第39話 貴族としての闘い方



 息子マイゼルに従って屋敷に戻るか、それとも彼らのご飯を作ってあげるか。どちらがいいのかなんてもう、考えなくても分かりきっている事だ。

 私は私に嘘をつかない。私のためにも、私を庇ってくれた二人のためにも。

 その上で、彼らを貴族が振りかざす権限から守る術を臆せずに講じるのだ。

 目を伏せて、息を吸ってゆっくりと吐く。


「マイゼル」


 彼を呼ぶ声が、少し震えたかもしれない。自覚して一度奥歯を噛み締める。

 ギュッと両手の拳を握り、いつ振りかに息子を真っ直ぐ見つめ返した。


「私はもう、帰りません。それもこれも貴方のためです、マイゼル」

「は?」

「一度捨てた人間を再び屋敷に入れるだなんて、ドゥルズ伯爵家の名折れ。少なくともザイスドート様はそうおっしゃるわ。このような事、言うまでもない事でしょう?」


 気位の高い貴族相手に、遠回しに窘めすかす。


 彼のような成熟し切っていない思考で行き当たりばったりな行動に出る人相手には、指針にすべき目上を出すのが最適だ。

 実際にザイスドート様がどう言うかなどは、問題ではない。

 それっぽく聞こえさえすればいい。そうかもしれないと思ってくれれば、彼のような人間相手の意思決定は簡単に揺らぐ。


「――屋敷にお帰りなさい、マイゼル。貴方がこのような場所に来ているとザイスドート様に、レイチェルさんにもし知れたりしたら。どんな理由であろうとも、どう思われるか分かりません。貴方だって棄てられたくは無いでしょう……?」


 背筋を伸ばし、手を前で重ね、少しだけ眉をひそめて告げる。


 マイゼルの事だ、おそらくザイスドート様たちには今日の事は言っていないだろう。そもそも公的なようも無く平民街に出る事なんて、彼らが許すはずがない。


 私の言葉に、彼は僅かに反応を示した。大方図星だったのだろう。

 それを見て、私はこう言葉を続ける。


「全てを秘密に。くれぐれもバレるような事の無いように。急いで、静かに帰りなさい」


 言い聞かせるというのでは、彼相手では反感を買う。反発させないようにするために、あくまでも私の都合ではなく「貴方のため」を演出した。


 

 俯いた彼は「一理ある」と思ったのだろう。床から無言で立ち上がり、そのままクルリと踵を返す。

 彼の先にあるのは出口だ。その向こうでは、主人の帰宅を察知した執事が礼をもって彼を迎え入れる体勢に入る。


「そのような事、言われなくても分かっている! まったく、無用な時間潰しをした……」


 忌々し気に、歯噛みするように、彼はそう言葉を零した。


 店からドカドカと出て乱暴に馬車へ乗れば、扉が閉まった。こちらに向かってゆっくりと一礼した執事が、最終期まで私を気遣ってくれていた執事だと気がついたのはこの時だ。


 鞭の音がして、カラカラと馬車の音が去っていく。見えなくなるだけでは足りない。開いたままの扉の向こうから音が聞こえなくなってようやく、ホッとした。

 とりあえず目下の危機は去った。少なくとも今回のディーダの件に関しては漏れる事はないだろう。


 それまで無理やりに着込んでいた貴族の薄皮が、ぐにゃりと外れて腰が抜けた。膝から床にへたり込み、崩れた布の束を呆然と眺める。

 心臓がドクドクと鳴っている。上から差し込んだ影を見上げれば、呆れ顔のディーダとノインの二人の顔があった。


「なっさけねぇなぁ」

「立ちなよ、とりあえず。バイグルフが返ってくる前にこの布片付けないと、色々聞かれて面倒だし」


 憎まれ口を叩きながらも二人して手を差し出してくれている辺りが、優しいのだ。


「そう、ですね」


 言いながら、右手をノイン、左手をディーダへと伸ばし、頼もしげな小さな手と手に安堵した。


 今回は二人が居たから、来たのがマイゼルだったからどうにかなった。

 もし誰も居ない時に、彼が来ていたら。来たのがもし、ザイスドート様やレイチェルさんだったら。

 間違いなく今回は幸運だった。



 でも、その幸運にただ安堵するだけではもういられない。根本的な解決ができた訳ではないのである。

 既に二人を巻き込んでしまった。この場所が割れている事も分かってしまった。

 ならば、自衛のために私がすべき事、出すべき勇気など一つだ。


 これまで彼らが、この街がくれた感情を胸に、私は一つの決意をする。

 グイッと引っ張り上げられて立たせてもらったお礼を二人に言えば、「ところでお前」と言いながら、ディーダが片眉を上げた。


「さっきのが息子って、お前、一体何歳だよ」

「えっと、今年で二十九歳ですけれど……?」


 それが一体どうしたのだろう。

 思わず小首をかしげると、二人は顔を見合わせた。


「え、もうババアじゃん……」

「ひっ、ひどい……!」


 ピッタリとハモッてみせた事から、二人の総意が自ずと知れた。


 たしかに昔から「童顔だ」とは言われるけれど、その言い方は流石に失礼だ。

 思わずムッとした私は、とりあえず今日のご飯は肉は少なめに盛ろうと決めた。



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