16話 ピンクの狙撃


「へいへい、ピッチャービビってるぅ!」

「このヒオリ様の剛速球を見て、同じことが言えるかなぁ?!」


 土曜日、文化祭当日の朝。開場10分前の準備がすっかりできた教室で、ヒオリを含めたテンションの上がり切った男子生徒たちが即興野球に興じていた。ヒオリはピンクのゴムボールを大仰なフォームでクラスメイト向け投げている。


「あほくさ」


 昨日の物憂げな雰囲気を一切感じさせないヒオリの様子を見て、ライナは虫の居所が悪くなっていた。そしてもう一人、ライナの心根を知らずはしゃぐ者がいた。


「ライナ、見て見て!」


 ライナの目の前で、ナスカは頭にバンダナを巻き、ピンク色のエプロンを身に着け胸を張る。エプロンの胸の部分には赤い糸で『びっぐしすたぁ』と刺繍されていた。


「手芸部の人たちが忙しい中作ってくれたんだ。どう? 似合ってる?」

「……まぁあんたが良いなら、良いんじゃない」

「うん、すごくいい!」


 賑やかに開場の時間が迫る教室。そこに、大柄な生活指導担当の男性教師が入ってくる。


「おい、お前ら、荷物チェックするぞ」

「えーなんでだよー文化祭は無礼講だろー」


 野球を中断してヒオリが抗議の声を上げるが、男性教員はヒオリたちに問答無用で近づく。


「三年のアホ共が酒を持ち込んでたのを風紀委員が見つけた。お前らのカバンにも入ってないかチェックする。特に鍵巣! お前は念入りに見るからな」

「横暴だー! 民主主義の破壊だ! 独裁政権に我らは断固として抗議するぞー!」


 と、強気の言葉とは裏腹にヘラヘラ笑ってヒオリは通学カバンを教師に見せていた。ヒオリの器用さにあきれていたライナだが、あることを思い出して顔を青くした。その様子に気づいたナスカがジャケットの裾をひっぱる。


「ライナ、どうかしたの?」

「いや、カバンの中に武器とスプレー入れっぱなしだったの思い出した。あーくそ、どう言い訳しよう」

「大丈夫、ボクこの国で一番偉い人だから、なんとかするよ」


 ナスカはそう言うと、男子の荷物検査を終えた教員に近づき、


「せーんせっ。荷物検査、免除してくれない?」


 下から覗き込んで可愛らしくウインクする。昨晩のヒオリのまねをしていることに、ライナは頭を抱えた。国家元首のあまりにポップな挙動に、男性教員も戸惑いを隠せない。


「いや、しかし、書記長。文化祭中といえども、未成年飲酒は重大な法令、校則違反で」

「でも、このクラスのみんなは品行方正ってヒオリが言って――」


 ナスカの言葉が中断される。彼女の横っ面に、男子たちが再開した野球のゴムボールがぶつかっていた。ゴムボールが床に転がり、先程までの騒がしさが嘘のように、教室は静まり返る。


「「申し訳ありません!」」


 ボールをナスカに当ててしまったバッター、そしてキャッチャーをしていた男子生徒二人がすぐさまナスカの目の前で土下座をした。生活指導の教師もそれ続く。


「申し訳ございません書記長! 私どもの生徒が大変な失礼を!」


 幸いゴムボールは柔らかく、ナスカは目立ったケガをしなかった。ナスカは少し赤くなった頬をさする。


「もー教室で野球しちゃだめだよー」

「はい、本当に申し訳ありませんでした!」


 ナスカはあまり気にしていないが、それでも野球をしていた男子生徒たちは頭を下げ続けた。ただ一人、ピッチャーをしていたヒオリを除いて。

 ヒオリはクラスメイトや教師が五体投地でナスカに許しを請っているときも、目大きく開けて、床に転がるゴムボールを凝視していた。


「グウォラァ! 鍵巣! お前も書記長閣下に謝罪せんか!」


 男性教員がヒオリの頭を掴んで無理やり地面に引き倒す。額が教室の床にこすりつけられるのを見て、ナスカが慌てて間に入った。


「先生やめて!」

「しかし、こいつも書記長閣下に大変な無礼を……」

「ボク、ヒオリにだったら何されても良いんだぁ」


 恍惚とした表情のナスカの答えに、男性教員は思わずたじろいだが、


「ビーちゃん男の趣味悪いよねぇ」

「DVとか気を付けなよー」


 教室にいる面々はもうナスカの『ヒオリ推し』に慣れきっていたので驚かない。再び教室を和やかな空気が包んだが、ライナは例外だった。教師から解放され、立ち上がるヒオリの脇腹を肘で突く。


「ちょっとあんた。土下座じゃなくていいけど謝んなさいよ。親しき仲にもなんとかでしょ」

「え、あ、ああ……」


 自分を見上げるナスカに、ヒオリは「わり」とだけ呟いて、会釈のように頭を下げた。


「あんたねぇ……」

「いいよ、ライナ。ボクもう怒ってないよ」

「詫びになんか飲み物、買ってくるわ」

「じゃあボク、コーラがいい!」

「りょ」


 ヒオリは心ここにあらずと言った様子で、片手を上げながら教室から出て行った。


「なんなのあいつ」

「ほら、ライナ、せっかくの文化祭だよ、スマイルスマイル」


 ナスカは手をライナの顔に伸ばし、指で無理やり口の端を上げさせた。


「やめて」

「ライナが笑顔になるまでやめませーん」


 にしし、とナスカが意地悪く笑う。それと重なるように、文化祭開催と開場を知らせる校内放送がされ、学校中が拍手に包まれた。


 ◆


「おっさーん、こんなところで何してんだ? のぞきかぁ?」


 雑居ビルの屋上で、文化祭が始まった学校から抜け出したヒオリは、寝そべって学校に向け狙撃銃を構える治安省特殊部隊の狙撃手に、背後から声をかける。先ほどの床に転がったゴムボールがヒオリの脳裏にちらつく。機械制御された狙撃銃を携行したこの隊員は、自分や、ナスカにボールを当てたクラスメイトを排除していなければならないずだった。


「のぞきは良くないなぁ。最近はそういうの、フィクションでも『センシティブ』ってやつで厳しくなってるんだぜ」


 狙撃手は答えない。微動だにしないまま、スコープを覗いている。嫌な予感を感じながらヒオリは狙撃手に近づき、手に持ったコーラの缶を傾け、狙撃手に中身をかける。しかし、それでも狙撃手はなんの反応もしなかった。ヒオリは意を決して狙撃手の肩を掴み、自分の方を向かせ、


「……っ! マジかよっ!」


 そして驚愕した。意識のない特殊部隊員の口に手のひら大の長方形の板が押し込まれている。リスト普及前の携帯情報端末、スマートフォンだ。


『各タンゴドッグ、こちらHQ、状況に変化ないか』


 兵士の着けているインカムから、状況報告を求めるオペレーターの声が聞こえる。意識のない狙撃手は答えられるはずがないが、


『HQ、こちらタンゴドッグ01。不審人物等確認されず。なお一般人が多いため、範囲内のリストのヨシュクシステムによる警戒を厳とされたし』


 口に捻じ込まれたスマートフォンが代わりに応答した。音声生成AIを利用しているためか、声は通常の人間と遜色ない。薬物か何かで意識を失っているため、リストによる生存確認も問題なしと判定されており、作戦指揮を担当する本部は疑うことなく、短く応答し通信を終えた。


「あぁ……まずいまずいまずいまずい!」


 ヒオリは慌てて自分のリストを振って通話をかける。


「草間さん! やべぇ! ナスカの護衛がやられてる!」


 ヒオリの視線の先には多くの生徒と、一般人、そして招かれざる客がいるであろう学校があった。


「敵が来たんだ! ナスカを狙って!」

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