第29話「彼と俺と彼女の価値観」
「あのねぇ、君。僕が前言った事理解しているかい?」
遠乗りで思わぬ遭遇に出くわし帰った日の夜。俺は今日もエルガーに呼び出されていた。
理由は勿論―
「僕は君に上に立つ者としての自覚を持てと言ったんだよ?それがどうだい。親衛隊という護衛がいるにも関わらず、君は前に出て戦うと聞いたよ」
俺が魔物撃退を親衛隊に任せずに自ら先頭に参加したことである。
この件に関しては俺に非があるし、彼の怒りも理解できるという者だ。
エルガーは俺にもっと上に立つ者としての自覚を持てと言った。彼が言うには俺はもっと下の者たちを使うべきだと。
確かにその言い分はわかる。俺は誰に対しても低姿勢だ。それはされる側としては嬉しいのかもしれないが、第三者に見られれば頼りない君主と思われるだろう。
エルガーはいつも指導者然としていて、命令口調でも強いカリスマがあった。
だからこの怒りはもっともなのだが、今回は俺にも言い分があった。
「ですが、あのままだとダリウスが…!」
そう。最初の内は、俺だってじっとしようと思っていたのだ。
しかし、隊員の一人が魔物に殺されそうになっていた。あんな状況でも俺はドンと構えるつもりはなかった。
だが、俺の主張を聞いたエルガーは冷たい眼差しで俺を睨みつける。
「隊員の一人の命くらい気にするな」
「は……」
エルガーはそう言い放った。
つまり……彼はダリウスを見殺しにするべきだと、そう言ったのか?
「今回、君は幸運だったよ」
「幸運……?」
エルガーは椅子を回転させ俺に背を向ける。正面の窓から見える夜空でも見ているのだろうか。
「我々魔族は常々人族から狙われていてねぇ。少しでも隙を見せれば僕たち魔王に連なる者の暗殺を試みる」
「…それが、今回の件と何か関りが?」
「ああ。彼らは過去に魔物を利用して僕を殺そうとしたことがあった。あの時は危なかったね。隊員が五人も犠牲になった」
エルガーはいつもの調子の崩さない。だが、どんな顔をしているのかは分からない。
「そんな時、僕は常に自分が生き延びることを考えなければならない。それと同時に、自分の力を相手に教えるわけにはいかないんだ」
エルガーは椅子を回転させ再度こちらに振り向く。
その顔はいつも通りの飄々とした笑顔だった。
「だからね、上に立つ者として僕たちはおいそれと戦いに身を投じるべきではないんだよ。僕たちが死んだら魔族は混乱してしまう。僕たちが無闇に力を使い、敵にその全貌が明らかになればその情報を使われ攻め込まれるかもしれない」
残酷な言葉だが、彼の主張にも一理あるだろう。
王である者が死ねば民は混乱する。そんな状況を作ってしまう王は良い王とは言えない。
それに、力を無闇に敵に明らかにさせるわけにはいかないというのも理解できる。情報と言うのは時に強い武器となるだろう。
だが、俺には容認できないことがある。
「それでも、目の前で死にそうな隊員を見殺しにすることはできません」
知っている人が、それに俺の事を守ってくれている人が死にそうな時。かつ俺がその人を助ける力を持っている時。
そんな状況で彼の死をただじっと見つめる事なんて俺には出来ない。きっとこれからも。
エルガーはしばらく俺の目をじっと見つめ、やがて溜息をついた。
「はぁ。まぁまだ君は若い。これから魔王の責任というものを学ぶだろう。今日は下がっていいよ」
「……失礼します」
俺は納得のいかないまま部屋を出た。
彼の言い分はわかる…が、飲み込むことはできない。
あぁ…。このままでちゃんと魔王なんてやれるのか?
「……ん?」
部屋を出てしばらく歩くと、壁に寄りかかって立つメイドがいた。
「よう。
メリセントだった。俺の帰りを待っていたのだろうか。
「ええ。やっぱり僕は魔王に向いてませんねぇ」
「はっはっは。いいじゃねえか、お前のお陰で一人の命が助かったんだからよ」
メリセントはバンバンと俺の背中を叩く。何が楽しいのか満面の笑みだった。
「でもですね、僕助けた張本人に言われたんですよ」
「なんて?」
「『私たちは御身を守るために生きている。だからこれからは例え自分が死にそうになっていても気にしないでくれ。貴方を守るために死ぬなら本望だ』ってね」
遠乗りから帰った直後、俺はダリウスからそう笑顔で伝えられた。
自分の死についてそう笑顔で語る彼に尊敬の念を抱いた。でもそれと同時に恐怖も感じた。
「…それがひどく恐ろしくて。だって僕はまだ彼らに何もしていない。お父様のように王として彼らを平和な時代に導いている訳でもない。そんな人物に向かって簡単に命を賭ける彼の笑顔が…怖く感じた」
「…そうか」
俺はまだなにも彼たち親衛隊にしていない。俺が報酬を出している訳でもないし過去に命を救った訳でもない。それに訓練以外で接することもあまりなかった。
そんな人物を命張って守れるだろうか。
きっと彼らは忠義のつもりなんだろうが…俺の精神は一般サラリーマンだ。急に命に代えてもお守りしますだなんて言われても簡単にお願いしますとは言えない。
「…ま、
メリセントは俺の頭をガシガシと撫でた。
彼女はこうしてよく俺を子ども扱いするようにこうして乱暴に撫でることがあった。
しかし今のそれは少しの優しさが込められているような気がする。
「はぁ…なんであんな簡単に命を捨てることが出来るんでしょう…。惜しくないんですかね、命が」
少なくとも俺は折角の二度目の命は大事にしたいし簡単に死にたくもない。力をつけているのは今の世界が魔物や魔術が跋扈する危険な世界だからって言うのもあるしな。
「……私も同意見だよ。なんで従者って言うのは命捨ててまで主人を助けたがるのかね、どいつもこいつも……」
メリセントは吐き捨てるようにそう言った。
そう言えば、彼女の両親は先々代の魔王を庇って亡くなったと聞いた。それで自分と妹であるリーサリーセ姉妹しか残らなかったと。
それを悲しむでもなく悼むのでもなく、彼女は吐き捨てるようにそう言った。もしかすると、彼女は両親を憎んでいるのかもしれない。自分たちではなく主人である魔王を庇い命を捨て、自分たちを残して逝った彼らを。
「メリセントさんは、リーサお姉ちゃんとリーセお姉ちゃんのこと好きですか?」
「…当たり前だろ?私はあいつらの姉貴なんだからな」
メリセントは笑顔で言った。
兄姉なんだから弟妹のことは好きで当たり前。その考えは、俺も同意するところであった。
―――
「それより、メリセントさんは僕の事を待っていてくれたんですか?」
エルガーの叱責から数分後、自室に着いた俺は専属メイドに聞いた。
失礼かもしれんが、彼女が主人の帰りを待つ程殊勝なメイドとは思えなかった。
…まぁ、仕事は出来るが主人であるはずの俺の事を軽く見ている節があるからな。
「あ、そうだ。手紙を見せ忘れていたんだよ、ほら」
「あぁ、リーナお姉ちゃんからですか」
この世界で俺に手紙を出すようなここから離れた場所に住んでいる知り合いなど一人しか見当がつかなかった。
「えぇと、なになに……」
要約すると、龍姫族の都グルンダへの招待状だった。
そろそろ彼女と最後に会って一ヶ月が経とうとしていた。それで彼女は今回はアスモダイ城ではなくグルンダでの対面をご所望らしかった。それに加えて、時期的に彼女からもらった
行かない理由はない。っていうかこの竜の卵そろそろ孵化しそうなのか。
俺は部屋の隅に置いてある竜の卵を見つめる。確かに、最近少し動くことが増えてきた。…が、竜の卵なんて初めて見るわけだからそろそろ孵化するなんて分からん。
「喜んで行くと返事を書いておきます」
俺がそう言って机のペンを握ろうとすると、メリセントが眉を顰めた。
「おいおい、それくらいメイドにやらせとけって」
「いや、これくらい一人でちゃっちゃとできますって」
「それはメイドとしても同じだっつーの」
メリセントがここまで自分から俺の世話をしようとするのは珍しい。
「あのなぁ、
どうやらぶっきらぼうな彼女からしてみても、俺の何でも自分でやりたがる性格は目に余ってしまうらしい。
彼女が自分の専属メイドになってから世話を焼きたがるメイドがいなくて結構楽になっていたんだがな…。
「どうしたんですか?メリセントさんからそう言ってくるの珍しいですね」
「んあ?……最近よ、先輩からお小言貰ってな。殿下の専属メイドになったんだから心を入れ替えて仕事しなさいーってな」
「へぇ~…意外とメリセントさんもそういう事気にするんですね」
「どういう意味だコラ」
ガシガシと頭を鷲掴みにされる。
なんというかメリセントは周りの声を気にせず我が道を行くタイプだと思ってた。
でもそういう事なら任せてしまおうか。
「それじゃあ手紙の方、お願いしますよ」
「あいよ」
それにしても、リーナに会うのは久しぶりだから胸が躍るな。
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