第10話 交換価値

 今回は、古典派経済学及び、マルクス経済学の概念で、ある商品の使用価値がその他の商品の使用価値と交換される場合の比率を指す「交換価値」を取り上げることにします。蛇足ながらマルクス経済学を解説しているサイトは幾つかありましたが、簡潔に要約することが嫌いなのかとの印象を受けます。一般の人間にはなじみのない専門用語を多用しているだけで内容がまとなっていない話ばかりでした。そのため、左翼の学者が権威付けのために難解な文章を書いているのではないかと疑ってしまいました。

 さて、マルクス経済学では、あらゆる生産物は価値を持っているとされますが、それは交換されなければ主観的な価値しかなく、交換されその生産物は商品となった時に価値が生まれますと考えます。勿論、貨幣経済においては商品の価値は価格となりますが、ここでは貨幣経済が成立していないと仮定します。

 商品の交換価値はその他の種類の商品と物々交換される差異の量的な比率に表現できるますので、その方程式は、A商品x量=B商品y量として表すことができます。

 ここまでの話には、疑問を持ちませんが、マルクス経済学では、すべての商品には普遍的・抽象的な価値を持っていると考えます。物々交換を前提に考えたとしても異なる商品の交換比率は、様々な条件によって変動しますが、長期的に平均化すれば一定の安定した交換価値があるとマルクス経済学しています。全く異なる商品でも価値が比較できる普遍的な価値が内在していると考えることができるとしています。

 しかし、この段階で商品の価値は需要と供給の関係で常に変動することが無視されているのではないかと思います。価格が安定しているのは、需要と供給の関係が安定しているか、企業間の競争で商品の値上げが難しい場合などであり、全く異なる商品でも価値が比較できる普遍的な価値が内在しているとは思えません。

 また、マルクス経済学では物の持つさまざまなニーズを満たすことができる有用性を指す「使用価値」、具体的に商品を作る労働を「具体的有用労働」、商品の「交換価値」を作る「抽象的人間労働」を説いています。マルクス経済学について調べてますとマルクス経済学の中では重要な概念とされていることからこれらの用語について詳しい解説は書かれているサイトは多いのですが、いずれも机上の空論の印象があります。

 以前に経営コンサルタントがアドバイスする程度の内容は、現場の人間ならば誰でも知っている内容であり、知らないのは経営者だけであるとの話がありましたが、マルクス経済学を調べていて、この話を思い出しました。マルクスが会社経営や商取引などについてどの程度の知識があったかは知りませんが、現実を無視した観念の中だけでマルクス経済学を作り上げたのではないかと思います。

 マルクス経済学について調べていて直ぐに気付いたことの一つが常に製造業を前提にした話ばかりであることです。マルクスの生きていた時代でも経理や営業、商品管理、物流、猟師、医療関係、警察など様々な仕事があったはずなのにどうして製造業だけを前提にした話なのか不思議でした。そのため、マルクスは「労働価値説」で経済活動の全てを説明できると考え、無意識に「労働価値説」にとって都合の悪いことを無視しているのではないかと思えます。

 高橋洋一氏は、「資本論」について最初の前提が間違っていたならば、後の議論は全て間違いだから読む価値がないと一刀両断にされていましたが、「労働価値説」が間違いであるとするならば、「労働価値説」を前提にした理論は全て間違いとなります。また、商品の普遍的な「価値」の存在しないとするならば、後の理論も間違いとなります。

 最初に労働価値説を前提に話を組み立てていることからマルクス経済学は砂上の楼閣であり、部分的に修正することができない破綻した経済学ではないかとの印象しかありません。多少なりとも経済活動に従事しているならば、誰にでも分かる常識以前の間違いの連続です。 どうしたらここまで間違えることができるのかと不思議になります。

 マルクスの生きた時代は、経済学の黎明期であり、現在の経済学と同一に扱うべきではないと思いますが、マルクス経済学の解説書の多さとマルクス経済学を批判する本が皆無なことには驚きました。これは新興宗教の本の内容を宗教学者が批判しないのと同じ理由なのかともしれないと思うようになりました。

 宗教学者ならば、新興宗教の教えの矛盾や間違いを指摘することは容易とは思いますが、過去に読んだ新興宗教をテーマにした本の大半は、教団内部や教祖の実情であり、教団の教えに関する内容の本は皆無に近い状態です。唯一、読んだことがあるのは、幸福の科学の教えを批判する「大川隆法の霊言―神理百問百答」だけです。この本は大川隆法氏が出版した霊言集の内容を検証した本であり、大川隆法の霊言内容の間違いをこれでもかと言う程指摘している内容でした。この本は面白い内容の本であり、お勧めの一冊ではありますが、出版が1991年と古いことから入手は困難かと思います。

 この本のように新興宗教の教えを検証するとなれば、その教団の出版している本を買い求め、内容をチェックしてから原稿を書く作業となります。その労力を考えるならば、書き手が強い意志を持たない限り、新興宗教の教えを批判する本を書きたくないのではないかと思います。特定の教団の教えを批判する本を出版するならば、その教団の信者からどんな嫌がらせを受けるかもしれないことを覚悟してまで本を出版するのには強い信念が必要となります。

 それと同じようにマルクス経済学を批判する本を出版したならば、世の中に溢れている左翼活動家の嫌がらせを覚悟しなければならないことを考えるならば、マルクス経済学を批判する本が出版されないのも当然かと思います。


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