7話 芸術は爆発だ


 翌日、昼休みの学校。ライナは教室の自分の席で、不満げに顔をしかめて昼ご飯のエナジーバーを頬張っていた。

 ライナとステインの活動により、都民は芸術活動と自由の意志への熱意を取り戻し、党へ反旗を翻した――ということはなかった。ステインのテロ活動は朝のニュースで少し取り扱われた程度。しかもステインが警備員たちと戦っている映像は長く流れたものの、ライナたちが描いた絵についてはモザイク付きで1~2秒しか報道されなかった。


「いやぁ、昨日は銃? みたいな音聞こえて怖かったわぁ」

「ミサのうち近いんだっけ」

「うん、港区あのあたりだからさぁ」


 近くの女子グループの席から、マウントも含んだ会話が聞こえてくる。昼休みにもなると、誰もがそれぐらいの薄い内容でしかステインの活動に触れていなかったし、SNSでの話題の熱量もそう高くはなかった。

 ライナは悔しかった。自分たちが命をかけて戦い、そして描いたものがないがしろにされたことが。ヒオリが語った『どこまでも他人任せ』という事実が証明されてしまっていることが。そして何より腹が立ったのが共犯者であるヒオリの態度だった。


「ホクサイ【水着部分を肌と同じ色にしてループバック】ってこうすると……」

「おぉぉぉ! すげぇ、裸っぽく見える!」

「だろぉ? 規制のフィルターは着衣の有無で識別してるから、色を変えて水着と皮膚の境をあいまいにすると、それっぽくなるんだわ」

「流石、鍵巣。エロい絵をホクサイに書かせたら右に出るものはいないな」

「よっ、エロリスト!」

「性欲の反逆者!」

「やーめーろーよー! てーれーるーだーろー!」


 教室の一角を占拠している男子グループの中で、ヒオリはホクサイに書かせた猥褻な画像を他の男子に得意げにシェアしていた。数日前のライナなら気にも留めていなかった光景だが、今は違う。あれだけのことをして、何事もなかったかのように振舞うヒオリが苛立たしかった。ヒオリが隠し事をしているのは仕方ないし、それを皆の前で公言しろとは言わない。だが、自分とあれほどまでに素晴らしい作品を作ったのに、それがまるでなかったかのように日常を過ごヒオリの姿に、理性では妥協できても、感情で納得できなかった。


「くそっ」


 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。昼食で出たゴミを捨てようと、苛立たし気にライナが席を立ったところ、解散した男子グループの中からヒオリが近づいて声をかけてきた。


「ライナさん、ライナさん」

「何?」


 不機嫌そうに睨んでくるライナに、ヒオリは気まずそうに目を逸らす。


「えーいや、えっとですねぇ……草間さんからの伝言でさ」

「私の処刑でも決まった?」

「そうじゃなくてさ……まぁ、昨日の打ち上げってわけじゃないんだけど……」


 ヒオリは少しはにかんで答えた。


「今晩、一緒にメシどう? って」


 ◆


「昨日はごめんなさい」


 草間は調理の手を止めることなくライナに詫びた。

 夕食時、ライナは特広対の拠点、美術館の中にあるカフェテリアにいた。昨日ライナが観た美術館内の巨大な建造物は壁でも、ましてや宇宙船の艦橋でもなかった。そこは円形の形をしたカフェテリアで、席からは東京の夜景が見えた。かつては美術館を訪れた人たちにコーヒーと軽食を提供していたカウンターで、草間は鮮やかに包丁や菜箸を振るう。


「そして、ありがとう」

「いいですよ、別に。家にいてもやることないんで」


 ライナはカウンター席に座り、肘をついてただ料理の様子を眺めていた。ヒオリは「トイレ」と言って席を外していた。


「今日、来てくれたことだけじゃない。昨日、ヒオリと絵を描いてくれたことに対しても、お礼を言いたい」


 予想していなかった言葉に、ライナは面食らった顔をした。


「昨日、あなたと絵を描いているヒオリ、とても楽しそうだった」

「あいつ、クラスだといつも下ネタでゲラゲラ笑ってますけど」


 不快感を隠さず答えたライナに、草間は首を振る。


「あの子は10歳になるまで国の研究施設にいた。彼は『製造』されてからずっと、そこで人体実験を受けてたの」

「人体……実験?」


 初耳だった。昨日のヒオリはそんなことは一言もライナに告げていない。フィクションではよく聞くが、現実ではおよそ聞かない単語に、ライナは座っているのに足元がおぼつかなくなるような感覚を覚えた。


「ええ、不死身の兵士は確かに有用だけど、コストパフォーマンスが悪かった。計画が見直されて、あの子は実験道具にされた。薬品や兵器の」

「……酷い」


 絵を描こうとするライナは、自分が高確率で入ると思われた、国の矯正施設についても調べていた。だが、矯正施設で行われていると言われるどんな処置より、ヒオリの受けた仕打ちほどではないだろうと、ライナは確信した。


「理日田長官が彼を救って、学校に行かせたり、私が彼の教育を担当したけれど、人との接し方は上手く教えられた気がしない。そのせいか、彼は楽しそうに演じることが多い。その方が私たち大人の都合がいいから」


 ヒオリが他者に対して愚者を演じていた。自分の予想が当たっていたのに、ライナはちっとも嬉しくはなく表情を暗くする。


「私は監督官として、上司として、あの子に戦い方しか教えられなかった。偽りのヒーローとして生きる術しか与えられなかった」


 器に料理を盛る草間の表情は眉一つ動いていないのに、それを見たライナに、草間のヒオリに対する暖かな母性と、強烈な悔悟の念を感じさせた。


「でもあなたは違った」

「最後に絵を描いただけですけど」

「ヒオリが言ってた『昨日は滅茶苦茶楽しかった』って。とても嬉しそうだった」

「あいつがそんなことを」

「ええ。彼が演技無しで楽しそうにするところなんて、神元ナスカといる時くらいだから」


 ライナは照れくさくなって草間から目を逸らした。人にこんなに褒めれたのは久しぶりだし、自分の描いた絵で誰かを幸せにできたことがとても誇らしかった。それと同時にライナの中に再び疑問が沸きだした。


 特広対のこと

 草間のこと

 鍵巣ヒオリと神元ナスカの関係のこと

 そして絵の規制のこと


 正直、ライナは昨日までこの草間という人物を信頼していなかった。子供のであるヒオリを前線に立たせ、自分は何もしない卑劣な大人だと考えていた。だがライナが見た草間は、そういった冷酷な人物に見えなかった。信用してもいいかもしれないと思ったライナは自分の疑問を草間にぶつけることにした。


「あの、聞きたいことが――」

「やー体ん中、全部空にしてきたわー」


 だがライナの質問はヒオリがカフェテリアに戻ってきたことで中断された。


「え、ライナさんまた怖い顔になってるけど、どうなさったん?」

「ヒオリ、手は洗った?」

「バッチリっすよ、草間さん! 今日は飯は何すか?」

「ぶりのステーキ」


 メインディッシュを聞きヒオリの顔は明るくなったが、対照的にライナの顔は曇る。草間は首を僅かに傾げ問う。


「もしかして、魚は嫌い?」

「ええ、あの、ちょとだけ」

「えーライナ魚食えねぇのー? 党推奨の食材だぞー?」


 ライナの隣の席に座ったヒオリはにやついてからかう。


「う、うるさいっ! くさみとか骨とか苦手なだけ!」

「……みそ汁とご飯もある。無理はしなくていいから」


 ライナの目の前に皿が置かれる。和風ソースのかかったぶりを見据えながら、ライナは震える手で箸を取った。ヒオリと草間が見守る中、ライナの頭の中にはある言葉が浮かんだ。


 答えは自分で探せ。


 理日田が昨日、去り際にライナに投げかけた言葉。その言葉に後押しされて、ライナはよく焼かれたぶりの白身を口に運んだ。


「……美味しい」

「よかった」

「ホント美味しいです。ママの作るやつと全然違う」

「だろぉ?! 草間さんの飯はいつも美味いんだ! 舐めるなよアナキストガール!」


 ヒオリは自分が作ったわけでもないのに、見たことかととライナを指さした。


「……ヒオリ、人を指でささない」

「サーセーン。じゃあ、俺も、いただきますっと」


 ライナに続いてヒオリが舌鼓を打つ。

 ライナは箸を進めながら思う。もう自分は後戻りできないところにいる。それならば、もうとことんこの状況に飛び込んで、答えを探すしかない。今まで嫌いだったものが、作る人が違うと美味しく感じることもある。それはもう自分で求めなければ一生分からなかっただろう。ライナの感じている疑問も、似たようなものだとライナは解釈した。

 不安がないと言えば嘘になる。だがワクワクもしていた。ようやく自分がこの国と、理不尽と戦うスタートラインに立てた気がしたから。


「やー! マジでうめぇっすわ!」


 そしてライナにはもうひとつ分かった、というか確信したことがある。


「やっぱ料理の秘訣は愛情っすか?」

「違う。技術スキル分量バランス、そして正確さ……」


 草間と話し、彼女の料理を食べて楽しそうにしているヒオリは、決して演技などしていないということを。


「子の心親知らずね」

「なんか言ったかライナ?」

「別に」


 首をかしげるヒオリと草間をよそに、ライナはみそ汁を呷った。


 ◆


「うちまで送ってくよ。池袋だっけ、ライナんち」


 楽しい夕食を終え、美術館の外に出たライナにヒオリは提案した。


「大丈夫。別に一人で帰れるし」

「じゃあ、せめてそこの駅まで」

「なんかやけに優しいじゃない」

「相棒だしな。それに女子を夜道に一人で歩かせたら、草間さんに叱られちまう」


 古いホームドラマみたいなヒオリの大仰な口ぶりに、ライナはやれやれと言うように首を振った。


「じゃ、お言葉に甘えようかな」

「了解。不肖ステイン、お供させていただきます」

「あんたキャラブレすぎ」


 ライナとヒオリはふざけあいながら並んで歩く。

 二人が美術館から通りに出ようとした時、黒いリムジンが目の前に停まり、行く手を遮った。


「ああ、マジか……」


 ヒオリが少し口元を歪める。リムジンのドアが勢いよく開き、中から白髪の少女が飛び出してきた。


「ヒオリー!」


 神元ナスカ。彼女は満面の笑みを浮かべ、まるで檻から放たれた肉食動物のような勢いでヒオリに抱き着く。


「来たか、この独裁者め!」


 ヒオリは彼女を抱き返しながら、その場で自分を起点にしてくるくると回り始めた。その様子はライナからは仲のいい兄妹きょうだいのように見えたし、周りのこと、特にライナなどはそこに存在しないかのように振舞う恋人のようでもあった。


「ヒオリ、今日のニュース見たよ!」

「おっ、どうだった。お気に召したか?」

「最高だった! あんなにいっぱい敵がいたのに、一人でやっつけちゃったの。ほんとにヒオリはすごいね!」


 自分もそこにいて、命がけのやりとりをしたんだけど。と、言う代わりにライナは横で大きな舌打ちをついた。そんなライナの心境を察したかのようなタイミングで、リムジンから出てきた女性が謝罪をした。


「ごめんなさい、夜分遅くに」


 その女性は微かに微笑む顔に眼鏡をかけ、深い青色のスーツに身を包み、物腰柔らかそうな雰囲気を纏っていた。回転を止めてヒオリは挨拶する。


技賀ぎがさん、お疲れ様です」

「お疲れ様、ヒオリくん。そっちの子が特広対の新人さん?」

「そっす。俺の相棒バディの番櫛ライナ」

「そう。初めまして。書記長補佐官を務めています、技賀ぎがハルコと申します」


 眼鏡の女性、技賀はライナに向き合うと綺麗なお辞儀をした。ライナも一応、会釈をする。


「神元書記長が特広対への『視察』に熱心なので、度々お会いするかと思います。どうぞお見知りおきを」

「視察じゃない! デートだ!」


 ヒオリに抱き着いたまま技賀とライナを交互にキッと睨みつけた。ヒオリはなだめるようにナスカの白髪を撫でた。


「はいはい、威嚇すんな。昨日の無茶でだいぶリスケしてもらったんだろ」

「だって……」

「まぁ、いい女に独占してもらえるのは、気分悪くねぇけど」

「えへへ」


 ヒオリの口から出る浮ついた言葉にナスカは顔を赤くする。逆にライナは自分に言われたわけでもないのに思わず顔を歪めた。自分より年下の少女にそんなことを言うヒオリも、それで嬉しそうにするナスカもライナには理解しがたい存在だった。


「ところでヒオリくん。昨日は施設を爆破するのではなく、絵を描かれたんですね」

「そうなんすよ。相棒の提案で」


 ヒオリは親指でライナを指したあと、はっとした顔をする。


「やっぱ、絵を描くのはまずかったですか? 俺たち矯正施設行き?」


 焦るヒオリの様子を見て、技賀は小さく笑みをこぼした。


「それはありえませんよ。特広対の活動は超法規的なものですから。お咎めはありません」

「ひゅー理日田のおっさんにはお説教食らったから焦ったぜ」

「安心してヒオリ。ヒオリは施設に入れそうになったら、逆にボクが技賀を施設にぶち込むから!」

「勘弁してください書記長」


 単語の危うさとは裏腹に、三人からは危機感のかけらもなかった。恐らくお決まりのやり取りなのだろうと、新参者のライナは理解する。


「で、ヒオリ。昨日は何を描いたの?」

「え、お前報告書で見てねぇの。写真付きで理日田のおっさんに上げたはずだけど」

「そ、それは……」


 技賀が意地悪そうに笑う。


「どこかの書記長様が昨日の予定を強引に変えたせいで、今日は忙しくて、検閲モザイクなしの画像がある報告書に目を通せなかったんですよね。書記長?」

「うぐっ……違うもん、ヒオリから直接聞きたかったんだもん」


 ナスカは唇を尖らせる。


「そうかい。嬉しいこった。ただ説明しづらくてだな……」

「なんで?」


 言い淀むヒオリの代わりに、ライナがずいっと前に出て、ナスカを睨み付けながら言葉の続きを強制的に引き継いだ。


「これを描いたの」


 ライナは中指を立てた。場の空気が凍り付く。ライナはナスカを見下ろしながら続けた。


「私はあんたも、あんたの統治する国も、私の相棒が過去にされたことも、絵を規制するのも認めない」


 ナスカは、気まずそうに苦笑いするヒオリから離れ、ライナの前に立ちはだかる。


「だからこれを描いたの、反抗の意思表示として。指は一本ずつ違う色にして、あんたが認めない人やモノを表現した」


 本当はスプレーが古くガスが抜けかけで、色を統一できなかっただけだが、それらしい理由をライナはでっちあげた。


「これは私が特広対として、内部からあんたたちと戦ってやるってメッセージ」


 ライナとナスカの視線がぶつかる。


「私はあんたたちが間違ってるって証明して見せる。そのために、あんたたちの国をぶっ壊して、ぶっ殺して、ぶちおか――」

「あー! いけません! 倫理! 倫理が乱れる音がしました! 健全フィルター! 青少年のための健全フィルターを展開します!」


 ヒオリの必死の叫びはライナの言葉は遮れたが、二人の少女の間に散る火花を鎮火するには至らない。


「番櫛ライナ」


 ナスカが、国家元首が自分のフルネームを把握していることにライナはぎょっとしたが、動揺を悟られないように険しい表情を変えないよう努めた。


「ボクはきみと違って寛大だ。だからボクは認めてあげる。きみをこの国の一員として。そして……」


 自分がついに国の脅威として、パブリックエネミーとして認識されるのだと思い、ライナは不敵な笑みを浮かべた。ナスカはうつ向き、帽子のつばで目線をライナから隠す。


「……認めよう。きみを恋のライバルとして」

「……は?」


 予想外の言葉に、ライナの立てた中指がゆるやかにへたった。そんなライナの腕をナスカは恥ずかしそうに笑いながらバンバン叩く。


「言わなくても分かるよ~! ライナはステインに助けられて、素顔のヒオリもかっこよかったから好きになっちゃったんだよね!」

「あの」

「皆まで言うな~! ボクも同じだったから分かるよぅ!」

「えっと」

「まっ、ボクのほうはヒオリに暗殺されかけたわけだし、ボクが上なのは変わらないんだけどねっ」

「いや、ヒオリのこと、異性としては好きじゃないから」


 数秒の沈黙。そして、


「えぇぇぇ?! ライナ、俺のこと好きじゃないの?!」


 ヒオリが眉をハの字に曲げて悲しそうに叫んだ。


「はぁ?! なんでそうなんのよ!」

「だ、だって俺の火傷手当してくれたし、なんか俺に優しいし……」

「いや普通に接しただけだし。え、なに、それで勘違いしてんの? キモッ!」

「あー! いまキモイって言った! 昨日言わないって約束したのに!」

「それとこれとは別でしょ、きっしょ!」

「ひでぇ、ヘイトスピーチだ! ナスカ! この女を懲らしめてやってくれよ!」


 ヒオリはライナを指さしながらナスカを見る。


「……ヒオリ、酷い」


 ナスカは肩を震わせ、金色の瞳に涙を溜めていた。


「ボクと将来を誓い合ったのに、浮気したなんて」

「あんた、こんなチンチクリンに求婚プロポーズしたわけ?!」

「んなわけねぇだろ! いや、そんなことあるけど、ニュアンスが違くて」

「わぁぁぁん! ヒオリの浮気者ぉ!」


 ついに泣き出すナスカ。あまりの声の大きさにライナとヒオリは耳を塞いだ。


「こんな頭の悪そうな金髪女にヒオリがとられたぁ~!」

「誰が頭が悪いって?! このつるペタ独裁者!」

「ヴァー! お前ら身体的特徴で罵倒しあうんじゃねぇ!」

「もとはあんたのせいでしょ、このロリコン!」

「ヒオリのバカァ!」


 耐えきれなくなったヒオリは天を仰ぎ、願った。


「ああ! 誰かこの言い争いを止めてくれぇ!」


 そして天は応えた。近くに見えるビルの爆発によって。


「「「……え?」」」


 オレンジ色の焔が高層ビルを包み込む様子を見た三人は、突然の出来事に言い争いを一瞬でやめた。


「書記長! 危険です、車の中に!」


 少年少女たちのやり取りを見守っていた技賀が、血相を変えてナスカの近くに駆け寄る。


「いや、全員美術館に入れ! 地下室もあるし外よか安全だ!」


 先ほどとは打って変わって、ヒオリは冷静に状況を見極めていた。対してライナは目の前で起こったことに現実味がなく、ただぼうっと火の手があがるビルを眺めていた。


「なに突っ立ってんだ! 俺たちも逃げるぞ!」

「ひゃっ」


 ヒオリに腕を掴まれ、引っ張られて、ようやくライナは走り出すことができた。燃えるビルを目で追いながら、ライナはナスカたちに続いて美術館の中へ退避する。


「草間さん! 地下室を開けてくれ! 書記長を避難させる!」

「了解。お二人とも、こちらへ」


 緊急事態でも草間は動じることなく、ナスカと技賀を誘導する。しかし途中でナスカが歩みを止めた。


「書記長、どうなされましたか?」

「技賀……これ……」


 ナスカは自分のリストで国営放送を見ていた。その場にいた全員が、ナスカの近くに集まり、彼女の手元に投影された映像を注視した。


 ◆


 ナスカの手元に映っていたのは暗い、洞窟の中を進む映像だった。

 不気味で原始的恐怖を感じさせる暗闇が映り、その奥から発せられるかのように声が響く。声は機械を通したもので、男女の区別がつかなかった。


『まずは、穏やかな夜の静寂を破ってしまったことを、都民の皆さまにお詫び申し上げたい』


 洞窟を進む映像が一瞬乱れ、何かが写り込む。


『今夜は我が国の懸念すべき事案について知っていただきたく、テレビ、ラジオ、ネットを通して皆様にお話をさせていただきます』


 ◆


「挨拶は良い、状況説明を頼む」


 治安省地下にある危機管理室に入った理日田は、仕事を中断して頭を下げようとする職員たちを制して、仕事を続けさせた。


「現在、宣伝省の管轄するテレビ、ラジオ放送、及び電子省管轄のインターネットの動画サイト全てで同様の映像が流れています」


 当直の職員が説明する中、理日田は危機管理室内の巨大なモニターに目を向ける。そこには各放送局、動画サイトの画面が投影されていて、全ての枠が同じ洞窟の映像を写している。管理室内のスピーカーが不気味な声を響かせる。


『率直に申し上げれば、私は芸術に対する自由を共和国政府に求めます』


「電波とネットを同時ジャックか……中断は試みているか?」

「既に両省が対応に当たっていますが、芳しくありません」

「両省長官は?」

「宣伝省長官は赤坂に。電子省長官は銀座に。ともに飲食店にいるようです」

「すぐに呼び出せ。出なければ料亭まで警官をよこして、無理やりにでも連れてこさせろ」


 だらけきった官僚たちとは逆に、事態はどんどん進行していく。


『我が国では既にステインと呼ばれる勇敢な同志が、政府に対し抵抗の狼煙をあげています』


 ◆


 新宿、渋谷、新橋


 都内の各所の大型ヴィジョンでも洞窟の映像が流れていた。


『ですが、それでは足りません。本邦では今もなお、AIを利用しない絵画の作成及び所持が禁止されています』


 大型ヴィジョンの付近にいた人々は皆足を止め、仄暗い洞窟を見つめ、写真を撮り、そして拡散した。


『それが継続しているようでは、いくら独裁者を倒したところで意味はありません。真の自由を勝ち得たとは言えません』


 そして新宿で、渋谷で、新橋で、都内の各所で爆発が立て続けに起こった。付近で起きた爆発に人々は混乱し、ぶつかり、逃げ惑う。


『かつて、偉大な芸術家はこう言いました「芸術は爆発だ」と』


 ◆


「都内各所で爆発を確認!」

「爆発地点の詳細を」

「確認中ですが、警察への通報情報が錯綜しています!」


 危機対策室のモニターに都内各所の様子が表示される。各所の建造物で火の手が上がっている。


『ですから私は、まずは政府への反抗の印として本日花火を打ち上げました』


「都内の全警官に非常事態を通達、都民の安全確保、パニック回避のための統制を徹底させろ」


 理日田は努めて冷静に各所へ指示を出す。自分が慌てふためいて、部下を不安にするのは愚の骨頂だからだ。


「長官……」

「どうした」


 ジャックされた映像は洞窟の壁を写していた。


「絵が……」


 写されていたのは洞窟の壁に描かれた壁画だった。荒々しいが生き生きとした、動物たちの群れの絵。


「ホクサイシステムで描かれたものか?」

「照合には時間がかかりますが、恐らくは……」

「違うだろうな」


 理日田はその壁画に見覚えがあった。かつて理日田が子供だった頃、博物館でそのレプリカを見たことがあったからだ。


『そう、党を恐れる必要はありません。芸術を慈しみ、愛する権利は誰もが持つことが許されるのです。もしこれを見て自分が一人ではないと気がついた方がいれば、鉛筆でもなんでもいい。私と共に絵を、未来を描きましょう』


 ◆


「ヒオリ……これも特広対のやったこと?」

「んなわけねぇだろ……」


 ナスカの弱々しく発せられた疑問に、ヒオリは苦虫を噛みつぶしたような表情で答えた。


「現れたんだよ、マジモンの反逆者ヒーローが」


『そして神元ナスカ率いる共和国政府へ。私たちは恐れません。あなたがたの弾圧を打ち破り、この国を、再び人の描いた絵で溢れる国に変えてみせる』


 本当の反逆者からの宣戦布告にナスカは顔を強張らせた。


「それに、マジモンの芸術家アーティストがね」


 そう呟くライナもヒオリと同じく苦しい顔をしていた。

 ライナとヒオリは理解していた。だからこそ、悔しくもあり、そして恐ろしかった。テレビの向こうの何かは、紛い物や、未熟者である自分たちを超えた、アイデンティティを脅かす『本物』なのだから。


 映像が切り替わる。そこには白いフード、ひびのような模様が入った白いマスク、そして白い戦闘服の怪人物が映し出されていた。ステインの真逆の、真白の英雄ヒーローがそこにはいた。


『私の名はラスコー。太古の芸術家、原初からの反逆者』


 白面の怪人、ラスコーが画面から消える。同時に、都内で燃え盛っていた火柱たちが一瞬にして、消えた。

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