第二章「眇」⑦

『それから僕は数日間、カミサマのいる神社の本殿へと通いました。

 そこには毎日、新しいご馳走が用意されていました。カミサマは少食なのか、いつもそれを沢山残していました。僕が本殿に入っていくと、カミサマは「食べていいよ」と言って微笑みました。断る理由もないので、僕はそれを残さず食べました。

 いつもこんなご馳走を食べているの? と僕が聞くと、カミサマはゆっくりと首を横に振りました。

「もうすぐおまつりがあるでしょう? だからだよ。こういう時だけなんだ」

 なるほど、納得が行きました。おまつりの時に美味しいものが食べられるのは、僕も同じです。みんなそういうものなのだな、と思いました。

「おまつりの日はここに来てはいけないよ」

 カミサマはそう言いました。

 ええ、なんで。僕は駄々をこねました。僕はこの数日の間に、カミサマの事が大好きになっていました。カミサマはいつも優しく、そしてとてもキレイなのです。毎日会いたかったし、なんなら自分のお家に連れて帰りたいくらいでした。

 僕がどんなに駄々をこねても、カミサマは首を横に振って「ダメだよ」と言うばかりでした。

 そうしておまつりの日が来ました。

 僕は、母に連れられて神社に向かいました。来てはいけない、とカミサマは言っていましたが、偉大な母には逆らえません。僕は神社の境内に降り、なるべく人に気付かれないように本堂へと向かいました。カミサマに会いたかったからです。

 本堂の様子は、いつもと違っていました。カミサマの他にも、たくさんの人が中にいるようでした。僕は障子の紙に穴を空けて、こっそりと中を覗き見ました。

 カミサマは口に猿轡を噛まされ、両腕を縄で縛られて床に転がっていました。綺麗な着物の裾がはだけて、太ももから下があらわになっています。

 たくさんの大人がカミサマの手足を押さえつけました。カミサマはうー、うー、という呻き声を、噛んだ猿轡の奥から発していました。

 大人の一人が、大きな鉈を振り上げました。鈍く光る鉈の刃が、カミサマの左脚、膝より少し下のところに振り下ろされました。

 神社の境内に、言葉にならない大きな悲鳴が響き渡りました。僕とカミサマが、何日も共に時間を過ごした本堂です。その床と壁に、夥しい量の鮮血が飛び散りました。

 鉈は幾度となく振り下ろされ、カミサマの膝から下が完全に切断されるまで、それは続きました。

 切断されたカミサマの左脚には簡易的な止血処理が施されました。ですが、そのまま放っておけばカミサマはやがて死んでしまうでしょう。処置を終えると、人間たちは本堂を後にしました。息も絶え絶えに苦しむカミサマの身体だけがそこに残されました。

 僕はその間、物陰で身体を震わせていました。人間というものが分からなかったのです。どうして寄ってたかって、カミサマにあんな事をするのでしょうか。

 物陰からそっと這い出し、僕はカミサマの傷口を、伸ばした舌で舐め取りました。

 その血は甘く、芳醇な香りがしました。

 僕はある事に気が付きました。

 本堂から香ってくる美味しそうな匂いは、これまでずっと用意されたご馳走のものだと思っていました。けれど、違っていたのです。それはカミサマの匂いでした。カミサマこそが、僕がおまつりの日に食べる予定のご馳走だったのです。

 僕は夢中になってカミサマの血と身体を舐めました。けれど、食べようとは思いませんでした。あまりお腹は空いていませんでしたし、僕はカミサマとお話をするのも大好きだったからです。食べてしまうと、もうお話しをする事はできません。

「……君なの?」

 僕がずっと舐めていたからでしょうか、カミサマは目を覚ましたようでした。

「来ちゃダメっていったのに……」

 そう言ってカミサマは上体を起こしました。その時、ずっとカミサマの目を覆っていた赤黒い包帯がハラリと解けました。

 カミサマは一つ目でした。正確に言えば、左側の眼が潰されていました。眼球を抉り取られたのでしょうか。まだそこに血が滲んでいたので、僕は真っ暗なカミサマの眼窩に舌を伸ばしてその血を拭いました。

 その時、カミサマは初めて僕の姿を目にしました。ハッと息を呑む声が聞こえました。

 カミサマは僕の事を人間と思っていたのでしょう。でも、もう良いのです。

 なぜなら、僕とカミサマはずっとずっと近い存在になっていたからです。

 僕はカミサマの身体に触れました。触れる事が出来ました。それこそが、カミサマが真に祀られる存在となった証明でした。

 左目と左足を失ったカミサマは、もはや神域にいたと言えます。

 母の呼ぶ声が聞こえました。

 もうおまつりは終わる時間でした。

 僕はカミサマに問いかけました。

 共に僕たちの家に来るのか、それとも人間たちの世界でカミサマとして暮らすのか。選択肢はカミサマにあると、僕は思ったのです。

 カミサマは少しの間逡巡し、そして決意するように頷くと僕に手を伸ばしました。

「連れて行ってくれ。私を君達の世界に連れて行ってくれ。もうこんなところに居たくない。私は、あんな奴らの為に生きていたくない」

 僕はカミサマの手を取りました。

 グッと強く引っ張ると、カミサマがその身体から解き放たれたのが分かりました。

 カミサマと一緒に居られることが嬉しくて、僕は歓喜の咆哮を上げました。

 けれど、僕はその時、一つの失敗を犯していたのです。嬉しさのあまり、家に帰る途中で大切なものを取りこぼしてしまった事に気が付きませんでした。

 しばらくして僕は落とし物に気付き、それから長い間、探しました。

 そして今日、僕はようやく、こちら側の世界に落としてきたカミサマのカケラを、見つける事が出来たのです』

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