第3話

 設置されたばかりのテレビから流れるバラエティ番組の嬌声をBGMに、智明はカップラーメンだけの侘しい昼食を摂っていた。

 味の濃いスープを飲み干したところで、モニターホンの電子メロディが来訪者を告げた。画面には配送員が映っていて、注文をしていたホームセンターからの配達だった。

 配送員から受け取ったカーテンを掛け、寝具類をベッドにセットし、智明は倒れこむようにしてベッドに身を横たえた。

 新しい業務に忙殺されながら一週間をビジネスホテルで過ごし、心身ともに疲労が極限まで溜まっていた。

 ようやく自分の寝る場所が確保でき、落ち着かなかった気持ちもいくらか和んだ。

 このまま昼寝をしたい誘惑を断ち切り、智明は気合を入れてベッドから起き上がった。生活に必要な日用品と、食料品の買い出しがまだ残っている。

 駅近くのスーパーで両手一杯の買い物を終えて部屋に戻り、買ってきた物を所定の場所に収納をした。

 ひと段落したところで、ホテルではできなかった下着類の洗濯物と、買ってきたばかりの洗剤類や物干し用ハンガーを共用の洗濯機置き場に持って行く。

 三台ある洗濯機のうちの一台がガーガーと音を立てていた。

 他の入居者が洗濯をしているようだ。智明は空いてる洗濯機のスイッチを入れ、洗濯物と洗剤を入れた。

 一階に下りて、共用冷蔵庫の自分用のスペースを確認した。自室の冷蔵庫はビジネスホテルに備えられているものと大差なく、飲み物類と食パン等で一杯になってしまった。

 共用冷蔵庫は大型で、各部屋の番号が書かれたカゴが冷蔵室と冷凍庫にあり、扉側の収納には仕切りがついている。これなら冷凍食品も買い置きできるし、大きなペットボトルも冷やしておけるので便利だ。

 冷蔵庫の扉を閉めてリビングに視線を向けると、テカテカと光る頭頂部が見えた。

 ソファに深く座ってテレビを観ている住人がいるようだ。

 智明は挨拶をするために、テカテカ頭に近付いた。

「あ、あのー、こんにちは」

 智明の問いかけに、テカテカ頭がデーゲームのプロ野球中継に向けていた視線を頭頂部を捩じるようにして智明の方に向けた。

 頭頂部に比べ、側頭部は豊かな毛髪の中年男性だ。

「あ、はい……」

 鼻の右横に黒子があって、少し締まりのない表情でテカテカ頭は返事をした。

「すみません、お寛ぎのところ……。あの、私、今日から203号室に越して来た内間です……よろしくお願いします」

 智明は丁寧に頭を下げた。

「あ、いや……私は201号室の遠藤です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 少し甲高い声で、遠藤卓実はソファの上で正座をして、挨拶を返してきた。

「まだ洗濯や部屋の整理がついていないので……あの、これで……」 

 こんな人見知りでよく営業をやっていたなと自分でも思う。

 会社もそれが分かっていて、今回の転勤では営業部から業務部への異動となっている。

「あ、いや、どうぞ……」

 遠藤も突然の智明の登場に戸惑ってるようで、智明同様に人見知りなことを隠せずに、しどろもどろになっていた。

 人見知り同士のぎこちなくばつの悪い初対面の挨拶を終え、智明は足早に部屋に戻った。

 腕時計を見ると五時を少し過ぎたところだ。

 昨日までは引継ぎなどで仕事が忙しく、会社からビジネスホテルに戻る途中で牛丼やラーメンを食べ、風呂に入ってビールを飲んでバタンキューだった。

 今日は居心地の良さそうな居酒屋を探して、一杯やるつもりにしていた。

 静かになった洗濯機から洗濯物を取り出し、曇天の下、所定の場所に干した。

 部屋に戻り、クリーニング店に出すワイシャツを持って一階に下りる。

 リビングのテレビは消えていて、テカテカ頭の遠藤や他の住人の姿はなかった。

 既に歩きなれたアーケードを避け、智明は南北に駅を貫く大通りに出てみた。

 大通りに面してはマンションが多く建っているが、商店は少なそうだ。

 しばらく駅の方に向けて歩くと、クリーニング店の看板が見えた。智明は店に入り、如何にもアルバイトといった感じの若い女性店員に声を掛けた。

 作成した会員カードと預り票を受け取った智明は、大通りからアーケードに向かう横道に入った。

 アーケードを横切って細い道を進むと、アーケードと平行に路地があった。駅方向に眼を向けると、次の路地と交差する角に赤ちょうちんが見える。智明は迷うことなく、赤ちょうちんに向けて歩を進めた。

 店は一軒家の居酒屋で、赤ちょうちんの後ろに少し汚れた紺地に白抜きの文字で〈万次郎〉と書かれた暖簾が掛かっていた。

 夕方の六時前だが、店は既に営業をしている。個人経営の店だとそこの主人が話しかけてくるケースが多いので、一瞬躊躇をしたが思い切って入ってみることにした。

 店内にはL字型のカウンターと四人掛けのテーブルが二席、奥に小上りがあった。

 若い男性店員に「いらっしゃいませ。何名様ですか」と、元気な声で挨拶をされ、智明は人差し指を立てて一人だと告げた。

 頷いた店員にカウンター席に案内され、一番端の椅子に腰を下ろした。

 カウンターの向こうでは固太りの中年男性が調理をし、鶴のように痩せた初老の女性が食器を洗っている。

 既にカウンター席は七分程埋まっていて、テーブル席も空いているのは一卓だけだ。奥の小上りには若い夫婦と、就学前らしい女の子の家族がいた。

「お飲み物は?」

 おしぼりをカウンターに置き、案内してくれた男性店員が注文を訊いてきた。

 二十代半ばらしい店員は頭頂部が黒く、耳の上あたりから下は金髪のマッシュルームヘアで、まるでプリンみたいな髪型だ。

 智明は生ビールと枝豆、ポテトサラダを注文する。

 店員は耳にかけていたボールペンで伝票に注文の品を書いて、カウンターの向こうに智明が注文した品を告げた。

 プリン頭が持ってきた生ビールを飲み、買い忘れた日用品を思い出しながらスマホにメモをした。

 普段は駅周辺の商店で事は足りるが、駅から離れた場所にはホームセンターや大型スーパーもあるので遠出用の足として、自転車も必要だなと考えた。

 店内は徐々に混んできていて、いつの間にか満席になっていた。

 智明の隣にも中年のカップルが、スーパーの袋を下に置いて談笑している。

 カウンターの中の二人だけでなくプリン頭の店員も忙しく動き回っているので、初見の智明に話しかけてくる様子はないので、少しほっとした。

 人見知りの智明が転居先で困るのは、居酒屋を含めた飲食店と散髪屋だ。

 初めての客に対して、質問するのが義務だと言わんばかりに話しかけてくることが非常に多い。

 曖昧に受け答えをする客の気持ちをもっと斟酌して欲しいと、智明はいつも思う。しかし、店側からすれば、初めての客の素性を少しでも把握し、リピーターになってもらいたいと考える、ごく当たり前の営業行為なのだが……。

 〆に食べたミニラーメンに満足し、智明は買い忘れた日用品を駅前の量販店で購入してからシンビオシスに戻った。

 玄関から階段を上がって自室に戻ろうとしたが、リビングからテレビの音が聞こえてきた。誰かがいるようなので、気は進まないが挨拶をしようと智明はリビングに足を向けた。

 テレビ画面はバラエティ番組が映し出されていて、ソファには見事な銀髪をアップにしている女性の後姿が見えた。シンビオシスに一人だけいる、と教えれれた女性の入居者のようだ。

「あ、あのー……す、すみません……」

 酒が入っていていくらかは気が大きくなってはいたが、相手が女性だと分かり別の緊張感から智明の言葉はぎこちなくなった。

「はい?」

 振り返った女性はすっぴんに近い薄化粧のようだが、黒目勝ちの眼で鼻筋が通っている超美形だ。

 その超美形の大きい瞳が、智明を真っ直ぐに見た。

「あ、あ、すみません。お邪魔して……。あの、ボク、私、今日からこちらに厄介になる……う、内間と申します」

 女性の容姿に緊張して噛み噛みになりながら、智明は頭を下げて挨拶をした。

「あ、あなたが……こちらこそよろしくお願いします。でも厄介になるっておかしいわ。居候するわけじゃないんだから」

 女性はそう言って、大きく口を開けて笑った。

「あ、すみません……」

「おかしな人ねー。すみませんが口癖なの?何も悪いことしてないんだから、もっと堂々としたら?なんて、偉そうなこと言っちゃったわね。私は老川です。ついでに下の名前は多佳子。一階に住んでいるこのハウスの紅一点です」

 老川多佳子はそう言って、再び豪快に笑った。

 ソファの前のテーブルには白ワインとチーズ、ナッツ類が置いてあった。歯切れのいい話し方には全く嫌味はない。歳は四十代前半くらいに見える。アップにした銀髪は染めているのか、艶やかで豊かだ。

「あ、ボク、いや、私は下は……と、智明と申します」

 智明は再びぎこちなく頭を下げた。

「内間……智明さん。どちらのご出身?」

出身ですか?あのー那覇です、沖縄の」

「沖縄!いいところよねー。でも、沖縄っぽくない顔ね。あ、また言い過ぎちゃったかな。でも悪い意味で言ったんじゃないわよ。どちらかと言えば都会っぽいクールな感じよ、ってこれも良くないか。ごめんなさいねー、ちょっと飲み過ぎちゃってるかも、ははは」

 多佳子は目の前のワインボトルを持ち上げて、残量を確認した。

「いつの間にか半分以上飲んじゃったみたい。いい歳をしたおばさんが土曜の夜に独りでワインをがぶ飲みしてるなんて、ちょっと問題よねー。ははは」 

 多佳子はまたもや豪快に笑った。

「……」

 どのような反応をすればいいのかが分からず、智明は強張った表情で追従笑いをした。

 初対面からグイグイと迫ってくる美女への対処の仕方が全く思いつかない。

「そんなところで立ってないで、こっちに座って付き合わない?沖縄生まれならお酒は強いでしょ?」

 根拠のない決めつけをしながら、多佳子は自分の右横のスペースを軽く叩いた。

「あ、いえ、ボク、いや、私は今飲んで帰ってきたばかりですんで……」

 智明は噛みながら言って、右の掌を激しく振りながら辞退の意を表した。

「ですんでって、どこの生まれよ……あ、沖縄だったわね。とにかく入居祝いに一杯だけ付き合ってよ。ワイン、飲めるでしょ?苦手なら冷蔵庫にビールもあるわよ」

 智明のぎこちない対応を笑いながら、多佳子は左腕を伸ばして智明の右手を引っ張った。

 手入れされたネイルと、中指の高級そうなデザインリングが、智明の眼に入った。

「あ、はい。ワインで、大丈夫です」

 沖縄の台風なみの強烈な勢いに圧倒されて、智明はL字型のソファを回り込んで多佳子の隣に座った。

「ちょっと待っててね。グラスとつまみ、といっても乾き物だけど、持ってくるわ」

 智明と交代するようにソファから立ち上がり、多佳子はジーンズに包まれた形の良いヒップを振りながら、キッチンに向かった。

 冷蔵庫と収納棚の扉を開け閉めする音を聞きながら、智明は多佳子の姿を見ないようにと、テレビ画面に視線を張り付けた。量販店で買った日用品が入った袋は、そっと足元に置く。

「お待たせー。ビールも持ってきたけど、どうする?最初はビールにする?私もちょっとビールが飲みたくなっちゃったから、乾杯はビールにしよっか」

 行ったことはないが、テレビや映画で観たことがある銀座の高級クラブのママさんのように、多佳子は智明に相対するようにソファに横向きに座った。

 それから智明の返事を待たずに缶ビールのプルタブを開けて、持ってきたグラスにビールを注いで智明に渡す。

 多佳子は自分のグラスにもビールを注ぎ、「ようこそシンビオシスへ!かんぱーい!」と、智明のグラスをぶつけてきた。

「あ、はい、乾杯……」

 智明は戸惑いながら、泡の目立つグラスのビールを飲んだ。

「おいくつ?」

 多佳子の質問の意味が咄嗟には分からず、智明は「え、は、はい?」と、訊いた。

「歳よ、年齢。私は今年で五十のバリバリのおばさんでーす」

「えっ!ご、五十ですか……ぜ、全然そんな風に見えません。ボク、私は、四十代前半かなって思ってました」

 智明は多佳子の年齢に驚きながら、正直な感想を述べた。

「あら、ホントにそう思った?嬉しいわー。でも、四十そこそこで、こんな白髪のおばさんはいないでしょ?」

「えっ!染めてるんじゃないんですか?ボク、私は、てっきりシルバーに染めてるんじゃないかと思ってました」

「その一々私って訂正するのは止めない?ボクとか俺でいいわよ。もっと気軽にしたら?これから同じ屋根の下で暮らすんだから、変な気遣いはお互いに疲れるわよ」

「あ、はい。き、気をつけます」

 智明は両手を膝について頭を下げた。

「だーかーらー、そんなにかしこまらないでって言ってるの。で、いくつなの?女の私が恥を忍んで年齢を公表したのに、男のあなたが言わないのはマナー違反よ」

「あ、いえ、隠したりしません。三十二です」

「へー、もっと若いのかと思った……あ、お世辞じゃないわよ。このハウスには、二十七歳の翔君っていう若い男の子がいるんだけど、彼と同じか、ちょっと上かなって思ったわ……お仕事は?」

「あ、時計メーカーに勤めてます」

 智明が社名を言うと「高校の入学祝で貰ったわ」と、多佳子は言った。

 だが、今はスイス製の時計を持っていると言い「ごめんねー」と、智明の肩を軽く叩いた。

 自分もこのくらい物怖じしないで初対面の人と接することができてたら、営業を外されなかっただろうと智明は思った。

 それから一方的に多佳子が話し、智明は質問されたことに答えるか、頷くだけの聞き役になって二人は飲み続けた。

 ワインも赤のボトルに変わり、ビールの空き缶がテーブルに林立した。

 つけっぱなしのテレビの内容が分からなくなった十時になったが、他の入居者は目の前の魅力的な女性の特徴を知悉していて難を避けるためなのか、誰もリビングには来ない。

「いつもリビングはこんな感じですか?」

 ナッツを口に運びながら、智明は探りを入れるように訊いた。

「土曜日の夜に関しては、このリビングは私専用みたいな感じかな。私の他に誰かと会った?」

「ええっと、市川さんと遠藤さんには……。でも簡単な挨拶だけで、話はしてませんけど」

「ああ、市川さんはいつも土曜の昼過ぎから出掛けて、日曜の夜に帰ってくることが多いわね。理由は訊いたことがないけど。多分……私の想像だけど、奥さんがいて、そこに帰ってるんじゃないのかな」

 酔いが深まり、少し呂律が怪しくなり始めた口調で多佳子が言った。

「え、奥さんがいるのに、なんでここに独りで住んでるんですか?」

「それは聞いたことがないから分からないけど…でもすごくいい人よ。昔は自動車メーカーのお偉いさんだったみたいだけど全然偉ぶらないし、人の話もちゃんと聞いてくれて、説教臭くない的確なアドバイスもしてくれるし」

「確かに感じのいい人ですよね。挨拶だけでしたけど、そう思いました」

「でしょ?で、遠藤さんは……実は、あまりよくは分からないの。ほとんどまともに話をしたことがないのよね。今日だって、このソファに座っていたので声を掛けたら、あ、はい、とか言って、テレビを消してスーっと二階に上がって行っちゃたし」

 チーズを齧りながら多佳子は言った。

「なんか、ボクと一緒で、人見知りなんじゃないですか。おいくつくらいです?」

「遠藤さん?さあ、聞いたことがないから分からないわ。でも、見た目で判断しちゃいけないけど、私よりは上だと思うけど……」

「お仕事はされてるんですよね?」

「そりゃあしてるでしょ。家賃だって払わなきゃいけないし。たまに出勤するところや、スーツ姿で帰ってくるところを見たことがあるわよ。でも、どんな仕事をしているかは分からないけど」

「老川さんは?お仕事はどんな?」

「私?私ねー、なんだと思う?当ててみて」

 多佳子は智明を試すような眼で見て、両手を腰に当ててニコっと笑った。その恰好がモデルのポーズのように見える。

「モデルさんとか……芸能関係じゃないですか?」

 智明は内面を洞察することなく、見たままの感じから安直に応えた。

「マジ?この私がモデル!トモ君って素直なんだか毒があるんだか分からないわねー。どうも素直に受け取れないわ」

 多佳子は手を叩いて笑った。一時間くらい前に、このハウスに来ることになった理由わけを多佳子の巧みな尋問で、包み隠さずに自供する羽目になってしまった。

 その際、彼女から何て呼ばれてたのかを訊かれ、素直にトモですと言ったら、じゃあ私も今からトモ君って呼ぶわ、となっていた。私のことは多佳子と呼んでと言われたが、さすがにそれはできませんと言うと、多佳子は頬を膨らませて不満を表明した。

「違うんですか?でも普通のお勤めじゃないような感じがしますよ」

「何よ、普通のお勤めって?」

「いや、ですから普通の会社に勤めているって感じがしないんです。なんて言うか、勝手なイメージですけど、会社勤めだとしても、マスコミ関係とか……とにかく華やかな職業のような気がします」

「まあ、普通のお勤めじゃないのは当たってるわ。実は、こう見えても公認会計士なの。でも自分で事務所をもってるわけじゃなくて、ちょっとした監査法人の事務所に籍を置いて、企業の監査とかをメインにやってるの」

「へー、公認会計士さんですか。すごいですね」

「何がすごいのよ。トモ君だって誰もが知っている会社に勤めてるじゃないの。今月は各企業の決算業務なんかでてんてこ舞いの忙しさで、今日は久しぶりの休日で……。仕事の話はおいといて、さっき聞いた彼女とは今後どうするの?」

「どうするって、今後も何も……もう終わっちゃったことですから」

「ふーん。そんなに簡単に割り切れるの?彼女の言い分も聞かないで未練とかはないの?」

「未練……ですか?ないって言えば嘘になりますけど。でも、なんて言うか、今後、もし万一付き合いを再開しても、ボクの中のわだかまりみたいなのは消えないと思うんです。ボクが怒るからと言って、嘘もついたし……それが一番嫌でした。それってボクを信用していないってことですよね?」

「うーん、どうだろう。二人の関係がどんなものだったかは、私には分からないからね。でも、会ったばかりだけど、トモ君の人の良さは分かるわ。だから、彼女はトモ君を傷つけたくないとか、心配をかけたくないって想いから咄嗟に誤魔化したんじゃないの?しかも自分の失態というか、酔ってしまって隙を作ってしまったことが、彼女にとっては頭から消したいことだったんじゃないのかな」

 多佳子は温かい眼差しで言った。

「そういう面があったとしても、ボクとしては駄目なんです。ボクの変なコンプレックスかもしれませんけど、相手の男の都会的な外見や、実家が金持ちっていうのが引っかかってしまって……。絶対に田舎者のボクをバカにしているように感じてしまうんです。二人でボクを笑っている姿が目に浮かんじゃって……」

 泣き上戸ではないが、智明は湿った声になってしまった。

「あ、ごめんごめん。そうだよね、こればっかりは当事者じゃなきゃ分からないもんね。ごめんね。お節介なおばさんで」

 多佳子は智明の肩に手を掛けて、頭を下げた。

「いえ、とんでもありません。初対面なのにくだらない話をしてしまって、こちらこそすみませんでした。少し、っていうか、かなり酔ってきちゃったので……そろそろこの辺で部屋に戻ります。今日はすっかりご馳走になっちゃって、ありがとうございました。後片付けはボクがちゃんとしますので……」

 よろけるようにソファから立ち上がり、智明は空き缶を持ってキッチンの分別用のごみ箱に持って行く。

 その後ろから多佳子がワインの空き瓶とグラス、チーズや乾き物を載せていた皿を持ってついてきた。

「あとは私がやるから、トモ君は二階に上がっていいわよ」

 シンクに持ってきた洗い物を置きながら、多佳子は優しい声で言った。

「あ、いえ、それはボクがやりますから……」 

 智明がシンクの横にあるスポンジに手を伸ばすと、「いいから、早く寝なさい。今日は引っ越しで疲れたでしょ。早く休みなさい……。また飲もうね」と、多佳子は言って、智明の背中を軽く押した。

「いいんですか?では、お言葉に甘えてお先に失礼します。次回はボクがご馳走します。あ、でも安いところになっちゃいますけど」

「期待してるわ。おやすみなさい」

 多佳子が笑顔で応えたので、智明は深くお辞儀をして、ふらつく足取りで階段を上って203号室に戻った。


※最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 暇つぶしになって次回も読んでみたいと思っていただけましたら、励みになりますので、ハート・星・フォローをお願いします。


 他に【日めくりカレンダー】【ポイズン~自己中毒~】という物語もアップしていますので、ご興味がありましたらご一読をお願いします。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る