第6話 教員採用試験合格

三月の上旬、特別支援学校では卒業式が行われた。そして卒業式から五日後、楓に初任校が言い渡された。それは予想外の学校だった。

公立中学校だったのである。

てっきり、特別支援枠採用者要員だと思い込んでいた楓は拍子抜けした。

その日の夜、初任校を知った恩師の亀岡から楓の携帯に連絡があった。

「楓ちゃん、よかったなぁ。特別支援で頑張った甲斐があったやないか。楓ちゃんのな、小学校から高校までずっと取り組んできたソフトボールの実績が評価されたんやろうなぁ。ちょうど今年でソフトボールの指導者が数人辞めるしなぁ。空きができたからなぁ。運が良かったなぁ。中学校やし、授業のみならず部活指導、生徒指導,校務分掌とか、いろいろ面倒なこともあるけどいね、初任校が中学校だったら、ずっとこの先、中学校教諭として学校を回っていくわいね。うちの都道府県は。まぁ特別支援とはまた違った大変さがあると思うけど、がんばるんやぞ。応援しとるからな。」

 恩師の心からの励ましを受け、涙ながらにお礼を述べて、楓は丁寧に電話を切った。

 涙も乾ききらないうちに、また携帯電話が鳴った。次の相手は母親だった。

「どうしたの?」

「今どこにおるんや?」

「アパートだけど。」

数ヶ月ぶりに聞く母の声。母の声にも涙が混じっているように聞こえたのは、気のせいか。

「清花に子どもが生まれてん。」

「予定より早いじ?」

出産予定日は三月末と聞いていた。それより十日以上も早かった。

「昨夜、破水して、今日の昼、生まれたんや。」

母の声がまるで、大きな石で喉元を押さえつけられている状態で発声しているように聞こえる。ひどく苦しそうだ。

「清花は元気なんでしょ。」

「うん。」

明らかに様子がおかしい。つとめて楓は明るい声を意識して出した。

「それはよかった。男の子やって言っていたしね。今から名付けやね。」

反応がない。出産に立ち会っていて疲れているのだろうか。それにしても声が重い。何かあったのだ。

「ダウン症やったんや。」

何かあったのか、と聞こうとした瞬間、楓の耳を携帯電話越しに殴りにかかってきた母の重い声。

「え??」

「清花が出産した後、医師がずっと遠くの方で、看護師と何やらごそごそ、言うとったんや。大学病院に連絡しようか、いいや必要ない、とか相談してて。全く子どもを抱かせてもらえなくて、五時間ほど経った頃にようやく抱かせてもらったんや。手が小さい子やなぁ、くらいしか思わんかってんけど、それから二時間ほど経って、清花と私と婿さんが小児科医に呼ばれたんや。その時に、ダウン症だと告げられたんや。」

 医師に告げられてから、清花はずっと泣いているのだという。婿母からは、どうして染色体検査をしなかったのか、どうして検査代の十数万円をけちったのか、この子をちゃんと育てられるのか、と捲し立てられたと言う。婿の方は声が出ないくらい落ち込んでおり、精神的に参っている状態だと母親は教えてくれた。

「命の選別をしたらいかんという頭もあって、清花たちは染色体検査を受けんかったんやろう。決して検査代をけちったんじゃないよ。旦那さんはちゃんと働いているんだからさ。」

母は何も答えようとしない。母が口に出しそうな言葉が、なんとなく冷んやりとした感触とともに伝わってきたので、楓は急いで言葉を足した。

「テレビでも特集されていたけどさ、ダウン症でもさ、金澤翔子さんのように、書道家として大成する方もいるんだよ。ハンティキャップを持って生まれてきた子はね、本当にすごい能力を持っている子が多いんだよ。育て方次第だよ。悲観するのは早いって。それに・・・・・・」

「向こうの家系におかしな人がおったんや。森川の家系にはおらん。過去にあほが生まれとったんや。それを向こうは隠しとったんや。向こうのおっ母さんの言葉遣いとか聞いとってもそうやろ。尋常じゃない。あの人普通じゃないわいね。」

母の負のスイッチが入った。徐々に心の温度が下がり、心が凍り付いていく音が母親の溜息と共に受話器から聞こえてくる。

「そんなこと言うもんじゃない。障害なんてわかんないよ。普通に生まれても途中で交通事故に遭ってしまって、障害を抱えてしまう人だっているのだから・・・・・・」

「楓の・・・・・・」

楓の言葉なんか聞いていないのは、百も承知だった。だけど母がこれを言いたくて、わざわざ電話してきたのだという、台詞が一言一句まぶたに浮かんで仕方がないから、何とか次の言葉を探そうと、楓は躍起になった。

「楓が・・・・・」

「私は関係ないやろ!」

「関係あるわいね。あんたが変な仕事に就くから、こんなことになるんや。あんたが、あほとばっかりおるから、清花があほを産むことなったんや。」

「ダウン症児は、あほとは決まってないよ。能力は育ててみんと分からんよ。」

「あほや。あほや。決まっとる。楓がいつもあほに触れた服をそのまま洗濯機に放り込んどったから清花に移って、あほを産む羽目になったんや。きっとそうや。」

断言系の言い方が出てきた瞬間、楓は電話口から耳を離した。電話の向こうでは、まだ母が何かをわめいている。楓はたまらず、携帯電話をベッドの方向へ投げた。

 妹の男子出産は、母の自己愛を殴りつける拳に変化していた。相当殴られて立ち上がれなくなっているのだろうか。ベッドに投げた携帯電話からは、まだ母の汚声と共に悲鳴のような嗚咽が確認できた。

 

楓は携帯電話に近づき、電話を切った。

そして携帯アドレスを引っ張り出し、母親の連絡先を着信拒否設定にした。


これでやっと本当の親子になれる。


楓はベッドに大の字になった。そして明日、ソフトボールの教習本を買いに行こう、と決めた。

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事故愛 ラビットリップ @yamahakirai

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