時空超常奇譚其ノ四. 黄色いカバン/正義の味方は、何故地球を救うのか。

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚其ノ四. 黄色いカバン/正義の味方は、何故地球を救うのか。

 天界に、慌ただしく響く声がした。

「宇宙上神様、大変で御座います」

「何事じゃ?」

「漆黒の悪魔が現れて、時空間を喰らい始めたので御座います」

「漆黒の悪魔だと、それは大変だな」

「早々の宇宙上神様の御出馬をお願い申し上げます」

 慌てる中神の依頼に、宇宙を司る宇宙上神は当然のように両手で×を示した。

「駄目だ、ワシはこれから全宇宙上神会議に出ねばならぬからな」

「宇宙上神様、それどころでは御座いませぬ。既に北宇宙の時空間の一部は消滅させられておるのですよ、宇宙の一大事で御座います」

「それならお前がやりなさい」

「えっ、私が……で御座いますか?」

「そうだ、お前も神の端くれなら神力で漆黒の悪魔などチョチョイのチョイでやってしまいなさい」

「無茶で御座います。相手は漆黒の力を有している悪魔、既に対応した担当下神さえ喰われてしまったのですよ。私には太刀打ちなど出来ませんよ」

「情けないな。仕方がない、お前に魔神セットをやるから、それで何とかしなさい」

「魔神セットって、何ですか?」

「悪魔の力と神の力の両方を使えるようになるから、漆黒の悪魔など屁の河童だ」

「本当ですか、喰われるのは嫌ですよ」

「煩い。兎に角ワシは忙しいからな、後は頼んだぞ」

「そんなぁ……」

 魔神セットと呼ばれる黄色いカバンを渡された中間管理職の中神は、泣きそうになりながら途方に暮れた。

 新たな担当下神が言った。

「中神様、北宇宙に現れた漆黒の悪魔は、臆魔となったものの己を喰らって消滅し、核と千腑に分離しました」

「そうか、それは良かった。では、後は君がやりなさい」

「ボクは嫌です」

 担当下神は、きっぱりと言い切った。中神は、再び泣きそうな顔で途方に暮れた。

 広川タケルは、砂漠の真ん中に延々とうねりながら続く一本道を歩いている。遥かに地平線が見え、夜空には絵に描いたような三日月と星が輝いている。他には何一つ目に入るものはない。何故、歩いているのかはタケルにもわからない。一つだけ理由があるとするなら、これがタケル自身の夢だからだ。そして、タケルはそれが自身の夢だと気づいている。

 夢の世界は不思議だ。見ている時は現実と認識していて夢と気づく事は殆どない。即ちそれは現実ではないにも拘らず、刹那的な現実に他ならない。だから、タケルは目的などなく、唯歩いている。

 その時、前方から何かが相当に速いスピードで近づいて来るのが見えた。正体を確認できるまでの距離になって、初めてそれが5メートルはあろうかと思われる巨人の男だとわかる。

 巨人の男は、アラビアンナイトに登場するランプの魔人のようであり、何故か黄色と黒のトラ柄のパンツを履き、赤黄青色の空飛ぶ絨毯に座って腕を組み、畝りながら飛んでいる。どうせ飛ぶのなら畝る道に沿って律儀に飛ぶ事もないだろうに、何故だか曲道を縫うように向かって来る。

 タケルは、目を合わせないように、知らん顔で魔人とすれ違った。奇妙な輩とは目を合わせないのが一番だ。何事もなく通り過ぎたと思った瞬間、背後で地に響く重たい声がした。

「おいオマエ」

 振り向くと、魔人が光る双眼で怒気を漲らせながらタケルを凝視している。イチャモンなど付けられる覚えはない。初対面で喧嘩を売られるのも変だし、それにそもそもこれは夢だ。

「オマエ、俺が怖くはないのか?」

「何故?」

 タケルは、平静な表情を微塵も崩さずに訊き返した。魔人の声は強圧的ではあるものの、タケルには魔人の質問の意図がわからない。魔人も、何食わぬ顔ですれ違い、脅しの声にまるで怯む気配を見せないタケルの反応に怪訝な顔をしている。

「おいおい、俺は魔人だぞ」

「まぁ、そうだろうね。見ればわかるよ」

「はて、随分と肝の座ったヤツだ。俺の姿を見れば、大概の人間は悲鳴を上げて逃げ出す筈だがな」

 魔人が首を傾げた。

「何だ、僕を怖がらせたいのかぁ。それならちょっと違うかな」

「何が違うのだ?」

「日本で、そんなカッコしても誰も驚かないよ。変なコスプレしたオッサンくらいにしか思わない」

「コスプレ、オッサン、何だそれは?」

「兎に角、怖くはない」

「それなら、何が怖いのだ?」

「ゾンビとか妖怪とかじゃないかな」

「ゾンビ、ヨウカイとは何だ?」

「知らないの?説明するのが面倒臭いから画像で見てよ。ほら、コレがゾンビと妖怪だよ」

 持っていたスマホの画面を見せて補説した。その途端に魔人は呆れ顔で叫んだ。

「何だ、これは。俺にはこんな訳のわからない姿にはなれぬ。魔人のプライドが許さん」

 それを言うなら、お前の存在こそ訳がわからないではないか。タケルはそう思って嫌気が差した。

「これ以上は自分でネットでググってよ、じゃあね」

 そう言って、素気なく遇って歩を進めようとすると、魔人は急に必死の形相でタケルを引き止めた。出来れば関わり合いにはなりたくない。

「待て、待て」

「何を待つ?」

「もうオマエ自身も気づいているだろうが、この世界はオマエの夢の中だ」

「なる程、やっぱりこれは僕の明晰夢なんだ」

「俺はな、1000年振りにシャバに出て、アラビアからやって来たのだ」

「アラビア?」

 スマホでウィキペディアを検索した。

「今のイラク辺り。アラビアンナイトが生まれたのはアッバース朝時代750年から1258年で、首都はバグダッドかぁ、随分昔だな。でも何故、日本なんかに来たの?」

「俺は人間の驚く悲鳴やら恐怖心を喰らって生きている。ところがな、1000年振りのアラビアで人間の悲鳴を喰らえると思ったら、それが出来ぬのだ」

「脅かせばいいじゃん」

「やったのだ。1000年前と同じように、いやそれ以上に気合を入れて脅かしたのだが、誰一人驚

く者はいなかった」

「何故?」

「あっちこっちで化け物が暴れているのだ」

「化け物?」

「そうだ、1000年前にはいなかった『戦車』やら『爆撃機』とかいう化け物が轟音を放ち轟炎とともにそこら中の物を破壊しているのだ。俺の脅しなど比べようもない。だからアラビアはやめた」

「なる程ね」

「それでな、世界中を飛びながら化け物のいない場所を探したのだが、どうやらこの日本という場所には化け物はいないようだから、こで人間を脅す事にしたのだ」

「でも僕は驚かなかったって事?」

「そうだ」

「でも、何故僕なの?」

「俺の糧となる人間の悲鳴や恐怖心は、現実モノでなければ駄目なのだ。夢モノは味が薄過ぎてとても喰えたものではないし、大概の人間は夢と現実との間に意識の壁があって、現実では夢の中の事は覚えていない。夢と知る夢を見ている者と取引せねば意味がないのだ」

 現実モノやら夢モノやら、良くわからない言葉が飛び出す。取引とは何だろう。

「お前に魔器をやろう、それで俺の餌を狭間時空間に集めてもらいたいのだ」

「マギ、キョウカンジクウカン?」

 いきなり少年の手に黄色いボストンバッグが現れた。かなりの大きさに少年はひっくり返った。

「何、これ?」

「それがあれば、魔人の力を使う事が出来る」

「いらないよ、こんなデカイのどうするんだ?」

「気に入らない?1000年前は随分と人気だったぞ」

「どうやって使うの?」

「呪文を唱えてダイヤルを回して開けて閉めるだけだ。アイテムを取り出す事も出来るぞ」

「だったら、こんなデカイ必要はないじゃないか?」

「形が気に入らないのなら変えてやろう。どんな形が良いのだ?」

「急に言われてもな、じゃあ学生カバンにしといてよ。色は黒」

 魔人が再び首を傾げる。

「了解だが、色を変えると魔力が消えてしまうから色は黄色のままだ」

「黄色、まあいいか。でも何だかインチキ臭いな。餌を集めるってどういう事?」

「その内わかる。お前にとっても有益な筈だ」

 そう言うと、魔人はさっさと姿を消した。

 翌朝、夢から目覚めた少年は軽いめまいを感じた。何故なら、不思議な事だが少年の机の上に夢で魔神にもらった黄色いカバンが置いてあるのだ。

 確か夢の中で、魔人が「少年よ、オマエにそれをやろう」と言っていたカバンだ。呪文を唱えて、中心に付いているダイヤルを右に回してカバンを開けば、一瞬で思い通りになると言っていたような気がする。

 だが、それは飽くまでも夢、即ち妄想であり戯れ事に過ぎないのだから、夢から醒めた後の現実である机の上にその夢の一端が存在するのは辻褄が合わない。それこそが、夢と現実との明確な絶対的不文律であるのだ。

 もう一つ重大な問題がある、困った事に机の上には黄色いカバンしかなく、少年の学生鞄が見当たらない。「不思議」などと悠長な事を言っている時間の余裕はない。

「僕の鞄はどこだ。おぉい、魔神よぅ」

 タケルが呼んでも魔神からの応答はない。階下から「遅刻するわよ」と母の声がした。困り果てていると、黄色いカバンが何故か関西弁で喋った。

『魔神は出掛けとっておらんよ。黒い鞄やったら魔人が持っていったで』

「カバンが喋った?」

『そうや、喋ったらいかんか?』

いかん事はないが、良くもない。そう言えば「その黄色いカバンには意識と力があるから気をつけろ、機嫌を損ねると喰われるぞ」とも魔人が言っていた。

「僕の鞄……」

『そやから、魔人が持っていったと言ぅたやろが。「黄色いパンツに黒の鞄は良く似合う」とか言ぅとったで。それから小僧、名前は何や?』

「広川タケル」

『ほうか、ワシは神の魔器。神様と呼んでエエで」

 神奈川県川崎市の朝陽が丘中学校から転校したばかりの、星城学園中学校一年広川タケル13歳は、仕方なくその日から黄色いカバンで学校へ行く事になった。学生鞄の形をしたその黄色いカバンが何故少年の部屋にあるのか、それは大いなる謎だ。

金色のダイヤルが付いた鮮やかな黄色い学生カバンというのも珍しいが、何と言ってもそれが夢の中に出て来たものと瓜二つで、しかも何故少年の机の上にあるのか家族の誰も知らないのだ。気味の悪い話だが、ある朝突然に少年の机の上に無造作に置いてあり、そしてそのカバンが良く喋る。

「行ってきます」

 タケルは黄色いカバンで登校する事にした。途中、いきなりバス停の前で、気魂しい犬の鳴き声と女の叫び声がした。何が起こったのかは不明だが、緊急を要する事態だろうという事はわかる。

「あれだ」

 二匹のドーベルマンと思われる大型犬が、敵意を裸出した形相でベビーカーの主婦に向かって突進するのが見える。ドーベルマンは狂気的に牙を剝き、ベビーカーの中からは赤ん坊の泣き声がする。何とかしなければならない事は直ぐに理解できた。

「駄目だ、間に合わない。黄色いカバン、救けろ」

タケルは咄嗟に叫んだ。神ならば、この緊急事態を一瞬で解決するに違いない。

「おい少年、ワシは神様やと言ぅた筈やで。敬語使わんかい」

「煩いバカ、そんな事を言っている場合じゃない」

「・まぁエエか、意外やけどな」

 ドーベルマンの二つの黒い影が、一気にベビーカーと主婦に覆い被さっていく。その映像がスローモーションのように見えている。

「少年、「開放・収容・閉鎖」と唱えながら金色のダイヤルを回して、カバンを開けろや」

「?」

 神を自称する黄色いカバンの言葉にタケルは一瞬困惑した。意味が理解できない。

「早ぅせんかい」

 タケルは言われるままに金色のダイヤルを回し、カバンを開けた。次の瞬間、不思議な事が起きた。今にも噛みつかんばかりの二匹のドーベルマンが、黄色いカバンに吸い込まれたのだ。

「少年、良ぅやったで」

 そう言われたタケルには、未だ何が起きたのか認識できない。

「今のはダイヤル1番やからルーム1やで、忘れるなや」

 主婦に飛び掛かった二匹の大型犬は、一体どこへ行ってしまったのだろう。呆然とするタケルに、黄色いカバンが機嫌良さそうな声を出した。

「気に入ったで。お前の事をタケルて呼んだるわ」

 いきなり、妙に馴れ馴れしい。正体不明の黄色いカバンに気に入られても、どうして良いのか思案に暮れてしまう。

 突然の嵐が去った主婦は、交差点に立ち止まったまま呆然としていた。

 黄色いカバンでの登校は、決して楽ではなかった。学校に着くなり生徒の好奇の目差しに晒され、誰彼なしに「それは何か?」と訊かれ捲った。唯でさえ目立つ黄色いカバンの中央部分には、金色のダイヤルが付いていて、一見すると派手なブランド物のバッグのようだ。

 その日の授業など全く頭に入らず、タケルは重く淀んだ感情のまま漸く放課後を迎えた。一目散で帰宅しようとした校門の前で、一人の見るからに不良と思しき少年がタケルを呼び止めた。

「おいお前、転校生の広川って言うんだよな。ちょっと顔貸せや」

 タケルは気が進まない、どう転んでも真面に終わる気がしない。このまま走って家に帰りたいが、どう考えてもこの状況はヤバい。不良少年の学生服の上着は短く、下のズボンは意味もなくブカブカで全く調和が取れていない。一般的には、ヤンキーと呼ばれる少年である事は明白だ。

『おいタケル、何やこいつは?』

「ヤンキーだよ」

『ヤンキーが何やらわからんが、要は悪者やんな?』

「まぁ、そうだね」

 気は進まないが、無視できる状況ではない。有無を言わさず校舎裏の空き地まで連れていかれると、そこにヤンキーを絵に描いたような二人の輩が待っていた。一人のかなり大柄な少年が椅子に座り、片側に角刈りの少年が立っている。

「お前、広川タケルって言うんだろ?」

「そうですけど、何か用ですか?」

「一年坊主のくせにビビらねぇな」

「生意気だな」「俺達が怖くはねぇのか?」

 決して臆していない訳ではなく、いきなりの恫喝に困惑するしかないだけだ。身勝手に投げて来るイチャモンのパターンは夢の中の魔人と同じだが、同じイチャモンをつけてくる相手を比較すると、当然ながら魔人の方が強圧的である事は明白だ。ならば、こんな輩に怯える必要などない気もする。

「カッコいいカバン持ってるよな」「それいいよな、オレにくれよ」

「これは、事情があって駄目です」

 タケルは平静な表情を微塵も崩す事もなく、怯む様子も、退避ぐ事もない。何故なら、その理由がないし恐怖するというのも面倒臭いからだ。とは言っても、こういうシチュエーションは嫌だ、どう考えても唯では済みそうにないし、下手をしたらボコボコに殴られる。

 震える素振りを見せながらも、きっぱりと拒絶で応えるタケルを輩達が凝視する。緊迫したその時、黄色いカバンがタケルに囁いた。

『おいタケル、そんなヤツにビビる事なんかないで。ワシが合図したら、朝と同じようにこのカバンのダイヤルを回して投げろや、タイミングを間違ごうたらアカンで』

タケルには黄色いカバンの言う事が理解できないが、朝方に犬をカバンに吸い込んだあのパターンを再現すれば良いのかも知れない。

『タケル、タコられる前にイテマエや』

「大丈夫かな?」

『やるしかないやろ。今日逃げても明日は逃げられんで。こういう輩はな、絶対逃げたらアカンねや。きっちりとケリつけたらなアカンねんで』

「それはそうだけどさ、でもやっぱりヤダな」

『今日の朝と同じて言うたやろ』

「コイツ、何をブツブツ独りで言ってんだ?」「薄気味悪い奴だな」

 三人のヤンキー達がタケルを取り囲み、一人が殴り掛かった。同時に、タケルは指示された通りに呪文を唱え、ダイヤルを回し黄色いカバンを開けた。一瞬の内に、三人のヤンキーの姿が消えた。

「タケル、今のダイヤル何番や?」

「えっと、あっヤバい、朝と同じ1番にしちゃった」

 焦るタケルの回答に、黄色いカバンの魔器は笑い出した。

『タケル、グッジョブや。デカい犬二匹と悪者ヤンキー三人を同じ時空間に詰め込んだら、どないな事になるかわかるか?』

 タケルは首を振った。「猟犬二匹と悪者ヤンキー三人によって起こる事象は何かを答えよ」という問題は難解だ。

『答えはな、「魔人が笑う」や』

 黄色いカバン魔器の言葉に納得した。たが、輩達はどうなるのだろう、少しだけ心配ではある。

『タケル、悪者ヤンキーの事やったら、心配せんでもエエで』

「何故?」

『悪者ちゅうのはな、簡単にはクタバらん。世の中そういうもんなんや』

 タケルは何となく納得して頷いた。

「おい、ここはどこだ?」「わからねぇっす」

「犬の鳴き声がする……」

 三人のヤンキーが走り出した。遠くから狂ったような犬の鳴き声がした。

 翌日登校すると、学校は蜂の巣を突ついたような騒ぎになっていた。朝8時の正門にパトカー数台が停車し、警察官と思われる男達と学校関係者が何かを話し合っている。登校した生徒達は、何事かと噂しながらその横を素通りして行く。校舎の隣にある校庭には蛍光色の黄色い標識テープが張られ、立入禁止となっている。その奥、野球部のグラウンドがあった場所が大きく抉れているのが見える。

「タケル君、おはよう」

 そんな緊迫感のある状況で、同じクラスの女生徒である竹内日向子がタケルに話し掛けた。一年生ながら校内の噂は大概この娘に訊けばわかる事情通だ。

「おはよう、何かあったの?」

「大変な事が起きたらしいの。野球部員25人と監督、計26人が昨日の夜の練習途中に行方不明になったんだって。それにヤンキーの先輩何人かが家に帰っていないらしいんだけど、それと関係あるかどうかはわからないんだって」

 野球部の生徒が昨日の練習途中に消えたらしい。全員帰宅した様子はなく、行方の手掛かりもないのだと言う。21世紀のこの日本で、26人の人間が一度に消えるなどという事が起こり得るだろうか。尤も、ヤンキー3人が消えるのだから、26人が消えても不思議はないとも言える。

 黄色いカバンが、いきなりボソボソと呟いた。

『それな、間違いなく千腑の仕業やで』

「マギ、センブって何だ?」

『おいタケル、確かにワシは魔器やけど、神なんやから呼び捨てはないやろ。神様って呼ばんかい』

「ヤダ」

『・まぁエエか。千腑を教えたるから良ぅ聞けや。まず魔人とワシが何故存在するか、わかるか?』

「ええと、魔人は1000年振りにシャバに出たって言ってたけど、それまで何をしていたかは聞いてないからわからない」

『魔人はな、1000年の間ずっと漆黒の悪魔である百魔と闘っていたんや』

「シッコクノアクマ、ヒャクマ?」

『そうや。漆黒の悪魔はな、この世の時空間を喰らう悪魔なんやで。1000年前もワシと魔人で捕まえて狭間時空に吸い込んで、細胞の一つ一つを潰したんや』

「1000年間も?」

『そうや。但し、百魔の細胞は殆ど全部潰せるんやけど、必ず最後に核と細胞がそれぞれ一つ残る。その細胞が千個に分裂して、核とともに逃げてしまう。逃げた千個の細胞を千腑と言うんや』

「悪魔の細胞なんだ」

『そいつを探して、潰して、また探して潰す。その繰り返しをワシと魔神で1000年ごとにやってるんや。そやから、千腑が現れたっちゅう事はまたそいつ等を探して潰さなアカンねんよ』

 魔人は唯の奇妙なオッサンではなかったようだ。

『逃げた千腑は、世界中に散って隠れながらヒトの魂を喰らってデカくなる。一つの千腑が百の魂を喰らうと魄になるんや』

「ハク?」

『そうや、そして魄になった全ての千腑と核が融合すると漆黒の悪魔である百魔が誕生する。そいつをワシの狭間時空間に吸い込んで潰す。その繰り返しが始まるんや』

「という事はさ、取りあえず百人が喰われるって事なのか?」

『そうや。しかも、千腑が喰らうのは若い男女に限られる、日本で言うたら小学生、中学生、高校生が狙われるて事やな』

「それって凄くヤダな、喰われる前に潰せないのかな?」

『エエ事言うやないか、その通りや。百魔になる前に殺るのがベストやな』

 魔器の言葉に、タケルはちょっと首を傾げた。嫌な予感がする。

「あのさ、もしかして、ホントにもしかしてなんだけど、僕もそいつと戦ったりするのかな?」

『何を惚けた事言っとるんや、僕もやない『僕が』やるんや』

「やっぱり?」

『当たり前や。良ぅ考えればわかるやろ、ワシという凄い神のアイテムを使えるんや、何の為にお前にそんな力が与えられると思うんや、敵と戦う為に決まっとるやろ?』

 自称神の魔器はきっぱりと言い切った。確かに、ある意味理屈は通っている。常人にない特殊な能力を得るには、それなりの理由がなければならないだろう。だが、タケルには正義の味方になると言った記憶も、なろうという意欲も、況してや、なれる自信もない。

『先に言ぅとくけどな、『今更やると言った覚えはない』なんぞは通用せんからな』

 今更と言われても困る。街でチンピラに絡まれるのと寸分の違いのない状況の中で、広川タケルは必然的に、いや強制的に正義の味方に選出されたらしい。相手は人の魂を喰らう悪魔で、相棒は良く喋る悪趣味な黄色いカバンとトラ柄パンツのチャラ魔人だ。

「タケル君、何をブツブツ言ってるの?」

 日向子が不思議そうにタケルの顔を覗き込んだ。日向子には魔器の言葉は聞こえていないようだ。この状況をどうやって日向子に説明したら良いのか思案に暮れるが、特に説明する必要はないのかも知れない。

 しかし正義の味方として戦うのなら、情報収集力を持った優秀な協力者は必要だろう。いや待て、正義の味方として戦うと決めた覚えは更々ない。タケルの嵐のような葛藤が続く中で、黄色いカバンがいきなり叫んだ。

『臭い、臭い。臭うで、微かやが臭うで』

「それって、その悪魔の細胞センブの一つがこの学校にいるって事?」

『そうや、間違いないやろな』

「簡単に見つかるものなの?」

『どやろな。千腑は滅多に姿を見せへん、どちらかと言えば魄になってからの方が見つけ易いな』

「でもさ、それじぁ百人喰われちゃうから、その前に見つけて潰しちゃおうよ」

『まぁ理屈はそうなんやけど、ヤツは癇癪持ちのくせに神経質で臆病で常にテンパっとるから、中々姿を見せへん。現実に千腑を見つけ出すのは結構難儀なんや。ワシとしては、百人喰われてもろた方がエエな』

「それは駄目だよ。マギと魔人はずっとそれを繰り返しているの?」

『まぁ、そういう事やな』

「今は何回目?」

『ヤツがこの宇宙に飛来したのが今から20万年前やから、彼此れ199回程やっとる。その前は別の神がやっとったんやけど、百魔が更に百匹に増殖して融合した最強の悪魔「臆魔」に喰われたな』

 正体不明のチャラ魔人とその武器である放縦な魔器には、実は崇高な使命があったのだ。

 黄色いカバン魔器が続けた。

『千腑も魄も子供しか喰らう事はないんやけど、百魔や臆魔は雑食やから何でも喰らうんや。特に臆魔になってしまうと時空間まで喰らう。20万年前は北宇宙の時空間の1/3が喰われたんや』

「スケールが想像できないね。その時はどうやって退治したの?」

『北宇宙の時空間の1/3を喰らった後、間違えて自身を喰らってしまったんや。そもそも、ヤツに大した知恵はないからそうなるんやけど、如何せん喰い方がエゲツない。次に臆魔が現れて喰い始めたら、この宇宙の全てを喰われてしまうかも知れん』

「そんな大きいのをマギが吸い込むの?」

『狭間時空間たるワシは宇宙と宇宙の間に存在するから、百魔や臆魔を吸い込むのは屁でもない』

 漆黒の悪魔の概説が終わり掛けると、黄色いカバンが露骨に鼻を鳴らした。

『また嫌な臭いがしたで、この腐った魚の臭い、間違いなく千腑の臭いや』

「この学校の中にそいつがいるって事だよね?」

『間違いない』

「早くそいつを見つけて潰さないと、また犠牲者が出るって事だよね?」

『そやねんけど、千腑は逃げ足も早いから見つけるのは中々難しいで』

「場所はどこ?」

『……わからん。何でか、あっちこっちから臭う』

「この学校にまだいるって事は、同じような感じで狙っているんだよね。野球部の次は何だろ?」

『全く同じなんやないか?』

「全く同じ?」

『千腑は一箇所でじっとしとる習性があるから、まだそこにいる可能性が高いわな。喰われたそいつ等と同じような奴等が集まる、人目のない場所て言ぅたらどこや?』

「グラウンドか、教室か、違う。人目の少ない建物の中……そうだ体育館だ」

 タケルは「事件の鍵を探しに体育館に行くよ」と日向子に告げた。日向子は呆気にとられながら、「事件の鍵」に興味を示し、コナン張りの名探偵顔で頷いた。

 早朝の体育館には朝練と思われる数人の生徒がいた。黄色いカバンを持った制服姿のタケルと日向子は、朝から体育館に来るには不釣り合いな二人に奇異な目を向ける朝練の生徒達を凝視した。

『タケル、千腑は喰ろうたヒトに化けるから気ぃつけや』

「マギ、臭いする?」

『する、する。臭うでぇ』

 この数人の中に千腑という人を喰らう悪魔がいるらしい。だが千腑は臆病で逃げ足も速い、簡単には見つからない。

『アイツや』

 何やら随分と簡単に見つかるものだ、見つけるのが難儀なのではなかったか。

『……何か変やで』

「まぁ、見つかったんだからいいんじゃん」

『ん、何や?アイツもや』

「えっ二人も、滅多に見つからないんじゃなかった?」

『何でやろな?』

「取りあえず、どうやって捕まえる?」

『吸い込むんやけど、どないするかな』

 幸いな事に、その悪魔の化け物はタケル達にまだ気づいていない。作戦を練るくらいの時間はありそうだ。具体策を考え倦ねていると、日奈子が体育館の中で一人朝練に励むバスケットボール部の女生徒を指さした。

「あれは三年生で私のお姉ちゃんの竹内梨花、バスケで全国大会に出場する選手で、生徒会長でこの学校のアイドルなんだよ」

「あれ日向、どうしたの?」

 竹内梨花が、突然現れた妹日向子と隣にいるタケルに目を遣った。

「その黄色いカバンは転校生の広川タケル君だよね、体育館に何か用?」

「えぇとですね、野球部の行方不明事件の犯人がここにいるみたいなんです」

 タケルは魔器の説明と推測を伝えようとしたが、当然の事ながら理解される筈などない。

「言っている意味がわからないわ」

 再び、黄色いカバンが呟いた。

『タケル、アレやあの子供二人やで』

「あの黒い服の子?」

 体育館北側の窓の下に何故か小学生の姿をした二人の女の子がいる。顔ははっきりとは見えないが、そもそも中学校の体育館に小学生が二人もいる事自体違和感は否めない。

「変ね、この学校にあんな小学生のような生徒いたかな。朝練の許可は私含めて四人以外いない筈なんだけど……」

 体育館には朝練の四人と小学生らしき二人の女生徒がいる。数が合わない。

「マギ、あの子達がセンブなの?」

『間違いない、ヤツ等は逃げ足が速いからな、逃がすなや』

 タケルは魔器の言葉に従い、小声で日向子に言った。

「日向ちゃん、あの子達が犯人だ。今から捕まえよう。日向ちゃんは右から、僕は左から追い込んで北東角で捕まえるよ」

「ラジャー」

 タケルは左から回り込むように走り出した。日向子もタケルの作戦に忠実に、右から二人の女の子を捉えている。竹内梨花は話の流れについていけずに呆然とし、成り行きを見据えるしかない。

 タケルと日向子の追込み作戦が着実に功を奏し、黒い女の子達は体育館の北東角部に追い詰められて落ち着きなく周りの様子を窺っている。

『タケル、合図したらボタンを押してワシをヤツに投げろや、ダイヤル回すのを忘れたらアカンで』

「わかった」

 タケルは『今や』と言う魔器の声を確認しながら、力任せに黄色いカバンを投げた。開いた黄色いカバンが、朝のドーベルマン事件と同様に瞬時に黒い子供達を吸い込んで、野球部の行方不明事件が解決を見た……筈だった。

 だがその瞬間、思いも寄らない事が起きた。二方向から追い詰められて行き場を失った二人の女生徒は、黄色いカバンを紙一重で避けると壁を通り抜けて消えたのだ

 魔器の驚く声がした。

『……ヤツは千腑やない』

 竹内梨花は目前の出来事に身体が硬直した。タケルと日向子の二人も立ち竦むしかなかった。

 昼食時間はタケルと日向子の作戦会議となった。そもそもあれはどうなっているのか、タケルにも納得がいかない。

「日向ちゃん、状況を整理しよう」

 日向子は頷く。一つ一つを繋げる作戦会議の途中、一年A組の教室に三年生の女子生徒が顔を出して、日向子を呼んだ。竹内梨花だった。

「日向、広川タケル君と一緒に放課後生徒会室に来て。これは生徒会からの呼び出しだからね」

 突然の事態に日向子もタケルも要領を得ないが、おそらくは早朝の件と理解して頷いた。

 放課後、タケルと日向子が生徒会室に着いた時には、既に体育館で会った生徒会長であり日向子の姉、竹内梨花の姿があった。その他に、二人の生徒会役員と思しき男子生徒がいる。

「広川タケル君、竹内日向子さん、生徒会長として質問します」

 緊張感が息苦しい程に部屋中に充満している。

「もう何故呼ばれたかわかっていると思うけど、まずは朝の事を説明してもらえるかな?」

 タケルは一瞬だけ戸惑い、ヤンキー達の件と夢の魔人と黄色いカバンの顛末を除いて、出来る限り噛み砕いて説明した。

「そのセンブという悪魔がこの学校にいるらしいんです。そいつはヒトを喰らう化け物なので、早く捕まえなければならないんです」

「昨日の事件と関係があるって事?」

「はい、多分昨日行方不明になった26人はヤツに喰われたんだと思います」

「29人じゃないの?」

「あっ、まぁ、そうです。そのセンブが今朝体育館にいたって事です」

「ねぇ、タケル君。そんな夢みたいな話が現実にある訳ないでしょう?」

「誰が聞いても、それが君の妄想でない可能性は極端に低いね」「同感だ」

 竹内梨花がタケルの話を否定し、二人の男子生徒が言葉を被せた。竹内梨花は何としても否定したかった。何故なら、朝の体育館の事件現実だが信じられないし、信じたくない。人が目の前で消えるなんて事がある筈はないと思いたかった。

「でも、お姉ちゃんも私も見たじゃん。女の子が壁を通り抜けて消えたのは事実よ」

「竹内日向子さん、学校でお姉ちゃんと呼ぶのはやめなさい。それに朝のあれは何かのトリックよ」

「絶対にそうじゃないって言い切れないけど、でも誰が何の為にそんなトリックを仕掛けるの?」

「それは……」

 竹内梨花の二の句が継げない。その現象が何らかのトリックだとしても、一介の中学生三人を早朝に騙す目的などこの世に存在しないだろう。

「これはトリックじゃありません。センブはヒト百人を喰らうらしいので、この学校の生徒百人が喰われる可能性があるって事です」

「ウチの生徒は全部で200人だから、1/2が喰われるって事?」

 議論の途中で、いきなり、黄色いカバンが喋り出した。タケル以外とも会話できるようだ。

『面倒くさいからワシが説明したるわ。この学校に千腑は多分2匹おるんよ。そやから、この学校の生徒を全部喰らう気や。早ぅせんと取り返しがつかんようになるで』

 タケルを除く四人の生徒達は、突如として頭に響いた声にぎょっとし、どこかにいるだろう声の主を探して辺りを見渡した。

「この声は誰なの?」

「何、これ?」「何?」「何?」

「これはこの黄色いカバンの声です」

『ワシは神やで』

「この黄色いカバンが喋ったの?」

「神というのは聞かなかった事でいいです。兎に角、この学校に化け物が多分二匹いて、そいつ等を捕まえないと生徒が皆喰われてしまうって事です」

「本当なの、これもトリック?」

 二人の思考は、二つの岐路に立たされている。一つは、これ等全てがトリックでタケルか或いは別の誰かが何らかの操作をしている。もう一つは、神と名乗る者と悪魔という化け物の戦いがこの学校で繰り広げられている。どちらにしても、非現実的である事は否めない。

「全部を信じてくれなくてもいいです。でも、もう事件は起きているし朝の事も事実だから、それを前提に話を進めないと意味がないです」

 半信半疑とは言え、仮に早朝の件と今どこからともなく聞こえて来る声がトリックだとしても、それもまた完全に否定できない何かがあると言わざるを得ない。

「そうね、わかったわ。取りあえず、それが事実だと言う前提で進めましょう」

「そんな事は絶対にあり得ない、僕は失敬するよ」

「僕も非現実なお伽噺に付き合う程暇じゃない」

 二人の男子生徒が部屋を出ていった。竹内梨花は男子生徒の後ろ姿に「これだから男は・」と嘆息し、毅然として言った。

「その一.世の中に絶対はないから、可能性は常にどちらにもある。その二.プラスかマイナスのどちらかを選ばなければならないなら、マイナスを選ぶべき。何故なら、マイナスを選んで実際にプラスだったら問題はないし、マイナスだったとしても問題は起こらない。逆に、プラスを選んで実際にプラスったら問題はないけど、マイナスだったら致命的な問題になって対応もできない。常に、必ず最悪を想定する事こそが正しい。私のポリシーよ」

 竹内梨花が生徒会長たる所以を見せながら、今後の対応策を探った。

「広川君、取りあえずどうすればいい?」

「ボクは黄色いカバンでセンブの居場所を探します。センブは子供や小学生、中学校の姿に化けられるので、先輩は学校内の怪しいヒトに注意するように呼び掛けてください」

 こうして千腑探索隊のメンバーが決まった。

「それじゃあマギ、センブの探索を始めよう。僕を隊長と呼んでくれ」

『アホ、何イキっとんねん、カッコつけとる場合か』

「だってさ、早くしないとヤバいじゃん。この際、神の力で何とかしてよ」

 漆黒の悪魔の細胞である千腑の探索が開始されたとは言え、簡単ではない。千腑の出す微妙な臭気を魔器のセンサーで感知する以外に方法はないのだ。急かすタケルに魔器の愚痴が止まらない。

『そんな事を言ぅてもやな、ヤツ等は油断してる時以外は臭いを出さへんから大変なんやで。朝の件で警戒してるんやろしな』

 数日後、放課後の校門に見知らぬ男がいた。男は憮然とした顔で、タケルに声を掛けた。

「広川タケル君だよね、私はこういう者だが、例の事件の事でちょっと話を聞かせてくれないかな」

 男はチョコレート色の手帳を見せた。開いた上部に、顔写真が載ったカード型身分証明書と警察のマークのホログラムシールが張られている。下部に金色に光るバッジが見え、本物の警察官だとわかる。

「私は神奈川県警の杉林と言う者だがね、事件の日に君が行方不明の内の3人の三年生に呼び出されたって聞いたんだが、それは本当か?」

見知らぬ筈の刑事の言葉に棘がある。警察官にしては乱暴な言葉使いだ。

「本当です」

「その生徒達3人が消えた。その件に関して君は何かを知っている。もしかしたら、その件と野球部の26人は君の仕業なのかな?」

「何を言ってるのか全然わかりません。ヤンキーの先輩達に呼び出されたのは本当ですけど、直ぐに逃げたからその後はわからないし、野球部の事件かあった夜は家にいました」

「惚けちゃ駄目だよ、君がこの事件に何らかの関係を持っているのはわかっているんだからさ。本当の事を言いなよ」

「意味がわからないです」

「そうか、まぁ今日のところは勘弁してやるよ。でも、このままじゃ済まないから覚悟しておきな」

 中学生に対する脅しのような言葉の是非が問われそうだが、帰り掛けに踵を返した杉林が訊いた。

「それから、神奈川県警の村川という刑事を知っているか?」

「知りません」

「村川はウチの刑事なんだがね、君に会いに行くと言って消えたんだ。不思議だとは思わないか?」

「何の事か、わかりません」

「そうか、それならいい」

 学校の入所許可は得ているのであろう乱暴な物言いの私服警察官は、そう言って帰っていった。

「タケル、今のは刑事やぞ、知り合いか?」

「全然知らない。会った事ない人だよ」

 杉林と名乗る刑事は、次の日もその次の日もタケルに声を掛け、同じように「本当の事を言え」と強要した。タケルは辟易した。事件のほんの一部を知ってはいるが、仮にそれを話したところで理解される事はないだろう。それならば強制的な理解を得るしかない。

「わかりました、教えますよ。でも後悔しても知りませんよ」

「観念したか、それでいいんだよ」

 タケルは「こっちです」と言い、裏庭に案内した。

「何だ、この裏庭に行方不明の生徒達がいるとでも言うのか?」

状況を把握できない杉林は、辺りに用心しながら何が始まるのかとタケルを凝視している。

「本当に面倒くさいな、見せてあげますよ」

「見せる、何を?」

「アナタが知りたいと言っていた謎の一部です」

「やっぱりお前の仕業だったのか?」

「そう、僕がやったんです。でもそれは一部だから、事件は解決しませんよ」

「どういう事だ、何をやったんだ?説明しろ」

「マギ、1番開放、収容、閉鎖」

 タケルは、ちょっと扱いの慣れた黄色いカバンのダイヤルを1に合わせてボタンを押した。杉林は「何だ?」と首を傾げながら身構えた。途端にカバンは開き、瞬時に閉まった。そして、そこに杉林の姿はなかった。

『おいタケル、相手は刑事やで、エエんか?』

「だってさ、面倒くさいじゃん。ヤンキーの先輩達と同じだよ」

『そらまぁそうやけど、お前エラい短気やな。国家権力は敵にしたらイカンと思うけどな』

「煩いな、あれでいいんだよ。マズいと思うならネットでググってみなよ、日本の警察官の不祥事なんて日常茶飯事なんだからさ」

『ほんなもんかいな』

「そんな事より、早くセンブを見つけないと」

『そうやな』

 杉林は全身が何かの重力に引っ張られた後、急に落ちていく感覚に包まれた。一瞬だけ気を失い、気づくと見知らぬ場所にいた。

そこがどこなのか、発想すら出来ない。どう見ても巨大な洞窟にしか見えない。天井には無数の穴が開いているせいなのか薄っすらと周囲を判別出来る。前方と後方に遥かに続く穴空間の足下には石が散乱し、所々に大岩が座している程度で他には何もない。

 この場所はどこなのか、どうやって来たのか。そんな新たな疑問はあるにせよ、この空間に村川や消えた中学生がいるなら謎は解けたと言えるだろう。そうであるならば、何とかして救助すれば良いだけの事だ。

「おぉい、誰かいるかぁ」

 杉林は大声で叫んでみた。洞窟に響く声は虚しく木霊となって消えた。「誰もいないか・」と落胆する杉林の背後、遠くから声がした。声の主は、次第にはっきりとその姿を見せた。

「救けてくれぇ」「救けてくださいぃ」「お願いしますぅ」

 汗だくで走り寄る三人の中学生は、荒い息と涙目で懇願した。

「君達は行方不明の三年生か。他の生徒達と私と同じような大人がいる筈だ、どこにいる?」

「俺達とアレ以外にはいません」

「アレって何だ?」

「ヤバい、逃げろ」

 首を捻る杉林を置き去りにして、三人の中学生は一目散に駆け出した。遠くから、元気一杯のドーベルマン二匹の鳴き声がした。

 それから数日、千腑の出没らしき事件は起こらないものの、生徒会室での三人と一神の作戦会議は続いていた。

「近々、県民ホールやウチの体育館でスポーツの大会はありませんか?」

「県民ホールではないけど、一週間後に男女バスケットボールの県大会予選がウチの体育館で行われる。私も選手として参加するわ。各校から応援の生徒も来るから相当な人数になるわね」

 星城学園中学校の校舎横には比較的立派な私立体育館があり、道路を挟んだ向かい側にはその何倍も立派でかなりの人数を収容できる県民ホールが立っている。

「それですよ、きっとヤツはそれを狙っているに違いない」

「きっとそれだわ」

『それやな』

 三人と一神の予測は一致した。私立体育館に集まる男女バスケットボール県大会の予選が危ない。

「でも、どうしたらいいの?」

『大丈夫や、場所と日時さえわかればワシとタケルでヤツを捕まえるのは簡単やで』

「じゃあ私は、学校を通じてアナタ達の参加許可を取るのと、当日の警備強化を依頼するわ」

 バスケットボール県大会予選当日。黄色いカバンを持ったタケルと日向子の二人は、左胸に関係者のプレートを付けて体育館を監視していた。

 試合は始まり、室内には数百人を超える試合関係者が集まっている。幾つかの予選試合が終了し、終盤戦を迎えた頃に魔器の声がした。

『タケル、ヤツ等の臭いがあっちゃこっちゃから流れて来るで』

「マギ、あれは何?」

 タケルの指差す方向に何か黒い影が見える。黒い影は天井の一点から空間全体を包み込むように、意思を持って広がっている。体育館の中の観客達が試合に興奮する間にも、天井が、窓が、壁が漆黒の闇に沈んでいく。異様な状況に気付いた室内にいる数十人の観客達が騒ぎ出した。

『どこや、どこかにおる筈や。この体育館ごと喰おうとしてるヤツがこの中に必ずおるんや』

「マギ、ヤツはどこ?」

『ちぃと待ちぃや、どこや……あれや。何や、あれは?』

 体育館の全体空間に向かって、一人の男子生徒が両手を上げて何かを呟いているのが見える。魔器にはその正体が見えている。その姿に、驚きを隠せない。

「何で、魄が……」

 タケルが見据えると、察知した男子生徒が逃げ出した。演壇方向に逃げていく。

呆然としていた魔器が気を取り直して叫んだ。

『タケル、ヤツに向こぅてワシを投げるんや』

 タケルは魔器の指示に従って呪文を唱えてダイヤル1を回し、男子生徒に向かって思い切り黄色いカバンを投げた。カバンは勢い良く飛んだ。男子生徒の走る方向よりも多少ズレてはいるが、何とか吸い込める程度だ。そう思われたその瞬間、いきなり二人の女生徒が男子生徒の前を塞いだ。女生徒達は男子生徒に被さるように立って、黄色いカバンに自ら吸い込まれたように見えた。

 男子生徒は演壇裏へ逃げ去った。確保寸前で取り逃がした結果を悔しがるタケル。

 魔器は冷静に状況を分析した。

「僕のせい?」

『いや違うな。千腑や魄如きにこんな連携は出来んし、逃げたあれは間違いなく魄やった。ヤツは、ワシ等が捕まえようとしてる事を知っていたとしか考えられん。取りあえず千腑2匹捕まえたからそれで良しとせなアカンやろな』

「そうだね、次を考えよう」

『それにしても、何か変やな』

「何が変なの?」

『知恵があり過ぎるんや』

「知恵?」

『千腑は漆黒の悪魔の細胞の一部やし、魄も高々千腑の集合体に過ぎんから、そんなに賢ぅはない。魄が千腑に隠れて逃げるなんてな真似が出来る訳がないんやけどな」

「野球部の生徒26人を喰らったから?」

『いや、例え千腑が合体して魄になったとしても、それでもこんな裏を描くような真似が出来る訳がない。核が百人喰ろうて十魔にでもならん限りありえんのやけどな』

「じゃあ、その十魔ってのがいるの?」

『それはわからんが、魄と十魔がおるとしたらそれぞれ百人、合計で二百人が既に喰われとる事になるな』

「まあ取りあえず、全員で次を考えよう」

 白髪の初老の男と、その隣に背の高い二人の男が座っている。放課後の作戦会議が始まって以来の異なる顔ぶれに、タケルは緊張を隠せない。白髪の初老の男が学園の理事長なのは知っているが、他の二人は知らない。竹内梨花が二人を紹介した。

「タケル君、この方々は今回の事件の担当になった神奈川県警の矢澤警部と森下警部補よ」

 軽く会釈した二人の刑事と思われる警察官が、何故かタケルに冷たい眼差しを送った。事件の担当というだけではない何かをその目が語っている。刑事がタケルに何か言いたげな理由は、やはりあれのせいなのか。年配の刑事がタケルに訊いた。

「広川タケル君だよね?」

 頷いたタケルに、更に鋭い視線が飛ぶ。全てを見透かすようなその目には怒りさえも滲んでいる。

「実は、この奇妙な事件の最初の担当は杉林という者なのだ。その杉林が、先日の野球部事件の翌日に君に話を聞きに行った筈なのだが、知らないかい?」

「知りません」

「そんな筈はない。君に会ったその日に杉林が行方不明になっていてね、君が杉林を知らないと言うのは辻褄が合わないんだ」

「知らないものは知らないとしか言いようがありません」

「ふざけるな、隠し事をすると唯ではすまないぞ」

 興奮気味に声を荒げる若い刑事を、年配の刑事が制した。

「まぁ待て。知らないなら仕方がない。で、会長さんから聞いたんだが、野球部事件は悪魔の仕業だそうだね?」

「はい、この事件は、漆黒の悪魔の細胞から分裂したセンブが人を喰らう事で起こっています。早くセンブを捕まえないと、もっと犠牲者が増えます」

年配の刑事は、木で鼻を括ったような態度で続けた。タケルも端から信じてもらえるとは思っていない。

「しかも、それをその黄色いカバンから聞いたそうじゃないか。カバンが喋る?」

「この黄色いカバンは魔器なので、神の力によってヤツを確保して潰せるんです」

 制止され黙っていた若い刑事は、タケルの夢物語に辛抱できずに愚痴のように吐き捨てた。

「情けない、中学生にもなって、何が悪魔だ、何が神の力だ」

「まぁまぁ、我々はこれで帰ります。何かあれば県警まで連絡してください」

 竹内梨花が念を押すように言った。

「警部さん、今度はきっとレインボーズのコンサートが狙われます。その対応……」

「心配には及びませんよ、それは我々も想定済みで対応は警察で行いますから、君達は決して余計な事をしないように、わかったね」

 二人の警察官は、漆黒の悪魔の事など気に止める素振りも見せず学校を後にした。

「ありゃ嘘だな。あの少年が消えた上級生3人に放課後呼び出された事、杉林が少年と話をしていた事については証言がある」

「何故、嘘なんか吐くんですかね。あの子が犯人?」

「理由はわからんし、あの子一人で出来る事でもないだろうな」

「カバンが喋るとか、悪魔とかいうのは何ですかね?」

「それもわからんが、唯確実にあの子が何かを知っている事は間違いない。何とかして本人に聞くしかないだろうな」

 数日後、放課後の校門前に作戦会議にいた刑事二人が立っていた。男達は、相変わらず憮然とした顔で、作戦会議と同様にタケルに声を掛けた。きっと、これが刑事のやり方に違いない。

「やあ広川君、先日は有難う。ところで、もう一度訊くが君が事件の翌日に先輩達に呼び出された後その先輩達は行方不明になった。そして、その件で君に話を訊きに行ったウチの刑事も行方不明になった。これはどういう事なんだろうね?」

「知りません」

「知らない筈はないよ、ウチの刑事が君に会った事は間違いないんだからね」

「知らないって言ってるじゃないですか」

「いや、君は何かを知っている。だからと言って先日のような悪魔なんて話は我々には通用しない。正直に知ってる事を話しなさい」

「白化っくれるんじゃない」

「知りません」

 二人の刑事は、次の日もその次の日もタケルに声を掛け、同じように「本当の事を言え」と強要し続けた。タケルは毎日全く同じ展開に再び辟易した。前回以上に面倒臭い。

「わかりました、その刑事さんのところに案内します」

「案内?」

「どういう意味だ?」

 タケルは無言のまま裏庭まで歩き、無表情のままで黄色いカバンのダイヤルを回してボタンを押した。

「今から行く場所に探している刑事さんと先輩達、それから犬2匹がいます。行ってらっしゃい」

「行く場所?」

 首を傾げる二人の刑事の姿が消えた。

 次は何だろうと考える場合に、バイアスが掛かる事は避けなければならない。野球部26人の事件があり、次に数百人の私立体育館の県大会予選が襲われた。次は何か、きっと同等以上のスポーツ大会が狙われるに違いない。だから私立体育館に限定せずに対応を考えるべきだ、という思い込みは良い結果を生むかも知れないが、だからと言って観客が一万人を超える全国的な野球やサッカーの試合に備える事が果たして正解なのか。現実的ではない。

「どうしてもこの学校を中心に考えてしまうけど、取りあえず県内や日本全国で想像しなければ駄目って事なのかな?」

 世界のスポーツで言うなら、夏季オリンピックは二年後、冬季は今年2月に終わっている。その他なら世界的なスポーツ大会は沢山あるだろうし、日本国内や県内だって大小合わせたら数え切れないだろう。対応すべき的が絞れない。

「それなら、プロサッカーとかプロ野球の試合の方が観客は多いよね」

 黄色いカバンが言う。

『まぁそうなんやけど、違うんや。千腑も魄も極端に臆病やから、例えばヤツ等の中にちっとは賢い十魔がいたとしても、直ぐにこの学校から離れるとは考え難いんや』

「ヤツ等がそれ程遠くには行かない必然性があるのなら、行く先は探せるって事ね」

「この学校の近くで、近々イベントの予定はないんですか?」

「私がネットで探してみる」

 議論は魔器の言葉に集約された。日向子が化け物出没予想場所をググる。

「あっ、これじゃないかな。一週間後に県民ホールでレインボーズ最後のコンサートがある」

「一週間後だったら、バスケの県予選準決勝もあるわね」

 一週間後、今年末に解散を予定している有名アイドルグループのレインボーズ最後のコンサートが県民ホールで行われる。同日に私立体育館でバスケットボールの県予選準決勝があり、当然の事ながら竹内梨花も出場する。

『アイドルのコンサートやったら、その観客の大部分は若年層やろから千腑やら魄の餌や。しかも、十魔は雑食やから何でも喰らう』

「それで決まりだね」

 可動式座席数を入れた収容人数が2000人を超える県民ホール。ヤツ等の狙いがそれである事は明白だ。やっと的が絞れそうだ。ポイントさえ予想できればヤツを迎え撃つ事は容易だ。

「どんな風に狙って来るんだろう?」

『方法はわからんけど、2000超の獲物がいるんやから何がなんでも狩りたいやろ。ちっとは無理してでも来るやろな』

「でも、そこには僕たちがいるって事だよね」

『そうやな、真面にいったらワシの狭間時空間に吸われて潰されてまう。ヤツ等はもうワシ等がいる事に気付いとるやろから、簡単にはいかへん事もわかっとるやろ』

「じゃあ、それを前提にして作戦を考えよう」

 前回のバスケットボール試合での失敗を考えるなら、十魔は2000人を狙うに違いない。きっと何か狡猾な方策を駆使してくる筈だ。

 まずは県民ホールでのコンサートの一択で次の対策を練る事にしたが、疑問もあった。コンサートの来場者は2000人超の中高生を含めた若年女性が予想され、常識的にはそれを狙って十魔が現れるだろうと思われる。同時に、道路を挟んだ向かい側の私立体育館ではバスケットボールの準決勝が行われる。入場者はコンサートには遠く及ばないだろうが、それでもそこには数百人の中学校関係者がいる。狡猾な十魔は、コンサートと見せ掛けて実は最初からバスケットボール試合を狙っているという事はないだろうか。考え過ぎか、或いは正解か。

 コンサート当日の午後になると、入場を待つ長い行列が出来ていた。全国規模でのツアーイベントの何と恐ろしい事か、駅から人が蟻のように押し寄せて来る。最寄り駅から県民ホールまでの沿道には露店まで出て、周辺商店街挙げてのお祭り騒ぎだ。人を喰らう化け物が涎を垂らすのは必然だろう。

 タケルは、コンサートチケットがないと入れない事に気づいた。

「チケットやったらカバンの中にあるで。このカバンの力はな、ヤツをシバくだけやのぅて、欲しいものを想像しながら発現させるんや」

 コンサートは恙なく進み、何事もなく佳境に差し掛かったその時、県民ホールから外へと走り去る一人の男子生徒が見えた。

『あっタケル、アイツ魄や』

 先日の事件で逃げた魄に間違いなかった。やはり、ヤツは県民ホールと見せ掛けて私立体育館を狙う魂胆だったのだ?タケルは一目散に県民ホールを出て、隣の体育館に駆け込んだ。

 私立体育館では、後半3点差のシーソーゲームで異様な熱気に包まれているのだが、先日と同様の黒い影が天井と壁の一部に見える。誰もそこに気づく者はいない。

 タケルは応援中の日向子と合流したが、歓声に飲み込まれ意思の疎通ができない。

「ヤツを見つけるしかない」と焦るタケルは、不思議な事に気づいた。侵食が進む筈の黒い影の動きが止まっているのだ。見渡した観客の中に男子生徒の姿も確認できない。変だ、何かが変だ。

「これもダマシ?」

 タケルは、もう一度県民ホールへと踵を返した。予感は的中した。嬌声が響く興奮と熱狂の坩堝と化している中で、空間は見る間に漆黒の影に包まれた。ホールの天井に黒い影が広がっていく。

 一瞬でも遅ければホールの中には入れず、黄色いカバンでも対応はできなかっただろう。だがしかし、どうすれば良いのか。果たして、ヤツと思われる男子生徒を捕らえた上でカバンに吸い込めるだろうか。逡巡している時間はない、タケルは苦肉の策で決断した。

「マギ、ここにいる人達を全部カバンに吸い込むのは可能?」

『そんなんチョロいけどな、魄やら十魔と一緒は駄目やで』

 その言葉に勇気を得て、タケルは叫んだ。

「1番解放・収容・閉鎖」

 叫び声とともに、まずは魄と思しき男子生徒を探した。だが、ホールにいる筈のその姿はどこにも見えない。それを確認したタケルは、県民ホールのアイドルと観客と関係者2000人超だけを黄色いカバンの中に一瞬で吸い込んだ。種々経緯はあったが、作戦は何とか成功した。

『タケル、良ぅやったで』

 魔器の褒め言葉が嬉しい。早速、作戦の成功を竹内梨花と日向子に報告にいかなければならない。試合も既に終了しているだろう。

「あっ・」

 私立体育館へと向かったタケルは、愕然としその場に立ち尽くした。表現する言葉がない。思考が停止し、意識と視覚からの情報の差異が埋まらない。息は上がり鼓動が身体全体に響く。

「私立体育館が存在していない……」

 周辺の住宅は何の変化もなく建っているのだが、今し方まで確実に存在したであろう私立体育館の建物が、消えた。建物だけでなく観客や選手も、竹内梨花も日向子も、喰われて消え失せた。

 タケルは頭を抱えた。ヤツの狙いをどちらかに限定した事が間違いだった、狙いは最初から両方だったのだ。跡には、何故か鍋とフライパンだけが残っていた。

『残ったのはチタンだけやな』

『何故?』

『千腑やら魄はヒトの子供しか喰わんけど、十魔になると雑食になって大概何でも喰らう。十魔は何でも喰らう上に性格の悪い臆病なデブのようなヤツや。そやから体育館ごと喰らう事も出来るんやけど、それでも熱や酸に極端に強いチタンだけは消化できないんや。チタン製の鍋とフライパンだけが残ったっちゅう事は、ヤツが十魔ちゅう事や』

「これって僕のせいだ……」

『まぁ仕方がないやろ。それより、早ぅ建物ごと喰らいよった十魔をイテマうで』

「そうか、そいつがいたんだよね」

『十魔はどこや?』

「あっ、いた」

 魄と思われる男子生徒が再び県民ホールへと移動するのが見えた。タケルと魔器は即座に追い駆けて、ホールの角に追い詰めた。

「2番解放、収容、閉鎖」

 タケルの声とともに、魄が黄色いカバンに吸い込まれた。

「やった。取りあえず、これで化け物は全部捕まえた」

『何やろな……』

 魔器の浮かない声がした。

「マギ、どうしたの?」

『何かな、変なんや』

「何が?」

『全部や。それにお前も、娘っ子達まで喰われとんのに、大して悲しそうやないな』

「そんな事はない」

『ほうか。ん?外から妙な臭いがしよる、ヤツ等かが近づいて来たんか』

「何が起きたの?」

 突然、黄色いカバンの中から魔人の声がした。

『どうやら、遅かったようだ』

『ワシ等が考えとったよりも、ヤツ等のスピードが早かったちゅう事かいな』

「どうしたの?」

 魔人と魔器の会話に、タケルの疑問の声が加わった。

『ヤツ等の狙いはここだけやなかったんや。ここを含めて百ヶ所に千腑やら魄が散らばっとるのはわかっとったから今から化け物討伐に行く予定やったんやけど、ヤツ等から来よった。しかも、そいつ等が九百九十七匹とも魄になって、更に増殖して百魔になって一遍にここに向かっておる』

『しかも、核が十魔になってどこかにいる。魄九百九十七匹それぞれが増殖して百魔なって、十魔が融合したら臆魔が誕生する』

「えっ、マズいじゃん。大丈夫なの?」

『臆魔やからな』

「どうするの?」

『合体しかないやろな』

「合体って何?」

『ワシと魔人が合体すれば戦闘力は無限大になるから、臆魔でもドンと来いや』

『核まで一緒なら、これがヤツとの最終戦争という事になる。ヤツ等を全部潰して終わりだな』

「臆魔は宇宙を喰らうんでしょ、大丈夫なの?」

『ワシ等は元々神が分裂して分業体制で仕事しとるだけやから、本来の姿に戻れば神の力が復活して百魔なんぞ屁みたいなもんやし、臆魔でも十分戦えるで』

「そうなんだ、凄いな」

『タケル良ぅ聞け、黄色いカバンの中に金色の魂玉が入っとるから、それを魔人に渡してくれ。それを魔人が呑めば合体完了して神様登場や。ほれ、魔人が出るで』

 黄色いカバンが輝き始め、夢に出て来たあの魔人が姿を見せた。5メートルはあろうかと思われる上半身裸の褐色のトラパンツ魔人が立っている。

『よう少年、元気か?』

「魔人こそ、調子はどう?」

 魔人は頭を振りながら不満そうに答えた。

『どうもこうもない。久し振りに休暇を楽しんでいたのに、お前が犬やらヤンキーやら刑事やら観客やら訳のわからないものを吸い込むから、狭間時空間がぐちゃぐちゃになっているのだ。大体だな、いきなり2000超の人間を吸い込むのはイカンぞ』

「今はどうなっている?」

『犬と2000人で運動会だ』

「楽しそうだね」

 魔人が緊張気味の顔で言った。

『さてと、いきなり臆魔がやって来るかも知れないなどというのはトンデもない状況だが、俺と魔器が合体して神の力を復活させれば問題はない』

「20万年前に神が喰われたんじゃないの?」

『あれは、百魔と核が融合した臆魔に対する前任神の無策のせいであり、今回は万全だ。そしてその決戦こそ神と悪魔の最終戦争を意味する、我等の勝利は揺るがない』

タケルは魔人の勇気に満ちた言葉を聞きながら、薄笑いを浮かべて挑戦的に言った。

「本当にそうなのかな?」

『どういう意味だ?』

『そやで、合体した神の力は百魔も臆魔も凌駕するんや』

「残念でした、合体は不可能だよ。最終戦争は僕達の勝ちだね」

 魔人と魔器はタケルの言葉の真意を掴めない。タケルは黄色いカバンから合体に必須なアイテムである金魂玉を取り出すと、自ら呑んでしまった。

『あっ、何をするのだ?』

『タケル、アカンがな。それがないと合体ができひん』

 臆魔誕生などという天地を揺るがす一大事が迫っている。焦燥感に駆られる魔人と魔器を他所に、タケルが奇妙な事を言い出している。

「そこでゆっくりとこの世界の消滅、百魔の融合と臆魔様の誕生でも見物しなよ」

『どういう事だ、どうなっている?』

『何を言うとんのや?』

「何を焦ってるの、この状況を考えればもうわかるでしょ?」

『わからん、説明してくれ』

「そもそも何故ボクが魔神に会ったのか、それは偶々魔人がボクの夢に入ったからじゃないよ、全てボクが仕組んだからさ。ボクは魔人が夢からヒトに取り憑いて戦士にする事を知っていたって事だ。尤も199回も同じパターンを繰り返していればそれくらいの事はわかって当然だけどね」

『何、という事はオマエは……』

「その通り、ボクは十魔、漆黒の悪魔の核だよ。ここにいる千腑と魄、そして必然的に吸い込まれる増殖した百魔で臆魔様の誕生となるんだ」

 タケルの邪心に満ちた言葉と高笑いに、慌てふためいていた魔人の声色がいきなり変わる。

『魔器、こんなもので良いかな?』

『まぁまぁやな。ほな、完全体の復活といこか』

 魔人と魔器は互いに輝き出し、一つのヒト形に合体した。トラパンツの魔人ではなく黄色いカバンのオッサンでもない。全身が白く輝く羽衣なような服を纏っている。如何にも神の姿で威厳さえ感じられる。

『神の姿になるのは20万年ぶりだ。神となった俺は無敵だぞ』

「何故だ、何故合体出来るんだ。金魂玉は僕が呑んだのに……」

 今度はタケルが慌てた。

『愚か者、そんなものブラフに決まっているだろう』

「騙したな、神が欺くなど言語道断だ」

『お互い様ではないか、お前が核だという事など最初から知っている』

「何故、ボクが核だとわかったんだ。もしかして、夢の時から知っていたのか?」

『当然だ、199回も同じパターンを繰り返しているから、どんなに隠しても微かな悪魔の臭いは消せない。しかも、オマエが神奈川県川崎市中原区の朝陽が丘中学校から転校して来たて言っていたので、ネットでググってみたのだ。お前がググれと言ったからな。そうしたら、面白いもんが出て来たぞ。川崎市中原区の5つの小中学校で計200人の生徒と、担当の刑事までが行方不明になっとるらしい、目立ち過ぎだ。ネットは便利だな』

「クソ神め……」

『俺達は元々神体が分裂しているだけだ、当然だが合体に金色の魂玉など必要ない』

 そう言うと同時に、合体神がタケルを、いや漆黒の悪魔の核を狭間時空間へと吸い込んだ。

『2番解放・収容・閉鎖だ』

「出せ、ここから出せ」

『駄目だ、核のお前と百魔達が融合したら小汚い臆魔が誕生してこの宇宙が喰われてしまうからな』

 狭間時空間の2番ルームに隔離された悪魔の核タケルは、突然の神の事前の作戦に陥れられたその状態で更に勝ち誇るように叫んだ。裏をかいた筈の作戦をブラフで封じられたタケルが、それでも薄笑いに広角を上げる。

「崇高なる臆魔様を愚弄するボンクラな神に、良い事を教えてやるよ。僕の勝ちは揺るがない」

『まだ何か言う事があるのか?』

「甘いな、だからクソ神だと言うんだ。狭間時空間には1と2のルームしかない。その内のルーム1には既にボクが2000超の人間を詰め込んでいるから、流石に百魔達を入れる事は出来ない。百魔を吸い込む事ができるのは、今ボクがいるルーム2しかないって事だ。つまり臆魔様は必然的に復活するのだよ。さぁ、百魔を吸い込んでみろ、ルーム2の中で漆黒の大悪魔、臆魔様の誕生だ」

『なる程、最初から仕組んでルームに入れた、そう言いたいのだな』

「今回はボクの完璧な作戦勝ちだ。そして、臆魔様の誕生はこの宇宙の最後を意味している……」

 高笑う悪魔の核タケルは、勝利を確信しながらも理解のできない一点に気付いた。ルーム2にいる筈の者達がいない。

「……何故だ?」 

『ほぅ、愚か者のくせに良く気づいたな』

「何故、吸い込んだ千腑、そして魄がいないのだ。確かにルーム2にいる筈……」

 神は、悪魔の核タケルの言葉を鼻で笑った。

『お前の知恵など所詮はその程度という事だ。狭間時空間は俺が維持管理しているのだ、そしてその広さはほぼ無限大。私が都合の良いように変更する事など当然ではないか?』

「何、ルームは2つだけだと言ったじゃないか、それも嘘っぱちなのか?」

『因みに、お前がいる部屋はルーム3、千腑、魄の部屋がルーム2。そして、増殖した魄やら百魔の部屋はルーム4から100で用意済だ。これで20万年の戦いに決着をつけてやる、お前こそ、狭間時空間の中で漆黒の悪魔が溶けていくのを見物するが良い。その後でゆっくりと核であるお前を潰してやるぞ』

 悪魔の核タケルは呆気にとられた。相手が悪魔だからと言って神ともあろう者があれこれと法螺を吹くとは、流石の悪魔の核も思ってもいない事だ。

「嘘吐きめ。神のくせに度重なる欺きなど言語道断だ」

『何とでも言うが良い、ボケナス、負け犬、ノータリン、愚か過ぎて言葉がないぞ』

 神は悠然と外に出た。予想通り、絶望的な光景が全方位に広がっている。ほんの数分前まで、人が、街が爽やかな夏風に包まれていただろう。それが今、人が、街が、樹木が、凡ゆるものが喰い荒らされ、辺り一面荒涼とした土色の風景が続いている。

 そこに街があったとは到底考えられない。処々に点在する樹木、そこに恐竜を思わせるような巨大な漆黒の悪魔である増殖した百魔が、我が物顔で残った餌に被りついている。

 神は勝敗の見えている戦いにも手を抜く事はなく、一瞬で化け物を狭間時空間に引きずり込んだ。後は一匹ずつゆっくりとなぶり殺しにしてやれば良い。20万年は随分と長かったような気もするが、何れにしてもこれでやっと神聖なる神の仕事が終了する。神は誇らしげに叫んだ。

『俺こそ、この宇宙最強だ』

 その時、天空から腹立ち紛れの声がした。

『コラ中神、いつまで漆黒の悪魔で遊んでおるのだ。南宇宙で魔獣ガロンが暴れておる。さっさと退治に行かぬか』

『でも宇宙上神様、やっと漆黒の悪魔を核ごと捕まえて、これから潰すところなんですよ』

『煩い、そんなものチョチョイのチョイでやらぬか、馬鹿者。漆黒の悪魔退治に20万年も掛けておるから大神様が大層ご立腹じゃ。とっとと南宇宙ヘ行け』

『はいはい、神使いが荒いな。パワハラですよ』

「『はい』は一回だ、馬鹿者」

 一般的に、正義の味方は必ず地球とヒト人類の為に戦う事になっている。何故、正義の味方が地球とヒト人類の為に戦うのだろうか。それは、神がこの奇跡の星たる地球を守護する為に特別に救世主として遣わされた者、それが正義の味方だから……ではない。

 化学汚染物質に塗まみれ捲ったこんな極小の小汚い惑星が、神に選ばれた特別な星である訳はなく、況してや汚染の張本人たるヒト人類なんかの為に神が正義の味方を遣わす筈もない。

 その理由は、単なる偶然と必然によるものだ。宇宙を消滅させてしまうかも知れない半グレ悪魔が地球に現れたという偶然と、その為に宇宙の守護を仕事とする神が休日出勤しなければならない、というブラックな労働環境の賜物だ。

 正義の味方が誰になるかに至っては、宇宙を司る宇宙上神の気まぐれに過ぎない。端的に言うなら、崇高なる神が我等の地球を御救いになる事に、大いなる意味など微塵もないのだ。

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時空超常奇譚其ノ四. 黄色いカバン/正義の味方は、何故地球を救うのか。 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

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