣りにいくか」

 ……誘われた途端、童たちの目は輝いた。

「うんっ、行く」


 小舟はすべるように相模川をくだりはじめた。

 川幅がどんどん広がってゆく。

 潮の香りが強くなってゆく。

 水の色が次第に、濃く、深くなってゆく。

 ついには輝きわたる海原が、視界いっぱいに広がり、その眩しさは、目を開けてもいられぬほど――

「海だっ」と、童たちは快哉を叫び、たちまち楽しげな笑い声が、青空いっぱいに弾けわたった。


 東のほうには、亀の甲羅のような、江ノ島。

 南の沖には、鮫の背びれのような、烏帽子岩が突き出ている。

 木の葉のように沖に浮ぶたくさんの小舟は、網人あみうどたちの漁船だ。


 大きな相模川が、相模国じゅうの大地の養分を集めて運び、この海にむかって一気に放出する。

 河口には大小さまざまな魚類いろくずが集まり、海草も大貝小貝もよりどりみどり。

 巨大な鯨が塩を吹き、いるかも自在に跳ね回る。

 まさにここは漁人たちの天下、まごうことなき、豊穣の海であった。



 十郎が心地よげに、ぴゅう、と口笛を吹いた。

 すると子供たちはすぐに真似をして、唇をすぼめ、しゅうしゅうと変な音を出しはじめた。

「ハハハ、なんでも真似したがるな。いいか、こうやるんだぜ」


 口笛を教わっていると、南のほうから、ひときわ大きな船団が、のったり、のったり、四角い莚帆むしろぼを広げ、波の光にゆらめきながら近づいてきた。

 舷側に、たくさんの漕ぎ手が座り、長いを握って働いている。


「おっきな舟」

 次郎丸が叫ぶと、十郎は教えた。

「あの船はな、神の国、伊勢いせ太神宮だいじんぐうから帰ってきたのさ」

「伊勢太神宮?」

「海のはるかむこうさ。あの船は、伊勢太神宮と大庭おおば御厨みくりやとを往復するんだ」

「大庭御厨?」

「何にも知らねぇな。よし、教えてやる」

 十郎は船尾に飛びあがり、北から南へ、今くだってきたばかりの相模川を指さした。


「見ろ。相模川より西が、国府のある大住おおすみ郡だ。川より東の広い広い土地が、大庭御厨だ。御霊ごりょうさまが切り拓いた、広大な土地だ」


 御霊さまとは、鎌倉権五郎のことである。

 没して後、はや数年を経ていたが、開拓魂にあふれ、猛烈果敢だったこの男は、今でも伝説的存在として語り継がれ、一族の祖神と崇められている。


「御霊さまは大庭御厨を、伊勢太神宮に寄進した」

「どうして?」

「そのほうが都合がいいからな。大庭御厨は伊勢神宮領になったが、実質は鎌倉一族の支配地となったんだ。伊勢神宮領と聞けば、文句を言う奴がいなくなる」

「ふむう……」

 わかったのかわかってないのか、平太は生返事をした。


 それを見た十郎は笑いながら、平太が理解できるような単純な言い方で、はぐらかした。

「伊勢の神さまが、俺たちを守ってくれるってことさ」

「ふうん」

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