10話 図書館ではお静かに


「はぁ?! 学校に来るだぁ?!」


 ヒオリことステインは浄火省執行部隊の隊員を殴りつけながらインカムに叫んだ。緑色の戦闘服を着た隊員が、私設図書館の床で意識を失う。


『ヒオリ、嘘ついてた』

「あぁ?! 俺がいつ、お前に嘘ついったっていうんだよ!」


 ステインは渋谷にある私設図書館にいた。AI未使用の絵画の回収及び破壊を執り行う、浄火省の強制執行部隊と戦っている最中に、ナスカから通話がかかってきたのだ。

 本棚に体を隠しながら、倒れた仲間に近寄る隊員を待ち伏せする。緊迫した状況の中、インカムの向こうからは機嫌が悪くなっているナスカの言葉が続く。


『ライナが見せてくれた動画の中のヒオリ、とっても楽しそうだった。学校、楽しくないって前にボクに言ってたのは嘘だったんだ』

「嘘じゃねぇって」


 本棚の影から躍り出て、近づいてきた隊員を拳銃で銃撃する、が、弾丸が出ない。連日の出動でメンテナンスを怠ったがゆえの装填不良ジャムだった。


「くそっ! そこにライナもいるのか?! 代われ!」

『今はボクと話をしてよ。いつもライナとは一緒にいるのに、ボクだけ仲間はずれなのはずるいよ!』

「いいから代わってくれ!」


 致し方なく拳銃を捨て、笑警棒ラフスティックを片手に突撃する。


「ここで死ね、ステイン!」

「てめぇが死ねこの!」

『誰が死ねですって』


 通話の相手がナスカからライナに変わった。隊員が繰り出す警棒と、ステインの笑警棒がぶつかり合い小気味いい金属音が鳴る。その音に負けない声量でステインが弁明する。


「いや、ライナじゃねぇって。いや、でもお前も悪い! なんでナスカに学校の様子見せた?!」

『見せろって言われたから、もぐ、見せただけだし、はぐ』

「んなの、断ればいいだろ!」

『断る理由もなかったし、はぐ、国家元首の命令よ、逆らえないでしょ』

「アナキストが独裁者の命令聞いてんじゃねぇよ! ぐぁっくっそ!」


 通話に意識が向いたステインの手首を隊員の警棒が強打する。痛みで笑警棒を取り落としたステインは、いったん警棒を持った隊員から距離を取る。


「しかもお前なんか食ってるだろ!」

『ケーキ食べてるけど、それが?』

「人が仕事してるときに!」

『しょうがないでしょ。国家元首にお茶に誘われたんだから』

「アナキストが独裁者と茶ァしばいてんじゃねぇよ!」


 ステインは手近な本棚から本を掴むと敵に投げつけた。本が体に当たって、隊員の動きが少し止まる。ステインは本を投げ続け、隊員の動きに隙を作る。


「あいつが学校に来たら絶対に面倒なことになる……ぞっと!」


 動きが止まった隊員にステインは飛び蹴りを食らわせる。地面に倒れた隊員に追加の一撃を見舞うため、馬乗りになり、拾い上げた本を鈍器にして殴りつけようとしたが、


「やめてください!」


 それを50代くらいの男性がステインの手を掴んで阻止した。彼はこの私設図書館の館長だった。


「ここにある本の中には過去の大規模な規制を免れた、貴重な物もあるんです! 粗末に扱わないでください!」

「うるせぇ! だいたいあんたが任意執行を拒否ったのが悪いんだろうが!」


 AI未使用の絵画は過去に大規模な回収が行われた。しかし、世の中にあふれた絵は膨大で、それは今も回収しきれてはいない。そのため、浄火省の回収員が定期的に巡回し、家々や施設から絵画を回収する作業を行っている。

 該当する物品は回収員に受け渡す。もしくは、絵が見れないようにその場でマスキングする処置を受ければ、なんのお咎めもない。絵を描くことに比べれば、かなり穏当な措置が取られる。しかし、この私設図書館の館長はイラストが描かれた本の受け渡しを拒否。武装した強制執行部隊が押し入り、その情報を得た特広対が現場に介入した、というのが、今この場で起きている戦闘の顛末だった。


「本の一冊くらい、ポンとくれてやればよかったのに!」

「なんてことを! あなた、ラスコーのように自由を愛する反逆者じゃなかったががががが!」


 館長に新手の隊員が撃ったテーザーガンが命中し、強烈な電撃を流し始める。


『ねぇ、ボクの話聞いてる?』


 通話相手が再びナスカに戻っていた。


「今それどころじゃねぇんだよ!」

『国家元首より大切なことって何さ』

「国そのものとかだろ!」


 テーザー銃を持った隊員に近づいて、ステインは再び本で敵を倒そうとする。が、すんでのところで止まった。武器にしようとした本のタイトルが、ステインの視界に入ったのだ。


 表紙には「よく分かるインド神話」と書かれていた。


「……ここって本の貸出してくれんのかな」

「何?」

「なんでもねぇよ!」


 攻撃を止めたことで怪訝そうな顔をしている隊員に、ステインは仮面越しに頭突きを食らわせ、ノックアウトした。


『とにかく明日から行くから』

「とにかく来んな! 公務はどうする!」

『技賀になんとかしてもらうもん』

「技賀さんはなんでもできる便利なロボットじゃねぇんだぞ! 心労をかけんな!」


 倒れた館長の元へ戻り、彼の胸に突き刺さった電極を取り除く。幸い、意識はあり、命に別状はなさそうだった。ステインは胸をなでおろすが、通話の相手も執行部隊もステインに休む隙を与えない。


『嘘ついたお詫びに、明日はお弁当作ってきてね、ヒオリ』


 インカムの向こうから、可愛くナスカがおねだりする。


「本省より焼却許可を受諾。これより最終執行に入る!」


 私設図書館の外で、執行部隊の容赦ない勧告がされる。

 重々しい足音と共に、酸素マスクを着け、耐火服に身を包んだ大柄な執行部隊の隊員が図書館に侵入してくる。


「マジかよ、やっべえ!」

『大丈夫、ボクヒオリが作ったものなら、何でもおいしく食べるよ』

「そうじゃねぇぇぇ!」


 ぐったりとした館長の体を抱え、ステインは図書館のガラス窓へ走る。

 耐火服を着た隊員は、背負っていた火炎放射器を構えると、火を図書館に放った。ステインが倒した隊員が中にいてもお構いなしだ。放たれた炎が床を、壁を、本棚を、本を喰らいつくしていく。


「くっそぉぉぉ!」


 炎に飲まれる直前、ステインと抱えられた館長は窓ガラスを突き破り、外へ脱出した。都市の湿り気と臭気を帯びたアスファルトの上に二人は倒れる。


『じゃあ、ヒオリ、明日学校でね~』


 通話が一方的に切られる。


「くっそ、どいつもこいつも俺の事情は考えないで……」


 息を切らしながら立ち上がり、悪態をつくステインに、ガラス片で血まみれになった館長が恐る恐る声をかける。


「あのぉ……」

「なんだよ! こっちは決め台詞のホイットマンの詩が言えなくてイライラしてんだ!」

「お尻に火が……」


 ステインは首を動かす。館長の言う通り、ステインの尻が煌々と燃えていた。少し間をおいて、ステインは飛び上がる。


「ぎゃぁぁぁ!」

「ステインさん?! 本! 本を返して!」


 呼び止める館長の悲痛な声は、走り去るステインの耳には届かなかった。


 その日の夜。SNSでは多数のユーザーが、尻に火がついた状態で、インド神話入門書を持ち、渋谷の街を疾走するステインの姿が写った写真やショート動画を投稿した。

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