28 日米戦艦対決

「こちらレーダー室! 敵五番艦より高速で飛翔する物体が発射されました! 砲撃を開始した模様!」


 ワシントンの艦橋と司令塔に、レーダー室からの報告がもたらされる。

 合衆国海軍のレーダーはその性能上、飛翔する砲弾すら捉えることが出来た。そのためこのような報告が入ったわけであるが、リー少将やデイビス艦長にとって、それは意外なものであった。


「敵の一番から四番艦は、戦艦ではないのか?」


 レーダー室からの報告を信じる限り、ジャップ艦隊は戦艦を隊列の後方に配置していることになる。

 問題は、すでにワシントンは敵一番艦を、ノースカロライナは敵二番艦を目標に射撃準備を開始してしまったということだ。

 レーダーアンテナは未だ索敵モードにされたまま回転を続けているが、距離二万二〇〇〇ヤード(約二万メートル)を切った辺りで光学照準の補助とするために射撃モードに切り替える予定であった。

 しかし、レーダー室からの報告が正しければ射撃目標を変更しなければならないことになる。


「一九四一年五月のデンマーク海峡海戦では、ドイツ海軍は重巡プリンツ・オイゲンを戦艦ビスマルクに先行させていたと言う」


 司令塔で、スプルーアンス少将は言った。


「しかしオイゲンをビスマルクと誤認したイギリス側は、海戦当初、その砲火をオイゲンに集中させてしまったということだ」


「ジャップがそれを知っているかどうかはともかく、こちらの砲撃目標の選定を混乱させることを意図している可能性は高いわけですな」


 リーは戦艦を後方に配置しているというジャップの隊列を、そのように解釈した。

 とはいえ、まだワシントンは射撃を開始していない。照準を修正するならば、今しかなかった。


「ワシントンおよびノースカロライナに下令。ジャップ戦艦は敵五番艦以降と認定し、ワシントンは敵五番艦に、ノースカロライナは敵六番艦に目標を変更せよ。砲撃開始距離は、変わらず二万ヤード!」


「アイ・サー」


 TBSに取り付いていた通信兵が、ただちに戦艦戦隊司令官からの命令を伝達する。


「また、第二駆逐戦隊のフーバー大佐にも伝達。ジャップ一番艦から四番艦は巡洋艦の可能性が高いため、戦艦戦隊への雷撃阻止に当たるように」


 ジャップの重巡洋艦は、合衆国海軍の重巡と違って対艦攻撃能力の高い魚雷を搭載している(合衆国海軍でも建造当初のペンサコラ級とノーザンプトン級には魚雷発射管が搭載されていたが、日米開戦前にはすでに撤去されていた)。

 ある意味で、戦艦同士の砲撃戦の最中に雷撃を受けることの方がより脅威であるといえた。

 だからこそ、リーは後衛の第二駆逐戦隊の四隻にそう命じたのである。

 ワシントンの周囲にジャップ五番艦からの弾着があったのは、その直後であった。






「遠、遠、遠、遠! すべて遠弾です!」


 陸奥艦橋最上の射撃指揮所に詰める電信員を通じて、弾着観測機からの報告が入る。

 つまり、全弾敵艦の向こう側に落下したということである。射撃諸元を、遠くに取り過ぎたのだ。


「苗頭左寄せ二、下げ八! 急げ!」


 照準望遠鏡を覗いていた中川砲術長は、第一射の結果を見て即座に諸元修正の命令を発する。

 新たな射撃諸元に基づいて、陸奥は第二射を放つ。ここからは根気よく、弾着を修正していかねばならない。

 砲術科員たちの腕の見せ所であった。

 昼間、米空母を撃沈した搭乗員たちへの対抗意識もあり、彼らの士気は依然として軒昂であった。






 ジャップのコンゴウ・クラスと思しき戦艦からの弾着は、すべてワシントンの左舷側に落下した。

 黄色に染まった水柱が、高々と立ち上る。

 ジャップ戦艦は複数艦で同一目標を狙っても、どの艦の弾着か判別出来るように砲弾に塗料を詰めているという。

 吊光弾の光に照らされた黄色い水柱は、夜の闇の中でいっそう鮮やかに輝いていた。


「リー提督、ただちに射撃許可を!」


 ワシントン艦橋では、デイビス艦長が司令塔にいるリー少将に艦内電話を繋いでいた。

 現在、敵艦との距離はようやく二万二〇〇〇ヤードを切ったというあたり。リー少将は距離二万ヤードより主砲射撃を開始するように命じていたが、先制されたまま主砲を沈黙させておくことにデイビスは我慢ならなかったのである。


「慌てるな、艦長」


 だが、リー少将は冷静に言った。


「ジャップに先制されたとはいえ、レーダーを持たぬジャップがこの距離で即座に命中弾を出せるとは思えん。それに、本艦はジャップと距離を詰める機動を取っている。距離二万ヤードで針路を固定するまでは、射撃の許可は出せん」


 針路を固定することになれば、当然、ジャップの隊列に接近する針路を取っている今の状態から転舵しなければならない。そうなれば自艦の針路が変わってしまうため、また一から射撃諸元を求め直すことになってしまう。

 そこで失われる時間を、リーは懸念していたのである。

 ワシントンはレーダーによる測距を続けつつ、ジャップ艦隊へと接近しつつあった。






 陸奥の射撃は、三度目まですべて遠弾となった。

 これは、ワシントンが陸奥に接近する針路を取っているからで、そのために陸奥の砲弾が彼女の反対舷に逸れてしまっているのである。


「……連中、どこまで接近してくるつもりだ?」


 小さく唸りつつ、夜戦艦橋にいる小暮は呟いた。

 夜間だからという理由で、距離一万メートル以下の近距離砲戦に持ち込むつもりか。

 だが、あまりに接近し過ぎればお互いの装甲が意味をなさなくなってしまう。砲口初速がほとんど失われない状態で命中するからだ。

 あるいは、米軍にとって切りのいい距離、二万ヤードだか一万五〇〇〇ヤード(約一万三七〇〇メートル)だかあたりまで接近するつもりか。

 何とも判断しかねた。

 だが、あまりに米戦艦が接近し過ぎるようであれば、逆にこちらは距離を取るべきだろう。

 自分たちの役目はあくまで一航艦の殿であり、米艦隊の撃滅ではないからだ。米戦艦との雌雄を決したいという思いは強いが、目的を見失ってはならない。

 とはいえ、流石にスラバヤ沖海戦のように延々と遠距離砲戦を続けるような形になっても拙いだろう。

 陸奥の後方からは、伊勢と日向の砲声も届いている。

 近藤中将直率の第四戦隊が米戦艦への雷撃を敢行すべく突撃を開始している現状、三戦艦の中での先任は小暮であった。

 固有の戦隊司令官はいないものの、軍令承行令に従えば伊勢の武田大佐も日向の松田大佐も、陸奥の針路に従うだろう。

 ここは米戦艦の針路を見極めつつ、適切な砲戦距離を維持するような機動を取るべきか。

 小暮がそう考えていた刹那、陸奥の近くに光源が生じた。


「米軍の星弾、本艦を照射中!」


「敵一番艦との距離知らせ!」


「ただ今の距離、一万八〇〇〇!」


 始まるな、と小暮は思った。米軍が星弾を使ったということは、こちらを砲撃目標と定めたからだ。

 敵の主砲は十六インチ。

 長門型は昭和の大改装によって、十六インチ砲弾に対して二万から三万メートルの間で安全圏を保てるようになっている(日本側は米軍のSHS:スーパーヘビーシェル:超重量砲弾の存在を知らない)。

 一万八〇〇〇という距離は、陸奥がその本来の防御力を発揮出来るかどうか、かなり際どい数値であった。

 だが、小暮は針路を変える命令は出さなかった。

 陸奥は未だ命中弾を出せておらず、多少の危険を冒してでもこのまま砲戦を続けるべきだと判断したのだ。

 針路については考えるのは、彼我の距離が一万五〇〇〇を切ってからで良いと思っている。


「頼むぞ、砲術長」


 四度目の主砲射撃の衝撃を受けながら、小暮はそう呟いたのだった。

 米一番艦に主砲発射の炎が煌めいたのは、その直後のことであった。






「ファイア!」


 ワシントンに、砲術長ハーベイ・ウォルシュ少佐の叫びが響く。

 これまでワシントンは四度、ジャップ戦艦からの砲撃を喰らっていた。未だ命中弾はなかったが、それでも今まで撃たれ続けていたことへの鬱憤を晴らすような、そんな叫びであった。

 同様に、やはりジャップ戦艦に先制されていたノースカロライナもその十六インチ砲の砲門を開いた。


「見張所より報告! 敵戦艦はナガト・クラスおよびイセ・クラスの模様!」


 だが、主砲射撃を開始した直後、そのような報告がリーやデイビスの下に届けられた。星弾射撃によってようやく視界を確保し、それによって今までコンゴウ・クラスと思われていた敵の艦型が判明したのだった。


「ナガト・クラス、か……」


 司令塔で報告を聞いたリーは、かすかに苦い声を出した。

 これまで、合衆国側はジャップ戦艦を巡洋戦艦改造のコンゴウ・クラスであると想定していたのである。それが、旧式とはいえ十六インチ砲搭載戦艦が出現したとなれば、相応の衝撃を受ける。

 ただし一方で、イセ・クラスの存在についてはそれほど驚きはない。

 ノースカロライナに降り注ぐ砲弾の数がコンゴウ・クラスにしては多い(もしコンゴウ・クラスによる交互射撃だとすれば、一度に四発しか放てない)ことを不審に思っていた者たちにとって、ジャップはこの海域にイセ・クラスかフソウ・クラスを投入しているのではないかという疑念を確信に変えるものだったからである。

 とはいえ、合衆国側にとって想定外であることには変わりがなかった。

 ジャップは何らかの理由で高速のコンゴウ・クラスではなく低速の旧式戦艦を空母の護衛として充てていたのか、あるいは南方に確認された上陸船団の護衛をしていた部隊に遭遇したのか。

 その判断が、現状ではつかなかった。

 いかに暗号を解読してジャップの作戦目標を察知したとはいえ、作戦参加艦艇の一隻一隻の艦名までは把握していないのだ。ハワイの戦闘情報班ハイポならばジャップ電信員が電鍵を叩く癖からその艦艇を割り出せると言うが、それとて旗艦のような通信量が他艦に比べて多い艦に留まっている。


「確かに想定外ではあるが、これはこれで意味がある」


 リーの傍らでそう指摘したは、スプルーアンスであった。


「ジャップのナガト・クラスは連中にとって象徴的存在だ。これを撃沈出来れば四月のドーリットル空襲のように国民の戦意高揚に利用出来、またジャップ海軍の士気を落とすことも出来よう」


「……それもそうですな」


 コンゴウ・クラスを素早く撃破してその先にいるジャップ空母を主砲の射程内に収めることが当初の追撃戦計画であったが、ナガト・クラスの出現によって狂いが生じてしまった。

 旧式戦艦とはいえ、敵は十六インチ砲搭載戦艦。

 レーダーに加え、従来の砲弾よりも重量を重くし遠距離砲戦での貫通力を増大させた新型砲弾・SHSなどの新装備を有するワシントンの優位は動かないだろうが、正面から砲戦を続ければこちらも相応の損害を受けるだろう。

 果たして、ナガト・クラスを撃沈出来たとして、さらに進んでコンゴウ・クラスなどを相手取るだけの余力がワシントンに残っているか、リーには不安であった。

 しかし、スプルーアンスの指摘したように、ナガト・クラスの撃沈を果たせればその宣伝効果は非常に高い。

 彼は気を取り直して、砲戦の指揮に集中することにした。






 陸奥の射撃は、第六射目まで空振りを繰り返した。

 最初の三射は米戦艦がこちらに接近するような針路を取っていたために諸元修正が難しかったが、現在は米戦艦との距離は一万八〇〇〇で一定に保たれている。

 帝国海軍の射撃教範では、第三射までに的艦を夾叉し、第四射から本射に移れることが理想とされている。しかし、それはあくまでも昼間砲戦を想定したものであり。視界の限られる夜間では勝手が違う。

 小暮艦長はもともと砲術科出身であり、その困難さを十分に理解していた。第六射に至るまで夾叉が出ていないが、中川寿雄砲術長以下、砲術科の者たちを叱責するようなことはしなかった。


「てっー!」


 砲術長の叫びと共に、陸奥が七度目の射撃を行う。

 先ほど弾着した敵の第一射は全弾遠弾となったが、互いに砲撃を始めた以上、出来るだけ早く命中弾を出して敵を戦闘不能に追い込みたいところであった。そうでなければ、こちらがやられてしまう。


「だんちゃーく!」


 ストップウォッチを持った時計員の特徴的な抑揚が、また夜戦艦橋に響く。


「敵艦を夾叉!」


「よろしい!」


 ようやく待ちに待った報告に、小暮は手のひらに拳を打ち付けた。

 砲弾が、敵艦を包み込むように着弾したということである。この射撃諸元のまま砲撃を続ければ、いずれは命中弾が出る。あとは、確率論の問題であった。


「砲術長! 次より斉射!」


「宜候! 次より斉射!」


 第七射を放った砲身が仰角を落とし、新たな九一式徹甲弾を装填する。そして再び仰角を取るまでの、焦れるような沈黙の時間。

 周囲では伊勢や日向、四水戦や米巡洋艦部隊の砲声が海面を震わせているが、陸奥だけがそこから切り離されてしまったかのような、緊迫の瞬間。

 やがて、装填を終えた四門の砲身が再び仰角を取り始める。


「射撃用意よし!」


「てっー!」


 刹那、交互射撃とは比較にならない衝撃が陸奥の船体を振るわせた。

 実戦において初めて行った、四十一センチ砲による全門斉発。

 青年時代から何度も陸奥に乗り込んでいる小暮軍治艦長にとっても、この衝撃はこれまでの訓練とはまったく違うものとして体に伝わっていた。

 八門の砲口から噴き出した爆炎が刹那の間、陸奥の艦影を海上に浮かび上がらせる。

 竣工からすでに二十年あまり。

 軍縮条約による廃艦の危機を乗り越えた戦艦が、ようやくその真価を発揮する場を得たことに歓喜するような、そんな咆哮。

 小暮は万感の思いと共に、八発の九一式徹甲弾の行方を幻視していた。






「総員、衝撃備えよ!」


 先ほどの射撃で夾叉され、そして発砲炎が確認された瞬間、デイビス艦長は艦内に警告を発していた。

 内心では、ジャップに先を越されたことへの忸怩たる思いが渦巻いている。

 未だ、ワシントンとノースカロライナの砲弾は敵艦を夾叉するには至っていない。

 レーダーによる測距は正確であり、光学照準も星弾射撃の明かりによって補っている。にもかかわらず、先に夾叉されたのはワシントンの方であった。

 デイビス大佐は、唇を噛みしめた。

 衝撃は、間もなくやって来た。

 北大西洋の荒波も経験していたワシントンの船体に、誰も感じたことのない衝撃が走る。まるで、巨人の拳で船体が殴られたかのような感覚であった。


「ダメージ・リポート!」


 デイビス艦長は即座に叫んだ。


「第二煙突後部に命中! 右舷艦載艇揚収クレーン倒壊! 両用砲の弾薬に引火し火災発生!」


「消火、急げ!」


 両用砲には星弾射撃を行わせている。星弾に使われているマグネシウムに引火すれば、甲板上に激しい光源が出現してしまう。そうなれば、敵艦の格好の標的となってしまう。

 デイビス大佐の声には、焦燥が滲んでいた。

 しかし、幸いなことに煙突そのものや後部射撃指揮所には被害はなかったようである。

 ノースカロライナ級は第二次ロンドン海軍軍縮条約のあおりを受けて、当初は十四インチ砲搭載戦艦として建造が開始された。しかし、日本が十六インチ砲搭載の新型戦艦を建造している疑惑が浮上したため、同条約のエスカレーター条項(非条約締約国が第二次ロンドン海軍軍縮条約で定められた制限を超過する艦艇を建造していた場合、条約締約国は制限を撤廃出来るという条項)が発動し、急遽、十六インチ砲搭載戦艦として設計が改められたのである。

 そのため、当然、敵十四インチ砲弾に耐えられるものとされていた対応防御を、対十六インチ防御に引き上げる必要性が生じた。これにより、ノースカロライナ級は純粋な十六インチ砲搭載戦艦として設計・建造された後継のサウスダコタ級よりも防御力の点で劣っていた。

 辛うじて、機関部の装甲が敵十六インチ砲弾に対し二万メートルから二万五〇〇〇メートルの間で安全圏を確保出来ているに過ぎないのだ。

 現在の砲戦距離でナガト・クラスの十六インチ砲弾を喰らった場合、装甲を容易に貫通される恐れがあった。

 だが、とデイビスは思い直した。

 こちらの砲弾は、貫通力を増したSHSである。一発一発の威力は、ワシントンの方が高い。従来型、それも旧式の十六インチ砲搭載戦艦であるナガト・クラスが相手であるならば、まだ逆転は可能だ。


「ハーベイ、ナガトは所詮、旧式戦艦に過ぎん! 怯まずに撃ち続けろ!」


「アイ・サー!」


 デイビスの叱咤に応えるように、ワシントンの主砲が轟音を上げた。

 三門の十六インチ砲から、重量一二二五キログラムのSHSが放たれる。

 日米の新旧十六インチ砲搭載戦艦は、その砲炎を煌めかせながらなおも砲撃を継続していた。

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