第二章「眇」⑥

 ほどなくして数人の女性が、秋人達のいる部屋に食事を運んできた。

「こちらね、わらびのお浸し。こっちの白和えは赤こごみを使ってるの。都会じゃ見ないでしょう」

「これは行者にんにくの炒め物ね。そっちの透明な器に入っているのはかたくりっていう山菜の酢の物」

「お味噌汁の具はわらびと赤みず。あとお豆腐も」

「はいこれ、揚げたての天ぷら。右からふきのとう、たらの芽、やまうど、それと月山筍かな。冷めないうちにどうぞ」

 入れ替わり立ち替わり、盛り付けられた料理の説明をしながら、女性達がテーブルに小鉢を並べていく。

 極上の山菜料理を用意する、と豪語していただけあって多種多様な品目が揃っていた。鮮やかな緑、くすんだ緑、衣に包まれた緑、とにかく食卓は緑尽くしである。

 もう夏だと言うのに、春にしか見ないような山菜まであった。

「この季節に、まだ山菜がこんなに採れるんですね」

 秋人がそう言うと、女性達の動きが一斉にピクっと止まる。そしておかめ面のような笑みを秋人に向けた。

「二蔵には、山神様の恵みがありますから」

 その不自然さに、秋人はたじろぐ。

 秋人と向かい合う位置に座っているナツキは、食べ物を目の前にして、失われていた食欲が湧いてきたようだ。赤い塗り箸を握りしめて、興味深そうに料理を眺めている。

 ほかほかに炊かれた麦飯が、茶碗に山盛りにされてテーブルにドンッと置かれる。

 ナツキの目が輝く。

「そんじゃ、いただきまーー」

 真っ先に筍の天ぷらへと向かったナツキの箸の先が、陽によく焼けた、太くて毛深い腕に阻まれる。

 世話役の藤谷が太い腕を伸ばして、箸の向かう先を塞いでいた。

「えっ、な、なんで邪魔すんだよ」

 食べる直前で横槍が入ったナツキは憤慨する。藤谷はあのニンマリとした笑みを浮かべていた。秋人とナツキの目の前に、蓋付きの紅いお椀を並べる。

「藍那堂の若いお二人に、二蔵にしかない最高級品を是非一番はじめに味わっていただきたく思いましてな。ご不快に思われたのなら、申し訳ない」

 小さく頭を下げ、藤谷はその椀の蓋に手をかけた。

「こちら、少量ですが……二蔵の『山神の乳』です。希少な自然薯を擦り下ろして、とろろ芋を用意しました」

 パカリ、と蓋が開く。

 ナツキはその中を覗き込む。

 紅い椀の底の方に、本当に一掬いほどのとろろ芋が入っていた。

 それは白絹と見紛うほどに滑らかだった。プツプツと弾ける気泡が、まだ擦ったばかりである事を示している。

 艶やかに光を反射するそれを、ナツキは椀の中で傾けてみた。ネットリとした質感でそれは動いた。「山神の乳」と呼ばれているだけあって、たしかに動物の乳のようにも見える。

「……この自然薯はなかなか獲れないと聞いていました」

 秋人がそう言うと、藤谷は深く頷く。

「確かに収穫量が格段に落ちていますな。ですが、全く獲れないというわけではありません。集落の人間が食べる量を確保すると、どうしても外に出す分が無くなってしまうんですわ。取り引きを続けてもらっている藍那堂さんにはご迷惑をおかけしてますな」

 そういって藤谷はぽりぽりと頭を掻く。

「みなさんもこれを召し上がるんですか?」

 秋人は思わず聞き直した。

 一本に百万円の値がつく自然薯である。地産地消は良い事だが、他に目立った産業も無さそうなこの集落にとって、その金額はあまりに大きい。収穫量が少ないとはいえ、収入を切り捨ててまで集落内で消費する分を優先するとは、秋人には考えづらかった。

「ええ、ワタシらはこれを毎日食べます。山神様の恵みですからな」

 藤谷の言葉に周りの女性達も頷いている。

「これを売って作る金も魅力的ですが、健康には変えられませんな。ワタシも今年で八十四になりますが、お陰で元気一杯ですわ」

 ガハハ、と藤谷は笑う。

 あらいやだ、と周りの女性達も同じようにして笑っている。

 秋人は、ゾッと凍りつく。

 八十四才? この男が?

 藤谷は、どう見ても五十代前半ぐらいにしか見えない。若く見える、という言葉の範疇を軽く逸脱している。

 屋敷の中に住む人々は、みんな藤谷と同じぐらいの年齢に見えた。もしや、ここにいる人間全てがそうなのだろうか。

 一本百万円の値が付く自然薯。山の神、その恵み。一定より歳を取らない老人達。秋人は、薄ら寒い感覚を味わっていた。ナツキの言う通りかもしれない。ここに住む人間は、何かがおかしい。

「お食事が終わる頃に、当主の所へとお連れします。ワタシらは準備もありますので、一旦ここを失礼します。それではごゆるりと」

 ガヤガヤと喋りながら、藤谷達は客間を去っていく。

 静かになった部屋で、秋人は目の前の紅いお椀を見つめていた。

 自然薯は滋養強壮に効くとは言うが、もし秋人の考えが当たっているとすれば、この「山神の乳」の効能はそういった水準のものではない。

 屋敷の中に住む人々が、秋人とナツキの身体をギラギラとした目で舐めるように見ていた事を思い出す。過剰に漲った精力が全身に迸っていた。この山芋は生命力そのものだ。

 それを授ける山の神とはいったいどんな存在なのだろう。この山に足を踏み入れてから、ずっとナツキが感じていたという、おぞましい感覚。その根源が同じ所にあるのだとすれば、これは人が口にして良い物ではない。

「その山芋は、食わないほうがいいぜ」

 椀を見つめる秋人にナツキが声をかけた。

 秋人が顔を上げると、目の前に座るナツキは、麦飯の上に山菜の天ぷらをこんもりと乗っけて、はふはふと息をしながら口の中にそれを掻っ込んでいた。

「むぐ……こっちの山菜は大丈夫そうだ。いらないなら俺が食ってやるけど?」

「……いい。僕も腹は減ってる」

「うん。食える時に食っておいたほうがいいぞ。そのとろろ芋は、こっちの方にくれ」

 そう言ってナツキは、左手首につけている腕輪を外した。

 ナツキの左手には、異能を喰らう顎門がある。普段は道具を用いて押さえ込んでいるその顎門を、ナツキはテーブルの下で小さく開いた。

 左手の掌が、中指の先から手首までパックリと割れる。開いた断面には深く暗い闇が広がっている。その奥になにがあるのかを伺い知る事はできない。

 ナツキはそこに真っ白なとろろを椀から流し込んだ。ごきゅ、ごきゅ、と飲み込みような音が左手の奥から聞こえる。

 ナツキの左腕には、継続して異能を喰わせ続ける必要があった。これは秋人も知っている事実で、二人が珍妙な事件の解決を請け負うゴーストバスターの真似事をしている理由でもある。時と場合にもよるが、不思議な出来事の裏側には、何かしらの異能が働いていることがあった。

 左腕の顎門がとろろを受け入れた、と言う事は自然薯には確かにその異能が備わっているという事だ。

 漢方薬局の遣いとして訪れたはずが、ここでもまた、怪しいモノに直面してしまった。

「ほら、アニキ。寄越せって」

「あ、ああ」

 ナツキに急かされ、秋人は紅いお椀に入った「山神の乳」のとろろを手渡した。

 食事を終えれば、新江田家の当主と対面する予定である。藍那は、当主は秋人と同じくらいの年齢だと話していた。しかし、イヤに外見が若々しい老人ばかりがいるこの屋敷ではその話もどうだか疑わしい。

 何が待っているのか、予想もつかない。

 まずは、腹ごしらえだ。

 秋人は黒い塗り箸を手に取り、左手に茶碗を持って麦飯を口に中に掻っ込んでいった。


 新江田家の屋敷で秋人達の前に現れるのはお手伝いさんばかりだった。新江田の名を持つ人間とは、結局当主に引き合わされるまで一度も出会っていない。

 食事を終えた秋人とナツキは、藤谷に連れられて屋敷の中をさらに奥へと進んだ。

 奥に進むほど、屋敷の中は薄暗くなっていった。廊下には一定の間隔で燭台が並んでいたが、そこに灯りは燈されていない。先導する藤谷は、手持ちの燭台から灯火を移し替えるようにして、秋人達を奥へと導いた。

「ずいぶんと暗いんですね」

 秋人が問う。

「……当主は暗闇を好まれますので」

 藤谷はそう言いながら足を止めた。

「この奥です」

 廊下の突き当たりだった。目の前にあるのは、何の変哲もない襖障子である。藤谷は襖を静かに引き、秋人に中へ入るよう促した。

「どうぞ、中へ」

 廊下同様、部屋の中にも灯りがないので様子を伺う事ができない。意を決して、秋人は部屋の中に足を踏み入れる。ナツキも、その後ろをついて歩いた。

 暗い部屋の中でまず気が付いたのは香りだった。近くで香が焚かれている。

 秋人はクンクンと鼻を利かせる。おそらく伽羅の香だろう。怪しいものではなさそうだが、どうにも匂いが濃い。

 ぼう、と淡い灯りが燈される。

 後から続いて部屋に入ってきた藤谷が、燭台に火を点けた。

 部屋の内側が、灯りに照らされる。

 そこに人はいなかった。

 さらに進んだ場所にもう一つ部屋があるようで、奥に襖障子があるのが見えた。

 襖障子には、夥しい数のお札が貼られていた。古めかしい木札に、茶色く変色した紙の札。大きさも異なる多様なお札が、元の襖の表面が見えない程に所狭しと並んでいる。

 その襖の一メートルほど手前に、紙垂を垂らした荒縄が張られていた。奥の部屋に通じる襖を封じるように囲っているようだった。

「言われた通り、香は絶やさないように焚き続けてます。札も定期的に新しいものを貼ってますし、しめ縄も同様に交換しています」

 燭台の側に立つ藤谷が言う。

 秋人はゆっくりと藤谷の方に顔を向けた。

「言われた通り? これは……誰がこのようにするよう言ったんですか?」

 藤谷はきょとんとした様子で応えた。

「誰って……おたくの社長ですよ。藍那堂の。聞いてないですか?」

 秋人は唖然とした。その後ろで、ナツキはチッと舌を鳴らす。

 当然、こんな事は聞いていない。藍那からもらった資料にも書かれてはいなかった。

 あの資料は、二蔵地区の地理と信仰、歴史や文化について調べられたものが主だ。新江田家との取り引きの記録にも、当主との面談記録にも、こんな事は記されていない。

 面談記録。あれは、そう言って良いものなのか。秋人は、この物々しい扉の向こうにいる当主の事を思った。

 藍那は、彼と自分とナツキを引き合わせて何をさせようというのだろう。何が起きるというのだろう。

 ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。

 右手に持った鞄の持ち手を強く握り締め、秋人は意を決して襖の前に立った。

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