第38話 ノインの毒舌



 たとえば地に頭をこすりつけながら私が許しを乞うたなら、私が彼の元へと戻り一生飼い殺しになると言えば。


 一瞬頭をよぎった選択肢は、まるで私を守るように立つ二つの影に両断される。


「ピーピーピーピーうるせぇなぁ! リアが帰りたくないって言ってんだよ! 帰らない一択だバーカ!」

「バッ?! き、貴様にもその女にも、そもそも選択権はなどというものは存在していない! 俺が帰ると言ったら帰る、それがこの世の道理だ!」

「何その道理、聞いた事ないけど」


 キッと二人を睨みつけ、呻くように「きっ、貴様……!」と歯軋りをするマイゼルは、きっと内心、怯んでいる。

 しかしここで屈する事は、彼の貴族としてのプライドが許さないのだろう。すぐに我に返り「部外者め」と罵り続ける。


「この高貴な血を、薄汚れた平民風情がバカにするだとっ?!」

「あぁ? その血とやらで腹が一杯になるのかよ! 出来るってんなら今すぐにでも、それだけで平民街で生きてみろ!」


 孤児の貧民である彼らにとって、血統や身分などおそらくピンと来ないのだろう。何の羨望も嫉妬もなく、売り言葉に買い言葉でディーダが言い返す。


 対して、貴族にとってはそれらは、言わば自身の証明にも等しい。

 特に伯爵家ともなれば、ギリギリ上級貴族である。

 私は子爵家から伯爵家に嫁いだけれど、それでも嫁いだ後は明らかに周りの目が変わった。生まれてこの方ずっと伯爵家の一員で居れば、周りから羨望を集め敬われるのは最早当たり前だろう。

 マイゼルだって自分の主張を曲げるつもりなど更々無い。


「この女は、何の価値もないお荷物だ! 目立つ事を嫌い、口も下手で、だからといって何の取柄も無い。家に利を齎さない正妻は居るだけ無駄だ! 邪魔だ! そんな女を――」

「アンタが要らないなら、それこそここに置いていってよ」

「……は?」


 話す内に段々と興が乗り始めていたマイゼルに、ノインが横から水を差した。

 理解不能だとでも言いたげな表情に対し、ニコリと良い笑顔を浮かべたノインを見て感じたのは、愛想ではなく怒気だ。


「ボクたちにとっては、リアは有用なんだよね。掃除も洗濯もするし、ご飯も作るしお金も稼ぐ。たまに口うるさい時もあるけど、ソレはまぁ許容範囲だし。だから安心していきなよ」

「それは貴様が決める事じゃな――」

「それにソレ、アンタの言葉じゃないよね多分。うーん、『正妻』って事は別の女? ……あぁ、そうなんだ」


 ノインは、本当に察しが良い。目算で彼の裏事情を言い当てた上に、マイゼルの表情の変化から「自分の目算は間違っていなかったと」更に確信を得たようだった。

 事実、彼の言葉には私も多くの既視感がある。どれもこれも、日々レイチェルさんが私に言い続けてきた事だ。


「でもさそれ、本当に事実だと思ってる?」

「は?」


 口元に手をやりクスリと含み笑いを浮かべたノインの薄桃色の目が、マイゼルに容赦なく突き刺さった。


「その女はね、多分リアが羨ましくて妬ましかったんだよ。だからリアの事を虐めた。アンタの事を、リアへの攻撃に使ったんだよ。可愛そうだなぁ、アンタ。そんな事にも気付かないなんて。でも気が付いたのに、全く気がつかなかったんだ?」


 彼のこの見解には、私も目から鱗だった。しかし聞かされて見れば妙にしっくりとくる話でもあった。

 しかし驚いたのは、きっと私だけではなかっただろう。

 マイゼルも、自分が利用されたなどとは露ほども思っていなかったようだった。驚き、否定しようとして、しかし証拠がないと気がついたのか、目が泳ぐ。


 動揺しているのは明らかだった。

 その動揺を見逃すほど彼らは優しくない。敵を追い詰め、畳みかける。


「リアを捨ててくれてありがとう。お陰でボクたちは、快適だ」

「もうこいつは俺達のだ、お前なんかに渡す義理はねぇ」


「こいつは俺の飯炊き係だ」

「こいつはボクの飯炊き係」


 ピッタリ揃った独占欲と食欲が絶妙に混じり合ったこの言葉を、私は「とても彼ららしい言葉だ」と思った。


 彼らにとってご飯とは「生きるために必要なもの」だ。しかし私に出会う前までのように調理が不要な食材や出来合いのものを買う事でも、その基準は満たせる。

 だけど彼らは私の作ったものが良いという。その事実が、少なくとも私には不器用な彼らが「俺たちにはお前が必要だ」と言ってくれたように聞こえた。


 こんな状況だというのに思わず口角が上がってしまう。

 でも、いけない。

 二人は見事にマイゼルを論破してくれたけれど、二人を取り巻く悪状況は依然として変わってはいないのだ。


 彼らが彼らのやり方で私を助けてくれたように、私も私に出来る事で彼らを助けられるように。

 やっと纏まり切った考えの下、私はゆっくりと口を開く。


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