第27話 愛称と真夜中の会話~唯人~


 声を出さないように泣いていた谷岡から寝息が聞こえ始めた頃、俺は後ろからそっと様子を伺うと涙が残る目尻を指先で拭ってやる。


 こんな事をしたって、何の慰めにもならないのはわかっている。こんなのただの自己満足だ。


 眠ってしまった谷岡をベッドに残して、俺は廊下に出た。


 音を立てないようにドアを閉めると、足音に注意しながらリビングへと向かった。


 冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをグラスに注ぐと、一気に飲む干す。


 谷岡が家族と確執がある事は薄々気が付いていた。けれど今夜、谷岡の口からはっきりと聞いた。


 アイツは感情的になる事はなく、最初から最後まで淡々と単なる事実を伝えたと言った感じだ。だが、いくら事務的な口調を装っていても谷岡が複雑な感情を強く抑え込んでいるのが、掴まれた腕から伝わってきた。


 泣いている事を知られたくなくて、声を押し殺してこんな時まで可愛くない憎まれ口を叩く谷岡をめちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。


 まだ、アルコールが残ってるみたいだな。熱くて仕方ない。


 顔の熱さをアルコールのせいにして、俺はもう一度グラスにミネラルウォーターを注ぐと再び一気に飲み干す。


 「ソレ、僕にも貰えます?」


 聞こえた声に反射的に体が強張った。


 警戒心もあらわに、声の主を見るとソイツはちょっと傷付いた顔でこちらを見ていた。


 「そんなに警戒しないで下さい。僕は一応、ストレートな方とパートナーがいる方には手は出さない主義なので」


 「…ソレはさっき聞いた」


 聞いたからと言って、安心できる訳じゃないけどな。


 「美桜ちゃんと絶交なんてイヤなんで、貴方には絶対に手は出しませんよ」


 「…そうして貰えると助かる」


 俺は別のグラスを取り出すと、ミネラルウォーターを注いで藤ノ院に渡してやる。ただし、距離をとって腕を精一杯伸ばした状態だ。


 「手を出さない」と言われても警戒する俺から藤ノ院は苦笑してグラスを受け取った。


 藤ノ院がグラスの中身を飲み干したタイミングで、俺は話しを切り出した。


 「藤ノ院さんは…」


 「『さん』付けはいらないですよ。僕も貴方の事を『ゆいゆい』って呼びますから」


 「やめてくれ」


 「冗談です。『みっちー』にしときます」


 どっちも同じにしか思えん。でも話しが進まないから、呼び方に関しては一旦脇に置いておこう。


 「藤ノ院はどうしてアイツの為にそこまでするんだ?」


 前回の急な頼み事を引き受けた事と言い、今回の事と言い…家族以上の友人とは言え、藤ノ院の谷岡に対する対応はかなり優遇されていると思う。


 「美桜ちゃんは恩人だから」


 命を助けて貰ったとか、そう言う意味合いではないのだろう。


 「僕、物心ついた頃から男の子が好きだったんですよ」


 その事については谷岡から聞いているので、改めて本人の口から聞かされても驚きはしない。


 「その時はまだ『友達』として、だと思ってました」


 そうとう早熟でもない限り、幼い頃に恋を自覚する奴は少ない。まして同性同士ならどれだけ好きでも『友達』だと思うだろうな。


 「中学生にもなれば、恋バナの一つや二つはするじゃないですか。同じクラスの○○さんが可愛いとかタイプだとか、そんな話し。僕、アレ苦手で…が話すのは『女の子』の話しばかりだから、『男の子』が好きな自分はおかしいってさすがに気付きましたよ」


 周りのと自分のが違うと言う事は十代の子供にとっては不安と恐怖でしかない。そして、ソレは異物と見なされ、排除される事だってある。


 「誰にも言えませんでしたよ。彼らだっての友達に恋愛対象として見られてるなんて知りたくないでしょう」


 「そうだな」


 カミングアウトする相手はしっかり選ばないと間違えたら致命傷だ。


 「悩みに悩んでた頃、久しぶりに会った美桜ちゃんに『なんか悩んでる?』って聞かれたんですよ」


 谷岡はヘンに鋭いところがあるからな。


 「何にもないよってごまかしても無駄でしたね。美桜ちゃんは『何かあるでしょ』って。でも、無理には聞いてきませんでした」


 谷岡は藤ノ院が自分から話してくれるのを待つ事にした訳か。


 「強がったはいいものの、やっぱり駄目でしたね。すぐに苦しくなって結構あっさり美桜ちゃんに話しちゃいました」


 軽い口調で話しているけど、当時はかなりの葛藤があった筈だ。


 「『璃桜君は璃桜君。私の友達』だと言って、今まで通りに接しくれたんです」


 その言葉はきっと谷岡の本心だ。


 「家族にカミングアウトする時も隣にいてくれて、最終的に家族を説得してくれたのも美桜ちゃんです」


 「だから、美桜ちゃんは僕個人のと言うより、藤ノ院家の恩人ですね」と笑う。


 なるほどな。藤ノ院が谷岡を優遇する理由が理解できた。でも多分、それ以上に二人が硬い友情で結ばれているのも本当なんだろう。


 「その恩人が知らない間に結婚してたんだから、当然どんな人物なのか気になるじゃないですか」


 顔は笑っているが、目が笑っていない。


 もし、俺が谷岡に相応しくないと判断したら、藤ノ院は俺と離婚するように谷岡を説得するつもりだったんじゃなかろうか?


 「俺が藤ノ院に認められた理由って何?」


 藤ノ院が俺を排除ではなく、一応だと思うが認めた理由を知りたかった。


 「美桜ちゃんが貴方を家族に会わせていないようだったから」


 「…それは理由になるのか?」


 到底、理由になるとは思えない理由だ。


 「なりますよ。貴方をあの家族、特に妹に会わせたくないと思ってるって事は、それだけ美桜ちゃんが貴方の事を好きって事だから」


 …今、わりと重要な事をさらっと言われたような気が…


 「ので、みっちーはこれからもあの家族に会わないでいて欲しい。何より、美桜ちゃんの為にね」


 あ、その呼び方は確定なのか。最初に『みっちー』呼びを拒否しなかったせいか?


 俺は呼び方について後回しにした事を後悔した。


 何にせよ、藤ノ院の忠告を覚えておく事にする。

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