第7話  選挙落選

お昼休みになり、校内放送で職員室に全職員が集まるよう、声がかかった。

「先生方にお集まり頂いたのは他でもありません。それでは、徳永先生、お話をお願いします。」

 校長の横に立っていた徳永は、この騒動で一気に老け込んでいた。顔も青白く、明らかに棺桶に足を一本突っ込んでいるように見えた。

「今回は私のクラスの騒動のせいで、職員の皆さんには多大な迷惑をおかけして、申し訳ありません。昨日、マスコミ各社で報道が一斉にされてから、私と芝山先生の方で、内定をもらった高校にお詫びを入れに行ってきました。しかし中には、お詫びを受け入れてくれる高校ばかりでなく…。」

そこまで言うと、徳永は顔を覆って嗚咽しだしてしまった。

「つまり、内定を取り消された生徒も発生したことをお伝えします。やはり写真の影響力も強く、ジョッキを持っていた生徒や、ピッチャーで一気飲みをしていた生徒、お店に予約を入れた生徒など、合計十三名、私立の内定を取り消されてしまいました。どれだけお詫びを入れても駄目でした。今から十三名の生徒に関しては、県立高校の二次募集や私立の底辺高校の二次募集などを受験していく運びになります。奴らがちゃんと行き先が決まるまで、まだまだバタバタするかと思います。またご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願い致します。」

 徳永が崩れ落ちるように嗚咽している横で、主任の芝山は粛々と今後の動きを説明した。

「ほら、徳永のおっさんにとってはさ、私立合格者数だけが奴の自慢だったわけじゃん。三クラスの中で、徳永のクラスがダントツに私立合格者が多かった。でも今回の騒動で、私立合格者はほとんど死滅。徳永、立ち上がれないだろうなぁ。自分のこと、責めていると思うよ。あの人、成績のいい奴には甘かったからね。もっと卒業式後の振る舞いについて、きつく言っておけば良かったって後悔しているだろうね。」

楓は徳永の姿を見つめた。芝山の横で、子供のように声を上げて泣いている姿は、痛々しさを通り超えて、滑稽でもあった。何か歌舞伎の一幕を見ているようでならなかった。

 

 三月最終週を迎える頃には、徳永の内定取り消し組の進路も決まり、固かった職員室の空気も春の風が混じり、柔らかさが垣間見られるようになった。

 本来ならば、初任者研修の最後のまとめに関して、徳永に見てもらわなければならなかったが、声をかけるのも躊躇ってしまうような状態に見えたので、管理職に代わりにチェックを入れてもらい、初任者研修を終えた。

 明らかに騒動の後、徳永の様子はおかしかった。惚けた表情を浮かべることもあれば、外を見て涙を流していることもあった。何よりも驚いたのは、彼が喋らなくなっていたのだ。

「喋らなくなったと言うよりも、喋る機能が停止したと言った方がいいかなぁ。あの騒動の後、いろんな身体機能がおかしくなったみたいで、結局内定取り消し者の対応も徳永は全く出来なくて、主任の芝山を中心に、他の三年の職員でやったんだって。だって声をかけても反応がないんだもん。ただ、職員室に座っているの。お地蔵さんかよ!ってこの間、一組の副担の山根君が怒鳴ったんだけど、徳永は反応なしだったんだって。みんな怖くなって今は、誰も触れないようにしているらしいよ。」

 他の中学校に異動が決まった絵美ちゃんは、机の周りを片付けながら、いろいろと情報を教えてくれた。

 離任式の日、校長の口から意外なことも報告された。

「今日、こちらにはおられませんが、三年所属だった徳永謙治先生ですが、しばらくお休みをされることになりました。みなさんもご存じのように、三月の途中からあのような状態でしたから、私の方から、一度休職したらどうですか?と声をかけたんです。来年度は徳永先生の代わりに新しい社会科の先生が来られます。」

 楓はパソコン以外、何もなくなっている徳永の座席を見た。最後は死神のような面を周囲にさらし、職員から薄気味悪がられていた徳永。家でも全く喋らず、娘さんたちも心配して病院に連れて行っているのだと,三年職員から聞いた。

 

 四月になり、楓は持ち上がりで二年職員となった。二年は職場体験や進路学習が始まり、格段と忙しさが増していた。いつしか徳永が病休で休んでいることなど、誰も気にしなくなっていた。

 七月に行われる職場体験に向けて、受け入れ先の電話に追われていた、四月三十日。

「楓ちゃん。徳永さんの奥さん、落選したね。」

と同僚の道本が教えてくれた。

「そうなんですか?」

「楓ちゃん、選挙行かなかったの?」

「ええ、昨日ソフトボールの練習試合で、行けなかったんです。」

いや、行かなかったのだ。徳永という名前を見るだけで、相変わらず嘔吐の気配を軽く感じていた楓は、わざと選挙をボイコットした。選挙結果にも興味がなかったので、新聞すらチェックしていなかった。

「あらぁ。最下位だったんだよ、奥さん。自民党が強いからは当選は難しいかなと思っていたけど、最下位なんてね。恥ずかしいよね。」

道本は笑いながら、職場体験先に送る書類に切手を手際よく貼り続けていた。

 誰もわざわざ話そうとはしなかったが、旦那のクラスの不祥事が影響していることは、誰もが知るところだった。選挙シーズンなんて、陣営にいろんなところから怪文書や嫌がらせがわんさか届くものだ。その中に、真実の情報が混じっていたら、奥さんもさぞかしやりにくかっただろう。

「まぁ、もしかしたら選挙戦を戦いながら、奥さんは、今回落選するな、と思っていたのかもしれないよねぇ。だって教職員組合を通じて最後のお願いにすら来なかったらしいよ。」

道本はそういうと、切手を張り終えた封筒を箱詰めにし、余った切手を事務室に返しに行った。

出馬を表明してから起きた事件だったとは言え、こんな無様な負け方をするくらいなら、出馬を取り止めたらよかったのに、と楓は口元だけで軽く笑った。


徳永が入院したという話を聞いたのは、職場体験が始まる三日前だった。

楓は夏休みに入ったらお見舞いに行こうと秘かに決めていた。 


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場面緘黙 ラビットリップ @yamahakirai

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