第4話「魔王の息子」



 

 それから三ヶ月が経った。

 俺は基本的に一つの部屋で世話をされている。まだ首もすわっておらずベッドに横になっていることしかできないが、わかったことがいくつかある。

 まず、俺が産まれた家は恐らく王族とか貴族とか、それとも大商人の家なのかはわからないがとにかく裕福だ。

 俺の世話は普段、あのエルフっぽい母親ではなくメイドさんがしてくれているのだが、その数がとても多い。基本、俺にあてがわれた部屋ではメイドさんが三人常駐しているのだが毎日違うメイドさんで二日連続で同じメイドさんを見たことがない。ぱっと見だし、まだこの世界の言語を習得していないので全員の顔と名前を憶えていないのでおそらくだが、3,40人はいるのではないだろうか。

 

 そしてこの世界の俺の父親はどうやら忙しいらしい。この三ヶ月で二回しかこの部屋を訪れていない。そしてその二回もメイドさんと少し会話をして俺の頭を撫でたらどこかに行ってしまった。俺はあまり望まれていない子供なのだろうかと思いもしたが、俺が産まれた日は嬉しそうに名前をつけてくれたし、俺の部屋に来た時もとても楽しそうというか、ちゃんと愛情を感じた。どうやら本当に忙しいようだ。

 ちなみに母親は一日のほとんどの時間、俺が寝ているベッドの隣で座っている。確かに俺にはまだ母乳が必要だが、母親は父親と違って暇なのだろうか。それとも育休とか?この世界にそんな制度があるかは知らんが。ただ、母親も楽しそうでニコニコと俺に母乳を飲ませたりおしめを変えたりしている。

 

 最後に、俺の名前。まだ言語はわからないがメイドさんや母親が毎日呼び掛けてくるのでわかった。どうやら俺はフリードリヒ、そして母親にはフリッツと呼ばれているらしい。中二心をくすぐられる名前だが、俺は結構気に入った。

 だがまだ母親や父親、そしてメイドさんの名前はまだ分からない。両親の名前も気になるが、俺はそれよりメイドさんたちの名前に興味津々だ。彼女たちは甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれている。しかもとても楽しそうに、だ。俺は早く言語を憶え彼女らの名前を憶え、ありがとうと言いたい。きっと彼女らのことだ。優しく微笑みかけてくれるだろう。リアル『お姉ちゃん』が俺に微笑んでくれる…。考えただけで興奮してくるな。




―――


 

 俺が産まれて半年経った。

 言語も日常会話程度なら覚えてきた。部屋にいるメイドさんが結構おしゃべりをするのだ。和気藹々とした雰囲気で堅苦しい雰囲気もない。いい職場なのだろう。

 その結果、両親の名前、そしてメイドさんたちの名前を憶えることが出来た。例えば、今俺のハイハイの練習に付き合ってくれるメイドさんはリーサと言うらしい。白すぎないくらいの美白の肌に漆黒と言っていいくらいの黒髪はポニーテールにまとめている。そして今喜色満面の笑顔を浮かべている顔はとても整っている。普通に恋に落ちそうだ。だが、その端正な顔立ちは彼女に限った話ではなく、メイドさん全員が美女である。顔採用だとしてもレベルが高すぎる。やはりこの家はとても格式高いのではないだろうか…?

 ちなみに母親はニクシー、父親はエルガーと呼ばれていた。『お姉ちゃん』たるメイドさんたちよりも重要度は低いが大事な情報だ。


「フリードリヒ坊ちゃん、こっちですよ~」

「り、りーさ、おねえ、ちゃん」

「きゃ~~~!聞いた!?今私の名前呼んだわよ!しかもお姉ちゃんだって~~~!」


 まだ生まれて間もない故なのか、俺はまだあまりはっきりと喋れない。そんなたどたどしい口調でも彼女はとても満足してくれているようだ。

 彼女の反応を見てわかる通りメイドさんたちはとても俺のことを好いてくれているらしい。

 ふと、この部屋に備え付けられている姿見を見た。そこには床でハイハイをしている俺がいた。

 その顔はとても端正な顔をしている。まだ生後半年ではあるが成長すれば間違いなくイケメンになると断言できる顔であった。……頭の角、背中の翼、腰の尻尾を見なければ。二本生えている角の右側を触ってみる。少しひやりと冷たい。間違いなく、今世の俺は人間ではないのだろう。だって、母親はエルフで、父親は悪魔のような見た目で俺と同じように角や翼、尻尾が生えていた。これで逆に俺が人間だったら母親の不倫が発覚してしまう。

 最初は戸惑った俺だが、今はこの環境に大変満足していた。なぜなら――


「はい、到着~~!坊ちゃん、よくはいはいできましたね~~!」


 そう言ってリーサは俺を抱き上げる。俺の視界はリーサのたわわな胸と整った顔で占められた。

 あぁ…幸せだ。はいはいするだけで『お姉ちゃん』に褒められて、抱き上げられて、微笑まれて。頬から感じられる柔らかい感触も素晴らしい…。

 気持ち悪いとは思わないでくれよ…。こんなこと合法的に出来るのなんて赤ん坊でいる今のうちなんだからな………。


―――


  そこから数年、俺が産まれてから三年が経った。


「おはようございます。フリードリヒ坊ちゃん」

「おはようございます、リーセお姉ちゃん」

「はぁう……。今日のご朝食をお持ちしました」


 そして、言語ももう完璧と言えるだろう。もうメイドさんや母親と普通に会話が出来ている。

 そして朝食を持ってきてくれたこのメイドさんはリーセだ。リーサの双子の妹で、俺はこの双子とメイドさんの中で一番仲が良いと思っている。


「フリードリヒ坊ちゃん、エルガー様から言伝がございます」


 リーセが持ってきてくれた朝食を食べていると、彼女は真面目くさった顔でそう言った。

 リーセだけに限らずメイドさんたちは基本明るい雰囲気でこういった表情は珍しく、少し緊張してしまう。


「お父様はなんと?」

「朝食をとり次第、エルガー様の執務室に来るように、と」

  

 俺は今まで、離れのような建物で暮らしていた。

 この三年間、離れから出たことは無い。

 しかし全く不便では無かった。この建物には寝室、リビング、キッチン、果てはメイドさんが睡眠をとるための部屋もあり、俺が暮らすために作ったとしか考えらない建物だった。朝起きたらメイドさんが朝食を持ってきてくれて、メイドさんとお茶会をしながらお喋りし、いい天気の日は中庭でメイドさんと運動し、頼めば夜はメイドさんの添い寝で寝ることができた。なんだここは。天国か?

 しかし、最近流石にこの生活は自堕落過ぎないかと感じていた。魔神との約束もあるしな。

 そういう訳で、今から父親に何を言われるのだろうかと少し期待している自分もいた。


「わかりました」


 

―――


 朝食を食べ終ると、リーサとリーセが案内してくれる。

 離れから渡り廊下を通って本館ような建物に入る。歩いていると、多くのメイドさんとすれ違う。何回か見た顔もあったが、初対面のメイドさんも何人かいた。

 こんなに多くのメイドさんを雇っていると言うことはやっぱり俺の産まれた家は格式高い家なんだろうか。

 そんなことを考えているうちにこの建物の一番奥の部屋に着いた。

 リーサは俺に目配せを一つすると、その豪奢な扉をノックした。


「エルガー様、失礼します。フリードリヒ様をお連れいたしました」

『入ってどうぞ』


 扉の向こうから聞こえたのはエルガーでは無く、知らない男性の声だった。

 リーサが扉を開け、俺を中へと促す。

 書斎のような部屋には五人の姿があった。

 部屋の中央にはエルガー。仕事中なのだろうか、こちらを見ずに机にある書類か何かにペンを走らせている。その右には執事服に身を包んだ老人のような見た目の男性。誰だろうか、初めて見る人物だ。見た目だけで言えば六十は見えてそうだが、魔族は長寿なためか見た目だけで齢を判断するのは難しい。リーサリーセ姉妹だって女子高生でも通りそうな見た目なのに30前半らしいからな。

 その手前に、お客用だろうか、机を挟んでソファが二つ。左のソファにはニクシーが座っていた。相変わらず慈愛の表情をもって俺を見つめている。右のソファには知らない男女が一組。二人とも鎧を身に着けていた。この世界で初めて見る格好だ。男の方は剣を装備していた。兵士だろうか。


「やぁフリッツ。久しぶりだね」


 エルガーは顔を上げた。その表情は飄々としていてどこか楽しそうだ。まぁエルガーとはまだ顔を合わせたことは数回だがいつもこんな感じだ。


「はい、お久しぶりですお父様」


 俺がそう言うと兵士然とした二人は少し感嘆したような表情を見せた。


「ほう。陛下のご子息はまだ三歳とお聞きしていましたが、立派な方ですな」

「…そうですね」


 俺はただ挨拶をしただけ、とも思ったが確かに俺はまだ三歳。そんな奴がお久しぶりですなんて言っていたら驚きはするか。

 しかし、俺は女性兵士の方に視線が吸い寄せられていた。すっごい美人だ。透き通るような青髪に少し冷酷な印象を受ける顔。鎧を着ているためにスタイルは分からないがなんかこう…鎧の胸部分がすごい突っ張ってるということはそういうことなのだろう。

 ここで俺はふと、男兵士の言った陛下という単語が引っ掛かった。

 陛下という敬称が使われる人物というのは限られている。

 まさか…俺の父親エルガーってひょっとして……。


「それでは、フリードリヒ様もいらっしゃったことですので、我々はそろそろ」

「ああ、ウンガルフ、サリヤ。君たち魔王親衛隊の働きを期待しているよ」


 魔 王 親 衛 隊

 エルガーはそういった。額面通りに受け取るなら魔王親衛隊とは魔王を守る人達だろう。そしてエルガーはそんな彼らに働きを期待していると伝えた。つまり、エルガーは魔王親衛隊なる者たちより上の立場にあると考えられる。

 つまり?エルガーは?


「フリッツ。君が産まれてから一年が経った。そこで、次期魔王となる君のためにそろそろ教育を施さないといけないと思ってね」


 次期魔王。エルガーはそんな存在が俺だと言う。

 い、いやまだだ。まだ魔王が世襲制だと決まった訳では……。

 ニクシーは俺のただならぬ雰囲気を感じたのかエルガーの方へ向き直った。


「あなた、もしかしてフリッツはまだ知らないんじゃないの?」

「ああそうか。そういえばまだ言った事はなかったね」

 

 エルガーは椅子から立ってわざわざ俺の前まで歩いてきた。そして大仰な態度でマントをバサッと広げ、言った。


「私、エルガー・リグル・アスモダイが第七十一代にして当代の魔王さ」


 拝啓、前世の弟妹へ。

 僕はどうやら魔王の息子になったようです。



―――


 エルガーの魔王宣言から数分後、俺は自分の部屋へと戻っていた。

 そして今、先ほどエルガーの執務室にいた老執事と面と向かって座っている。

 リーサリーセ姉妹は相変わらず部屋の隅で控えている。


「改めまして、フリードリヒ様。初めまして。筆頭執事のトルクシュと申します」


 トルクシュは椅子に座りながら恭しく一礼した。メイドさんたちはここまでキチッとした態度では無かったので少し面食らう。

 

「こ、こちらこそ初めまして。フリードリヒ…えっとリグル・アスモダイです」


 父親であるエルガーは、どうやら本名をエルガー・リグル・アスモダイと言うらしい。つまり俺のフルネームもフリードリヒ・リグル・アスモダイということだろう。


「そこまで畏まらなくて結構です。私は執事。つまりフリードリヒ様が主人で私が従者。顎で使うような態度で問題ありません」


 トルクシュはそういうが、俺は前世ではただのサラリーマン。部下を顎で使うようなことがあれば、部下に陰口を言われ、上司に報告され、そして会社での居場所を失うだろう。

 そのような環境で育った俺に、さぁ自由に使ってくださいと執事をあてがわれても困るってもんだ。


「は、はぁ…。しかし僕にはちょっと難しいかな…なんて」


 俺が苦笑交じりにそう言うと、トルクシュは少し微笑んだ。

 なんだろうか。なにか面白いことでも言ってしまっただろうか。


「あぁ申し訳ございません。メイドの間でフリードリヒ様が神童という噂が流れていまして」


 え、なんでだ。別に俺は前世でも悪いとは言わないけど特別頭が良かった訳では無いよ?

 

「いえ。まだ三歳であられるのにしっかりとお話しできている。それにメイドにも大変礼儀正しいと伺っています」


 あ、そっか。俺ってまだ三歳児だったな。ちょっと普通に話しすぎたかもしれない。年上美人メイドとお喋りするのが楽しすぎるんだよなぁ…。


「本来であれば魔王陛下のご子息の教育は六歳になってからなのですがフリードリヒ様の現在の能力であればもう始めていいだろうというのが陛下の判断です」


 なるほどね。俺が三歳なのにペラペラと三歳らしからぬ発言をしてしまったおかげで本来であれば六歳から始まる英才教育を前倒しで始めてしまおうということか。

 これは結構期待されているってことか…。しかも魔王から。これは化けの皮が剥がれないように頑張らないとな…。


「なるほど…。お話はわかりました。トルクシュさんが僕に色々教えて頂けるんですか?」

「いえ、私は陛下の秘書も務めておりフリードリヒ様のために時間を作れないのです。時間があれば是非その大役を担わせて頂きたかったのですが…」


 どうやらトルクシュにも俺は期待されているらしい。正直トルクシュはお姉ちゃんではないしもはやおじいちゃんなので別に彼の評価はどうでもいいが、期待されていること自体は嫌な事じゃないな。


「そちらのリーサとリーセがしばらくは教育係を務めます」


 トルクシュがそういうと部屋で控えていた彼女たちは満面の笑みで頭を下げた。そんな大それた役目なのだろうか。


「そういうことですのでフリードリヒ様、よろしくお願いしますね!」

「ビシバシ行きますよ~!」


 二人とも相変わらずのノリであった。しかしちょっと不安がある。この姉妹は俺に対してよくはしてくれているんだがこの口調といいちょっとアホっぽいというかなんというか。教育係なんて勤まるのかな。


「ゴホン」


 二人の少しおざなりな口調に何か思うことがあったのかトルクシュが咳払いをする。


「フリードリヒ様。この二人に何か不満があればいつでも仰ってください。すぐに別のメイドを用意しますので」


 トルクシュがそう言うと二人は緩んでいた表情をみるみる青くした。

 どうやら本気で俺の教育係ということを重く考えているみたいだ。それはそれで嬉しいし、この二人はメイドさんたちの中でも特別仲が良い。俺としても教育係としてこの二人が選ばれることは喜ばしい事なのでここは二人の味方をしておく。


「はい、わかりました。多分そんなことにはならないと思いますけどね」


 俺がそう言うと二人とも表情をパァと明るくさせた。なにやらやる気のようなものも感じられる。今にも袖をまくりそうな雰囲気すらある。


 こうして、俺が次代魔王となるべく英才教育が始まったのである。

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