第25話 密会とカミングアウト~唯人~


 椿の店のプレオープンから数日後、俺は割烹料亭の個室である人物を待っていた。


 今夜、人に会う予定を谷岡に伝えると谷岡は「…ああ、はい」と興味なんかまったくないと言った返事をされた。アレは多分俺の女遊びが再発したとかなんとか思っただろうな。誤解されたままでは不名誉なので、後で誤解は解いておこう。


 「水島様、お連れ様がいらっしゃいました」


 考え事をしている間に待ち合わせ時間になっていたらしく、襖の向こうから店員が控えめに声をかけてくる。


 「ありがとうございます。お通しして下さい」


 俺が返事をすると、すぐに襖が静かに開けられて待ち人が姿を現した。


 「ご足労頂いて、ありがとうございます。藤ノ院さん」


 「お約束通り、ご連絡を下さって嬉しいです。水島さん」


 俺がここで待ち合わせをしていた相手、それは藤ノ院璃桜。その人だった。


 藤ノ院を案内して来た店員に料理を頼むと、俺は藤ノ院に座るように勧める。


 「さすが、水島商事の専務さんですね。いいお店をご存じだ」


 「ありがとうございます」


 ここは素直に礼を言っておこう。話しの流れ次第では相手と喧嘩する可能性もあるからな。


 料理より先に来た瓶ビールを互いのグラスに注ぎ合うと、儀礼的に乾杯をする。


 口の中を湿らせる程度にビールに口をつけると、グラスを卓上に戻した。


 「藤ノ院さんは今日はお仕事は?」


 「一件だけでしたから…朝からだったんですけど、午後の早い時間に終わりました」


 「そうでしたか」


 料理がすべて揃うまで、俺と藤ノ院は当たり障りのない会話を続ける。


 料理がすべて揃うと、運んで来た店員が「どうぞ、ごゆっくり」と頭を下げて部屋から出て行った。


 これでようやく本題に入れる。


 「水島さん、貴方本当に美桜ちゃんと結婚してるんですか?」


 店員が歩き去る気配が消えるや否や、そう切り出して来たのは藤ノ院だ。


 「してますよ」


 はだけどな。それは言う必要はないだろう。


 「に交際して結婚に至ったと?」


 「それに何か問題が?」


 交際期間なんかまったくないが、俺は動揺する事なく切り返す。


 「いいえ、ただおかしいなと思って…」


 「何がです?」


 目線で、言葉で、こちらの事を探る藤ノ院に俺は精一杯の平静を装ってみせる。


 「僕は美桜ちゃんから貴方とお付き合いしてるって聞いた事ないんですよね。仮にお付き合いしたとしても美桜ちゃんがを結婚相手に選ぶなんてあり得ないと思って」


 ってなんだよっ!どう言う意味だよっ!


 「友人でもすべて包み隠さず話しをしている訳ではないのでは?それに、いくらあり得ないと言っても現に彼女が結婚しているのは私です。それとも彼女は藤ノ院さんこそを選んだ筈だと?」


 俺は自分の感情をぐっと抑え込むと、淡々と藤ノ院に聞き返した。


 「…いいえ、選ばないでしょうね」


 てっきり「もちろん」と自信満々に答えるとばかり思っていたが、谷岡が自分を選ばないとの返答は予想外だ。


 「彼女が自分を選ばなかった八つ当たりをしたいんですか?」


 俺は藤ノ院がどんな行動を起こしても対処できるように身構える。


 「いいえ。むしろ美桜ちゃんが結婚して喜んでます」


 身構える俺の警戒心をほぐそうとするかのように、藤ノ院は柔らかく笑う。その笑顔は本当に心から喜んでいるように見える。


 「何故?」


 「何故?と言うのはどう言った意味で?」


 「藤ノ院さんは彼女の事を好きなんじゃないですか?」


 俺の質問に藤ノ院は虚を突かれたようにぽかんとした顔になる。


 「確かに僕は美桜ちゃんの事は大好きですけど、それはあくまで友人としてです」


 「恋愛感情はない、と」


 「はい」


 俺の探るような視線を受けても藤ノ院はまったくもって冷静だ。


 笑って返事をする藤ノ院をじっくり見ても、藤ノ院が嘘をついているのか、本当にそう思っているのか、俺には判断する事ができない。


 「ところで、水島さんは美桜ちゃんのご両親に結婚の挨拶に行ったり、家族の話しを聞いたりはしましたか?」


 「…いいえ、挨拶はしなくていいと頑なで…家族についてもあまり…」


 なんなんだ、この質問。藤ノ院コイツの目的がまったく読めない。


 「水島さんにお願いがあります」


 「…なんでしょうか?」


 先程までのふんわりとした雰囲気ががらりと一変させて、まるで鋭いカミソリのような雰囲気を纏う。


 「このまま、美桜ちゃんの家族には会わないで下さい。もし、万が一美桜ちゃんの家族に会ってしまったら美桜ちゃんを守って下さい。特に妹から」


 突然『谷岡の家族には会わないでくれ』と訳のわからない頼み事に俺は眉間に皺を寄せる。しかもから『谷岡を守ってくれ』と?


 「…理由は聞かせて貰えるんですよね?」


 理由も聞かせて貰えず、ただ一方的にそんなお願いをされても「はい、わかりました」と従える訳がない。


 「僕からは話せません」


 「…藤ノ院さん、理由も聞かずに貴方の頼みを聞く程、我々は親しい間柄ではありません」


 「理由も話さず頼み事だけ聞いてくれなんて、自分でも図々しいと思っています」


 一応、図々しいとは思っていたのか。向こうが言うつもりがないなら、言わせるまでだ。


 俺は藤ノ院のグラスに次々とビールを注いで、それを飲ませる。


 アルコールが回れば、口も軽くなるだろう。


 …安易にそんな事を考えた数分前の自分を責めたい。


 藤ノ院は最初にグラスに注いたビールを半分程飲んだ所で、畳の上にぐんにゃりと伸びてしまった。


 驚いて藤ノ院の状態を確認したが、ただ単に寝ているだけで心配したような事ではないので、ひとまず安心する。藤ノ院はアルコールに弱い体質のようだった。


 さすがに藤ノ院を店に置いて行く事はできない。店に迷惑になるしな。自宅…の住所は当然知らないし、ビジネスホテルで寝かせておけばいいか?


       ※            ※


 「…状況を説明して貰えますか?」


 「状況も何も、見たままだよ」


 ビジネスホテルに寝かせておくつもりだった藤ノ院を俺は自宅に連れ帰るハメになった。


 ビジネスホテルの前までは実際連れて行った。けれど、部屋を取って藤ノ院だけを置いて帰ろとすると、何故かすごく強い力で藤ノ院が俺にしがみ付いてくる。何度引き離してもしがみ付くと言うやり取りをホテルのフロント前で繰り広げていると、ホテルのフロント係から言い方は丁寧だったが暗に『出て行ってくれ』と促された。


 仕方なく自宅に連れ帰るハメになった。本当は谷岡に藤ノ院コイツに会った事を知られたくなかったんだがな。


 「璃桜君、お水飲む?」


 リビングのソファーに座らせた藤ノ院に谷岡は声をかける。その呼びかけに「あー」とも「うー」ともつかない返事を藤ノ院は返した。


 「そんなに飲んでないみたいですし、一晩ぐっすり寝れば大丈夫だと思うので、私の部屋に寝かせますね」


 「お前はどこに寝るんだ?」


 「一人暮らしの時の布団があるので、床に布団敷いて寝ます」


 「自分の部屋にか?」


 「そうですけど?」


 どうしてそんな質問をされるのか、まったく理解できないと言った顔をされる。


 「そう言う場合はお前が俺と同室か、俺と藤ノ院が同室だろう?」


 「えっ!?なんでですか?」


 素で聞き返すか?ソレ!


 「お前は俺と結婚してるだろうがっ!」


 「確かにそうですけど、専務と同室より璃桜君と同室の方が私的には安心ですし、何より専務と璃桜君を同室にするのはちょっと危険がデンジャーな感じなので…」


 危険がデンジャーって…意味一緒だろ…


 「意味がわからん。とにかく運ぶぞ」


 ソファーにぐってりと座る藤ノ院の肩を揺らしながら声をかける。


 「藤ノ院さん、ベッドに行きましょう」


 立ち上がった際に藤ノ院がバランスを崩したらしく、ふらりと俺の方へ倒れ込んできた。思わずその体を受け止める。視界の隅で谷岡がぐっと親指を立てているのが見えた。


 お前は少し自重しろっ!俺はお前の夫で、相手はお前の幼馴染みだろうがっ!妄想劇場に巻き込むんじゃねぇっ!


 「水島さん…」


 少し酔いが覚めてきたみたいだな。この分なら自分で歩けるか?


 「貴方から誘ってくれるなんて…嬉しい」


 今夜の食事の事か?お互いに谷岡に関する事で話しがあったからに過ぎないのに『誘って貰えて嬉しい』って…友人が少ないのか?


 「貴方ともっと仲良くなりたいな…」


 耳の中に吹き込むように囁かれた言葉の合間に、藤ノ院の手が俺の腰の辺りを撫で回している。その瞬間、俺の頭の中の回路が一気に繋がったような感覚を覚えて、反射的に谷岡へ藤ノ院を押し付けていた。


 「…谷岡、もしかして藤ノ院は…………………………………同性が恋愛対象なのか?」


 かなり躊躇ったが、それでも俺は一息に聞いてみた。


 頼む!違うと言ってくれ。


 「……………………璃桜君のプライバシーに関わるので…」


 即答しなかった時点で、答えは決まってるじゃねぇかっ!お前が言ってた危険がデンジャーって『俺』の方がって事か!そう言う事は早く言えぇぇぇっ!

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