第二章 少年期
第15話「龍姫族の血筋」
一年が経った。
「殿下!そちらに一匹向かいました!」
「わかった!」
初任務の後も、俺は月に二回くらいのペースで魔王親衛隊の魔物退治に同行していた。
なんでもエルガーの意向のようだ。
エルガー曰く、魔族の歴史上、魔王の息子つまり王子は魔王の代わりに戦場に出ることが多くあるらしい。だから今の内に俺の実戦経験を増やして将来に備えるってことだな。
俺としても実戦を経験することは都合が良かった。
何故なら、自分の成長具合を確かめることが出来るからだ。毎日サリヤや他の隊員と訓練はしているものの、それはあくまで模擬戦だ。
しかし実戦では模擬戦では得られない経験を得ることができる。
実戦なので最悪死んでしまう可能性もあるが、俺が任務に同行する際はサリヤが必ず同行し、高頻度でクリスも同行する。王子である俺に万一がないようにだろう。…クリスも一応王女ではあるんだがな。どうあれ、俺にはサリヤやクリスという命綱とも言える最低限の保証があるため今まで死ぬことなくここまでこれた。魔王親衛隊は軍であるため、時には死傷者も出てしまう。しかし、俺が同行する任務は大抵難度の低いもので、幸いの事に隊員の死に目に遭うことはまだない。
「はぁっー!」
俺は鉾槍で目の前の小鬼(ゴブリン)を斬る。
狙い通りに首と胴体を切り離すことが出来た。その瞬間血飛沫が舞い悪臭が漂うが、今では少し顔を顰める程度で耐えることが出来るようになっていた。一年も魔物退治をやっていれば嫌でも慣れてくるもんだな。
「お疲れ様です、殿下。小鬼の住処にも敵影は見当たりませんでした。今回の任務完了です」
「うん。ありがとうサリヤ。……」
「…どうかしましたか?」
「え?ああ……」
覚えているだろうか。以前サリヤとリーサリーセの模擬戦を見学した際、彼女たちは瞬間的に肉体を強化させたかのような動きを見せた。サリヤは10mの距離を一瞬にして0にしたし、任務に同行する隊員があり得ない速度で剣を振ったり、見間違えかと思う体捌きで攻撃を躱したり。
皆が言うには、訓練をすれば無意識のうちに出来ると言った。
しかし俺はまだできるようになっていない。
俺はサリヤに質問した。すると、
「殿下はまだ七歳ですから、まだ出来ないとしても不思議ではありません」
との答えが返ってきた。
確かに、急ぎ過ぎなのかもしれないな。
そもそも七歳って前世の常識で言えば小学二年生とかだしな。これからの俺に期待か。
この一年で俺にも実力は着いてきたと思うし焦らずやっていこう。
―――
ある日の朝。
朝起きた俺は喉に違和感を感じた。
「っ!?ゴホッ、ゴホッ!」
思わず咳き込んでしまう。しかし痛みはなく、喉に何かがつっかえているような気持ち悪い違和感がある。
「咳き込んでいるのが聞こえたけれど大丈夫?」
「坊ちゃん大丈夫ですか!?体調崩されましたか!?」
「医者を呼んできますか!?」
俺の咳き込みを聞いて心配したクリスとリーサリーセ双子が入ってくる。
「うん、だいじょ、っ!ゴホッ!」
「ちょっと、本当に大丈夫なの?」
「う、うん…。咳は出るけど痛みはないから…」
「本当に?痛みが出たりだとか体調が悪くなったらすぐに言うのよ?」
「わかってるよ。クリスお姉ちゃんに気を遣ってもしょうがないからね」
「ふふ。分かっているじゃない。お姉ちゃん嬉しいわ」
その後、一応城に常駐しているエルガー付きのお医者さんに診てもらったが、特に問題は無かった。早く良くなるとよいのだが…。
―――
その次の日。
「ゴホッ!…うーん、なんだこれ」
相変わらず咳は続いていた。しかし昨日と変わらずそれだけだ。体調には何の問題も無かった。
「……ん?」
少しだけだが、胸に違和感を感じた。冷たい、ような気がする。
だが、本当にそう思うか思わないかくらいのものだった。喉に違和感があって、それで過剰になっていると言われれば納得するくらいのものだ。
「坊ちゃん、おはようございます。朝食の準備が出来ましたよ」
「あ、わかりました」
気にし過ぎか。そんなことよりも今日の朝食を楽しみにした方がよっぽど有意義な気がする。
「おはようございます」
「ああ、おはようフリッツ」
「おはよう、フリッツ」
「ふふ、さっきぶりね」
食堂に着くと家族は既に食卓に付いていた。
しかし、そこには珍しい人物も座っていた。
「おはようございます、殿下」
サリヤがいつも通りのクールな顔で座っていた。いや、いつも見るより少し顔が固いように見える。魔王であるエルガーの前だから緊張しているのかもしれない。
「おはようございます、そしてお久しぶりですな、殿下」
そのサリヤの隣には、禿げ頭で恰幅が良くだが目はギラギラとさせている中年の男、ウンガルフが座っていた。彼は魔王親衛隊の隊長を務めている。サリヤの上司だな。
「おはようございます、サリヤ、そしてウンガルフさんも。…でも、どうしてここに?」
「たまには親衛隊の者も直接労ってやろうと思ってね。ちょうど任務から帰ってきた彼らを招待したって訳だ」
エルガーが肩を竦めながら答える。
「がっはっは。帰ってきたらすぐに体を清めろと言われた時は陛下の寝室に呼ばれるのかと思いましたよ!」
「君の相変わらずなその下品な性格はここでは慎んでくれないか?子供の教育に悪いだろう?」
「おっと、これは失礼いたしました」
ウンガルフはその禿げ頭をこちらに見せるように頭を下げる。
緊張しているサリヤとは対照的にウンガルフはリラックスしているようだ。エルガーとは長い付き合いなのかもしれない。
このタイミングでメイドさんたちが今日の朝食を俺の目の前に配膳してくれた。
パンにサラダにスープに多分…鶏肉を茹でたのになにかしらのソースを絡めたもの。
正直この世界の料理はよくわからない。地球のそれと似た料理もあるにはあるが、基本的には新体験な味の料理が多い。美味しいから構わないがな。
さて、スープから頂くか。スープをスプーンで掬い、冷ますために息を吸い込んだ瞬間、
「っ!?ゲホッ!」
また咳を出してしまった。全く、何なんだこれは。それ以外に害はないと言っても食事も満足にできないとなると悪態の一つもつきたくなるぞ。
「あら、大丈夫なの?フリッツ」
「フリッツったら昨日からこんな調子なのよ。体調は大丈夫だというからそこまで心配はしていなかったのだけれど…」
ニクシーとクリスが心配そうな顔をこちらに向ける。
心配は嬉しいが医者も問題ないと言うし、咳が出るだけだ。確かに不都合は生じているが、そこまで気にすることはない。
「大丈夫ですよ」
「貴方がそういうなら信じるけど…」
クリスとニクシーは心配そうな顔をしつつも食事に戻った。
俺ももう一度スープを冷やそうと息を吸い込み、そして―――
「………!?」
喉が、喉が冷たい。キンキンに冷えた空気が胃袋から逆流するような感覚。
なんだこれなんだこれなんだこれ。
このまま、息を吐き出してしまったらとんでもないことになりそうな気がする…!
しかし、喉の下から俺に息を出すことを促すように新しい冷気が上がってくるのを感じる。
駄目だ、もう、耐えきれない…!
「ハァァァー…!」
「きゃぁ!?」
「ちょっと、フリッツ!?」
「殿下!?大丈夫ですか!?」
口に溜まっていた空気を吐き出す。限界まで。体の空気を全て外に出してしまう勢いで。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
俺が息を整えると、部屋中の視線を感じた。エルガーも、ニクシーも、クリスも、親衛隊の二人やメイドさん、コック、そして執事の全員、俺の手元を凝視していた。
「………え?」
そこには、俺がたった今食べようとしていたスープごと凍っている器があった。
「な、なんだこれ…?」
状況から見て、このスープは今さっき俺が息を大量に吐き出してしまった事が原因であるだろう。
しかし、分からない。俺は今、何をしたのだろうか。息を吐き出すことに夢中で周りが見えていなかったのだ。
「…ふむ。メイドよ、その食器を片付けろ。そしてコックに新しいスープを持ってこさせるように伝えてきてくれ」
「は、はい!」
冷静な様子のエルガーの号令によって、部屋のメイドさんたちが一斉に動き出した。
てきぱきと俺の目の前の食器を片付け、体を拭いてくれるメイドさんもいた。
「フリッツよ」
「お、お父様、これは…」
「ああ、君を責めている訳では無い…そうだな」
訳が分からない俺は、おそらく状況を正しく理解しているエルガーに頼るしかなかった。
他の人もそのようで、全員がエルガーの言葉に集中する。
「フリッツ、君は龍人族という種族を知っているかい?」
龍人族。昔メイドさんに教えてもらった人間の一つだ。ドラゴンのような翼や尻尾を持ち全種族の中で一番の腕力を持つ種族だと教わった。
「はい、知っています」
「そうか。実は僕の母親、君の祖母だね。彼女は龍人族の亜種、龍姫族に連なる者だ。龍人族はドラゴンのように火の息や、冷気の息を吐くことができた」
「息……」
「そうだ。君は今、龍人族のように冷気の息を吐いた。だから恐らく、君には彼女の龍人族としての能力が遺伝したのかもしれない」
「その能力はお父様も?」
「いや、僕には遺伝しなかった。残念なことにね」
ふむ。隔世遺伝というやつなのだろうか。
俺は祖母から冷たい息を吐くという能力を遺伝した。
あ、もしかしたらこの咳もそれに関係があるのかもしれない。どちらも喉に関する話だし。
「ゴホッ!ゴホッ!」
「恐らくその咳もその能力に関わることなのだろうが…この城に龍人族に詳しい者はいない、か。ふむ……」
「陛下、それならばあの話を受けるのはどうでしょうか」
「あの話…?ああ、あれか」
あの話、というのが何かは分からないがこの咳が解消されるなら是非受けて欲しい。
「お父様、あの話と言うのは?」
「ああ、さっき言った龍姫族は同じ大陸で暮らしているということもあって、長い間僕たち魔人族と親密な関係にあった。でも僕が魔王になった時に色々あってね、少し距離ができてしまっていたのさ。しかしつい先日、あちらから宴を持ちかけられたんだ。その距離を縮めたいのだろう」
「宴、ですか」
この城でよくやっている、あの。
「ああ。だが正直、今の彼女たちは落ち目だ」
「落ち目?」
「龍姫族は一部の龍人族を配下にしているのですが、最近そやつらの反乱が後を絶たんようでしてな。鎮圧には成功しているものの、権威は揺らいでいると言えましょう」
ウンガルフが訳知り顔で教えてくれた。魔王親衛隊隊長というくらいだから、脅威になりえる周辺の勢力には詳しいのだろう。
「それもあるが、奴ら数年前に人族の男を旦那に迎えただろう?しかも少し前にその男との子供が産まれたらしいじゃないか」
「…旦那に迎える?」
「龍姫族というのはその名の通り女性しか存在しない種族です。そのため、彼女たちは他の種族の男性との間に子を成すのですが、龍姫族の長は複数の夫を持つことが許されています」
サリヤが目の前の食事に目を輝かせながら説明してくれた。礼儀正しい彼女が俺に視線を合わせずに喋るとは、サリヤは飯が好きなのかもしれない。
しっかし、複数の夫を持つってことは逆ハーレムってことか。確かにいい『お姉ちゃん』には色々な男が集まるもんだからな。
「そんな奴らに今更近づく利点はあるか?」
「しかし好んで敵を作るというのも…」
エルガーとウンガルフはさっきの雰囲気とは真逆の、政治的な真面目な話をしている。
龍姫族と言う俺の喉の違和感に付いて何か知っているかもしれない種族は、元々俺たち魔族と仲が良かった。最近は色々あって距離が離れてしまったが、あっちはよりを戻したいと考えていると。
それに対してエルガーは反対していてウンガルフは賛成している、と言った具合だな。
俺としては治らない咳について知りたいし、龍姫族という種族への純粋な興味もあるので会ってみたいもんだ。サリヤが言うには龍姫族は女性しかいないらしいから俺の『お姉ちゃん』候補もいるかもしれん。あれ、俄然行きたくなってきたな。
ここはいっちょウンガルフに同意しようと声をあげようとした瞬間、
「二人とも、やめて頂戴」
凛とした声が食堂に響く。
その声はクリスのものだった。
彼女は少し怒ったような顔で言った。
「全く、そういう政治の話をフリッツの前でしないでもらいたいわ」
「い、いや、俺なら大丈夫だよ」
「いーえ。貴方が思っているよりも政治ってものは汚いのよ。まだ貴方が知らなくてもよいことがたくさん詰まっているの」
「しかしだね、フリッツもやがては僕の後に魔王を継ぐ身だ。今の内に慣れておくのもいんじゃないか?」
「だとしても、フリッツはまだ七歳よ。子供なの。まだ政治なんて知らなくていい齢よ」
いかん、クリスとエルガーが俺を巡って一触即発の空気だ。
周りのメイドさんや執事たちもどうすればよいか分からない様子で、一気に緊張した面持ちへとなった。
「まぁまぁ。お二人とも、フリードリヒ殿下の前で喧嘩するものではないですよ」
意外にも、そこに助け船を出したのはウンガルフだった。
「それに、私はクリスティーナ殿下に賛成ですな。いくらフリードリヒ殿下が魔王になられる身であってもまだ子供です。これから成長していく過程で自然に知るのがよいかと」
ウンガルフは立派なカイゼル髭を撫でながらそう言った。
彼の言葉に両者とも落ち着き、食堂中の皆が胸を撫で下ろした。
「そうね~私もフリッツにはまだまだ早い話だと思うわ。サリヤもそう思うでしょ?」
「え?あ、はい。そうですね、ニクシー様」
「はっはっはっ。今回はクリスティーナ殿下に分があったようですね」
「全く…多数決で賛否を決めるなど人族のやることだぞ…。そういえば、セシア大陸に代表者の多数決で方針を決める国が出来たらしいね」
「あぁ…。あの商人たちの国ですか」
「これだから人族は…。多数決で物事が上手くいくわけがない。やはり政治は強い力を持った個人がやるものだろう」
「ええ、全く、ですな」
ウンガルフは重く頷く。
それを見たエルガーは一つ息を吐くと、決意した顔で言った。
「フリッツの咳のこともある。今回は龍姫族にお呼ばれしよう。トルクシュ、使節を送っといてくれ」
「かしこまりました」
「あ、ありがとうございます。お父様」
「気にしないでくれ。さっきはああいったが僕も龍姫族の長にちょっと会いたくてね」
こうして俺は、龍姫族に会いに行くことになったのである。
龍姫族ね…。俺の『お姉ちゃん』になり得る人がいればとても嬉しいんだがな。
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