4. 本当に重要な役目

 ムールから差し出された紅茶を、ショウは一口啜った。

 夜から隠れるように点いているランタン。薄暗さの中に、ぽっとした橙色の明かりを灯す。控えめな光は、人の輪郭を怪しげに浮かび上がらせて。

 細めたショウの目も、橙色に灯っていた。

「ムールさん。話とは?」

 どこか恐怖感すら掻き立てる薄闇に、穏やかな声が響く。

 クリスが起きてこないといいな、とぼんやり思う。老爺は、聞きたいことがあると言ってショウをここに再度呼んだ。クリスを呼ばなかったということは、彼がいては出来ない話ということだろう。

「いえ、大したことではないのですが……お節介というか」

「『好奇心が溢れてしまった』?」

「そうそう、老人の面倒な好奇心です」

 ムールは、悪戯っぽく笑う。その顔に幾重もの皺が刻まれているものの、表情が何とも、少年のような人だ。

 ショウも思わず笑い返す。

「単刀直入にお尋ねします。ショウさんが、ドールですね?」

 その、問い掛けというより確認事項に対して。

 ショウは驚いた様子も、動揺した様子も見せなかった。ただ、手元にあるカップの中身、お茶の水面を見つめている。

「……なるほど。このお茶、『魔力入り』でしたか。魔力が僕に効かなかったから、そう思いました?」

 澄ました顔をした水面は、何も語らない。ショウの顔を映すだけ。

 茶葉か、と一人で納得する。この世界では、人間が魔力を持つことはないが、自然界にある物は魔力を有する。土、水、火、鉱石……そして、土や水で育つ植物も、また。

 人間は自らが魔力を保有しない代わり、そういった自然物を加工し、利用することで魔力を操ってきた。いかに有用的に加工するか、いかに魔力を扱いやすいものとするか。それは、日常生活や戦争における永遠の研究テーマである。

 そして魔力は、グラシアのドールには効果を為さない。

「……クリスが飲んだら、どうするつもりだったんですか?」

 チリ。その言葉に、圧力が乗る。

 ムールは慌てて両手を振った。

「ただの小さい睡眠効果ですよ。確信を得たいが為に、魔力を使用したのは謝ります……すみません」

 半ば呆れ交じりに息を吐く。きっと、その言葉は真実だろうけれど。

 ゆっくり頷いて、お茶をもう一口。

「そう、僕がクリスのドールです。聞きたかったことは、それですか?」

 ドール。持ち主と共に育ち、持ち主を守る。親が子に与えるもの。

 ショウはクリスのドールとして、生まれた頃から共に育ってきた。関係としては、兄弟も同然だ。ドールの本分として、そして兄弟として。ショウはクリスを大切に思っている。

「本題は、貴方達ドールに備わっているという“役目”についてです」

 ムールは開く。サニの持っていた本を。

 クリスが途中で止めたその頁。そこには、掠れた文字でこう書かれている。


『ドールは子どもと一緒に成長します。そうして、楽しみも、苦しみも分かちあうのです。

 特に苦しいこと、かなしいことを、彼らは子どもたちの代わりにくれます』


「持ち主の友となることが、ドールの目的の一つ。ですが、本当に重要な役目は、こっち……ですよね?」

 神妙な顔付きが、こちらを覗き込む。

 一人のドールは目を細めて、そっとカップを置いた。沈黙の中で、ランタンの火が波打つ。


「ドールの役目は、『子どもが人生で感じた、最大の苦しみの記憶』を代わりに背負うこと」


 やがて。温度も色も抜けた声が、そう零した。

 それは普段のクリスの声に似て、無機質だった。しかし次の瞬間には、いつもの微笑を浮かべている。

「ドールが最大の苦しみの記憶を持つことで、子どもの中のそれは、失われる。よって子どもは、一番の苦しみを忘れて生きることが出来る。『子どもに苦しみなく生きてほしい』という親の気持ちから生まれた人形……これが、ドール。グラシアの風習です」

 どういう思いで、この話を聞いているのか。ムールは遣り切れない表情を浮かべていた。

 ショウは、持っている。

 胸を掻き毟りたくなる程の苦しみの記憶を。目の前が暗闇に塞がれ、心がいとも簡単にぷちんと押し潰されるような絶望を。元は、クリスのものだった記憶を。

 そうしてクリスは、その記憶を失っている。

 それで良い。

「……クリスさんが、感情表現に乏しいのは」

「失ったんです。『最大の苦しみの記憶』と一緒に、感情の一部が欠落してしまって」

「そうですか……」

 この事から察せられることが、一つ。

 ドールが代わりに背負うのは苦しみの記憶であって、感情を奪う機能などない。つまりクリスは……「感情があること」に苦しんだということ。感情が、苦しみの一部であったということ。

 暫くの静寂があった後、ムールが口を開いた。

「旅の先、くれぐれもお気を付けください。グラシアの人間は、そしてドールは、外の人間に珍し過ぎる」

「……」

「近頃、国外にいるドール持ちのグラシア国民が狩られているという話もあります。ショウさんには、それをお伝えしたかった」

 こちらを見つめる、真剣な瞳。

 それは、単なる外国人狩りでは無いのだろう。

 何が目的なのか。この旅の先に何があるのか。

 分からないが。

「ありがとうございます。……肝に銘じます」

 何があっても彼を守ること。それがショウの変わらない思いだった。

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