第10話 言えてないお礼と言えない妄想~美桜~


 熱を出して、こんなにいい気分になったのは初めてかもしれない。


 手作りのあったかいプリンを食べたり、髪が乾いていないからと人に髪をドライヤーで乾かしてもらったり、梳いてもらったのは、物心ついてからは初めてだったからどうにも落ち着かなくて、体を左右に動かしてしまっていた。


 しかも、それらをしてくれたのがあの専務だって言うんだから、驚き過ぎてどう反応していいかわからなかった。


 熱を出した妹さん達の世話をしていたと言う言葉通り、専務は慣れた様子で私の世話をしてくれた。


 「お礼、言えてない…」


 それに、心配してくれていたっぽい専務に『いたんですか』といたら迷惑的な事を言ってしまった。さすがに少し怒っていたみたいだった。


 そんなつもりで言った訳じゃないんだけど…


 病気の時に、人に世話をしてもらう事がくすぐったくて、落ち着かなくて、あんなに嬉しく感じるなんて初めて知った。


 一晩ぐっすり寝たら熱は下がっていたから、出社するつもりでいたら専務に「まだ、本調子じゃないんだから寝てろ」とベッドに押し戻された。


 その専務は「お昼ご飯は冷蔵庫にある」と言うと、自分は仕事に行った。もちろんお昼ご飯は美味しく頂いた。


 「困った…」


 妹さん達のわがままに付き合った結果とは言え、専務が意外と優しくしてくれるのが困る。一番困っているのはアレコレ世話を焼いてくれる専務の事を嫌だと思ってない自分にだ。


 ベッドの上で、昨日の出来事を思い返してみては落ち着かない気分になり、ゴロゴロと右に左にと寝返りを打つ。


 「本当に、困る…」


 こんな結婚生活、長続きする訳ないから早く離婚するのが目標なのに、こんな事されたら『もうちょっとだけいいかな』なんて思っちゃうじゃない。


 本当にあの手料理と意外な面倒見のよさは卑怯だわ。お顔のいい専務にこんなに甲斐甲斐しくお世話されたら私以外の女子は絶対に惚れてしまうかもしれない。


 専務が私が思っている通りの人だったなら、こんなに困る事なんてなかったのに…


 はっきり言って、あの美味しい手料理はかなり捨てがたい。これから先『好物を作って食べさせてやるから○○しろ』って言われたら、本気で悩む。そして、断りきれない自分をリアルに想像してしまって、地味にヘコむ。


 そうこうしているうちに、玄関のドアが開く音がした。時計を見ると午後七時前。専務が帰宅したのだろうか?随分と早い。


 足音は私の部屋の前を通り過ぎて、専務の部屋に入って行った。でも専務が自室にいたのはほんの二、三分ですぐにリビングの方に向かう足音が聞こえてきた。


 私が寝ていると思っているみたいで、極力音を立てないようにとしてくれているのがわかる。このまま気を遣われているのも居心地が悪い。


 起きて、手伝おう。


 起き上がり、リビングに向かう。中に入ると、やっぱり専務がキッチンで夕飯の支度をしていた。


 「お、具合はどうだ?」


 私が声をかけるより先に、専務が私に体調を聞いてくる。


 「今日一日、休ませて頂いたので大丈夫です」


 「そうか」


 そう喋っている間も専務は手を止めずに夕飯を作っていく。


 「手伝います」


 「いや、こっちはいい。それより、テーブルの上の片付けを頼む」


 「わかりました」


 料理の手伝いは断られたが、言われたようにテーブルの上を片付ける事にする。と、言ってもテーブルの上には今日の新聞が畳んで置いてあるくらいで、それをマガジンラックに放り込めば片付けは完了する。


 それだけだと、手持ち無沙汰で箸や茶碗を用意しておく。


 「ついでに、これもテーブルに並べてくれ」


 対面式のキッチンの向こうから、専務がお盆を渡してくる。お盆の上にはあっさりとした和食中心の料理が乗っていた。


 お盆を受け取った私はテーブルにそれらの料理を並べていく。私が作るより美味しそうで、なんとなく悔しい。


 仕事ができて、料理も上手い。おまけに面倒見がよくて、そこそこ優しいとか…BLに登場させたら、なかなかハイスペックないいキャラクターだと思うのよねぇ~


 「やっぱり、王道な俺様攻め?でも、強気誘い受けもよさげ…」


 「妄想をただ漏れに垂れ流しにしてんじゃねぇよ」


 後頭部をスパンと叩かれ、私は妄想を口にしてしまっていた事に気が付いた。


 「俺をお前の趣味に登場させるなっ!」


 「今更ですね」


 「ちょっと待て。お前、今まで何回俺をその妄想劇場に登場させた?」


 そんなの覚えていない。専務の秘書になってからは専務を仮想秘書(男性)とよく絡ませて楽しんでいた。特に専務に怒られた時は夜の下克上妄想で溜飲を下げたな…



 「専務にはどうして厚みがあるんでしょうかね?」


 「お前、俺が三次元に存在する事を否定してるのか?」


 「いえいえ、二次元だったら最高なのになって思った事は数多あまたありまくりです」


 専務に厚みさえなければ…コレ、偽らざる本心だ。


 「絶対にお前の妄想劇場に俺を登場させるな」


 「ん~」


 はっきり言ってそれは無理。だってそれは『呼吸をするな』と言っているのと同義だから。

 でも、それは言わない。私は素知らぬ表情でごまかす。


 「本当にやめろよっ!」


 私の表情に不穏なものを感じたらしく、専務が念押ししてくるけれど、私にとっては馬耳東風。馬の耳に念仏。


 やめるなんてできません。


 と、言う訳でこれからもがっつりと妄想させて頂きます。

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