最終話

 白黒とアサギが奮戦している一方、ミシェは鬼振を相手に苦戦していた。

「先ほどからちょこまかと……少しはじっとできないんですの!」

「そんなの出来る訳ないだろ。ミンチになるのは御免なんでね」

 あちらこちらと瞬時に移動する鬼振に翻弄され一向に攻撃が当たらないミシェに対し、鬼振は謎の瞬間移動によってミシェの懐に潜り込んではナイフで斬りかかりっては離脱を繰り返し、戦況は大きく鬼振の方に傾いている状況だ。

「ほらほらっ! また足元が――」

 瞬時に鬼振の姿が掻き消え、またもや距離を詰めてミシェの足元に現れる。

「――お留守なんだよ!」

 少しかがんだ状態で現れた鬼振はナイフでミシェの足の甲へと突き立てようとする。

「留守なのはそちらですわ!」

 だがミシェも鬼振がいつ瞬間移動をするのは予測できずとも、何処に現れるかは攻防を重ねるにしたがって予想がついており、鬼振が消えた瞬間にはショットガンの照準を自分の足元に向け、ノータイムで引き金を引いていた。

「なっ! しまっ――」

 …………

「――あっ?」

 撃たれる――そう思って身構えた鬼振であったが実際に撃たれることは無く、何事かと思ってミシェの顔を覗くと当人もなにが起こったのか分かっていない様子であった。

「わ、わたくしの手が……消えた……?」

 絶好の攻撃のチャンス――そのタイミングで引き金を引いたのだが左手はまるで透明にでもなったかの様に消え去っており、その証拠に引き金に掛けていた指の感覚はなく、両手で保持していた銃の重みが全て右手にのしかかっている。

「なんだか分からんけどラッキーラッキー!」

 自分の利き手が消失した事により動揺している隙を逃さず鬼振のナイフがミシェの腹部を捉える。

「――はっ!」

 もう既に避けられない距離にまで迫ったナイフがミシェの腹部に突き立てられ、その衝撃で身体がくの字に折れ曲がる。

「……ん?」

 鬼振の攻撃は確かにミシェには届いた――だが、その白刃はミシェの肌までは届かずその寸前のドレスで止まっている。

「残念ですがコレ、防刃コルセットですの!」

 ナイフがコルセットに触れた瞬間、ミシェは鬼振を上から押さえつけるようにショットガンの銃口を突き立て、全体重をショットガンに預けながら引き金に指を掛ける。

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ! やめろぉっ!」

 地面に寝転がされショットガンで背中を押さえつけられた状態、その体制で鬼振はみっともない声を上げながら背に触れたショットガンを払いのけるかのように両手両足、それに頭を闇雲に振り回す。

 そんな醜態を晒す鬼振を、憐れむような感情など一切見せずに引き金が引かれるがその寸前、闇雲に振り回していた鬼振の手が銃身にぶつかり銃口があらぬ方へと向く。それと同時に銃を保持するため押し付けていた体のバランスが崩れ、ミシェが前のめりに倒れそうになる。

「へっ、またもやラッキー!」

 姿勢の崩れたミシェが倒れ込んで来る、それにあわせて鬼振は瞬時に態勢を整え仰向けになり、迫り来るミシェの頭を蹴り払う。

「あぁっ!」

「は……はぁっはっはっはぁ! 本当におれ、ツキまくりじゃん」

 一方で頭を蹴られたミシェはその軽くはない一撃に意識を持っていかれそうになっていたが、なんとか踏みとどまる。

(…………何か妙ですわね)

 意識が混濁する中、ミシェは先程の一連の動きに違和感を抱いた。

 なぜ死が目前に迫っていたあの状況でお得意の瞬間移送で逃げずにみっともなくジタバタして抵抗したのか。

 そんな違和感を認識してからミシェはその時の鬼振の行動の一つ一つを思い返す。

(――そう言えば地面に押し付けていた時、しきりに顔を動かしていたけどアレはただもがいていたわけでは無かった?)

 その時の行動が果たして無我夢中でもがいただけなのか、それとも何か意味があっての行動なのか――それを確かめるべくミシェは行動を開始する。

「ふっ――!」

 まずは牽制として右手一本でショットガンを構える。普通に片手だけで撃てばミシェの体格では反動やら手首への衝撃やらがかかるが、もとより牽制が目的なので命中がどうとかなどは関係なしに撃っていた。

「おっと!」

 ショットガンの弾が拡散し鬼振に迫る、だが当然のように鬼振は瞬間移動し、弾は後ろの壁に当たって弾ける。

「まだまだっ!」

 鬼振が移動した先を目で追いかけ、鬼振が現れてから数テンポ遅らせてショットガンを放つ。

「――お? …………へぇ、運が良いじゃないの。もう少し早かったら当たってたのによ」

 二射目も当然のように躱されるがミシェにとってそれは問題ではない。

(ようやく掴みましたわよ……瞬間移動の法則を)

 ミシェの表情が緩みかけるがグッと堪える。そんな些細な変化を相手に見せてバレるヘマなどしては大問題だ。

「そうですの? では貴方に当たるまで祈りながら撃つとしましょうか!」

 どうやらミシェの考えが鬼振にバレたような様子はなく、これであれば何とかなると。だが残されたショットガンの弾はあと4発、左手が消え失せこれ以上弾を込められない状況ではもう無駄撃ちが出来ない。

(……追い詰めるだけの手は打てる。けれど瞬間移動もさることながらさっきからやけに運が良いのが厄介ですわね。ですが――)

 まずは鬼振の正面へと一発放つ。弾は逃げ場なく拡散し敵を追い詰めようとするが――

「学ばねぇなホント。当たらねぇよ、ンなの」

 鬼振の姿が消える。だが、今のミシェにはどこに現れたかを探す必要は無い。

 キィンッ!

「こちらも簡単には当たってはあげませんわ!」

 ミシェの左後方、身体を低くして現れた鬼振がナイフを振るう。だが鬼振の出現位置の予測がついているミシェはその攻撃をショットガンのグリップで防いだ。

「――っ、にゃろう!」

 防具以外で防がれたのが屈辱だったのか鬼振は苛立ち、地団駄を踏む。影に足がめり込むほどに。

「きゃっ! ……くっ、そういえばそんな芸もありましたわね」

 ミシェの片足が跳ね上がる。見るとミシェの影から足が飛び出しておりそして引っ込む。

「こんどこそその命を貰うぜ!」

 片足立ちとなり不安定なミシェの首筋へとナイフが走る。

「うっ、あぁっ!」

 これは避けられない――そう感じた時、無理やり身体を捻り首への攻撃は避ける。だけど完全には避けられず、右腕にナイフが突き刺さる。

「おっ?」

「……このっ! お返しですわ!」

 ナイフで刺されながらもミシェは鬼振をしかと捉えてその少し驚いている顔へと蹴りを入れた。

「うっ!」

「もう一発!」

 ミシェの蹴りで吹き飛んだ鬼振に向けてショットガンを追い打ちで放つ。

 ビスッ、ビスッ、ビスッ――と、ミシェの放った弾丸のうち3発程が鬼振に命中し、そのままゴロゴロと地面を転がりうつ伏せで倒れる。

「痛ってぇな! このクソアマァ!」

「ほんと、耳障りですわねさっきから。いい加減その口を閉じなさないな」

 起き上がろうとする鬼振の身体を咄嗟に踏みつけて阻止し、さらに身体を屈めて鬼振の視界を自身のドレススカートで覆って外の様子が見えないようにする。

「な、なにをしやがる」

「なにって……理解出来ない? それとも貴方は自分の能力の発動条件すら分からないと?」

「まさか⁉ こんな奴におれの能力が分かる訳が――」

「分からなかったらこんな恥ずかしい方法で目隠しなどしません!」

 ミシェが暴いた鬼振の能力――それは自身の視界上にある影の上に瞬時に移動し、さらには自身の影を通して自分の身体の一部だけを他の影から飛び出させることが出来ると。

「クソッ! 退けろ!」

 首元を足で押さえられているために暴れ出しやたらと振り回した腕がミシェに当たる。

「――つっ! 少し大人しくしなさい!」

 腕を振り回して抵抗する鬼振の肩にショットガンのストックを叩きつけ、物理的に黙らせる。

「ぐっ!」

「こっちも!」

 ナイフを振るっていた右肩は潰した、そして念のために左肩も潰しておこうともう一度ショットガンを振り上げた――そしてその瞬間、ミシェの背後で何かが弾ける音がした。

「――なに? きゃっ!」

 背後で弾けたのは今もまだ燃え盛っている災害獣の屍であり、その腹に溜まっていたガスが爆発したようだ。

 そしてその中の肉片の一つがミシェに向かって飛び、それがミシェの背中へと直撃して鬼振の上から転げ落ちてしまっていた。

「またまたラッキー! そ・れ・と……コイツは返してもらうぜ」

 転がり落ちたミシェの肩からナイフを抜き取る。

「それにしてもまさかおれの能力がバレちまうとはねぇ。こりゃもう遊んでないで片付けろって事か?」

 ナイフを回しながら鬼振がミシェの顔を覗き込んでいる。今のミシェは不意に受けた事故のような一撃が響いてまだ立ち上がれないでいた。

「あら、遊んでいたにしてはわたくしの様な小娘相手に随分と苦戦していましたわね」

 転がりながら距離を取り、左肘で身体を支えながら何とか上半身を起こしたところでショットガンを突き付ける。

「苦戦? はっ! 自分が少し優勢だからって勘違いしてるなよ。この距離で、この能力で……おれはいつでもお前を殺せる。それはつまり強者の余裕ってやつなんだよ!」

「では、試してみます? わたくしと貴方……どちらが強者なのかを」

 互いの攻撃がすぐに当たるような距離でミシェが挑発をする。当然鬼振はその挑発に乗っかりミシェの動向に注視し始める。そして――

 …………ピクっ

 ミシェの指が僅かに動いた。その瞬間を好機と見た鬼振は瞬時にミシェの背後へと移動する。

「チェックメイトだっ!」

 ミシェの背後に瞬間移動した鬼振がナイフを振り上げる。一方のミシェは背後に移動した鬼振に反応できていないのか振り向きもしない。そして勝利を確信した鬼振はミシェの脳天へとナイフを振り下ろし――

「残念――選択を間違えたようですわね」

 その瞬間、ミシェの背後から目が眩むほどの閃光が迸った。

「――っ⁉ あ、ああぁぁっ眼が……眼がぁ……!」

「どうやら最後の最後でラッキーから見放されたようですわね」

 ミシェの左手から小さい筒が転がり落ちる。そして背後で悶えている鬼振をよそにゆっくりと立ち上がり改めて銃口を向ける。

「あぁクソッ! 見えねぇ……どこにいやがる!」

 銃口を向けられているとも知らず腕を振り回しながらミシェを探している。

「こちらですわ」

 突き付けていた銃口で小突く。周りの状況が何も分からない鬼振は一切の抵抗が出来ないまま地面に口づけをする。

「な、なんだなんだ⁉」

「今度こそ大人しくしていただきますわ」

 うつ伏せになっている鬼振へ残された最後の一発を放つ。至近距離から放たれた弾丸は拡散し身体の各所に命中するが、そのどれもが致命傷になりえない所であった。

「…………いてぇ」

「ほんと、呆れる程運が良いですわねこの男は」

 至近距離から二度ショットガンを喰らい、右腕をストックで叩きつけられたにもかかわらずまだ動けるようで、運だけでの人間離れした耐久力にミシェは溜息をつきながらショットガンを振り上げる。

「これなら流石にっ……!」

 振り上げていたショットガンを鬼振の後頭部へと振り下ろす。ガンと鈍い音がすると次の瞬間にはもう気絶しており、これにてようやく決着が着いた形となった。

「お見事でしたミシェ様」

 戦闘の成り行きでも見ていたのか、ミシェが勝利を収めた直後にアサギが声をかけて来た。

「……見ていらしたのなら手伝ってもらいたかったですわね」

「確かに見ていましたがワタシ如きが手を貸すよりも、周りの邪魔者を片付ける方がミシェ様の為になると思いましたので」

「まぁいいですわ、そんな事を言っても今更ですし。それよりも、この島は一体どうなっていますの? 左手が消えたり現れたり……危うく死ぬところでしたわ」

「生きていて何よりです。それとこの島の事ですが……あぁ、ちょうど今回の功労者が帰ってきましたね」

 アサギが横穴の方に目を向ける。それに釣られれるようにミシェもそちらを見ると呉城がこちらへ向かって走ってくる姿が目に留まった。

「あ、あの……言われた通りやってきました。その……どう、でした?」

「よくやりましたね。褒めて差し上げます」

 ものすごい上から目線でだが、一方的に呉城への態度が険悪だった素振りのアサギが呉城を褒めただけでなく頭まで撫でていた。

「あ……ふわぁ……」

「――ごほん!」

「あぁ、そうでした。この島についてでしたね。詳しく説明すると長くなるのですが、ここら一帯はいわゆる電脳空間で構成されていまして、神前が余計な事をした為に島の外部から来た生物が消えかかってしまったのです」

「と、言う事は……あの時のわたくしはかなり危なかった?」

「そうですね。あのまま放っておけばこの島の中枢に近い生物から消えていき、最終的に外の世界と同化して島ごと存在が失せていましたね」

「…………」

 生物だけが消えるのかと思いきや島ごと無くなっていたかもしれないという事にミシェは言葉を失う。

「それでもアナタは運が良い方でしたよ。本来であれば身体の何処かが消え始めた時点で浸食は止まりませんので」

「では……なぜわたくしは無事だったのでしょうか?」

「この島にない技術の類を持っていた場合、システムがその物品を調べ終えるまで時間が掛かります。ミシェ様でいえばその銃に火薬それと指輪が該当しますね」

「そういう事でしたの……。はっ! そういえばあの娘、そんな超化学なシロモノとか持っていません!」

 アサギからこの島の秘密を聞いて納得したのも束の間、今のサクニャは短剣二振り以外余計な物を身に着けておらず、先のアサギの話の通りだとすでにサクニャは消えてなくなっているのではと焦り始める。

「落ち着いて下さいミシェ様」

「これが落ち着いてられますか! サクニャがいなくてはわたくしは……わたくしは!」

「あの方なら……危ない!」

 サクニャの所へ行こうとするミシェを制止しようとした瞬間、急にアサギがミシェの身体を引っ張り、自らの身体でミシェを覆う。

「な、何を……きゃっ!」

 アサギの身体で視界が埋まり、状況が把握できない状態で突如轟音が鳴り響く。何が起こったのか……アサギの身体を押しのけて覗いてみると砂煙の向こう側に壁にめり込んだ人影が見えた。

「お怪我はありませんでしたか?」

「え、えぇわたくしは平気ですわ。白黒さんや呉城さんは……」

「わたしも鈩さんも大丈夫です!」

 幸い二人はミシェ達より少し離れた所にいたので巻き込まれる事もなく、手を振って自分達が無事な事を伝える。

「……それにしてもいったいなにが起こっているの?」

 事の成り行きを見ていると壁にめり込んでいた人影に動きがあった。

 ――バタッ!

「えっ⁉ こ、これは……一体……」

 砂煙の中からよろよろと歩きだす人影。その姿を見たミシェは思わず驚き、そしてその人影が飛んできた方向を見る。

「そ、想像以上であった。かような女子に後れを取るとは。この藍我……一生の不覚!」

 藍我の視線の向こうには崖下を見下ろすサクニャがおり、藍我が倒れると同時にサクニャの姿勢が崩れ頭から真っ逆さまに螺旋の道の上へと落下した。

「サクニャっ!」

 サクニャが落ちた時にはミシェはもう走り出しており、梯子を上って崖の上まで辿り着くと螺旋の道の最初まで回り込む時間を惜しみ、5メートルの段差を何の躊躇いもなく飛びおりてサクニャの元へと駆け込んだ。

「大丈夫ですのサクニャ! わたくしが分かりますか!」

「う、うぅん……ミ、ミッこ……?」

「えぇ、えぇそうですわ! 貴女のミシェですわ」

「えっへへぇ……そっかぁ……ミッこ、助けに来てくれたんだぁ」

 頭から落ちたサクニャであったがミシェが呼び掛けるとすぐに意識を取り戻し、側にいたミシェを抱きしめる。

「ちょ、ちょっと⁉ いきなりどうしたんですの!」

「な~んでもない! それよりみんなが待ってるよ。ほらっ!」

 ミシェを抱きしめていたサクニャは突如として体勢を変え、いわゆるお姫様抱っこの状態でミシェを抱え込み、先程までぐったりしていたのが嘘のように軽快に段差を飛んでいき、白黒達の待つ所へと降り立った。

「おまたせ、みんな!」

「あのサクニャ……? もうそろそろ下ろしてくれません?」

 周りからの生温かい視線にいたたまれなくなりミシェはこの恥ずかしい体勢からの脱却を訴える。

「え~……良いじゃんこれくら……分かった! 分かったからそんなに潤んだ眼でウチを見ないで」

 なおも食い下がろうとするサクニャを無言の眼力で説き伏せなんとかお姫様抱っこからは解放された。

「あ、あのサクニャさん……頭から落ちたけど大丈夫なんですか身体は」

「うん、全然平気だよん。ほらこの通り」

 自分が何ともない事を証明するためかその場で後方宙返りを何度かし、怪我人には出来ない動きをしてみせる。

「わっ⁉ す、凄い……凄いですけど、えいっ!」

「ふぎゃっ⁉ あいたたた……」

 サクニャが動けるのは分かった、だが脇腹を軽く突いたら途端に痛がりだし、やせ我慢をしていたのが分かる。

「あらあら、かっこつけたのがバレてしまいましたわね、サクニャ」

「戦いが終わった直後とは思えないくらい賑やかですね」

 少し離れたところで3+1人を見守るアサギ。この微笑ましい光景を不意にぶち壊す電子音が鳴り響いた。

「いい感じの百合百合具合でしたのに……おや、これは……はい、こちらアサギです」

 電子音の発生元は通話に使用していた三角錐の物体で、アサギは直ちに通話に出た。

『全員無事か!』

 通話の相手はアロエであったが、その声には何やら焦りの色が見える。

「えぇ。ですがよく分かりましたね、つい先ほど少しドンパチをしていた事を」

『……まぁ色々とな。それよりも全員外にいるんだな』

「そうですね、こちらも色々とありましたから。――何か起こりましたか」

『そうだな、いや……どうやら説明する時間は貰えないらしい。とにかくすぐそっちに行くからアイツ等にはそこから動くなと言っておいてくれ』

 必要な事を言うだけ言った後、通話は切られた。アロエの方で何か大変な事が起こっているのは窺えたが、それが結局何なのか分からずにただ不安の種が残るだけとなった。

「――一体あちらで何が」




 アロエに一体なにが起こったのか。それにはほんの少し時間を遡る事になる。

「よぉやく見つけたよ……天才魔術師サマ」

「ん? 何処かで見た顔じゃなおぬし……そうか、ぬし葉神アロエじゃな。葉神家の当主がわしになんの用じゃ?」

 アロエと対峙する人物それは一日前までは観鳥島そばの無人島にてミシェやサクニャと相対したティセアであった。

「あたしの弟子たちがあんたに可愛がられたって聞いてね。そのお礼を返すのと一緒にあの島への侵入方法を教えてもらおうと思ってね」

「あの娘っ子たちはぬしの知り合いじゃったのか、それは悪い事をしてしまったのう」

「悪いと思ってるんなら大人しくあたしの言う事を聞くんだな」

「なんじゃ……そんな事でいいんか。それじゃったらわしがあの娘っ子たちへの詫びも含めてあの島に連れてっちゃる」

「…………は?」

 力づくで聞き出すつもりでティセアに会いに来たのだが、肝心の彼女はアロエと戦う気などさらさらなく、それどころかアロエの要求をすんなりと聞き入れてあろうことか島に連れて行くなどと言い出したのだ。

「なんじゃその顔は。せっかくわしが連れて行ってやると言うんに、いらんお世話じゃったか?」

「あ、あぁいやそういう訳じゃない。ただそんなあっさりとした返事が聞けると思ってなくてだな」

「別にわし個人はぬしらと敵対する気は無いからのう。……あの犬みたいな娘っ子にはやり過ぎてしもうたが」

「……いくら何でも相手は選べよ」

 当時の事を反省している様だが、自分の実力がどれほどあるのかを知らない筈はないので、出来れば自重はして欲しかった伝える。

「やり過ぎたとはいえあやつの今後を考えると一度はああせんとならんと思うただけじゃ、むしろぬしの怠慢の結果じゃ」

「ほう……面白い事言うじゃないの」

 ティセアの一言によりアロエが一気に好戦的になり拳を突き出して構えをとる。

「待て待て、だからわしはぬしと戦う気はないと言うておるじゃろ。少しは落ち着かんか」

 だが、アロエに戦闘態勢を取らせる言動をした当人は慌てながら距離を取り、さらには落ち着けとたしなめる。

「だったら口には気を付けるんだな。じゃあほら、とっととやってくれ」

「……随分と勝手な奴じゃのう、まぁよいが。それじゃあ行くと――ん?」

 アロエの行動と言動に嘆息しつつも彼女と事を構えたくはないティセアは、当初のアロエの要望通りに島へと連れて行こうとする。だがその時、何かが現れる気配を感じ取る。

「なんとか退却できたであるな……」

「なんだ……コイツ等?」

 黒い装束の忍者みたいな男性と、それに背負われてぐったりとしている男性、そしてもう一人、忍者の横で漂っている少し身体の透けた女性の三人が突如として現れた。

「畜生っあの女……今度会ったらぶち殺してやる」

「――次なんてものが私達にあればいいけどね」

「誰が来たのかと思えばおぬし等か。その様子じゃとあの娘っ子たちに手ひどくやられたようじゃのう」

「えっ……あっ、司教代理様⁉ どうしてこちらに」

「――今は司教補佐じゃ、まぁそんな事はどうでもよい。ぬし等……死にたくなければ装具を手放して今すぐここから離れたほうがええぞ」

 先ほどまでアロエと話していた時とは違い、酷く冷えた目で三人――神前・藍我・鬼振――を見てその後、廃墟になっている城の方向を凝視していた。

「えっ……と、それってどういう――」

「あー……こりゃ参った、流石にいま教団の本隊とやり合うのは予定にはなかったんだけどな」

 神前が困惑する中、アロエもまたティセアと同じ方向を見ながらなにやら物騒な事を呟く。そして二人が同じ方向を見つめる中、地鳴りのような音が響き始め、その後すぐにその音の発生源たる大軍隊とも言える規模の兵達がゆっくりと押し寄せてきていた。

「えっ――アレってもしかして大司教様の隊? ということは私達を助けに来てくれたって事⁉」

 その軍隊はアロエ達と一定の距離を開けてピタリと止まった。そしてその軍隊の先頭で突如として空間が引き裂かれ、その中から黒い体毛をしたデフォルメされた羊の様な者が現れた。

「まさかそっちから出向いて来るとは思わなかったよ――クソ羊」

『ワレの根城に忍び込もうとするネズミがいると報告から誰かと思うたが……よもや貴様であったか、アロエよ』

「なんだよバレてたのか。だけどまあいい。オマエがここにいる事が分かっただけでも収穫ものだ」

『なんだ? 戦う気はないのか。ふっ、ならこのもてなしは不要だったかな』

 黒い羊がサッと右の前足を上げる。するとアロエ達の背後から新たな軍勢が突如として現れた。

「――おいおい、まだいるのか。正直ザコの相手はしてあげられないんだけどね」

「これはチャンス……」

 新たな軍勢が現れ、皆の視線がそちらに向いたその時、鬼振は自身の能力でアロエ達の元を離れ、最初にいた軍勢の方へと瞬間移動した。

「ちょうどよかった……助けて下さい大司教さま!」

「あっ、あの新入りいつのまにあんな所に――」

『む……? おい、月鏡つきがみ誰だこいつは』

 鬼振がすぐ目の前に現れても大した反応はせず、それどころか側にいるキチッとしたスーツ姿の女性――月鏡よう――に対して何者だとまで聞く余裕ぶりを見せている。

「彼の名前は鬼振咬呟、使徒№5呉城鈩の部隊の一隊員。視界の中にある影の上に瞬間移動でき、己の体積以内の物体であれば自身の影の中に出し入れする能力を有しています。しかし、なぜその一隊員でしかないあなたがここにいるのです。№5はどこへ」

 彼に関するデータを自分の知りうる限りを伝えると、今度は鬼振がなぜここにいるのかを聞いてきた。

「じ、実は先代の№5が敵にやられていたもんでして、おれがコイツを拾って新しい№5になったんです」

 そう言いながら鬼振は自身の影の中から呉城が持っていた折れた大太刀を取り出し、目の前の黒い羊へと証拠となる物品を見せた。

『確かにこれは№5が持っていた物だな。して、ワレに助けを請うとは……誰かに負けたか?』

「えっ……? そ、そうですが次やる時はあんな小娘に不覚は取りませんよ!」

『――我が使徒に敗北者は必要ない。装具を置いてワレの目の前から立ち去れ』

「は……え……?」

 助力を得るどころか正反対で予想外の言葉に鬼振は戸惑いの言葉を上げ、その場で硬直してしまう。

『聞こえなかったか? それもまぁよい。自分で去る事が出来ぬと言うなら月鏡――手を貸してやれ』

「かしこまりました、大司教様。貴方の御心のままに」

 月鏡が大司教へと頭を下げると鬼振に近づく。これからなにが起こるのか、大司教が鬼振へと見せた表情が彼の不安を掻き立てた。

「あ、あの~……一体なにを……?」

「さようなら鬼振咬呟。あなたに良い夢を……」

 ダァンッ!

 破裂音が響き渡る。月鏡の手には白煙をくゆらせた銃が握られており。その銃口の先には呆然とした表情で月鏡の顔を見る額を撃ち抜かれた鬼振の姿があった。

「使えなくなった奴は自らの手を汚すことなく即処分。昔からやることが変わらないね、セムリ」

 大司教と呼ばれた黒き羊、セムリ。鬼振がセムリへと助けを求めた時からアロエはどう展開が転ぶかを見届けていた。その結果、鬼振は死亡しアロエは目の前にいる黒き羊が初めて出会った時から何も変わっていない事を再確認した。

『生まれ持って得た性質はそうそう変わる事もあるまい。それが知性を持った生き物であればなおさらよ』

「どーにも救えん性質だよオマエのは。まったく……ユールレシアに斬られた時に黙って死んでるか、それが出来なくても大人しくしていればそれでよかったのにね」

『ユールレシア……その忌々しい名を久方ぶりに聞いたな。だが、奴などもとより我が脅威とはなりえん』

「それはオマエがユールレシアを抱え込んだからか?」

『……さて、どうだかな』

 一人と一匹の視線が交錯する。傍から見れば和やかな雰囲気にも見えるが、互いに次の一手を模索していた。

「随分と盛り上がってきたようじゃがそこまでにしときい。話についてこられんのがおるじゃろ」

 現時点で戦う意思のないアロエがより多くの情報を得ようと考えこむ中、それに待ったをかけるようにティセアが横やりを入れて来る。そしてティセアが言うようにそちらを見ると、神前と藍我が一人と一匹の繰り広げる話の展開に目を丸くしているのが目に入った。

「別にそれくらい放っておけばいいじゃないの。それよりもなんかこっそりと作業をしていたみたいだけど、終わったのかしら?」

「確かにもう終わっておるが……気づいておったのか。つまらんのう」

「あの……既に私達、遥か彼方まで置いてけぼりなんですけど今度は一体なにが起こるんですか?」

「逃げるんじゃよ」

 ティセアの一声に合わせてアロエが動き出す。まずアロエは一番近くにいた藍我の腕を掴み、上空へと跳躍する。同様にティセアも神前の身体を抱え込み、まっすぐに観鳥島そばの無人島のある方角へと走り始め、そのまま崖から飛び出し魔術によって空を飛んで逃げ出した。

「じゃあ~のう~」

 捨て台詞を残してその場から去って行くティセアだが、逃げていくと同時に掌から闇が溢れ出してセムリが率いる軍隊を包み込み、それだけにとどまらず今までいた大陸の半分ほどが闇の中に隠されてしまっていた。

「うっわぁ……なんですかあれ、攻撃技?」

「いんにゃ、ただたんに夜にするだけじゃ。でもそれだけじゃすぐに抜け出す奴や解術するのがいるからちょいと細工しとったんじゃ」

「作業ってこの事だったんですね。でもこうでもしないと確かに追いかけてくるのがいますものね」

 神前の頭の中でティセアが言っていたような行動を取るだろうという人物がリストアップされ、そしてその思い浮かんだ人物が追ってくることを想像した瞬間に身震いした。

「セムリもほんに厄介な奴を集めたものよ。ぬしや藍我・鈩も含めて……な」

 セムリが集めた使徒と呼ばれる幹部は現時点で14人。その内の3人が脱退し教団内で大司教の座に次ぐ地位のティセアも抜けた事でそれなりにパワーダウンもした。だがそれでも、使徒はまだ11人もおり、それぞれが戦闘能力だったり偵察能力だったりと様々な分野で特化している人間が集まっているので、二人以上で来られると組み合わせや相性によっては非常に厄介な相手になりうるのだ。

「お~いティセア~! 一旦ここらで降りるよ」

 先を行くアロエが、急降下しながら行き先の変更を告げた。当然、言った本人は既に手ごろな岩場に向かっていたのでティセアは突然決まった目的地から大きく追い越す事になってしまった。

「――そういう事は早く言わぬか! まったく……」

「いや~わるいわるい。いったん落ち着ける場所に行きたくてな」

 そう言うアロエが降り立ったのは無人島からそう離れていない岩礁群で、彼女はそこに降りたつとすぐに携帯端末を取り出してどこかに電話をかけ始めた。

「なんじゃ、電話をかけたいんじゃったならそう言えばええのに」

「む……? ティセア殿、あちらの大陸の闇が晴れていきまする」

 アロエが誰かと通話している中、背後から追手が来ないかを見張っていた藍我が声を上げる。

「なんじゃと⁉ いくら何でも早すぎる! アロエよ、まだ電話は終わらんのか!」

「…………おい、人が電話してる最中に大きな声を出すな。こっちだって状況は分かってるんだから」

 不機嫌な声でアロエが振り返る。どうやら通話はもう切ったようだが、追手が来たからかはたまたティセアが騒ぎ立てたからかは分からないが目に見えて苛立っていた。

「それはすまんかった。まぁ今はそんな事よりも……」

「これを捨てればよろしいのでしたかな」

 ティセアの言葉を切って、藍我が右目の部分に青い宝石が埋め込まれた眼帯を外して差し出してくる。

「そうじゃな。そいつは持っているとセムリの奴に居場所を知られる」

「なるほど。それは危ないシロモノであるな」

 そう言いながら自身が着けていた眼帯を、何の躊躇いもなくその辺の海へと投げ捨てた。

「――ぁっ」

「ん? どうしたんじゃ初美。ぬしも早う装具を捨てんか」

 ティセアが神前の胸元にある白い宝石のついた首飾りを捨てるよう要求する。

「わ、わかり……ました」

 装具と呼ばれる物の危険性は理解しているはずだが、躊躇いがちに外しそれを海へと投げ捨てようとする直前でその手がピタリと止まる。

「ん? どうしたんじゃ、一体」

「あっ、いえ、なんでもありません! はい、もうなんでもないですから」

 明らかに何かありげな反応だったが、それ以上は何も言わず素直な様子でペンダントを投げ捨てた。

「おっ、もう終わった?」

 ティセアと神前のやり取りの最中アロエはずっと携帯端末を弄っており、そんな二人の声が止んだ時携帯端末から顔を上げて声をかける。

「一応、のう。それよりまたそれを弄っておった様じゃが何をやっておったんじゃ?」

「ちょっとあたしの協力者にメールを送ってたのよ。このままこの世界に居たらセムリの追手たちに巻き込まれるかもしれないから早く逃げとけってね」

「ほーん……それでそやつらは逃げられたんか?」

「逃げられたよ無事に。あとはあたしの可愛い愛弟子たちを迎えに行ってこの世界からオサラバ出来たらそれでおしまいなんだけど……アンタたちはこれからどうするの?」

 今のところ、成り行きで協力関係のような状態になっているティセアに対してふとそんな疑問を投げかけた。

「わしはこやつらを安全な所に送ったらセムリに今までのお礼を返す」

「おや・おや・おや……元司教補佐様はセムリ様から逃げるのではなく立ち向かうのですか?」

 お互いのちょっとした用事を済ませ、いざミシェ達の下へと向かわんとしたところ突如、真緑と真紫のストライプという装いのピエロの様な男が乱入して来た。

「なんじゃ、ぬしが出張ってくるとは珍しいのう――薬袋みない傷馬しょうまよ」

「あー……ワタクシはもともと装具の回収に来ただけで追手は後から別に来ますよ。超戦闘狂のあの方が」

 セムリが率いる使徒には№1~⒓までが存在し、数字によって役割や特殊な力の備わった宝石が填められた『装具』と呼ばれる物をそれぞれ授かるのだが、この薬袋傷馬という男は№0という称号に加え装具も他の使徒が持っている純粋な宝石とは違い、彼の物は不純物が混ざり合った屑みたいな宝石を持っている――と、何から何まで周りとは違う男それが薬袋傷馬であった。

「だったらそんな思わせぶりな登場しない欲しいわね! っていうかなんでそんな事を私達に教えるの」

 ティセア達を追ってきたかのような口ぶりで登場し戦闘でも起こるのかと思いきや、本人はそんなつもりが全く無く、さらにはなんのつもりか敵と認定されている相手に対し情報を与えるという行動が、追手の存在にびくついていた神前の精神に負荷をかける。

「ほ・ほ・ほ……別にワタクシはあの羊さんに忠誠などありませんからね。まぁ強いて理由を述べるのであれば追手が来ることを教えなかった結果、この先にいる二人組が死んでしまってはワタクシは契約不履行になってしまうんですよ」

「――なんで? この先にいる二人組ってミシェとサクニャよね、なんでその二人が関係あるのよ」

「おっと――ワタクシとした事が少々お喋りが過ぎました。このままアナタ方を引き留めては本末転倒、そろそろ消えると致しましょうか」

「あっ……なんであいつは毎回思わせぶりな事を言って消えるのよ!」

 本人の意図が分からないまま薬袋は海に捨てられた装具を回収するために海の中へと飛び込んで消えていった。

「あやつの事は気にしすぎると禿げるぞ。それより追手じゃ、すぐに追いつくとは思えんがさっさと動くに越したことは無い。してアロエよまだ済んでない用事とかもう無いかの?」

「ん――もう無いわ。あぁでもまたこのデカいのを抱えていくのはイヤだからちょっと手は出すわよ」

 そう言ってアロエはおもむろに海に手を突っ込むと一瞬海面が光り、次の瞬間海が目的の島までの道を作り出すかのように凍り付いた。

「こりゃ立派なスケートリンクじゃのう。ただこれだけだとスピードは出んじゃろうからわしも手を加えさせてもらうぞい」

 アロエの魔術に対抗するかのようにティセアは杖を取り出し凍った海を小突く。すると島までの一直線上に強い風が吹き荒れた。

「これは中々いいわね。じゃ、お先に!」

 ティセアが生みだした風の中をアロエは滑るように進み、あっという間にその姿が見えなくなる。そしてその後に続くように藍我が飛び込み、ティセアは神前を抱きかかえて風の中に乗っていくのであった。




 そして時間は戻り、アロエとの通話が終えてから数分後のミシェ達はと言うと――

「白黒さん! そっちに行きましたわよ!」

「はいっ! 任せて下さい」

「みんな~がんばれ~」

 神崎達を退け後はアロエを待つだけだったミシェ達だったが、直前までの戦闘音が辺りに響き渡った影響かぞろぞろと怪物が集まって来てしまい、その対処に追われている真っ最中だった。

 そして現在その対処に当たっているのはミシェと白黒、そしてアサギの三人がサクニャと呉城を護るように戦っていた。

「サクニャ様、もう少しお静かにお願いします。怪物の攻撃対象が自分に移っていいというのならお停めしませんが」

「うげっ、そうなの。じゃあ静かにしとく」

 この場にいる怪物にはさまざまな種類がおり、翼竜の様なモノから多種多様な昆虫の要素を持ち合わせたモノ、岩のように固い表皮を持つモノ等とバラエティに富んでおり、そのいずれもが些細な切っ掛けで攻撃対象を変えてしまう特徴を持つのだから、ちょっとしたドジを踏んで怪物から麻痺毒を受けてしまい身体が上手く動かせない状況にあるサクニャとしては攻撃対象にされてはたまったもんじゃないという事である。

「しかし……こんなタイミングでエネミーが現れるとはツイていないですわね」

「ていうか今思ったけどなんでわたし達こんな苦労してゲームの敵と戦ってるの? アプリケーションを切ったりしたらこいつ等消えたりするんじゃないの?」

 数分ほど経ってからゲームの怪物の相手をしていた事に疑問を持ち、アサギならばなんとかしてこのゲームの運営元であるF&Sカンパニーにこの事態を止めてもらえるのではないかと白黒は考えたのだが――

「残念ですがそれは叶いませんね」

 その思惑はアサギによって無情にも打ち砕かれた。

「えっ……花南さん達もこっちに来れないのは聞いてたけど、システム的な事だったら何とかできるんじゃないの⁉」

「――一つ白黒様には謝っておかなければなりませんね」

「えっ⁉ なに急に改まっちゃって」

 今が戦闘中でなければ深々と土下座でもしていそうなほどに真面目なトーンでアサギが語りかけた。

「ストレンジフロンティアなんてゲームは存在しないんです。今ワタシ達が戦っている怪物も外からこの島に入り込んだただの生き物が認識疎外効果のある電子の殻を纏い、後はサーバーから発せられる行動原理にしたがって行動しているだけに過ぎません」

「で、でも今は見えてるし……」

「白黒様が今眼に付けておられるコンタクトは拡張現実を見せるためだけの物ではなく、認識疎外を無効化させる効力があります」

「えっ……なに、それ……。今までわたしが見てきたのは全部偽物って事……?」

「大体はそうなりますね。ついでに言ってしまえば観鳥島に住んでいる人間も入色家という例外を除けば全てサーバーに保存された行動原理を基に動くだけのデータですからね、ワタシを含めて」

 そもそもとしてストレンジフロンティアなるゲームというのは観鳥島とその周辺の特殊な環境があるからこそ成立するのだ。そして拡張現実を利用したと言っているのに虚構の怪物に触れることが出来たのはそれが虚構ではなく実在していたからという単純な話である。

「い、いやだよ……そんなのって……」

 あまりにも精神にダメージを与える情報が多すぎて白黒は膝を突いて自らの身を護る事を放棄してしまった。

 さらに不運な事に白黒を狙っていた怪物が一斉に彼女へと迫ってきてしまい、その内の一匹の顎が白黒を噛み砕かんと大口を開けていた。

「おっと――」

 白黒の危険を察しアサギは怪物へと銃口を向けるが、引き金を引く前に何かが怪物の顔を空中から蹴り抜いた。

「おーいおいアサギさんや……いくら何でもそのネタバレはキッツイんじゃないかい? しかもタイミングが最悪だし」

 白黒を間一髪で助け、アサギに苦言を入れながら葉神アロエは颯爽と登場した。

「ワタシは聞かれた事についてお答えしたに過ぎませんので」

 同胞を一撃で昏倒させた闖入者に怪物一同は野生の本能からなのかじっとアロエの方を見つめて様子を窺う。

「し、師匠だっ! 師匠が来たっ」

「おうおう寂しかったか? でもあたしが来たからもう大丈夫だ。それと……今まで色々と悪かったね入色白黒、そこのバカが空気読めなくて」

 登場して真っ先にアロエはサクニャの頭を撫でながら再会を喜ぶ。その後、アサギの今までにやって来た不貞行為に頭を下げて謝罪した。

「えっ、あ……え?」

「お言葉ですがアロエ様、ワタシは最高峰のAIを持っています。それなのに馬鹿呼ばわりとは酷くないでしょうか」

「いやはや……なんか騒々しい事になっておるのう」

「あの、アロエ先生。いつ切り出そうかと思っていたんですが後ろの人達は一体――?」

 アロエが登場してからしれっと現れたティセア・神前・藍我の三人に怪訝な顔を浮かべながら、なんでここにいるのかを問いかける。

「あぁコイツ等? コイツ等アンタ達に負けたからって処罰されそうになったのよ。もう一人いたんだけどソイツは、まぁ――ちょっとね」

 もう一人――そう言った時のアロエは明らかに目線を逸らして話題に触れないようにしていた。神前と藍我がいるがさっきと比べて一人足りず、アロエが言い淀んだことの意味とはつまりミシェ達に聞かせるには刺激が強すぎると判断したのだろう。

「大体の事情は理解しましたわ。それとですが――」

「あぁ、ちょい待ち。今は時間が無いんだ、話しは後に――っと」

 今までアロエの動向を静観していた怪物達の中から、パッと見猫のような外見ながらも体躯は多少見上げるほどの大きさ、そして獲物を狩るための部位が発達している個体が突如として牙を剥き、アロエのすぐ傍にいたサクニャへと襲い掛からんとしてきた。

「随分と躾のなっていない猫ちゃんね。ケガしたくないんならさっさとお帰りなさいな」

 ……グルルルル……グゥワオ!

 アロエが忠告をするものの怪物とはいえ所詮相手は獣同然の存在、当たり前のようにその忠告を無視してきた。

「アロエ様、相手はプログラムで動いているのですから何を言っても聞きやしませんよ」

「あっそう。じゃあ本能に語りかけてみる事にしますか」

 愛弟子が齧られそうになっているにもかかわらず呑気に会話をしている。その様子にアロエの事をよく知らない白黒と呉城はサクニャが悲惨な未来を辿る様を想像してしまい思わず目を背ける。だが――

 ズドン!

 おもむろに右手を上に伸ばしたアロエの手が怪物の上顎を掴むと、そのままクレーターができる程度の力で地面へと押し付け丁寧に黙らせた。

「さてと、一匹は大人しくなったけど……オマエ達はあたしと遊ぶ気はあるのかい?」

 巨大猫の怪物を叩き伏せたアロエは一歩二歩と前に出て、周りを囲む残りの怪物へと問いかける。

「だからアロエ様、言って聞くようなものではないと――」

 ダッ!

 周りを取り囲んでいた怪物たちが背を向けて一斉に逃げ出し、辺りは一気に静かさを取り戻した。

「おー、言ってみるものね。お利口なのが多くて助かっちゃった」

「む、無茶苦茶すぎる……まさかプログラムに恐怖を教え込むなんて」

 プログラムによって動く怪物たちは敵対者と見做した者に襲いかかり、逃げるという行動は持ち合わせてはいない。だからこそ偽りであってもゲームの敵役に割り振られていたのだが、それをアロエは圧倒的な力を見せつける事によって本来持ち合わせることも覚える事もない恐怖を教え込ませて撤退させたのだった。

「んじゃあまぁようやく再会できた事だしここから出るわよ」

 変なのを連れて来たり、怪物に絡まれたりと紆余曲折あったものの、アロエの本来の目的であるミシェとティセアの救出まで漕ぎつけるまでに至る。

 そしてアロエはここから脱出するための転移門を創り出し、転移先の設定等を行う。

「ふむ……そういえばぬしはこれでどこに行ことしとったんじゃ?」

「ひとまず避難するのに最適なプライベートアイランドがあってね、とりあえずはそこに行くつもり」

「ぬしがそこまで自信があるんじゃったら安全ではあるんじゃな」

「そういうこと。それで、話しはもう終わり? もうそろそろ追手が来る頃だろうしうちの弟子二人と入色白黒を連れていきたいんだけど」

「えっ⁉ なんでわたしも一緒に行く事になってるんですか⁉」

 なんだか危険が迫っているような感じではあったが、敵がアロエを追ってさらにミシェとサクニャを連れて行くのであれば白黒は取り敢えずアサギと一緒にどこかでやり過ごしていればそれでいいと考えていたので、アロエのこの言葉には大いに驚いてしまった。

「なんでもなにもぬしがセムリの教団に狙われておるからじゃろ」

「あ、あの、もっと意味わからないんですけど。わたしがその教団? っていうのと関わりあいになったのって今日が初めてなんですが」

 随分前から因縁があったのならまだしも、ついさっき会ったばかりの人が所属する組織から狙われるというのは些か理解の範疇を越えていた。

「入色黄黄おうき……ぬしの父親が教団にとって相当厄介じゃったらしいかのう。じゃからその一族であるぬしが厄介だと判断されておるんじゃろう」

「えっ、なんですかその理不尽。それよりもお父さんのこと知ってるんですか!」

「名前と功績ぐらいは、のう。五年ほど前にセムリの軍勢が大挙してきた時にその戦線をほぼ一人で押し留めたがその後の消息は不明――と。じゃから死んではおらんだろうが」

「お父さんが生きてる……? なにか! なにか他に知っていることは無いんですか!」

 行方不明になっていた両親の内の一人である父親が生きているかもしれない――そんな手掛かりを思いがけず知ってしまった白黒はティセアの肩を力強く掴んでさらなる情報を聞き出そうとする。

「セムリの奴が黄黄を見つけられてない事からこの世界に居ないのは確実……わしに分かるのはそこまでじゃ」

「そう……ですか。だったらわたしついて行きます」

 葉神アロエについて行けば父親の消息に繋がる何かに近づける――そう考えて白黒はアロエ達一行について行くことを決断する。

「ちょっとよろしいかしら白黒さん」

「なんですか? ミシェさん」

「貴女、確か自宅に一人メイドが居りましたでしょう。そちらはどうするんですの?」

「あー……そういえば千草に何も言ってなかったや。どうしよう、何も言わないでいなくなったら心配するよね、これは」

 大きな決断をしたのも束の間、色々あったせいか白黒は千草への連絡をすっかり忘れてしまっていた。

「それならご心配には及びません。入色黄黄の名前が出た時からこうなる事は予想出来ていたので、入色家本宅にはもう連絡済みです」

「えっ、早っ! えーっと、千草は怒ってなかった?」

「むしろ白黒様がご友人と共に行動する事に喜んでいまして、家の事は心配しなくていいと仰っていました」

「あくまで自分が出てこないなんて千草らしいなぁ」

 今までで一番の有能な使用人らしい行動に驚きつつも、千草からは白黒の旅立ちに好意的なようで背中を押してくれた。

「綺麗に話がまとまったようじゃな。ほんじゃまわしらもお邪魔させてもらおうかの」

「……なぜ敵である貴女達もついて来るんですの?」

 アロエに先導せれるがままに転移門へ入ろうとするとなぜかティセア達も一緒について行こうとしていた。

「敵だなんて人聞きの悪い。ちょろっとした行き違いがあっただけでわしらとぬしらの目的は似たようなもんじゃろ?」

「ぜんっぜん違いますわ! わたくしとサクニャは貴女達……というかそこにいる神前が連れ去った梨鈴を見つける為ですわ」

「ちょっと、鳴風が教団に入るように仕向けたのは私じゃなくて薬袋の奴よ、勝手に私の所為にされちゃたまったもんじゃないわ」

「むっ!」

「なに? ヤル気なの?」

「あ~はいはい……そういうのは後にしてね、ほんとに時間が無いし」

 互いの主張がぶつかり合い、顔を突き合わせて自身の正当性を主張するが不毛な争いに発展するのを感じたアロエが二人を引き剥がす。

「お言葉ですがアロエ様、ぶっちゃけもう手遅れかと」

「うん?」

「よぉーやく追いついたぜぇ」

 厳つい男の声が辺りに響き渡る。その声の出所を見ると、成人男性の胴回りくらいの太さはある金棒を持った男が木の天辺に立って見下ろしていた。

「……なんじゃ、誰が追って来たのかと思ったら万恃まんじじゃのうて馬鹿の方じゃったか。じゃ、気にせんと無視できるのう」

 どうやらティセアの予想では追手はもっと厄介なのが来ているのと思っていたようだが、実際に来たのを見て肩透かしを食らい、そして何事もなく転移門へと入って行こうとする。

「あっ、おい無視すんじゃねぇババァ!」

 未だに木の天辺から吼える男だが、大した興味を示さずとっとと行こうとしたティセアに対してどうしても振り向いてもらいたいが為、悪口を言って引き留めようとする子供がやりそうな手を打った。

「あぁん……誰がババァか。わしはまだ十九歳じゃぞ、ちゅうか前にも一度こんなやり取りをしたのう。いっぺん死んでみたいんならお望み通りにしちゃるが……」

「はっ! ようやくヤル気になったなぁオイ! 死にさらせやクソババァ!」

 ブチン――!

「あっ、なんかキレた音がした」

 二度目……いや、本人的には三度目のババァ呼びにとうとう堪忍袋の緒がブチ切れた。そして男はティセアが戦闘態勢に入ったのを見て、勢いよく木の上から飛び出してティセア目掛け一直線に金棒を振りかぶりながら落ちてきた。

「教団の一番槍、オルゲート・ドラフィオン――行っくぜぇ!」

「やかましい口じゃのう……ちと黙っておれ」

 樹上から迫るオルゲートに対してティセアはノーアクションで白鴉の杖を取り出し、威力の調整も照準も定めずに膨大な魔力で作り上げたまるで恒星の如き火球を放つ。

「なっ――うおっ!」

 空中で身動きの取れないオルゲートは防御姿勢が取れないまま火球に突っ込む。もっとも、そんな事が出来たとしてもあの火球を受けてしまってはなんの意味もなさないであろうが。

「お・ま・えなぁ~! いきなりあんなモン打ち込むなよ。熱やら光やらを防ぐ身にもなれってんだよ」

 ティセアの放った一撃は大気すら焦がす熱量と視力を永遠に奪う光量を持っていたが、魔術の気配を感じたアロエは瞬時にそれらを防ぐ闇色の帳を魔術によって生みだし、ティセア以外の全てを覆いこんで護っていた。

「ぬしがおるから大丈夫じゃと思ったんじゃよ。ほれ、邪魔者も消えたことじゃしここにはもう用は――」

「つれないねぇ~……もう少し遊んでってくれよ」

「むっ?」

 おかしな足止めもいなくなったので改めて転移門へと向かおうとすると、もう聞くことは無いと思っていた声が聞こえて来た。

「な、なんで生きてられるのあいつ……」

 ソレは生物はおろかこの世に現存する物質はアロエが防いでいなければ蒸発する熱量の炎の中から歩いてきており、その人影を見て思わず白黒は呟いていた。

「いや~燃え滾ってきたねぇ。嬉しいよ、元司教補佐のアンタがオレ様と遊んでくれるなんて」

「……こやつはこんなに厄介な奴じゃったか?」

 オルゲートが無事な理由も分からないが、それ以上に彼の持っていた金棒が赤熱し先程よりも明らかに肥大化しているのが目に留まる。

「なんでオマエが知らないんだよ。とにかく相手をする必要は無いんだから早く行くよ」

 金棒を担いでゆっくりと歩いて来るオルゲートを尻目に、アロエは転移門の中にミシェ達をポイポイと投げ入れて最後に自分がその中に入って行く。――アサギだけをその場に残して。

「えっ⁉ なんで……なんでアサギを置いていくんですか!」

 なぜアサギだけが残される事になるのか納得のいかない白黒。彼女は手を伸ばしアサギを引き寄せようとするがそれをアロエに阻まれてしまう。

「コイツはここから出ることが出来ないのよ。それに心配はしなくていいわ、この島にいる限り死ぬなんて事は起こりっこないもの」

「そういう事です白黒様。ワタシの様な者など気にせず先へとお進みくださいませ。アナタは御父上を探すと決められたのですから」

 閉じゆく転移門を前に別れの言葉を白黒へと言い放つアサギ。だがそれでも白黒はアサギを求め手を伸ばし続けるが、その手はアロエによってやんわりと下げさせられた。そして転移門は完全に閉じてしまい後にはアサギとオルゲートだけがその場に残された。

「かーっ! なんだよ折角エンジンかかってきたってとこなのによぉ。こんなヒョロイ姉ちゃんしかいねぇとか食い足りねぇって」

「残念ですがワタシが食わせてあげられるのは鉛玉しかありません。悪食なアナタにはピッタリでしょうが」

 もう護るべきである白黒は彼方へと去り、アサギも此処に留まっている必要性は無いのだが何らかの方法で追って来られる可能性を考えてか銃を両手に構えてオルゲートと相対する。

「そうかい。それじゃあちょいと食わせてもらおうかね!」

 オルゲートが巨大な金棒を横薙ぎに振り抜く。その打面はアサギの背丈を上回っており、避けようにもその質量とは裏腹に勢いよく金棒が接近してきて跳んで避けるという瞬間を逃してしまった。

「おっと、これは即死コース……」

 もう避けられないと分かるや否や無駄な抵抗はしなかった。次の自分が何とかしてくれるだろうと――

 ガッ!

「ん~……なんだぁ?」

 窮地にいたアサギを護るように一本の棒が地面に突き立ち、オルゲートの金棒を易々と防ぐ。

「女の子一人を相手に随分と物騒な物を振り回していますね、あなた。よければボクがお相手しましょうか?」

 アサギの横にはいつの間にかピンク色のジャージを身に纏った女性が立っており、オルゲートの相手を申し出た。

「はっ! ちょっとは歯ごたえのありそうなのがおいでなすったなぁ。何モンだてめぇ」

「アルーシャ・カレイトス――通りすがりの一般人よ」

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異界渡りの双姫~黒白の乙女の電脳奇譚~ くろねこ @an-cattus

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