42話 PIC SISTER


 官邸のある永田町へ続く通りは、怒号と暴力にあふれていた。

 冤罪での逮捕を恐れた都民と、都民からの攻撃に怯えた警官が争いあっている。その中を、小さい男の子がひとりでぽつんと歩いていた。


「お父さん、お母さん……」


 買い物に出かけていた男の子とその家族は、突然この混乱に巻き込まれ、離れ離れになってしまっていた。男の子は不安そうに周囲を見渡すが、両親の姿は見当たらない。


「どこにいるの……」


 泣くことだけは堪えていたが、周囲の状況はさらに男の子を追い込んだ。一台のパトカーが男の子の方へ迫っていた。運転席の警察官は暴徒の投石を受けて意識がなく、パトカーは制御不能に陥っていた。

 周りの大人たちは避けるが、両親の姿を探していた男の子は眼前に迫るまでパトカーに気づけなかった。大きく見開いた男の子の眼にパトカーが映る。そして、男の子の体は宙を舞った。男の子は幼いながらも自分が死にゆくことを悟った。

 だが、男の子の体はいつまでたっても地面に激突しなかった。それどころか、ぐんぐんと地上から遠ざかっていたのだ。息を呑む男の子の耳に風の音に混ざって、自分より年上のお姉さんの声が聞こえた。


「じっとしてて」


 男の子が顔を動かすと、オレンジ色のジャケットを着た、自分より10歳は年上の少女が、自分を抱えていることが分かった。少女は男の子を抱えたまま、近くの建物の屋上に着地すると、優しく男の子を降ろした。金髪の少女は屈んで、男の子と同じ目線で話しかける。


「大丈夫? 怪我は無い?」


 現実感のない状況で投げかけられた言葉に、男の子は黙って頷く。


「お父さん、お母さんは?」

「わかんない」

「はぐれたのね。アンネ」


 少女が無線機に呼び掛ける。


『アイアイ。顔認識からこの子の情報を取得。戸籍謄本から親のリストを特定。両親に情報を送ったんで、もう大丈夫っす』

「ありがと、アンネ。ぼく、私はもう行くけど、すぐお父さんとお母さんが来るから、ここでじっとして待ってて」


 男の子が不安にならぬよう、少女は優しく笑いかけた。それを見て少し気が緩んだのか、男の子にある疑問が浮かんだ。


「お姉さんは……」

「ん?」

「お姉さんはヒーローなの?」


 問われた少女は少し吹き出す。だが男の子にとっては大まじめな質問だった。自分を事故から、しかも、人間離れしたジャンプ力で救った少女は、日曜日の朝に見る特撮ヒーローそのものだったからだ。

 ヒーローと呼ばれた少女は、困ったような、どこか照れくさそうな顔をした後、男の子の頭を撫でて答えた。


「ううん、ヒーローじゃない」


 男の子を見つめる少女の眼は、穏やかで澄んでいた。


「ただの、絵を描くお姉さん」


 少女は立ち上がると、


「ヒーローは別にいるの。今からそいつらを助けにいかなきゃ」


 じゃ、と手を上げて建物の縁へ走って向い、飛び降りた。

 軽やかな少女の姿は、男の子の記憶に鮮烈に焼き付いた。


 ◆


 少女――ライナは地面になんなく着地する。周囲は自分のことで精いっぱいで、ライナの常人離れした動きに気が付かない。ラスコーが残した軽外骨格エグゾスケルトンと衝撃吸収機構が備わったヒオリのブーツのおかげで、ライナには何のダメージもないが、


「流石に衝撃があるときついわね……」


 ライナは護衛官との戦闘で痛めた肩をさすった。体を動かすたびに肩には痛みが走り、熱を帯びる。


『だから、アジトに籠ってようって言ったんすよ、ピックシスター』


 まるでアンネ自身を見るようにライナは無線機を睨む。


「なにその呼び方」

『さっき自分で言ってたじゃないっすか! 自分はピックを描く、おシスターさんだって。いけてるっす! 真のヒーローは自分で自分をヒーローとは言わないもんなんすねぇ』


 アンネの、ナスカの蔑称に絡めた冗談か本気か分からない言葉に応える代わりに、ライナは周囲に向かって叫んだ。


「警官に殺されるわ! やつらを永田町まで追いたてて、退却させるの!」


 興奮した民衆にライナの言葉が伝染する。中には同じように叫ぶ者すらいた。

 この扇動もライナの「この国を倒す」作戦に必要なことだった。作戦の成功には、イザナミシステムを爆破するまでに、一度遠ざけた怒れる群衆と警官たちを官邸前まで再び誘導し、集める必要があった。


『党に反旗を翻す少女、ビッグシスターと双璧を為す反逆者! くうっ! AIながらも創作意欲が刺激されるっす! この作戦中のコードネームにしましょう! ついでにコミックにして出版していいっすか?』

「お断りよ」

『冗談。ところで、叫ぶだけでも肩にきません? 自分ならSNSで情報を流すだけでも、群衆の誘導はできるっすよ』


 アンネは言葉通り、現在も民衆と警官、双方の不安をあおり対立をさせ、その人流を官邸方面に集中させるような情報を、ネットに放流し続けていた。


「誘導だけならね」


 ライナは自分の近くに投げられた催涙手榴弾を軽外骨格の補助により蹴り返しながら続ける。


「実はあいつらに言ってない作戦の工程があるの。それには生の、人の声が必要なの」

『うぇっ、マジすか。ナスカお姉ちゃんも人造人間も心配しますよ! こんな危険な場所にライナがいたら!』

「だから言ってないのよ」


 ヒオリたちには十分なリスクを負わせているし、自分のことで彼らの判断が鈍くなって欲しくなかった。なにより、


「私はさ、自分の手でやらないと、気が済まないの。っていうか、自分でやらなきゃダメなの」


 国と戦うことも

 絵を描くことも

 困った人を助けることも

 友人のために戦うのも


 全部、自分事にしたかった。

 思い上がりなのかもしれない。エゴかもしれない。けれど、やらないまま、救えないまま、後悔を抱えて生きるのはライナはまっぴらごめんだった。

 自分に都合のいい未来や世界なんて、誰も与えてくれない。自分の手で勝ち取って初めて、自分の望んだ未来を選び取れる。だからライナは歩みを止めなかった。


「私は、ヒオリと、ナスカと、できればあんたとも、この国で絵を描きたいのよ」


 ライナは群衆と共に、官邸へ向け歩み続ける。

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