第8話「お姉ちゃんのいる日常」
クリスと出会ってからというもの、俺の日常は変わった。
「フリッツ、朝よ。起きて頂戴?」
朝、小鳥の囀りとともに、優しく揺すられながら目を覚ます。
重たい瞼を無理矢理起こすと、そこには重たかった瞼も思わずがん開きになるほどの年上美女。
そう、我が姉クリスが微笑を湛え、ベッドで横になる俺の隣に腰かけている。
朝っぱらからこんな綺麗な『お姉ちゃん』を見られるなんて、俺はなんて幸せ者だろう。涙が出ちまうぜ。
これまでは、メイドさんたちが俺を起こしてくれていたのだが、クリスが帰って来てからというもの、頻繁に彼女が起こしに来るようになった。なんでも、「貴方には起きて一番に私を見て欲しい」そうだ。
なんて台詞だ。胸がドキドキを通り越して爆発してしまいそうだ。
「おはよう、クリスお姉ちゃん」
「ええ、おはようフリッツ」
クリスに起こしてもらった俺は、彼女を伴って食堂へ向かう。
食堂には大きいテーブルと椅子が四つあり、俺とクリス、そして両親が向かい合う形となる。
「はいフリッツ、口を開けて?」
「あ、あーん」
横に座るクリスから朝食をあーんしてもらう。
周りにいるメイドさんや執事たちの視線は気になるが、それよりクリス―『お姉ちゃん』にあーんをしてもらっている幸せが勝つ。
精神年齢三十を越えたおっさんが何してんだと言う声は嫉みの類として処理させていただく。
「ふふ、よくできました」
しかも咀嚼するだけで『お姉ちゃん』に褒めてもらえるときた。なんだここは…理想郷……?
朝食を終えた後は、約束した通りクリスが魔術を教えてくれる。
とは言ってもまだ魔術を使う訳では無い。クリス式魔術教育は、まず座学から始まるらしい。
異世界転生してきた俺としては早く魔術を使ってウハウハしたいが、ここは『お姉ちゃん』に従う。なんたって俺は『お姉ちゃん』従順マシーンだからな。
「いい?魔術には詠唱が不可欠で―――」
勉強ができる奴は教えるのも上手いと言うが、彼女もその例に漏れない。
クリスの教えはスルスルと頭に入り、俺が質問をしても、ノータイムで納得のいく答えを教えてくれる。
まるで先生だ。スーツを着るクリスの姿が頭に浮かぶ。
…先生系『お姉ちゃん』か。悪くないな。
「やっぱりフリッツは要領がいいわね」
「そう?」
「ええ、まだ六歳とは思えないくらい」
クリスは笑顔で俺を褒めてくれる。
褒めてくれるのは嬉しい、嬉しいが…。
俺のこの理解力は実は中身が三十を越えているからという理由から、少し罪悪感を覚えてしまうな…。
だが、魔術を覚えると言うことは、魔神との約束に必要な事だ。なるべく早急に覚えておいた方がいいのだ。
「これだったらすぐに実技に移ってもいいわね」
「本当!?」
「ええ。ふふ、そこまで楽しみにしてくれるなんて教え甲斐があるわ」
クリスは笑顔のまま俺の頭を撫でる。
「ああ…本当に可愛い私の弟……。好きよ、フリッツ」
このように、クリスはしょっちゅう俺の事を好きだ愛していると言ってくれる。
愛すべき『お姉ちゃん』に勉強を教わり好きと言われ。俺は明日死んでしまうのではないだろうか。
みっちり魔術の座学が終わると、いつの間にかお昼時だ。
クリスに手を引かれながら食堂へ行き、俺はそこでまた、彼女にあーんをしてもらう。
実は、三歳の頃まで俺はメイドさんにあーんをしてもらっていた。その名残からかメイドさんからの視線は温かいと言うか、可愛いものを見ている視線に感じる。
しかし、執事の一部からは少々冷たい視線をもらっているが…ニクシーはにこにこしているしエルガーはあまり気にしてなさそうなので、今はこの幸福を噛み締めるとしよう。
昼食直後はフリータイムだ。サリヤとの訓練は夕方から始まるので少し空き時間がある。
俺は読書の気分だったので図書室に向かうことにした。
クリスも誘おうかと思ったが、彼女はエドガーと何やら話をしていたので一人で向かうことにした。
一人で本を読んでいると、息を切らしたクリスが飛び込んできた。
「フリッツ……はぁ、ここにいたのね……」
珍しく焦り顔だったので、どうしたのかと聞くと、俺がいつの間にかいなくなっていたので大慌てで探していたそうだ。
「いい?私から離れるなら、せめてどこに行くか伝えて?心配だから…」
少し大袈裟じゃないか…と思ったが、彼女の真剣な顔を見ると、俺の『お姉ちゃん』センサーが「取り敢えず謝れ」と教えてくれた。
『お姉ちゃん』キャラは心情を表情にあまり出さない。そんな状況で育った俺の『お姉ちゃん』センサーの正確性は抜群だ。このセンサーによって、俺は幾度となく『お姉ちゃん』キャラ攻略の際助けられた。
逆らわずにここは謝ることにする。
「ご、ごめん…」
「ああ、怒っている訳じゃないのよ、ごめんなさい。…よしよし、泣かないで頂戴」
全然泣きそうでは無かったが、何故か胸に抱かれ頭を撫でられた。
素晴らしい。全方位が『お姉ちゃん』に囲まれる。顔面は柔らかい所に当たっているしなんかすげえいい匂いがする。理想郷はここにあったのだ。
クリスと夕方まで読書をした後は、サリヤとの訓練だ。
俺とサリヤが鉾槍の訓練をしている横で、クリスも他の隊員と剣の訓練をしていた。
俺は剣を扱わないから素人目だが、様になっていると思った。というか普通に隊員との模擬戦で勝ってた。俺の姉がこんなにハイスペックなわけがない。
訓練を終え、サリヤたちとの訓練を終わらせると、メイドさんたちに風呂に入るよう提案された。
特に断る必要もないし、汗を流したかったので風呂に向かった。
この世界の文明では、汗を流すのに風呂に入ることは珍しく、風呂は金持ちの道楽と見られているらしい。基本的には水で濡らした布で身体を拭くくらいで済ませるようだ。
しかし、エルガーが魔王としての箔を付けるためにこの城を建てる際に浴場も設置したのだとか。
風呂好きな日本人だった俺としては嬉しい限りだ。
脱衣所で服を脱ぎ、浴場へと入る。
いつもなら、ここにメイドさんが二人ほど来て俺の体を拭くのだ。そう、全裸の俺を。
いくら俺が『お姉ちゃん』狂いだと言っても、流石にこれは恥ずかしすぎるし申し訳なかった。
風呂くらい一人で入ると主張したが、王族たるものあまり自分で動くのはよろしくなく、なるべくメイドを使うようにと言われてしまった。それにエルガーもメイドさんに身体を洗ってもらっていると。
そしてメイドさんの是非やらせてくださいという言葉があっては、流石に折れざるを得なかった。
そういう訳で俺が無の境地でメイドさんを待っていると、
「お待たせ、フリッツ」
全裸のクリスが入ってきた。
「エエエエエ!!!???ド、ドドドドドウシテ!?」
ナンデ!?クリスナンデ!!??
混乱する俺を他所に、クリスは俺の手を引き、座らせた。
「今日は私が貴方の体洗ってあげるわ」
クリスはそう言うと、上機嫌なのか鼻歌を歌いながら俺の身体を洗い始める。
おおおおおおおお落ち着け俺。相手は実の姉、実姉だ…!!!
だがしかし………クリスは俺の十二個上らしい。つまり十七歳だ。思春期を迎え成長した暴力的な身体が俺の目を襲う。このおっぱいで実姉は無理でしょ。
「はっ!」
俺は煩悩を振り払うために、勢いよく正面を向く。
クリスは相変わらず上機嫌のようで、ルンルンと俺の背中を洗っている。
落ち着け俺。ここでクリスの信頼を落とすわけにはいかない。
前世の弟妹の顔を思い出せ…!………元気にやってるかな。
「ねぇフリッツ?上を見て?」
「え?」
俺はしゃがんだまま上を見る。すると視界いっぱいにクリスの顔が写った。
後ろで俺の体を洗っていたクリスが、俺を上から覗き込んでいる形だ。
「ふふ…ねぇ、フリッツ」
クリスは十七歳とは思えない程艶やかな仕草で人差し指を俺の唇に当てた。
「キス……したことある?」
「え」
この姉は何を言っているんだ。
「な、ないよ……」
「じゃあ、してみる…?」
「だ、だ、誰と……?」
彼女のあまりの色気に、心臓がバクバクと高鳴り、呼吸が浅くなる。
彼女の端正な顔をこんな至近距離で見ると、彼女が実の姉と言うことも忘れ、視線が唇に集中してしまう。
このままでは…まずい……!
視線を逸らそうとも、彼女の強烈な視線からは逃れらないという錯覚を覚える。
「冗談よ。ふふ、そんなに顔を赤らめて。貴方の新しい一面を知っちゃったわね」
さっきまでの色気たっぷりの表情から一転、彼女は無邪気な笑顔を見せた。
「へ?」
「幼い貴方にキスを強要する訳がないでしょう?勿論、貴方が望むならその場限りではないけれど…」
クリスは唇を撫でながら流し目でこちらを見つめる。
この女…一々言動に色気がありすぎる…!
風呂を済めたら、飯を食い、後は寝るだけだ。
「それじゃあ、お休み、フリッツ」
「うん、おやすみクリスお姉ちゃん」
「……今日も一緒に寝なくて大丈夫なの?」
「う、うん!大丈夫!」
「…そう。おやすみなさい」
最後に少し寂しげな顔を見せたクリスと別れ、自室のベッドに横になる。
クリスが返ってきた初日、彼女の希望で同じベッドで寝たのだが、あまりの緊張で寝られなかったので次の日から丁重に断るようになった。あの暴力的な間での『お姉ちゃん』との添い寝は、今の俺にはまだ早かったようだ。『お姉ちゃん』レベルが上がった時に、再び戦いを挑もうと思う。
こうして、俺の一日は終わる。
魔術に訓練に勉強に……充実した一日だと言えるだろう。
それに、俺の理想像と言える『お姉ちゃん』たるクリスと同棲生活を送れているのだ。これ以上の幸福は無い。
しかし、俺には魔神との約束がある。人を一人殺すくらいでは比べ物にならない程の大きい事を。
だから俺は精進していく必要がある。
それに、クリスはそろそろ実際に魔術を使ってみるのもいいと言っていたな、楽しみだ。
俺は期待感を膨らませながら、今日の疲れを癒すために目を閉じた。
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