第6話「お姉ちゃん襲来」

 五歳になり少し経った。


 メイドさんたちの授業のおかげでこの世界についても充分知れたし、サリヤのお陰で鉾槍という武器の使い方も知った。


 今ではどこに出しても恥ずかしくない子供だし、暴漢に襲われても撃退くらいは出来るようになっただろう。


 そういう訳で、俺はそろそろ魔術を使ってみたい。


 やはり、前世の常識では異世界に転生した者は魔術で無双するものである。それに、魔術ってかっこいいじゃん。男の子なら誰でも憧れるだろ?


「う~ん…。もう坊ちゃんに教えることが無くなってきましたねぇ」




 ある日の授業終わり、今日の担当だったリーサがそう呟いた。


 ここだ。「じゃあ僕魔術を教わりたいな!」。そう言えば、優しく俺に甘いリーサのことだ。快く教えてくれるだろう。


「じゃあ――」


「やはりクリスティ――」


 リーサはそこまで言うと、口を滑らせてしまった者のように両手で口を塞いだ。

 だが悲しいかな。手で口に蓋をしたとて言ってしまった言葉は戻らないのである。


「クリス…?なんですか?それ?」


 まぁ当然の反応というか。他人が口にして途中で止めた言葉は普通のそれとは興味の引き具合が段違いなのだ。


 しかし、リーサは首を横に勢いよく振った。




「も、申し訳ございません。なんでもないんです」


「え~そう言われると逆に気になりますよ」


「だ、ダメです」


「そんなこと言わずに、坊ちゃんにコショっと教えてくださいよ」


「ほ、ほんとにダメなんです!私クビになっちゃいます!」




 涙目でそこまで言うリーサを見れば、流石に引くしかなかった。


 お姉ちゃんを泣かせる趣味は無いのでね。むしろ殺すね、そんな奴。


 しかし気になる。クビになるってどんだけ言ってしまっちゃダメな単語なんなんだ…。




「アー…そういえば坊ちゃン、近々宴がひラかれルんですが」




 リーサは話題変えに必死なのか、上ずりまくりでそう言った。


 


「宴、ですか?」




 宴、とは言うがいわばパーティである。パーティー自体は別にそこまで珍しくなかった。やはり王族というか、俺やエルガー、そしてニクシーの誕生日にはそれはもう豪華なパーティーが開かれるのだ。


 そして俺はそのパーティーがとても好きだ。別にいつもの飯に不満がある訳では無いしそれはそれでめちゃくちゃ美味いが、やはりパーティーとなるとシェフたちも気合が入るのだろう、とても美味い料理がこれほどかと大広間に並ぶのである。成長期の俺はそれらを胃袋がはちきれんばかりに食いつくし、眠くなり、メイドさんの背中で眠りながら部屋のベッドへ連れていかれるのである。


 なんだこれは、天国…?




「ええ。近日、エルガー陛下が魔王に即位して十周年の宴が開かれるんです。間違いなく、これまでのそれとは比べ物にならないくらいの規模ですよ」


「へぇ…」




 いつものあれを凌ぐ規模なのか。俺の腹が破れてしまうかもな。




「そうなると、いつもより多くの人を招待するんですよ」


「まぁ…お父様の即位十周年ですからね」




 はて、リーサは一体何を言いたいのか。




「そういう訳で、陛下から坊ちゃんに礼儀作法を教えるようにと仰せつかった訳です」




 拝啓、魔神様。どうやら俺はまだ魔術を使えることが出来ないようです。


 俺がこの世界に生を受けて五年。未だに魔術を使うことも無く、さらに俺のことを好いてくれている年上美人に溢れるこの世界。


 こんなことになるくらいだったら魔神と結んだあの契約、意味なくないか…?破棄するべき――




「坊ちゃん?聞いています?」




 俺が少し悲観的な考えに耽っているとリーサが少し涙目でこちらの顔を覗き込んでいた。どうやら考えに夢中になり過ぎて彼女の言葉を無視してしまっていたようだ。


 いやいや、俺がそんなことを考えていたら魔神もこんな顔をしてしまうかもしれない。


 …いや、あの魔神がそんな表情を浮かべるのは想像出来ないが。




「ああごめんなさい、リーサお姉ちゃん。えっと、礼儀作法のお勉強ですね。お願いします!」


「はい!宴まであまり日数がありませんからね、ビシバシ行きますよ!」






―――




 突然だが、俺には角が生えている。


 その形は、物語に出てくる悪魔のそれと同じように前方にうずまいているような形だ。どうやら俺は外見的特徴は魔族である父親の遺伝を引いたらしく、角の形は父親であるエルガーそっくりであった。


 魔族であれば事故か何かで失わない限り、全員角がついている。しかし、その色はその魔族によって変わる。


 よく見られるのは白色だ。リーサリーセ姉妹なんかもその色の角を持っている。時々青色や黄色なんかを見かける。しかし、俺のそれは深紅ともいえるほど真っ赤なものだった。メイドさんたちはそんな色の角を見たことが無いと言うし、エルガーも知り得る限りでは赤色の角を持つ者はいなかったという。彼はあの若々しい姿に反して齢300を越えているらしい。そんな彼が見たことが無いと言うのだから、少なくとも珍しい角であることは間違いない。それって結構重大事なんじゃないかと思ったが、どうやら皆あまり気にしていないらしい。俺自身としては結構気になることではあったのだが、周りの人々があまりにも気にしないものだから、俺も最近はあまり気にならないようになってきていた。




「………ん?」




 その角の違和感に感じたのは、礼儀作法の勉強が始まってから二日後のことであった。


 今日も今日とてメイドさんに起こされ、姿見の前で彼女らに自分の服を着替えさせてもらっていた。


 最初の方は一回下着だけの姿をメイドさんに見られることにひどい恥ずかしさを覚えていたものだが、風呂でも同様に俺の身体を洗ってくれる日常を過ごしていると慣れてしまった。


 そういう訳で、暇つぶしに自分の姿を鏡越しに見ていたのだが、自分の角の紅が少し薄れているように感じた。




「う~~ん…?」


「どうかしました、坊ちゃん?」


「いや、僕の角の色、少し薄くなってません?」




 服を着替えさせてくれながら心配してくれたリーセに俺はそう言う。もしかしたら俺の気のせいかもしれないしな。




「え~そうですか?今日も真っ赤じゃないですか」


「…やっぱりそうですよね。ごめんなさい、変なこと言って」




 半ば予想通り、彼女はそう言った。


 俺はもう一度鏡に映る自分の角を見る。確かに赤色だ。真っ赤と言っても差し支えない。しかし、少し薄くなったかと言われれば納得できないこともないというレベルだ。


 しかし、角が薄くなったからなんなんだという考えもある。今は気のせいと言うことにしておこう。


 俺は意識を俺の服をせっせと着替えさせているリーセを目に焼き付けることに集中させた。






―――




 更に数日後。


 朝、同じように着替えさせてもらっている間に鏡を見るとやはり、俺の角の色はやはり昔の深紅さは保っていないように見える。


 しかし、メイドさんたちは相変わらず変わっていないと言う。まぁなぁ、メイドさんたちは毎日俺と顔を合わせているからな。微々たる変化には気付かないのかもしれない。結局、俺の勘違いって可能性もある訳だからな。


 気持ちを切り替え、朝食を摂るべく部屋を出る。ちょうどそのタイミングで隣の部屋、つまり俺の部屋の隣の部屋から誰かが出てきた。その瞬間、俺の視線はそこに吸い込まれた。


 何故か。その部屋は俺が立ち入りを禁止させられていたからだった。禁止させられると破ってみたくなるのが人間の性。夜中にこそっと入ろうと試みた――が、鍵がかかっていた。俺は嘆いた。そんなこんなでいつか俺はあの部屋の正体を暴かんとしていたのだ。


 しかし、意外だったのはその部屋から出てきた人物が、サリヤだったことだ。


 最近忙しいとのことで、彼女を見るのは二週間程振りであった。




「サリヤ……?」


「で、殿下!?」




 サリヤはまるで想定しない相手にでも出くわしたかのような表情を作る。彼女のこんな表情を見たのは初めてだったため、少しショック…。




「お、おはようございます殿下。今日も素晴らしい天気ですね」




 確かに窓の外から見えるのは燦々ときらめく太陽と雲一つない晴天だ。しかしこんなに分かりやすい話題転換などあるだろうか。




「おはよう、サリヤ。この部屋でなにをしてたんだ?」




 以前サリヤに敬語はいらないと言われ彼女と話す時は普通に話しているが、なんだかむずがゆい。生前だと家族以外の年上の人物にため口をきくことなんてほとんどなかったし、しかも彼女は年上美人なのである。畏れ多いとは思っていたが彼女たっての希望なのでこのような口調にしている。




「え、えーーと……」




 常に冷静で、言い淀むことが珍しい彼女が打って変わって今は誰かに助けを求めるかのように目を泳がせていた。


 ま、女性を困らせる趣味は俺にはない。この部屋のことは気になるが、今日の所は退散しよう。


 そう思い踵を返そうとした時。




「あれ、殿下…?」


「はい?」




 意外にもサリヤが引き留めてきた。しかし彼女の表情は先ほどまでのそれとは違い、何かに気付いたような、真剣な面持ちだった。




「角、少し薄くなりました……?」






――――




 毎日顔を合わせるメイドさんたちは俺には何も変わったことは無いと言い、二週間ぶりに会ったサリヤには角の色が薄くなったと言われる。


 「お前太った?」って言葉は基本家族よりも夏休み明けの友人に言われる方が多いように、この点でサリヤの言葉の方が頼もしく聞こえる。


 やはり、俺の角の色が薄くなったことは間違いないと考えていいだろう。しかし、書物などによると高齢になると髪の色が薄くなるのはこの世界でも前世の知識と共通していたが、角の色は基本変わらないらしい。つまり、この角の色が薄くなった件についてわかることは何もないらしい。


 角の色が薄くなったことに初めて気づいて二週間、今のそれはメイドさんたちさえも明らかに変わったと言うほど薄くなっていた。ちょっと薄めのオレンジって所か。この世界に前例がないと言うことで少し身構えてはいたが、特に俺の身体に変わったことは無い。エルガーも気にすることはないだろうと言った。だから俺も気にしないことにして、メイドさんたちの礼儀作法のお勉強に励んでいた。


 そして今日、それをお披露目する宴―エルガーの魔王即位十周年の祝宴が開かれるのだった。


 俺はそこで運命の邂逅を果たす。






―――




 俺が住んでいる城、最近気づいたんだがここは俺たちの家名をとってアスモダイ城と呼ばれているらしい。そのアスモダイ城の一際大きい部屋。とにかく広い、体育館くらいはあるんじゃないだろうか。そんな部屋に様々な魔族が高貴な礼服に身を包み、手には酒が入っているのであろうグラスを持ち、そしてそんな人々が全員この部屋の一点を見ていた。




「皆、今日はこのような素晴らしい日に集まってくれたことに感謝する」




 本日の主役、我らが魔王、エルガー・リグル・アスモダイ様である。


 今日集まっているのは彼が配下とする、この大陸各地を統治する有力者である豪族だ。彼らはエルガーに忠誠を誓い各々の領地を治めている。魔族は強いものが偉いという考えがあり、なるほど確かにガタイが良く礼服が今にもはち切れそうな人物もちらほらと見かけられた。エルガーはどちらかというと魔術を得意なようでそこまで体格がいい訳では無いが。


 まぁ今からエルガーが話すことなんて始業式の校長並みに長ったらしく聞いたらすぐに忘れる事であろう。そんなわけで、俺は俺に与えられた卓でメイドさんたちに囲まれながら豪華な食べ物にありつくとする。




「初めて目にする者もいるだろう。あちらにいる者こそ、我が息子、フリードリヒ・リグル・アスモダイだ」


「おぉ…!」


「エルガー陛下のご子息か…!」


「可愛らしいお顔だこと」




 しかし、でかい肉を大きく口を広げて頬張った瞬間エルガーが俺の名前を呼んだのが聞こえた。


 おいおい父ちゃん、こんな場で紹介されるなんて聞いてないぞ!?




「ぼ、坊ちゃん、早く飲み込んで…!」


「ふぁ、ふぁふぁっへる!」




 俺は急いで咀嚼すると勢いよく起立。


 視界には微笑ましいようなものを見たような表情を見せる豪族の皆様、そして笑いがこらえ切れていない彼らのご子息やご令嬢。


 く、クソ恥ずかしい。エルガーめ、許さんからな…!




「フ、フリードリヒ・リグル・アスモダイです。よろしくお願いします」




 軽く自己紹介をすると、俺はメイドさんたちに教わった礼をする。左手を胸に当て、軽く頭を下げる。これがこの世界での礼らしい。日本人感覚で深くお辞儀をしたら注意されてしまった。


 豪族たちの拍手を聞きながらメイドさんに促され着席する。どうやら問題なかったらしい。


 全く、こういうことをするって事前に伝えて欲しいもんだ。


 エルガーは俺のそんな恨みのこもった視線など気にしていない様子で喋り続ける。




「彼は将来、私の跡を継ぎ魔王となるだろう。皆にはその支援をお願いしたい」




 俺は彼らの一人息子らしいからな。魔王が世襲制かは知らんがエルガーは将来俺に継がせる気らしい。それ自体は結構前から知らされていた。でもそんなのいつになるんだか。魔族ってのは寿命が長い種族だからな。百年後とかの世界だ。


 しかしそこで気付いた。エルガーの発言を受けた豪族たちがなにやら騒がしい。




「フリードリヒ様が次期魔王…?」


「陛下のご決断だ。尊重しようじゃないか」


「クリスティーナ様はどうしたというのだ」


 


 どうやら俺が次期魔王であるということにあまり納得がいっていない様子だ。それを決めたのは俺ではないとは言え、少し肩身が狭い。


 そんな俺の雰囲気を感じたのか、俺の左右に控えていたリーサリーセ姉妹が俺を彼らの好奇の視線から隠すように立ってくれた。


 


「大丈夫ですよ、坊ちゃん」


「私たちは坊ちゃんの味方ですからね」




 彼女たちの言動で我に返ったのか、豪族たちは口を閉ざしこちらに向けていた視線を逸らした。




「さて、本日の宴には皆が期待しているであろう者が参加することになっている。もう少しで到着するはずだが…」




 エルガーは会場内で起こっていることなど露知らずといった様子で喋り続ける。


 しかし俺たちが期待している人物とは誰だろうか。皆目見当もつかんが。




「おお!クリスティーナ様か!」


「五年ぶりだ!」


「王国の王立学校に進学されたのではなかったのか?」




 だが、豪族たちには心当たりがあるようでほぼ全員が色めきだっている。


 しかし、クリスティーナか。少し心当たりのある名前と言うか…。


 俺がリーサの方をちらりと見ると、すぐに逸らした。やはり、前日言っていたクリスなんちゃらというのはクリスティーナ、という名の者のことであるらしい。


 彼女―クリスティーナという名前から推測するに―は豪族の皆様からはとても好かれていると言うか歓迎されている様子だ。先ほど次期魔王の名に挙げていた者もいたからな。




「おや、どうやら用意が出来たらしい」




 エルガーがそう言うと、この部屋の一番大きい両扉―主賓用の大扉がメイド二人によって空けられる。




「ぁ……」




 俺は、に目を奪われた。


 


 俺の十個程年上だろうか、高い身長。真っ白な二つの角と、俺と同じ黒色の翼。


 白髪、いや銀髪の髪をハーフアップの形に結んでいて、前髪は下ろし、右目が隠れている。しかし泣きぼくろのある左目から覗くルビーのような真っ赤な瞳は見た者の視線を逃さない。欧米人のように高い鼻筋に、妖しく弧を描く唇。


 すれ違えば目で追ってしまうだろう豊満なバストに真っ黒なドレス越しに見える細く引き締まった腰。見る者が見る者であれば太いという臀部と太ももだが俺ならばそれが良いんだと言う。


 完璧だった。俺の理想とする『お姉ちゃん』そのものの存在だった。


 そのあまりの完璧さに俺は膝から崩れ落ちそうになる。




 が、しかし俺はその次の瞬間、エルガーの声に全ての意識を奪われた。




「彼女こそ、クリスティーナ・リグル・アスモダイである」




 紹介を受けた俺と性を同じにする彼女は、俺と目があった瞬間、笑みを深めた気がした。


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