第3話 一般意志

 マルクス主義の成立に大きな影響を与えたと思われる思想の一つに「ジャン・ジャック・ルソー」の「社会契約論」があります。ルソーは『社会契約論』において特定の個人や集団が自らの利益を追求する意志としての「特殊意志」、特殊意志がより広い支持を得て、社会における総和的な意志になった「全体意志」、個々人が理性的、合理的に社会に関わった結果生まれる、社会全体が持つ政治的意志としての「一般意志」の三つの異なる意志を定義しました。


特殊意志 特定の個人や集団が自らの利益を追求する意志

全体意志 特殊意志がより広い支持を得て、社会における総和的な意志になったもの

一般意志 個々人が理性的、合理的に社会に関わった結果生まれる、社会全体が持つ       

     政治的意志


 ルソーは、一般意志にもとづいて政治が行われるならば、自由な社会が実現されるとしていますが、これは社会の成員である皆が自発的に、理性的に同意できる社会を作ることで、自由や権利は自然と守られるはずだとの考えたのです。そのため、一般意志とは、すべての人が自発的に身体、財産を社会全体に譲渡し、すべての人が理性的に行動することが前提とされています。

 この一般意思の考えは、共産主義と親和性の高い考え方です。一般的な議会政治においては、多数派の意見を中心として少数派の意見にも配慮して政策が決定されますが、共産主義者はこれを否定します。社会全体にとって何が良いのかは、「一般意志」で明かなのだから、これを推進することが「真の民主主義」であるとの考えです。これは左翼活動家でも同じ傾向があり、多数決で決められた全体意志よりも一般意志を優先すべきであるとの考えです。

 さて、話を戻しますと、

 これらの話は、「ジャン・ジャック・ルソー」の「社会契約論」は読んでいませんので断定的なことは書くべきでありませんが、少し強引な結論に感じます。勿論、この本が書かれた当時の時代背景を考えるならば、画期的な思想であったことに間違いはないと思いますが、各個人が理性的、合理的に考えた結果として生まれる「一般意志」が存在するとの考えには疑問を持ちます。

 非常に複雑な世の中で各個人が理性的、合理的に考えて一つに意見をまとめることが可能ではあるとしても、それが「一般意志」と言えるかとなれば疑問です。ここで大乗仏教の「空」の思想を持ち出すべきではないとは思いますが、正しさの基準が一つであると考えること自体に無理があるのではないかと思います。この考え方の根底には、絶対的な真理や絶対的な善の存在を認める考えがあると思われますが、全ては相互依存の関係であり、絶対的な真理や絶対的な善は存在しないと考えるべきではないかと思います。

 また、究極の真理と言っても「愛」「正義」などの世の中において大切とされている抽象的な概念を突き詰めて考えますと「愛」と「正義」が対立することも生じます。この他にも「平等」や「自由」と言った事柄も大切とされていますが、現実の生活の中で何を優先すべきかは、人によって異なることになります。「愛」を優先すべきなのか、「正義」を優先すべきなのか、「平等」を優先すべきなのか、何が正しく、何が間違いであると決められないのではないかと思います。

 例えば、子育てにおいて両親の教育方針が対立することは珍しい話ではありません。どちらも子供の将来を考えた末の意見であり、どちらにも言い分がある。これはどちらが正しく、どちらが間違いであると言うべき問題ではなく、何を重視すべきかの考え方の違いでしかないと言えます。そのため、各個人が理性的、合理的に考えるならば、意見が一致するとは限らないと考えるべきであり、「一般意志」は存在しないと考えるべきではないかと思います。

 そのため、一般意志の存在が否定されるならば、 一般意志を推進することこそが「真の民主主義」であるとの主張も否定されることになります。

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