第一章「夢の帆船」③

「へー、ついりってどんな字で書くの?」

「ひらがなです。本当は栗の花が堕ちるって書いて堕栗花って読むらしいですけど。堕栗花雨っていう言葉があって、梅雨の別名だって」

「んじゃあ、六月生まれ?」

「はい。安直ですよね」

「いや、シャレてんじゃん。いい名前だと思うけどな、俺」

 そういって、ナツキは煎茶の入った緑色のマグカップを口に運んだ。

 ついりの目の前にも、湯呑みで温かいお茶が出されている。ナツキが淹れたものだ。和菓子を食べるんならお茶がいるだろ、と言ってお茶の用を始めたナツキの姿を、ついりは居心地悪く眺めていた。

 お茶を淹れるナツキは、お世辞にも手際が良いと言えなかった。

 見た目には深層の令嬢のような雰囲気すら醸し出していたが、竜堂ナツキの所作はガサツそのものだ。

 座る時には片膝を立てるか、大股を開いてあぐらをかいている。スカートが膝下よりも長いから、中が見えるということは無かったが、ついりは密かにハラハラとしていた。

 わらび餅を食べている時もそうだ。周りにきな粉が飛び散ろうが、全く気にしていない。アイロンの効いた皴一つない制服にきな粉が舞う瞬間を見たついりは、思わず「あぁっ」と声を漏らしてしまった。

 言葉遣いにしても、まるで男子生徒を相手にしているような変な気分になる。黙っていればお嬢様にも見えるのに、一人称は「俺」だ。

 けれども、ナツキのフランクさは、ついりにとっては有り難かった。ついりは昔から緊張しいで、すぐ言葉に詰まってしまう。初対面の人とは、まともに話す事も難しい。

 けれど、相手から気安く接してもらえれば、少しは気が楽になる。

 淹れてもらったお茶の温かさが身体に染み入る頃には、ついりは自らの相談をナツキに話す準備が出来ていた。

「今、吹奏楽部の女子が何人も休学していること、知っていましたか?」

「いや、知らない。インフルエンザでも流行ってんの?」

「いえ……。みんな、眠っているんです」

「眠っている……?」

「眠ったまま、目が覚めないんです。もう六人になります。私を含めて二十人いる部員のうちの、六人」

「……へぇ」

 ナツキはほんの少し身を乗り出し、手首にはめている金属製のブレスレットをカチャカチャといじった。

「医者はなんて?」

「原因はわからないみたいです。身体には特に異常は見られないって」

「なるほど。そりゃあ何か異変の気配がするなぁ」

 ナツキは口角を上げ、ニッと笑った。

「で、相談の内容は?」

「眠ってしまった部員はみんな、以前から同じ夢を見ていたらしいんです。大きな灯台のあるどこかの海岸で、船が訪れるのをただ待ち続けている、そんな夢を」

「その夢を、あんたも見たのか?」

 ついりは、小さく頷く。

「私、怖いんです。もう目覚めないんじゃないかって思うと、夜眠ることも出来なくて。お医者さんや先生に相談しても、考えすぎだって言われるだけで、まともに取り合ってもらえないんです。もう、ワラにもすがる気持ちで……」

「おいおい、俺はワラじゃねえぜ?」

 ナツキは苦笑いを浮かべながら、わらび餅を口に運んだ。

「あ、今のは、ほんの言葉のあやで……」

「わぁかってるよ、冗談冗談。とにかく、その眠りの病の原因を解明して、不安から解放されたい、と。そういう事だな!」

 ナツキはそう言いながら、バシッと膝を叩いて鳴らした。

 その大きな瞳は爛々と輝いている。

 ついりは、その迫力に気圧されるようにして頷いた。

「こうしてお土産も、美味しく頂いちまったし、断る理由はねえよ。やっぱ末次堂のわらび餅は最高だな。甘さが上品っていうかさ。この柔らかさも段違いなんだよな」

 苦労して手に入れただけあって、差し出した対価には満足して貰えたらしい。ついりは、ほっと胸を撫で下ろした。

「それに……その異変の方も、美味しく頂けるような気がするよ」

 そういってナツキは、ブレスレットをはめた左手を、にぎにぎと動かして笑った。

 ニッと白い歯を剥き出しにするその笑い方は、まるせ幼い少年のようだった。

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