第36話 明かされてしまった素性



 いつにも増して、ディーダが乱暴に窓枠を飛び越えた。ダンッと大きな音が立てて、弾かれたように一歩を踏み出す。

 気がつけば、私のすぐ隣――私の手首を掴んだ彼の手を、強く捻り上げていた。


 マイゼルが、鈍い悲鳴を上げディーダの手を乱暴に振り払う。手首を庇いながら後ずさって、彼を睨み、激昂する。


「何をする貴様!」

「てめぇこそ何だよ、っていうか誰だ」


 マイゼルの怒りに反射的に委縮した私とは裏腹に、ディーダが一歩前に出る。偶然なのか配慮なのか、マイゼルの怒りの形相から守ってもらう形になった。


「状況はよく分からないけど、とりあえず弱い者いじめしてカッコ悪いとは思わない?」


 ノインもヨイショと窓から入り、そんな声をマイゼルにかける。静かに観察するようなあの薄桃色の瞳が、無意識のうちに敵を威圧しているように見えた。


 侵入経路に驚いたのか。それとも自分にたてつく人間が居る事に驚いたのか。

 一瞬固まったマイゼルは、しかしすぐに「弱い者いじめ?」と大仰に片眉を吊り上げる。


「これは俺の所有物だ、持ち主がどう扱おうが貴様らには関係のない事だ!」

「はぁ?」


 思わず、と言った感じでディーダが呆れた声を上げた。

 心底「意味が分からない」と言いたげだ。が、そのニュアンスが更にマイゼルの癇に障ったのだろう。


「何だ貴様ら、平民如きが。この俺の会話に横槍を入れる無礼を知れ!」


 カッとした声で繰り出された言葉に、二人の登場でほんの一瞬取り戻し始めていた平常心が霧散したのが分かった。


 屋敷での事がフラッシュバックする。

 しかしそんな私に、もう一つの脅威が忍び寄る。


「お前こそ何様だ? ここは平民街だっての」

「貴族がわざわざ降りてきてやったんだ。平民は皆、平伏して然るべきだろうが!」

「はっ、一体どこの常識だよソレ」


 私の事を物扱いだという事や、レイチェルさんの口癖だった「平伏して然るべき」がそっくりそのまま彼の言葉として吐かれている事。彼が私以外にも子のような物言いをしているのだと初めて気付かされた事など、すべてがどうでもよくなった。


 マイゼルに喧嘩腰を崩さないディーダ。彼ほど表立って喧嘩を吹っ掛けていないように見えて、むしろ彼よりもずっとマイゼルを煽る言葉を選んでいるノイン。

 貴族にもまったく怯まないのは、きっと彼らが貴族を知らないからだ。


 ドゥルズ伯爵家の人間は、この街に対して必要最低限以上の干渉をしていない。それはすなわち庇護をほぼ与えていないという事でもあるが、同時に直接的に害を与えていないという事でもある。


 しかしそれは、結果論に過ぎない。

 彼らはドゥルズ伯爵家を知らない。マイゼルという子の性格を、現状を知らない。

 彼が今目に見えて機嫌が悪いのだということは私でなくとも分かるだろうけれど、彼という存在が貴族が持つ権限を――統治下であるこの土地では、彼が言葉一つで誰かの生き死に決定づけられる事を、彼らはまったく知らないのだ。


「大体貴族が何だってんだよ」

「貴族なんて、権力の上にふんぞり返っているだけの人間の総称だけど、そんなものを掲げて喜んでるの? うわぁ、可哀想」


 無知が故の危うさに、私は制するための手を伸ばした。

 しかしそれが二人に届く前に、マイゼルがバカにしたように笑う。


「はっ、はははっ、貴様らはそいつが誰か知らないのかよ」


 ハッとした。

 彼が今一体何を言おうとしているのか、分かったから。

 しかし静止は間に合わない。


「待っ――」

「そいつは俺の母親、フィーリア・ドゥルズ。ドゥルズ伯爵家の第一夫人だ。つまり貴様らが庇ってるソレも、漏れなくお前らがバカにしている『貴族』なんだよ! バカが!!」


 演説じみた身振りと手ぶりだった。二人に事実を突き詰めて、知らしめるような物言いだった。


 私が隠していた事だと、きっと気がついたのだろう。ざまぁ見ろとでも言わんばかりにマイゼルは言葉を吐く。


 二人が固まったのが、気配で分かった。その事実が、私に新たな恐怖を生む。


 バレてしまった、ずっと隠してきた素性を。


 二人が貴族に対してあまりいい感情を抱いていないのは分かっていた。二人と暮らす上で浮き彫りになった伯爵家のこの領地への管理の杜撰さを思えば、それは当然の事である。

 だから知られたくはなかった。

 私がここに住まう人たちを見ず、どうにかする権力を持ちながら、何もしてこなかった家の一員だという事を。彼らが嫌う、貴族なのだという事を。


 知られてしまったからにはもう、今までと同じ生活は送れないだろう。

 その事実が何よりも痛くて苦しくて辛くて、マイゼルへの恐怖も二人への心配も、全てがサッと塗りつぶされた。


「この女はなぁ、今すぐ屋敷に帰るんだ。貴様らが一生かけても関わる事のできない貴族の世界に返って、一生俺の下でこき使われる。それがこの女にとって、最上の幸せというやつだ!」


 もう二度と、大切な人から拒絶されたくはなかったのに。

 でも、マイゼルの心ない言葉で裏切られ、ザイスドート様から棄てられて、心を許せば許すほど辛いのだと私は知っていた。知っていたのに、また私はここで大切なものを見つけ、心を開いてしまったのは私である。

 自業自得も良いところだ。俯き、ギュッと目を瞑る。


 が、その時だ。

 

「はぁ? お前何言ってんだ?」

「はぁ? アンタ何言ってんの?」


 綺麗にハモッた二人の声に、思わず目を見開いた。

 すぐ隣まで来た足音の方を見れば、半歩前にノインが居る。

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