30 暁のミッドウェー

 一九四二年七月五日(現地時間:四日)払暁より始まったミッドウェー海戦は、日付が変わる前までに終結した。

 一八四〇時(現地時間:二一四〇時)前後に互いの存在を探知して始まった日米両軍の水上艦艇による夜戦は、二〇三〇時(現地時間:二三三〇時)頃までに決着が付いていた。

 海戦の最終局面で行われた近藤信竹中将直率の第四戦隊による雷撃は、ウィリス・A・リー少将が直率する戦艦ワシントン、ノースカロライナに完全なる止めを刺したのである。

 この時、最初に放たれた愛宕、高雄の魚雷は浅深度設定と信管の過敏調整によって目標到達直前に自爆してしまうという失態に見舞われたが、時計員が魚雷の早発に気付いたため、改めて深度と信管の感度を調整し直した摩耶、鳥海が米新鋭戦艦二隻への雷撃を成功させていた。

 これにより速力を低下させていたワシントンは回避運動もままならず右舷に五本、ノースカロライナも右舷に四本の魚雷を喰らい、被雷から十五分後にはそれぞれの艦で総員退艦命令が発令された。

 両戦艦への魚雷命中を確認した近藤中将は、一九四八時(現地時間:二二四八時)、麾下艦艇に集結を命じた。

 損傷空母にとって脅威となる米新鋭戦艦に魚雷を命中させて撃沈確実に追い込んだ以上、殿の役割は果たしたと判断したのである。

 また、戦場海域からの離脱する時間が遅くなればなるほど、明朝、空襲を受ける可能性が高くなる。

 近藤が集結命令を出した時点で、日の出まで六時間を切っていた。米軍に新手の四空母がおり、ミッドウェーの基地航空隊が健在であると思われる以上、この海域に長く留まっていることは危険であった。

 この時点で伊勢は十六インチ砲弾十二発を被弾して炎上しており、機関部の損傷や操舵室への浸水などによって、一九三〇時過ぎには航行不能となっていた。

 伊勢の復旧は絶望的と見た武田艦長は、直衛隊の第十六駆逐隊に乗員の救助を要請した上で、総員退艦命令を発した。直後より、駆逐艦天津風と時津風による乗員の移乗が始まっていた。

 この伊勢乗員救助や、沈没艦の乗員救助のために費やされる時間を考えれば、日の出まで六時間未満というのは危険な数字であった。

 近藤の集結命令は、かなり際どいところで出されたのである。

 この時点で、第二艦隊では第四水雷戦隊旗艦・由良が米巡洋艦戦隊からの集中砲火を受けて撃沈されていた。

 探照灯を照射して麾下駆逐隊の突撃を援護したために、由良に砲撃が集中してしまったのである。彼女は魚雷発射には成功したものの、四水戦司令官・高間完少将や由良艦長・佐藤四郎大佐など、艦の主要な乗員は戦死していた。

 しかし一方で、米巡洋艦戦隊は由良に砲火を集中させ過ぎてしまったために、朝雲以下駆逐艦の接近を許すことになってしまった。

 結果として、朝雲以下六隻の発射した魚雷が次々とポートランド以下の重巡を襲い、さらに止めとして前衛隊を務めていた第二駆逐艦の各艦(魚雷の再装填を行った夕立も含む)も雷撃に加わり、米巡洋艦戦隊は大損害をこうむることになったのである。

 最終的に、この夜戦における日米両軍の沈没艦は次の通りであった。


日本:戦艦伊勢、軽巡由良

アメリカ:戦艦ノースカロライナ、ワシントン、重巡アストリア、ポートランド、ノーザンプトン、ペンサコラ、駆逐艦フェルプス、ウォーデン、アンダーソン、ラッセル


 この他、アメリカ側では重巡チェスター、ニューオーリンズも魚雷を一本ずつ被雷し、速力は五ノット近くまでに低下していた。

 一方、日中の航空戦を沈没艦なしで切り抜けた日本側は、この夜戦で初めて沈没艦を出してしまったのである。

 さらに言えば、艦首に菊花紋章を戴く“軍艦”の沈没は開戦以来、初めてのことであった。

 しかし、両軍の被害を見れば日本側が夜戦において優れた戦闘技量を発揮したことは明らかであった。米艦艇のレーダーとレーダー射撃の技術が未熟であったことに助けられた面はあるにせよ、夜戦部隊として編制された第二艦隊はその真価を示したのである。

 日本側は二〇三〇時過ぎには集結を完了させ、伊勢と由良の乗員救助のために駆逐艦天津風、時津風、朝雲の三隻を残して戦場海域からの離脱を開始した。

 アメリカ側で健在なのは五隻の駆逐艦(それでも一部の艦は損傷していたが)だけであり、彼女たちもまたワシントン以下艦艇の乗員救助に当たらねばならず、日本艦隊を追撃するだけの戦力は失われていた。

 幸いなことに、日本側が海上を漂う米兵に機銃掃射などを加えるようなことは起こらなかった。しかし、沈没艦の数があまりに多過ぎたために、五隻の駆逐艦が脱出したすべての乗員を艦上に引き上げることは不可能であった。

 リー少将やスプルーアンス少将、キンゲード少将の三提督は辛うじて救助されたが、スミス少将とフレッチャー少将は海戦の初期の段階で重巡アストリアが撃沈されたために乗員の救助が遅れ、他の多くのアストリア乗員と共に暗いミッドウェーの海に沈んでいったといわれる。

 ワシントンを始めとする十隻の沈没艦の乗員の合計は七〇〇〇名以上であり、このうち、乗艦を無事に脱出して駆逐艦に救助されたのはおよそ二二〇〇名程度であった。

 つまり、乗艦と共に沈んだ乗員の他に、海上に漂う将兵の多くが救助されなかったのである(ただし、一部の米兵は日本側の駆逐艦に救助されていた)。

 最終的にミッドウェー海戦を通しての米海軍の戦死者は一万名以上に上り、これは真珠湾攻撃で戦死した二三〇〇名を遙かに上回る損害であった。

 五月のフィリピン・コレヒドール要塞陥落で失われた七万名と比べれば数字の上でこそ軽微に見えるが、五隻の空母や二隻の戦艦、それに多数の航空機と搭乗員を失った点を考えれば、極めて甚大な損害であった。

 一方、戦場海域に残された日本側の三隻の駆逐艦は、二一三〇時(現地時間:〇〇三〇時)過ぎには救助作業を切り上げて第二艦隊本隊の後を追って海域を後にした。

 由良乗員で救助されたのは一〇〇名に満たなかったが、伊勢乗員は艦長・武田勇大佐も含めて八割近くが天津風、時津風に救助された。

 その伊勢は二〇四三時(現地時間:二三四三時)、静かにミッドウェー沖の海に沈没した。

 こうして双方の艦隊がミッドウェー沖からの離脱を図った結果、航空戦と水上砲戦という二つの戦いが一日の内に行われたミッドウェー海戦は終わりを告げたのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ミッドウェー島は現地時間七月五日の朝を迎えていた。

 未だ空襲による破壊の痕跡は生々しく、焼け焦げた臭いが守備隊将兵の鼻を突いている。

 昨日はカメラを持って戦闘の様子を記録していたジョン・フォードも、今日は小銃を持って蛸壺陣地フォックスフォールの中に身を潜めていた。


「……」


 その表情は険しいものであったが、決して怯えの感情は浮かんでいなかった。


『味方の艦隊は、戦艦も含めて壊滅したらしい』


 昨夜、ミッドウェー守備隊長シマード大佐より、フォードはそう告げられた。


『空母も、戦艦も、もう一隻もミッドウェーの沖合には残っていない』


 その声は、自分たちミッドウェー島守備隊に訪れる暗い運命を予感しているのか、悲痛なものであった。


『フォード監督、貴官は撮影フィルムと共にこの島を脱出するのだ』


 そしてシマード大佐はフォードに対してそう言ってきたのだ。

 しかし、フォードはこれを拒否した。ミッドウェー島に配属された以上、広報要員だとしても島の守備に殉じるのが軍人としての務めであると反駁したのである。

 この時、ミッドウェーの飛行場にはハワイから飛来してジャップ艦隊を空襲し、補給のために着陸していたブレイキー少佐のB17部隊が存在していた。

 この部隊とスウィニー中佐のB17部隊、およびPBYカタリナ部隊は、ジャップ上陸の際にはかえって標的となると判断されたことから、壊滅を避けるため日の出前にハワイに向けて退避させることが決定していた。

 その機体に、シマード大佐はフォードを乗せるつもりであったらしい。

 だが、フォードはB17に撮影を終えたフィルムを託して離陸を見送ると、自身は守備隊の一員として配置に付いたのである。


「……」


 緊張とともに、時間は過ぎていく。

 だが、太陽が自分たちの頭上で輝く時間になっても、ジャップは現れなかった。

 昨日まで索敵に使っていたカタリナ飛行艇までもをハワイに退避させてしまったため、また艦隊が壊滅したこともあって合衆国側はジャップ艦隊の所在を十分に把握出来ていなかったのである。

 この緊張状態は、ハワイ真珠湾の戦闘情報班ハイポがミッドウェーからかなり離れた位置で発せられたジャップ艦隊のものと思しき無線を傍受し、ジャップがミッドウェー攻略を諦めたと判断されるまで継続することとなった。

 その間、無為な緊張状態を強いられたフォードは映画監督としての本能を抑えきらなかったらしく、緊張の面持ちで島の守備配置に付く将兵たちの様子をカメラで撮影して回ったという。

 後に、B17によってハワイへ運ばれたフィルムも含め、フォードの撮影した一連の映像は「The Battle of Midway」というニュース映画として放映されることとなる。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 戦場海域を離脱して西進を続けていた近藤信竹中将が最終的にミッドウェー島攻略作戦「MI作戦」の中止を柱島の連合艦隊司令部に具申したのは、七月六日〇一三〇時(現地時間:五日〇四三〇時)過ぎのことであった。

 すでに水平線の彼方に太陽が顔を覗かせている時刻である。


「MI作戦ハ今迄ノ経過ニ鑑ミルニ、出現セル敵航空母艦ヲ撃滅又ハ其ノ他艦艇ニ対シ相当ノ戦果ヲ挙ゲタルモ、我方亦航空部隊ノ過半ヲ失ヒ赤城、加賀、蒼龍、翔鶴、隼鷹損傷スルニ至リ現状ニ於テ『ミッドウェー』攻略ヲ強行スルハ得策ナラザルモノト認ム。御了承ヲ得度」


 愛宕から発せられたこの電文を受信した連合艦隊旗艦・大和では、近藤・南雲両中将の判断に否定的であった。

 新手の米空母四隻が現れたとはいえ、上陸船団の上空は瑞鳳、祥鳳が守っている。ならば残余の飛龍、瑞鶴、龍驤で新手の米空母四隻に決戦を挑み、その隙を突いて戦艦部隊をミッドウェー島に接近させて艦砲射撃で敵基地施設を破壊すべきではないか、というのが連合艦隊参謀たちの主張であった。

 特に第一航空艦隊および第二艦隊のミッドウェーへの再進撃を強硬に主張したのは、黒島亀人先任参謀であったいう。

 一航艦の反転は、四月のセイロン沖海戦でも見られたことである。それに引き続く南雲艦隊の反転に、連合艦隊司令部は不満を高まらせていたのである。

 現地部隊の独断反転に憤る参謀たちを宥めたのは、宇垣纏参謀長であった。もちろん、彼自身も近藤・南雲両中将の判断は消極的なのではないかという思いを持っている。

 しかし、生粋の鉄砲屋である宇垣は、戦艦伊勢喪失の報告により大きな衝撃を受けていた。

 三十六センチ砲搭載戦艦とはいえ、帝国海軍に十一隻しか存在しない戦艦の一隻なのである(この時点で、大和型二番艦の武蔵は未完成)。

 帝国海軍に二隻しか存在しない長門型の一隻、陸奥も米新鋭戦艦との戦闘で損傷しているとの報告も届いており、これ以上の作戦継続は危険なのではないかと宇垣は考えていた。

 最終的に、再進撃を命ずるには時機を逸してしまっていること、一航艦、第二艦隊ともに相応の損害を受けていることを理由に、GF司令長官・山本五十六もMI作戦の中止を決断せざるを得なかった。

 戦艦大和よりMI作戦の中止と艦隊のミッドウェー沖からの離脱が正式に命じられたのは、七月六日〇九〇〇時のことであった。


  ◇◇◇


 後世、ミッドウェー海戦と呼ばれる一連の戦闘が終結したと見なされるのは、連合艦隊司令部からの作戦中止命令が出された約四時間後の一三三六時(現地時間:五日一六三六時)、伊一六八潜水艦の雷撃によって低速で真珠湾への帰投を目指していた重巡チェスターが撃沈された時点とされる。

 これにより、ミッドウェー沖における日米両軍の戦闘行動は完全に終了したのである。

 ミッドウェー海戦は、戦術的には日本側の圧勝、しかし戦略的にはミッドウェー島防衛を果たしたアメリカ側の勝利とされている。

 しかし、一方で日本側がミッドウェー島を攻略してもその占領維持には多大な困難が発生したものと予測され、結果として日本がミッドウェー島攻略を中止したことは適切な判断であったとされる。

 その意味では、MI作戦の失敗は逆説的な意味で日本側の戦略的勝利と見ることも出来よう。






 とはいえ、一九四二年七月六日、ミッドウェー沖からの離脱を図ろうとする艦隊将兵にはそのような意識はない。

 大戦果を挙げながらも多くの搭乗員を失い、戦艦伊勢までも失ったことで、全体的に重苦しい雰囲気が流れていた。

 唯一の救いは、空母赤城が機関の復旧に成功したことであろう。

 戦場海域からの離脱に伴い、赤城では防毒マスクを付けた決死隊を機関部に送り込んでその復旧に務めたのである。

 そのため、彼女は十二ノットにて自力航行が可能となっていた。針路の変更も、左右の推進器の回転数を変えることである程度は行うことが出来た。

 それでも機関が完全に再稼働するにはまだ時間がかかると見込まれていたが、機関部そのものに損傷はない。あくまでも、炭酸ガスが機関部に流れ込んでしまっただけでなのである。

 赤城を始めとする空母を守るように、艦隊は内地を目指して西へと進んでいく。

 海は、昨夜までの激しい戦闘を忘れてしまったかのように穏やかであった。

 陽光に波が煌めき、雲が天高く伸びている。


「静かなものだな」


 空母飛龍の艦橋に佇みながら、二航戦司令官・山口多聞少将は呟いた。

 上空からは直掩の零戦隊と対潜警戒を行う九七艦攻の発動機が発する音が聞こえてきてはいたが、戦闘の喧噪からは程遠い。

 未だ稼働状態にあるという翔鶴の二一号電探も何も探知していないらしく、警告の信号が発せられることもなかった。

 米艦隊による追撃を恐れてミッドウェー方面に索敵機を放っていたが、そこからも何の報告も寄せられない。

 あるいは米艦隊もまた、昨日の海戦で戦闘能力を失ってしまったのかもしれない。

 だとすれば、新手の四空母の誤報だったのか。米艦隊後方にあった油槽船か何かを、索敵機の搭乗員が見間違えたのかもしれない。

 しかし、一航艦が空母機動部隊としての戦力を大幅に低下させてしまったことは事実であった。

 四空母出現の報が真実か否かにかかわらず、敵艦隊と敵航空基地を同時に相手取る難しさを、帝国海軍は四月のセイロン沖海戦の時以上に痛感することとなったのである。


「空母が一隻も欠けることなく海戦を終えられたことが、せめてもの救いか」


 かつて山口は第二段作戦の研究において、インド洋や太平洋の要衝を占領し、最終的にはパナマ運河の破壊、カルフォルニアの油田地帯占領という大胆な戦争計画を提案したことがある。

 しかし、今回の海戦の結果を見れば、己の提案がいかに航空機とその搭乗員の喪失を無視していた計画であったのかが判る。

 たとえ米艦隊を壊滅に追いやることが出来たとしても、こちらの航空隊が相応の損害を負ってしまえば、以降の作戦継続は極めて困難となる。

 そのことを、今回の海戦で山口は痛感していた。

 そして、インド洋での帝国海軍と、ミッドウェーでの米海軍は、共に戦艦を含む水上艦隊で敵艦隊の追撃を行った。

 これは、空母だけで海戦の決着をつけることの困難さを示しているようにも思えるのだ。

 真珠湾以来の空母に頼り切った作戦ではなく、戦艦も含めた総合的な艦隊運用が、これからは必要になってくるのかもしれない。

 そして、帝国海軍が再び今回のような大規模な攻勢作戦に出られるのは、どれくらい先になるのか。

 損傷艦の修理、そして搭乗員の補充と育成に、最低でも三ヶ月。下手をすれば年を跨ぐことになるかもしれない。

 その頃には、米海軍も今回の海戦で受けた損害から立ち直っているかもしれない。

 また再び、今回のような大規模な海戦が起こることになるだろう。それがどの海域で行われることになるのかは、今はまだ判らなかったが。

 いずれにせよ、内地に帰還して今回の戦訓を分析してからの話である。

 真珠湾で戦艦部隊を壊滅させられながら帝都空襲を行って雪辱を果たそうとしたアメリカが、今回の海戦で講和を申し込んでくるなどという可能性を、山口は考えていなかった。

 米艦隊とは、いずれ再びまみえることになるだろう。

 新たな血戦の予感を胸の内に抱きつつ、山口は広漠たる太平洋の海原をただじっと見つめ続けていた。






 七月八日、敵勢力圏からの脱出に成功し、ウェーク島の沖合に差し掛かった各艦の艦上では哀調を帯びたラッパの音色と共に戦死者たちの水葬と慰霊の儀式が行われた。

 そして七月十四日、第一航空艦隊、第二艦隊の両艦隊は無事に瀬戸内海の柱島へと帰還した。

 瑞鳳と祥鳳に護衛された攻略部隊もまた、帰路、一隻も欠けることなくトラック泊地へと入港したという。

 ここに、米空母部隊の撃滅とミッドウェー島攻略を目指した帝国海軍のMI作戦は終了したのである。

 そしてそれはまた、新たな死闘へと繋がってゆく始まりでもあった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  あとがき


 ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。

 これにて、拙作「暁のミッドウェー」本編を完結させて頂きます。

 この後、五回ほどに分けて補論を掲載いたします。本編ではミッドウェー海戦そのものを描くことに努めたために戦略描写があまり入れることが出来ませんでしたので、補論では主に戦略面の考察を行う予定です。

 物語としての「暁のミッドウェー」はこの30話を以て終わりとなりますが、補論も含めて最後までお付き合い頂けば幸いに存じます。


 さて、一つの海戦を航空戦、砲撃戦と約十八万字かけてじっくりと描写したのですが、自分でもよくここまで書いたものだと思います。

 当初の予定では五話程度の中編にまとめる予定だったのですが、ここまで延びに延びてしまいました。

 夜戦の描写についても、由良以下四水戦の戦闘描写を入れるべきか迷ったのですが、それですとさらに話が延びる上に、内容的に夕立の水雷戦描写と被ってしまうことから省略いたしました。

 四水戦は、史実コロンバンガラ島沖海戦のように、旗艦由良が敵の砲火を引き付けている間に駆逐艦が雷撃を成功させたもの、とお考え下さい。

 伊勢につきましても、史実第三次ソロモン海戦の霧島よりは防御力は上でしょうが、それでも十六インチ砲弾多数を喰らって無事でいられるとは考えられませんでしたので、このような結末となりました。


 ただ、史実では大きな活躍を見せることなく沈没してしまった艦に活躍の場を与えることが出来ましたので、私個人としては満足しております(唯一、大和が砲撃戦に加わっていないのが心残りと言えば心残りですが)。


 改めて、ここまで応援して下さった読者の皆様に感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

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