第21話「ヴェリーナ・フォン・ブレスロード」
龍姫族の女王は、幾人もの夫を持つ。
しかし、ヴェリーナの母ヴァリュナはそうではなかった。
彼女は夫に政治の主導権を握られる可能性を嫌い、数人の男と関係を持つのみに限った。
その結果生まれた第一子がヴェリーナであった。
だが、問題があった。彼女の父親が誰か分からなかったのだ。
勿論ヴァリュナは調べた。
まず、ヴェリーナの髪色は紅だ。しかしヴァリュナは金髪。そして彼女の先祖に調べ得る限り紅の髪を持つ者はいなかった。つまりヴェリーナの父親もしくはその血縁者がその髪色の持ち主のはずだった。しかしヴァリュナが関係を持った者にそれに合致する者はいなかった。
また、ヴェリーナは炎の息を吐くが、ヴァリュナは氷の息を吐く。ヴァリュナが関係を持った者には龍人族の男もいたが、その中に炎の息を吐く者はいなかった。
ヴァリュナは無作為に選んだ男と関係を持った訳では無かった。龍姫族の利になるような人物を選んだのだ。そうすれば相手側の援助を望めると考えたからだ。
よって、ヴァリュナは失望した。
ヴェリーナはここ数代に亘って落ち目と言われてきた龍姫族を救う光だった。しかし、彼女の父親が誰か分からなくなった時、彼女を産んだ意味はほぼなくなった。その瞬間、ヴァリュナのヴェリーナに対する興味はなくなった。
しかし、ヴェリーナは健気だった。彼女にとってヴァリュナは唯一の肉親だったし、執事や侍女は彼女に対してあまり良い顔を見せなかった。だからいくら無視されようが彼女は母親に構い、話し、甘えた。
そんなヴェリーナにヴァリュナは唯一命じた。
お前は将来龍姫族のために嫁がせる。そのために教養を得て武術を身に着けろ。教養だけでなく武術も求めたのは、何か武器があれば側室にはなれるという算段があった。
たったそれだけの言葉だったが、ヴェリーナにとっては母親がくれた言葉だった。例え道具としか見られていなくても彼女にとってはそれが母親からの愛情だった。
ヴェリーナがその言いつけ通り自分磨きの日々を送っていると、ヴァリュナが正式に人族の男を旦那に迎えた。
なんでも彼は人族の大陸、セシア大陸の覇権国シトラ王国の東に位置する小国の王の三男らしい。セシア大陸の東と言えば毎日のように戦いが起こっている紛争地帯で、国が興っては滅びを繰り返すような地獄のような場所だ。
彼はそんな紛争地帯で三代も続いている王国の王族らしい。
ヴァリュナはとても満足している様子だった。幼いヴェリーナにはそれが何故か分からなかったが、ヴァリュナにとっては人族の国を後ろ盾にすることに成功したのだ。彼女の悲願の一つが叶ったと言える。
その日から、ヴァリュナのヴェリーナに対する態度はより冷たくなった。
また、その時からヴェリーナは読書をするようになった。色々な物語に心を打たれた彼女はまた、あることに気が付いた。
物語の中の母親と自分の母親にはひどい乖離があった。
どうやら世間の母親と言うのは自分の子供に誰よりも親密で、何があっても彼らの味方をし、優しく包み込むような人物なのだと。
それに気づいてから、ヴェリーナは自分が愛されていないことを知った。
その瞬間、彼女はこの世界は自分しかいないような、そんな孤独感を覚えた。
彼女には友達もいなかった。親しい執事や侍女や兵士も勿論いなかった。彼女は独りだった。
だが、彼女は母親に言われた通りに勉学に励み訓練をした。幼いころからの習慣で今更やめるのも嫌だったし、続けていれば母親に振り向いてもらえると信じていた。
しかしそんな日は来ずに月日が経った。
彼女が孤独感に慣れてきたある日、侍女たちがヴァリュナと人族の男との間に子供が産まれたという話を聞いた。初耳だった。しかし、自分が聞かされていないことに対する悲しみはもはやなかった。
その日、ヴェリーナはヴァリュナに呼び出された。人生で二回目の出来事だ。
そこで彼女は、王位継承権は目の前の赤ん坊にあることを告げられた。
その瞬間、ヴェリーナは特に悲しみを感じなかった。
(あぁ、私の価値と言うのは、たった今産まれたばかりのこの赤子にも劣るものなのか)
そう思っただけだ。
それからおよそ三ヶ月が経ち、自分の誕生日なんか誰にも祝福されずに過ぎ去った数日後。
彼女はまたヴァリュナに呼び出された。
小さい頃は嬉しかった彼女の呼び出しが、今はただ苦痛だった。
部屋に入れば全員から冷たい、道具としか見られていない視線を受けるだけだ。
その日ヴァリュナは言った。
「近い内に魔王がここへ来る。その時に魔王の息子に取り入り、最終的に婚姻関係を結べる努力をしろ」
いきなりそんなことを言われても困る。
ヴェリーナはそう思った。しかしヴァリュナの目の前でそんなことを言うのは不可能だった。
しかし、ヴェリーナはその日が楽しみでもあった。
彼女には友達はいない。魔王の息子は同年代と侍女が噂しているのを聞いたことがあった。
もしかしたら自分にも物語のように友達が出来るのかもしれない。
果たして、魔王の息子は彼女が会ってきた人間で一番優しい人物だった。
誰もやってくれなかったシェズを一緒にやってくれるし、自分を姉と慕い、どんな頻度で遊びに行っても快く歓迎してくれた。
ヴェリーナはその時が人生の最高潮だった。彼さえいればなにもいらなかった。
しかし、彼には姉として振舞う自分じゃなく、れっきとした姉がいて、彼はとても彼女を慕っているようだった。
嫉妬しないと言ったらウソになる。彼は時折彼女との思い出話をそれはそれは楽しそうに聞かせてくれた。もちろんそれは聞いていてとても楽しいものだったが、その思い出が自分とのものだったらよりよかっただろう、と思った。
そんなある日。彼の姉が病で倒れた。その時の彼の乱れようはすさまじかった。
もちろんヴェリーナは心配したが、こうした考えも浮かんだ。
もしかすると、彼はいつか私に飽きて、彼女の方へ行ってしまうのではないのだろうか。そう、自分の母親がそうしたように。
そんな不安が爆発した時、彼の姉が倒れた理由が魔塊病だという事を偶然聞いた。
魔塊病。聞いたことがあった。読書の一環で戦記を読んでいた時、魔塊病に倒れた魔術師を
かくしてヴェリーナは、孤独から救ってくれた友達、そして振り向いて欲しい弟分のために行動を起こした。
―――
「大体ここらへんね…」
龍姫族であるヴェリーナは竜がどこに巣を作るのか大体の目星をつけることが可能だった。
東の森に入って数十分歩き続けた彼女は足を止める。
そこには目論見通り竜の巣があった。
「当たりね……」
巣には竜の卵が四つほど見える。そして――
「………!」
それを守るように鎮座する母竜の姿も。
ヴェリーナは母竜を凝視する。規則正しく小さく上下する真っ赤な体。安らかな呼吸。
恐らく……眠りについている。
ヴェリーナは静かに歩き出す。決して足音を立てないように。
竜は種類にもよるが、何本もの樹の上に器用に巣を作る。
ヴェリーナはしずかに巣に登りやがて卵のすぐ隣までやってきた。それは人間の頭二個ほどの大きさをしていて、これを持ちながら歩くのは一苦労だろう。
だが、彼女はやらなければいけなかった。フリードリヒのために。自分を孤独の闇から救ってくれた恩人のために。
だが――
「きゃっ――!?」
ヴェリーナが立っていた巣の一部が崩れ落ちてしまう。彼女は咄嗟に卵を掴み翼で飛べたので落下は免れたものの、大きな音が鳴った。
そう。それは寝ている者でも起きてしまうには十分な音だった。
「グルル…」
「!?」
母竜が起きてしまった。
それは卵を持ち飛ぶ不届きものを確認すると、大きな口を開けた。
「ガァーーーーー!」
「ひぃぅっ!?」
大きな咆哮だった。ヴェリーナは一時的に聴覚を奪われる。
それに意識を奪われ、気付くのに遅れてしまった。
母竜の尻尾が自分目掛けて振られていることを。
「しまっ―――」
―――
「くそっ!ヴァリーナお姉ちゃん!どこですかーーー!?」
俺は東の森を走っていた。
リーサに東の森に竜が住み着いたと聞いた瞬間、俺は駆けだしていた。
「やってしまった…!」
俺は先ほど、あり得ない程の失敗をした。
折角俺と遊ぶためにやってきたヴェリーナに対してクリスへの心配のあまりぞんざいな態度をとってしまった。
その結果、彼女は俺に振り向いて欲しいあまりこんな行動を取ってしまった。これで彼女に万が一があれば間違いなく俺のせいだ。
こんな失態、『お姉ちゃん』好き失格だ。
俺は足を必死に動かす。まだ七歳のこの体では満足な速度はでない。
俺もヴェリーナのように飛べればいいんだが、魔族が飛べるようになるのは一般的に十歳を超えたあたりかららしい。
体力の限界を迎えそうになった頃。
『ガァーーーー!』
「な、なんだ!?」
何かが叫んだ音。それが何かは分からない。だが、それしか頼るものが無かった。
「頼む…!」
そこにヴェリーナがいること。そして、今の大きな声を出した何者かに危害を受けていないことを祈って限界の体に鞭を打って走り出した。
―――
「ヴェリーナおね……。え……?」
俺が森から開けた場所へ飛び出した瞬間。
何かが俺の隣の木へ猛スピードで激突した。
恐る恐る俺はそれを見る。
「う……ぁ………」
それは探し求めていた人物。ヴェリーナだった。
「ヴェ、ヴェリーナ!!」
俺はたまらず駆け寄る。
彼女は怪我だらけでボロボロだった。それに加えて今の木との衝突。
最悪の想像をしてしまったが、まだ息はあった。だが、それも細い息だった。
「くっ…。『魔術の祖よ。我に慈悲の力を以って、かの者を癒す力を――『
咄嗟に俺は治癒魔術を唱える。彼女の小さな傷は塞がるが、彼女は依然として苦しそうなままだ。所詮初級魔術だ。根本的な治療にはならない。
「グルル……」
「っ!?」
唸り声のようなものに振り向くと、そこには…化け物がいた。
二階建ての家くらいはある図体。真っ赤で固そうな皮膚。こちらを射殺すような目。この世全てを噛み千切れそうなくらい鋭い牙。それ一つで一つの生き物とさえ思える大きく太い尻尾。
この世界最強の生き物。
「ぁ………」
俺はあまりの恐怖に声を詰まらせてしまう。
当然だろう。
ヴェリーナの傍には割れた大きな卵が見える。きっと竜の卵だ。ヴェリーナは魔塊病が竜の卵で治ることを知っていた。だから持ち帰ろうとしたのだ。
しかしそこをこの竜に見つかった。それがこいつの逆鱗に触れたのか、目の前の最強生物は殺意を持って俺を見つめていた。
正直、今すぐ逃げ出したいくらいの恐怖だ。
俺が足を一歩後ろに退けると、
「フリー……ドリ、ヒ。逃げ、て……。ここはわたし、が………」
足元からヴェリーナがそう言った。今にも死にそうな声で。こんな状況でも彼女は俺の『お姉ちゃん』としていようとしていた。
「…………」
だが、こんな状況で逃げることが出来る奴がいるだろうか。ここで俺が逃げれば、間違いなく彼女は死んでしまう。
『お姉ちゃん』を犠牲にして自分だけがのうのうと生き延びるなんて、それは俺の信条に反する。
そんなことをすれば、俺は今までの俺の人生を否定することになってしまう。そうだろう?
俺は震える足をなんとか抑え、彼女を庇うように立つ。
「大丈夫ですよ、ヴェリーナお姉ちゃん。ここは僕に任せてください」
俺は彼女を安心させるように微笑んで見せる。
「ふりー……どりひ………」
彼女は今にも死にそうだ。今すぐ高位の治癒魔術をかけてあげないと死んでしまいそうなくらい。
だったら、俺がやるべきことは一つ。このどう足掻いても勝てなさそうな目の前の敵を倒すだけだ――!
「『魔術の祖よ。我に豪電の力を以って、かの者を貫く力を――『
俺の右手から稲妻の槍が竜目掛けて迸る。しかし、竜には全くダメージを受けた様子はない。
「くっ」
ここで一度俺の実力をおさらいしよう。
俺が使える魔術は全属性初級魔術だけだ。そろそろ低級魔術を覚える予定だったのだが先生役のクリスの体調不良が原因で延期していたのだ。
そう。俺は今、全属性が使えるとはいえ初級魔術しか使えない、魔術師とも呼べない存在だった。
また、急いでいたため鉾槍を持ってきていない。
つまり俺は初級魔術のみでこの世界最強の生物を倒さなければいけない訳だ。
「これ…無理じゃないか……?」
俺が絶望に染まりかけた瞬間、足元から声が聞こえた。
「こいつは…
龍姫族だから竜に詳しいのか、ヴェリーナが教えてくれる。
「氷結系……」
俺は右手を前に出し、両手を広げる。
「『魔術の祖よ。我に豪氷の力を以って、かの者を穿つ力を――『
唱えるはかつてクリスに最初に教わった氷結魔術。
右手に生まれた拳ほどの大きさの氷塊を生み出し、竜の腹目掛けて打ち出した。
頼む!クリス!力を貸してくれ!
俺の想いがこもった《氷弾》は竜の腹に命中する。
だがしかし…
「グゥ……」
ダメージをほぼ受けた様子を感じられない。
「そ、そんな……」
俺の心は今度こそ絶望に染まってしまう。今の魔術が俺の使える最大の威力を持つ氷結魔術だったのだ。
目の前の竜は一歩こちらへ歩く。それだけで地響きが生まれ、俺の恐怖心を更に煽る。
「やめろ…やめてくれええええええええええ!!!」
俺は苦し紛れに氷の息を思いっ切り吐き出す。だがこいつにとってはそよ風程度のものでしかないのか、どこ吹く風だ。
「グゥゥアアアーー!」
竜は尻尾を振り上げる。
だが俺は完全に腰が抜けていた。
避けなければ。避けないと。
さもなければ…死?
「ああああああああ!」
竜が尻尾を俺目掛けて振り下ろした瞬間、ヴェリーナが最後の力を振り絞って俺の前に立つ。
だが、彼女は既に満身創痍。俺の全身を全て庇う程の体勢を取れず、二人諸共吹き飛ばされる。
「がはっ!」
吹き飛ばされた俺は背中を思いきり木に打ち付けられた。瞬間、血を吐き出す。
頭も背中も腰も全身が割れるように痛い。目がチカチカするし、耳鳴りが止まらない。
あ………これ、駄目かも………。
「に、げ…」
一緒に吹き飛ばされたヴェリーナは、最早目を開くことも出来ない程弱っていた。そんな状態なのに、俺に逃げろという。
俺は本当に、こんなに俺を想ってくれている女の子になんてことをしたのだろうか。
残り少ない力を振り絞り、俺は彼女の上に重なるように寝そべる。最早立って庇う程の力は残っていない。だが、彼女を守らなければ。その一心だった。
「くそ……俺に、もっと力があれば…………」
俺はとどめを刺そうと尻尾を振り上げる竜を見つめる。
俺の第二の人生、ここで終わるのか……?
クリスも救えず、ヴェリーナも庇えず。きっと俺が死ねば両親もメイドさんたちも悲しむだろう。
「いや、だ……!」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!
こんなところで終われるか。
親不孝な息子になって、何も成し遂げず、『お姉ちゃん』も救えない!
そんな人生嫌だ!!
そんな俺の気持ちを嘲笑うように竜は尻尾を振り下ろす。
その瞬間、
『力が、欲しいか?』
陳腐な言葉が、だが聞き覚えのある声が聞こえた。
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