2. 救出劇

「うわぁっ、や、やめてよ!!」

 叫び声に、二人は足を止めた。

 森を出たけれども、まだリヴァの街には足を踏み入れていない、「境界」と言ったところか。人気のない場所で、甲高い少年の悲鳴が聞こえてきた。

 ここからそう遠くない場所と思える。

「だ、誰か助けて! おねがい、たすけて!!!!」

「ただ事じゃないみたいだな」

 ショウの顔が険しくなる。恐怖。焦り。危機感。少年の叫びには、そういった感情が含まれていると分かる。

 二人で顔を見合わせた。言葉も無く、同時に頷く。

 次の瞬間には、首に巻いた外套をはためかせ、並んで駆けて行った。


 ガルルルル!!


 その時。タイミングの良い咆哮。獅子の形をした魔物だ。黒い影を纏い、血液のような赤目が、どろどろと少年を見据えている。その少年は、魔物の下。既に何ヶ所かを嚙まれており、魔物の瞳に似た色で染まっていた。

 ぐったり、抵抗する力を失っている。

「あのままじゃ失血で死ぬな」

「助けるか」

 言うが早いか、ショウは腰のベルトから二本の短剣を引き抜いた。

 右と左。双剣。日の光を浴びた銀色が両手元で煌めく。

「クリスは少年を!」

「分かった」

 抑揚のない了承を合図に、ショウが更に足を速める。

 勢いをつけ、踏みきり、空中へ飛ぶ。

「ほら……こっちだ!!」

『グルッ』


 ヒュンッ! ヒュンッ!


 双剣が空を切る。魔物が顔を上げる前に、ショウが放った短剣が思いっきり突き刺さった。右肩へ、背中へ……


『ガァァァァァァァァァ──!!!!』


 咆哮。怒り。痛み。

 魔物は体を振るって短剣を振り落とそうとする。が、深々と突き刺さったものが抜けるはずもない。ただただ、赤色が苦悶に滲む。

 ショウは空中で一度宙返りをしてから着地する。

 魔物を見据え、唇に不敵な笑みを浮かべて。

「ほら、おいで」

 魔物は、その体に刃を受けたまま動き出した。一歩一歩、ショウへ近付く。ぼたり。ぼたり。滴る血。足元にいる少年に降り注ぎ、もう彼は血塗れだ。

『グラァァァガァ!!』

 次の瞬間、魔物がショウに思いっきり飛び掛かった。

 武器を持たないショウは、外套を翻して躱す。躱す。それから、体全身を使って魔物の脇腹を打った。骨の軋む、鈍い音。

『ガッファ……』

 動きは止まない。

 彼はよろめいた魔物の背に飛び掛かり、短剣を引き抜いた。

 痛みに暴れる黒い影。バッと距離を取り、もう一度接近。動きの隙間を縫って、その体を何度か浅く切り裂いた。

 ショウの方に、傷が出来ることは全くない。

 普通の獣と何ら変わりない、低級の魔物なのだから彼が負けるはずは無いのだけれど。

「……相変わらず容赦無いな」

 遠目で見ていたクリスがぼそりと呟く。

 機会を伺って、倒れた少年へ少しずつ駆け寄っていた。もう魔物の興味はショウだろう。落ち着き払い、慌てず少年の側に跪く。

 自らのものと、獣のもの。鉄臭さを纏った少年の瞼は開かない。苦しげな表情を浮かべたまま、仰向けに口を開けていた。その薄く開いた唇へ、手を持っていく。

(……浅いが、息をしているな)

 となれば優先事項は止血。仰向けでは、流れた血や吐いた血が喉元に詰まり窒息する可能性がある。ゆっくりと、その身を斜めに傾けた。

「ッ、うぇっ、ゲホッ……」

 数回血を吐く。

 表情を変えずに、クリスは自分が肩から掛けている大きなショルダーバッグの中を覗いた。着替え、薬、布切れ……これだ。

 クリスは布切れを取り出すと、少年の傷口をきつく絞る。すぐに染みていく赤色。しかし無いよりはマシなはずだ。

 すると、ふと少年が薄く瞼を開いた。

「だ……れ……」

「喋るな。死ぬぞ」

 血に湿った唇が、真一文字に結ばれる。いや、呼吸はしてほしいのだけれど。

 ひとまず応急処置は完了。この先のリヴァに住む子どもだろうか。そうでなくとも、近くの街に運んで然るべき治療を受けるべきだ。

(あとはショウがあれを何とかすれば……)

「クリス!!!!」

 名を呼ぶ声がして、振り返る。

 その目前に。



 魔物が飛び掛かる、影が迫っていた。



 全ての時計の針が。

 息を止めるかのような、感覚がする。牙が、爪が迫る。ゆっくりと、暢気なもので、耳は、風が吹く音を拾っている。大口を開けた魔物も満身創痍と言った表情で、ただただ怒りでその身を動かしていた。

 すると、後ろから「あぶない」と聞こえた。掠れた声を聴くに、少年か。

 クリスはそれでも表情を変えずに。

 ため息をつく。

「……喋るな、って言った」

 透明な髪が揺れる。

 魔物に立ち向かうようにして立ち上がった、その瞬間に。

 首から下げていたネックレスの飾りが、光を纏った。水滴のような形をした……透明な水晶が。



 ドスン!!



 視界を回す。全ての遠心力を足に込めて、クリスは魔物に回し蹴りを放った。

 呼吸を取り戻した時計の針が、急激に動き出して時を進める。勢いよく横に吹っ飛んだ魔物は、近くにあった草陰まで転がって行った。

 体から力を抜いたところで、頬がどろどろしていることに気付く。魔物から滴った血液だった。それを適当に外套で拭っていると、ショウが駆け寄ってくる。その手には、赤く染まった双剣が握られていた。

「クリス! ……大丈夫? ケガはない?」

「何も。……魔物を任せたのに、こっちに寄越すってどういうことだよ」

「ごめんって。まさか突然そっちに標的を移すとは思わなくてさ」

 ショウが肩をすくめる。

 その時、足元で「うーん」と呻く声があった。二人で見下ろす。少年はまた気を失ったらしい。

 辺りが静けさに包まれて、ようやく周りに耳を傾ける余裕が出来る。騒動を知る由もない街の方向からは、人々の活気ある賑わいが響いてきていた。

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